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   / 5


 リドリー・ティンバーレイクは欲している。己が己であるという証明を。
 貴族という地位ではなく、父の庇護の下に与えられた名声でもなく、実家に帰ればうなるほ
どに眠っている金銀財宝でもなく、それ以外の何かに、自らが紛れも無い自分自身であると主
張するための根拠を、心の奥底ではひどく渇望していた。
 幼い頃よりただ守られ続けていたからこそ、健全に育った彼女の精神は現在、既に自らは巣
立ちの時を迎えていると判断していた。だからこそ一人だけの力で歩いていきたいと考えてい
るし、父親の付属品ではない個人として皆から扱われたいと思っている。
 だが、現実はそう甘くない。願えば皆がそう扱ってくれるほどに、貴族の世界は浅くは無か
った。どんな場所、どんな時間であっても四大貴族の正統な継承者であるという事実は王城の
中ではついて回る。彼女は交流をかわす誰にでも対等を求めているが、帰って来るのは地位に
よる影響を受けた媚びへつらいと侮蔑だけ。狭くて古びた城の中、リドリーが望んだものは決
して返ることは無かった。
 そんな現状はひどく彼女を落胆させていた。自分は結局どこまでも貴族というシステムに組
み込まれた歯車の一つでしかないのだという認識と共に。そして、だからこそリドリーは考え
ていたのだ。自己を主張できるだけの、身分とはまったく別種の力が欲しいと。
 貴族という地位以外の何か。城の中ですれ違う者達、もしくは自らの父親に自分という存在
を認めさせられるだけの、明らかな力を。
 始めに、リドリーは騎士という存在に目をつけた。騎士団の長であるサルート・ラークスは
公正を絵に描いたような人物であり、彼の下につくことになれば、いくらジャスネであっても
早々に影響力を行使することはできない。
 だからこそ、リドリーは騎士を求めた。そして騎士となった。
 だが、騎士となった後にも現実は甘くは無かった。やはり騎士となっただけではダメなのだ。
これもまた一種の地位でしかない。リドリーを取り巻く環境は、リドリーを北方大鷹の後継者
で騎士団員、と見るように変化しただけだった。リドリー・ティンバーレイクという個人は、
いつまでたっても日の目を見ることはない。
 それは一種の落胆を彼女にもたらした。だが、騎士になったことが彼女にとって悪いことば
かりだったというわけではない。相変わらず彼女は腫れ物を扱うかのように日々、王城の中で
は扱われてきたが、彼女を個人としてみる存在もまた、騎士団を通してできてきていたのだ。
 同じセレクションを通して、共に新米騎士となったジャック・ラッセル。所属することにな
った騎士団の団長、ガンツ・ロートシルト。彼らはひどく騎士らしくない騎士のようにリドリ
ーには思えたが、自然体で自分に接してくるところなどは嫌いではなかった。
 そして、もう一人。初めて会った瞬間、刃を突きつけられるというあり得ない出会いを果た
した男。アルフレッド。その素性の一切が不確かで、みすぼらしい服装をした男。彼の出で立
ちはお世辞にも良いとは言えない酷いものだったが、リドリーは彼についても気に入っている
点が一つあった。アルフレッド、彼は決してリドリーの前では貴族だとか身分だとかいった、
些事を感じさせない。
 リドリー。彼がそう自分を呼びかける時、間違いなくリドリー・ティンバーレイクという個
人が呼ばれていると、そう確信できる。アルフレッドの腰骨に響くような低くてはっきりとし
た声を、実はリドリーは好んでいたのだ。
 だから、それだけに。先ほどアルフレッドと視線が交錯した瞬間。まるで心の奥底まで値踏
みされているかのように遠慮のない視線を受けた時にリドリーは、決して臆することない自ら
を証明するために、その瞳をただじっと見据え返した。
 だが、返ってきたのは子供に向けるかのような苦笑いだった。
 それはとてつもない屈辱以外の、何者でもなかった。
 だから、彼女は悔しさから、その場所を飛び出していった。口ではジャックに向けて怒りを
示しながら。本当はアルフレッドに自分と言う存在が笑われたような気がして、とてつもなく
悔しかったのだ。
「あのさ……何でそんなに攻撃的なわけ?」
「――知るか。ただの気まぐれだ」
 横薙ぎに繰り出された斧による一撃を片手剣で防いだ体勢のジャックからの質問に素っ気な
く答える。既にアルフレッドの視界の外へと出てしまえば、普段と同じような冷静さがリドリ
ーには戻りつつあった。
 どうして自分はこんなにもアルフレッドの反応が気になるのか。そう自問する。
 答えは直ぐに出た。――羨ましいのだ。リドリーが何もできなかった状況。手も足も出ず、
ただ守られるだけしか許されなかった危機に置いて、アルフレッドはたやすく皆の命を守った。
アルフレッドは守る側にいた。守られる側のリドリーとは違う。恐怖を感じるほどに強いがた
めに、容易く死の淵に瀕した者の命を救い出せる。
 それはリドリーが己に課した理想の姿だった。そうあるべきと信じていた夢の中の己の姿だ
った。分別のある思慮を持ち、何者にも屈さぬ力を纏い、己の意思で誰かを助ける。リドリー
はきっといつか、自分がそうなるのだと考えていた。
「……ふん。私は少し外をうろついてくる」
 形容しがたい不快感を覚えたリドリーは自らを落ち着かせるために斧を収め、そのままジャ
ックに背を向けて歩き始めた。しばらく一人になりたかった。緑森京の外へと向かう。
「お、おい。リドリー、前に任務だから余り外に出ないほうがいいとか言ってなかったか?」
「――それは覚えている。だが、今に限ってその心配は杞憂だろう。ボルゴンディアーゾのブ
ラッドオークが群れを成して攻めてきても追い返せそうなのが、ここには一人いるんだからな」
 頭の中でもう一度、砂煙を断ち切って現れたアルフレッドの背中がフラッシュバックする。
 リドリーは顔をしかめながらそのまま外へと向かって出て行った。
「何だよ……あいつ。何か調子狂うな」
 だから苛立たしげに壁を蹴ったジャックの行動にも。リドリーは気が付かなかった。


   /


 緑森京より外に出てから、リドリーはずっと周囲の景色を眺めていた。赤く空を燃やすよう
に照らしていた夕陽が、山々の稜線の向こう側へと消えるまで。死にかける、命を失いかける
といった経験は何者にも変えがたく、リドリーに己が考えるべき様々なものを提示した。
 もちろん、日が沈むまでただ悩んでいただけでも答えなどは得られるはずも無かった。
(……これ以上は無意味だな。帰ろう)
 やがて虫達や鳥の鳴き声が聞こえてきた薄暗い森の中で、リドリーはそう結論付けた。
 止めていた足を動かして仲間たちの下へと歩き出す。
 考える事を一時中断して、また騎士としての職務を再開すべき。そう、リドリーは判断して
いた。足元さえ見えにくくなった獣道をしっかりとした足取りで進んでいく。
 そんな時だった。
 リドリーがふと、風を切るような鋭い音を耳にしたのは。遠くから、確かに自然には生まれ
るはずのない音が聞こえてくる。薄暗くてよく見えない森の中で、リドリーは誰かの存在を感
じ取った。
 相手もリドリーに気が付いたのか、ブゥンッと風が切り裂かれてうねるような音が消えた。
「誰だ。こんなところで、何をしている」
「――俺だよ、リドリー。そっちこそ、こんなところで何をしているんだ?」
 森の中、開けた大地の上に立っていたのはアルフレッドだった。立ち塞がる者全てを断ち切
るかのような異様な鋭さを、ブラッドオークに対して証明した両手剣を、乱暴にも地面に突き
刺して、リドリーを見据えている。
 その姿はやはりみすぼらしかったが、地面にそそり立つ両手剣と、リドリーを見据える瞳だ
けは力強さを失っていない。とてつもなく奇妙な男が、そこにいた。
「私? 私はただそこいらをぶらついていただけだ。お前は、剣の修練か?」
「ああ、そんなところだよ。どうにも俺も年らしくてな。こうやって毎日体を鍛えておかない
と、直ぐに腕が錆び付く。それどころか更に技術を磨こうと思ったら、信じられないぐらいの
時間を積み重ねないといけない。まったく、三十路を越えたら人の体はこんなにも脆くなるな
んて知らなかったよ」
 そう呟くと、アルフレッドは地面に刺した剣を抜いた。そしてリドリーには剣筋さえ見えな
いような恐ろしい速度で中空を薙ぎ払う。ビュウンッと風が悲鳴を上げた。生まれた風が、リ
ドリーの前髪を荒く撫で付ける。
「……それだけ強くて、まだお前は強くなる事をやめないのか。どうしてだ?」
 間近で見れば見るほどに、アルフレッドの強さにも驚きを隠さずにはいられない。それなの
に、それでも強さを求めるアルフレッドがリドリーには理解できなかった。もしも自分がそれ
だけの力を持っていたなら、今の自分の悩みなどはすぐに解決するだろうと考えていたために。
 だが、アルフレッドは渇いた苦笑を浮かべるだけだった。
「強さね。それは腕っ節という意味でいうならそうなんだろうけど――いや、いいか」 リド
リーの問いかけに何か反論しようとしたアルフレッドはそこで一旦言葉を区切った。そして被
りを振った後にもう一度口を開く。
「そうだな。きっと変わりたいからだろうな。こんな中途半端な自分じゃなくて、もっと剣を
早く振るえるようになれば、もっと早く敵を倒せるようになれば、今よりは少しはましな自分
になれるかもしれない。その可能性があるから、俺はまだ剣を捨てていないんだろうな」
 その答えは、やはりリドリーには理解出来ないものだった。
「今よりはましになれるから? ……分からない。分からないな。それだけ強ければテアトル
で名声を得ることも、それどころか騎士にでもなりさえすれば、あっという間にお前は団の一
つや二つは任されることになるだろう。そうなれば大抵の望みは全て叶うようになる。だとい
うのに何故お前は自分に満足していない」
 私が欲しいものを持っているくせに、その言葉をかろうじてリドリーは口の中に飲み込んだ。
そして黙り込む。アルフレッドは苦笑いだけで答えた。
「勘違いするなよ、リドリー。俺が欲しいものと、お前が欲しいものは別だ。きっと根本から
して違うものなんだろう。だから、それを手に入れるために必要になってくる手段も違ってく
る。斬り合いが得意なだけで手に入るようなものを、俺は望んでいないんだ」
 言い含めるように、優しい声。子ども扱いされている、とリドリーは反射的に思った。反抗
心が湧き上がって、きっと目の前のアルフレッドを睨もうとした。――だが、できなかった。
 アルフレッドは寂しそうな顔をしていた。何かを堪えるように。
「なあ、リドリー。お前は今、何を望んでいるんだ?」
 そして吐き出す。リドリーに向かって真正面から。リドリー・ティンバーレイクという個人
を尋ねる言葉を。その響きはリドリーの体の中へと浸透していき、心臓まで届いた。リドリー
をリドリーとして扱う声。
 その問いかけに、リドリーはいつの間にか気勢を削がれていた。
「私が、何を望んでいるか、だと?」
「ああ」
「……何故そんなことを、私が答える必要があるんだ」
「別に強制はしていない。答えたくないなら、それでもいい。ただ悩んでいるように見えたか
らな。これでも少しは人生経験もあるから、相談に乗れるようなら、乗ってやろうかと思った
だけだ」
 アルフレッドは決して無理強いはしない。強力無比な力を持っていても、目の前に立つ誰も
を対等に扱う。身分や地位に左右されることがない。現に今も、一回り以上も年下のリドリー
の言葉を、じっと待っている。その双眸で、じっと目の前に立つリドリーの回答を待っている。
 どうするべきか。一瞬だけリドリーは迷った。だが、すぐに答えは出た。目の前の相手はう
さんくさかったが、それでも自分を侮ったり見くびったりするようには、逆立ちしても見えそ
うにはなかった。
「……誰にも言わないと誓えるか?」
「ああ。それをリドリーが望むのなら」
「そうか」 その言葉でリドリーは決心した。口を開く。 「私はな、私と言う存在を周囲か
ら認められたいんだ。だから何よりも早く、力が欲しい。アルフレッド、お前のようにな。そ
うすれば、きっと誰だって私を父の付属品としては見なくなる」
「……だから強くなって、敵を素早く倒せるようになりたいわけか?」
「ああ、そうだ。それしか方法は無いだろう?」
 己の考えの正当性を確認するように、リドリーは頷いた。そして賛同される事を望むかのよ
うにアルフレッドをちらりと一瞥した。
 だが、返ってきた反応はリドリーの望むものではなった。アルフレッドはゆっくりと首を横
に振っていた。
「リドリー。認められたいから、強くなりたいと思っているのなら、それは間違いだ。お前は
違う方法を探さないといけない」
「――どういうことだ?」
 自然、まなじりをつり上げながらリドリーは問い返した。
 語気も、予想もしなかった反論に強まる。
「例え、お前が俺と同じように強くなったとしても、現状は絶対に変わらない。今までの貴族
で新米騎士のリドリーという人間が、貴族で強い騎士のリドリーというまた別の色眼鏡で扱わ
れることになるだけだろう。――そこに差なんてない。違うか?」
 その言葉に、リドリーははっとした。アルフレッドの言葉はもっともだった。一度聞いた言
葉の内容を頭の中で反芻してみても、やはりその通りかもしれないという感想しか得られない。
 強くなれば何かが変わると思っていた。だが、そこにアルフレッドは具体的に何が変わるこ
とがあるのかと問いかけてきた。リドリーは答えられなかった。その事実に気が付く。
 そんなリドリーの様子をずっとアルフレッドは眺めていた。そして長い沈黙が訪れた後に、
諭すような口調でゆっくりと言葉を発した。
「そうだな。一つ、昔話をしよう――」
「そうだな……あれはずっと昔の話だ。俺がまだ、それこそリドリーと同じ年齢だった時。俺
も、リドリーと似たようなことを考えていた。ちょうど今のリドリーと同じように、誰からも
認められたいと思って、生まれた国の騎士になったことがある」
 語り始めたアルフレッドは、そこで近くに立っていた樹に体を預けた。何かを思い出すかの
ようにそっと目を瞑る。その表情からは、どのような感情を持っているのかはうかがい知るこ
とはできない。
 少なくとも、リドリーには何も読み取れなかった。
「騎士? ……お前はかつて騎士だったのか?」
「ああ。意外だったか?」
「確かに意外ではあるが、……いや、逆に頷けるな。それだけの強さを持っているのだから、
騎士の身分を持っていたとしても何もおかしいことはない。むしろ納得できるぐらいだ」
「そうか? まあ、そうかもしれないな。――それよりも座らないか、リドリー。立ったまま
俺の話を聞くのは疲れるだろう」
 アルフレッドは樹に寄りかかったままの体勢で、直ぐ横にある古びた切り株に視線を向けた。
 少しだけ逡巡したリドリーは、結局、アルフレッドの言葉に従うことにした。切り株に腰を
落ち着ける。座る際に、がちゃがちゃと鎧が音を立てて鳴った。そうしてから座った体勢でア
ルフレッドを見上げてみると、アルフレッドはちらりとリドリーを一瞥した後に、また目を瞑
ってから閉じた口を開いて言葉を紡ぎ始めた。
「俺は自分で言うのも何だけどな、才能があった。最初は確かに新米だから弱かったが、そん
なのはほんの少しだけの間だった。気がつけばあっという間に強くなっていって、いつしかそ
の国の中でも五本指には入るぐらいの強さを手に入れていた。……大して死に物狂いで自分を
鍛えたという記憶も無い。ただ毎日を過ごしているだけで、俺は強くなっていたんだ。――い
や、強くなってしまっていたんだ」
 そこでアルフレッドは頭を振った。そして目を開いて遠くの空を眺める。
 リドリーには、アルフレッドの最後の言葉が理解できなかった。
「強くなってしまっていた? まるで、後悔でもしているような口調だな。聞いただけなら、
相当に恵まれた人生を送っているように思えたが」
「恵まれている? 確かに剣の才能についてはそうだったかもしれない。だけど、そんなもの
よりも俺はもっと欲しいものがあったんだ。そして、俺はどんどん自分が強くなっているって
いう事実にばかり囚われていて、本当に大切な事を見失っていた。そして結局、俺は大切なモ
ノを手に入れることができなかった。例えどれだけ人より斬り合いが得意だったとしても、だ。
だから実際に、――俺はそう、リドリーが言ったように後悔しているんだろうな」
 アルフレッドは目を瞑り苦笑いを浮かべる。そして、少しの間黙り込んだ。何ごとかを思い
出すかのように。
 いつの間にか話に引き込まれていたリドリーは、沈黙に耐え切れず口を開いた。
「お前が手に入れられなかった大切なモノというのは一体何なんだ?」
「大切なモノか。それを話すためには、一人の人間のことを話さないといけない。少し長くな
るが、いいか?」
 腕を組み、体を樹の幹に寄り預けたアルフレッドは、そこでリドリーの瞳を真直ぐに見つめ
てきた。まるで自分の本質を読み取られているかのように感じたリドリーは、ぐっと瞳に力を
込めて、その何を思っているのか分からない男の双眸を見返した。
「もうこの話もずっと前の話になるけどな。俺が騎士になったとき、同じように入団試験を合
格した女の子が一人いたんだよ。――名前は、……どうでもいいか。勝気で、負けず嫌いで、
いつだって背中をびしっと真直ぐに伸ばしていた、そんな子だった。そうだな、リドリーに、
……似ているのかもしれない」
「私に、か?」
 言葉を選ぶように、ためらうように口にするアルフレッドの姿を見て、リドリーは問い返し
た。そして反射的に、アルフレッドは何かを隠しているのだな、と思った。
 ヒゲを生やし、髪も乱雑に切り揃えただけのアルフレッドの表情は見えにくいものだった。
が、慣れてくればそんな要因に惑わされることもなく、アルフレッドが何を考えているのか、
漠然としたことぐらいならば分かるようになる。
 目の前にいる男は本質的に嘘をつけないのだろうと、何となくリドリーは考えた。
「ああ。似ているよ。そうやって自分の身分に悩んでいるところも、自分を認めさせるために、
積まなくてもいい苦労を重ねて騎士になったところもな」
「身分に悩んで騎士になった? その人も、貴族だったのか?」
「貴族だった。それも並の貴族じゃなくて、俺がいた国でも最高クラスの地位を誇っていた。
そんな家に生まれたんだから、何もしなくても楽に暮らしていけるのにな、あいつはそんな道
を選ばなかった。というよりも、選べなかったんだろうな。あいつは地位や身分なんてものよ
りも、何を行ったか、何を考えているのかで相手を評価しようとしていたし、そして他人から
もそう評価されたいと願っていたみたいだから」
 そこでアルフレッドは何か辛い記憶でも思い出したかのように、寂しそうに笑った。
 今まで誰かがそんな風に笑う姿を見たことがなかったリドリーには、酷く印象に残った光景
だった。
「……その人は確かに、私に似ているのかもしれないな。よく、分かる。その考えは」
「だろうな。俺もリドリーを見ていると、そいつのことを思い出す」
「そうなのか」
 リドリーは何を言って良いのか分からなくなったので、そう言葉を繋いだ。意味を持たない
相槌の言葉は、呼吸と共に空中に拡散して消えていく。
 少しの静寂の後。また、アルフレッドは昔語りを始めた。
「俺とそいつは特別仲が良かった、っていうわけでもないんだ。そもそも昔の俺は底抜けに明
るい子供みたいな、というか子供だったんだろう。深く考えてもいないかわりに、色々と毎日
は楽しかった。そんな楽天的な俺と、いつだって自分が一人で立っていることを証明しようと
していたそいつだったから、よく反発しあっていたんだ」
「アルフレッド、お前が底抜けに明るい姿というのが、どうにも想像出来ないんだが」
「そうか? 人なんて変わるものだ、リドリー。誰だって昔は子供で、何かの拍子に急に大人
になってしまう。何がきっかけになるのかなんて分からないけどな」
 くつくつと、自分の言葉に何故かアルフレッドは自嘲的に笑った。
 目の前にいる男が、変わった原因というものにリドリーはその時、何故か興味を惹かれた。
「話に戻るが、――当時の俺はお世辞にもまともな騎士なんてやっていなくてな、何度か任務
をこなした後にへまをして、すぐに騎士を首になったんだ」
「お前でも遂行できないような任務があったのか?」
「ああ。とは言っても、当時の俺は、……そうだな、ジャックぐらいの新米騎士だったから、
今になって考えてみれば、それほど難しい任務だったわけじゃない」
 そこでアルフレッドは、また何かを思い出すかのように、両手剣へと視線を向けた。
 肉を断つ刃物の鈍い輝きの向こう側に、アルフレッドが何を見ているのか、リドリーは理解
することができない。
「それで、どうしたんだ? 騎士を首になってから」
「今度は街の剣士ギルドに入ることになったよ。小さい頃から、俺にとって自慢できるものは
剣の腕ぐらいしか無かったからな。騎士としてやっていけないなら、傭兵でもやらないと暮ら
していけそうになかった」
「……そうか。苦労したんだな」
 リドリーは貴族としての暮らしだけしか知らない。だから騎士としての職を失った人間が、
どのようにして生計を立てていくのかについては漠然とした考えを抱くことしかできない。
 だから、アルフレッドの身に起きたことがどのようなものであるのか想像すらもできない。
 そのためにおざなりな声をかけることしかできなかった。
 だが、リドリーの言葉を聞いて、アルフレッドは再び首を横に振った。
「いいや、苦労はしなかったよ。前にも言ったけどな、俺には実際に才能があったんだ。騎士
である限りは、礼節だとか身分だとか、実力に関係しない要素も必要になってくるが、ただの
剣士であり続けるならそんなものは必要ない。剣を振るうことさえできれば、それだけで結果
は後からついてきた」
 アルフレッドはそこで一度、言葉を止めた。
 ゆっくりと、眠りにつくように目蓋を閉じる。
「ギルドの中での評判も、こなした依頼の数も、そして実力も、全部が気がつけばギルドの中
でもトップクラスになっていた。ギルド長や街の住人からも一目置かれて、日々やることには
困らなくて、もしも俺の人生の中で絶頂期っていうものがあるなら今だろうなって、そんなこ
とを考えた。――そしていつの間にか、俺は元いた騎士団の仲間のことは忘れていた」
 そこで、アルフレッドの声が、明らかに硬さを帯び始めた。
「忘れてしまったと言うのは、私に似ていると言った人のことか?」
「ああ、そいつのことや団長のこと。両方とも頭の中から抜け落ちていた。俺が、悠々自適に
暮らしているんだから、他の奴らも大した悩みも無く毎日を生きているだろうなんて、本当に
子供じみたことを考えていたんだ」
 アルフレッドはそこで夜空を見上げて、細く長く、息を吐いた。
 リドリーもつられて夜空を見上げる。普段と変わりの無い光景には、何の感傷も抱けない。
 だが、アルフレッドは違うようだった。
 少しばかりの間、ただ黙って視線を月に固定する。
「――そういえば、丁度こんな月が出ている日だった」
 そして、リドリーには分からないが、何らかの感情が籠もった声で、そう呟いた。
「……何がだ?」
「騎士団を辞めた俺の前に、リドリーに似ている奴がやって来た日のことだ。こんな風に、や
けに透き通った夜空にたった一つだけぽつんと月が浮かんでいたんだよ。――順風満帆な日々
を送る俺の前に現れたあいつは、普段どおりのように見えた。その時の俺には」
「……その時には、ということは実際には違ったのか?」
 微妙な言葉のニュアンスの違いを聞き取ったリドリーはそう尋ねた。
 アルフレッドはその質問を待っていたかのように頷いた。
「ああ、当時の俺は何一つとして気づいていなかったけれど、あいつは相当参っていたんだと
思う。そいつが貴族として難しい立場にあった話はしたよな? 後からわかった話だが、俺が
剣士ギルドで好き勝手にやっていた頃、そいつは身分の問題もあって実力に不相応だったにも
関わらず一つの騎士団を任されていたんだ。――騎士としての経験を積んだわけでもなく、誰
にでも認められる功績を立てたわけでもないのに。ただ貴族であるという出自だけが理由で。
リドリー、お前ならそのつらさを理解できるだろう?」
「……自分の意思とは無関係なところで、自分の生き方を決められたわけか。辛いだろうな」
 近い将来、自分の身にも起きかねない話を聞いて、リドリーの表情は沈んだ。
「そういうことだ。そして最後まで俺は、そいつが悩んでいることには気づいてやれなかった。
――良く考えてみれば分かりそうなものなのにな。俺とそこまで親しかったわけでもないのに、
そいつは俺の家までやってきた。それこそが、そいつにはもう騎士団の中には腹を割って話を
することができる相手もいなくなってしまったという証拠だったのに」
 口にし終えてからアルフレッドはもう一度 「本当に後悔している」と呟いた。
 その言葉を聞いて、リドリーは直感的にだが、自分に良く似た誰かに訪れた結末が分かって
しまったような気がした。アルフレッドの目は、死人を追悼する、やりきれない目をしていた。
「……その人は死んだのか?」
「ああ、良く分かったな。死んだよ、あいつは。俺の腕の中で息を引き取った。一人で悩んで、
一人で答えを出そうとして、一人で戦って、そして一人で死んだ。結局あいつが誰かに理解さ
れることはなかった。――まあ当然だな。同じ騎士団に所属していて、そいつのことを家族だ
なんて公言していた馬鹿は、そいつが悩んでいたことにだって気づかなかったんだから」
 アルフレッドの声に、そこで自嘲が混ざり始める。
「そしておかしな話だけど、そいつが死んでみて初めて分かったことがあった。そいつのこと
を少し前まで俺は忘れていたくせに、そいつが死んで俺はようやく分かったんだ。――自分が
思った以上に、そいつのことが好きだったんだって」
 険しくなっていくアルフレッドの表情に、リドリーは知らず息を呑んだ。
「……それが恋愛感情だったのか、家族に向ける愛情だったのか、それとも親友への情だった
のかは、今でも分からない。何しろ、当人と会話することはもうできないんだから。――ただ、
一つだけ分かっているのは、日々順調に過ごしてると思っていた俺は、その時に大切なモノを
無くしてしまったっていうことだけだ」
「――それがお前の言う後悔か」
「ああ。そいつが死んだ瞬間に、俺はきっと大切なモノを無くしたんだ。後になってから、ど
れだけ願ってもそれを取り戻すことはできない。こればっかりは幾ら剣の腕が優れていようと、
戦いに慣れていようとも、どうにかできる話じゃないからな」
 そこでアルフレッドは寄りかかっていた木の幹から離れた。組んでいた両腕を解いて、地面
に突き立てていた両手剣の柄を握る。
「だからだ、リドリー。俺はそれからずっと旅をしてきたよ。あの日の過ちをどうすれば取り
返せるのか、――いや違うな。あの日の結果をどうすれば納得できるのか。それを知るために、
こんな年になるまでずっと。だけど、それだけ時間をかけてもまだ答えは見つからない。……
ようやく最近になって、その答らしきものは見つかったような気がするけどな」
 その時にはもう、先ほどまでの感情の乱れは、アルフレッドの表情から消えていた。
 普段どおりに奇妙な男がリドリーの前にはいる。
「そして最初の話に戻るが、だからこそ俺は今できることは全部やっておきたいと思っている。
今以上の力が必要になるかもしれないから体は鍛えているし、今以上の知識が必要になるかも
しれないから、馬鹿なりに勉強もしている。――なにせ、この年になっても何をすればいいの
か具体的なことまでは考えついていないんだからな」
 アルフレッドは、剣を軽く振って刃先についた土を払うと、背中に両手剣を背負った。
 リドリーが、初めて出合った時と同じ姿になる。
 何から何までぼろぼろなのに、その目だけは少年のように力強さを放っていた。そして、今
になって見返してみれば、リドリーには無い何かを備えているように見えた。
「リドリー」
「あ、……何だ?」
 考え事をしている際に声をかけられたために、リドリーはそう応えるのが精一杯だった。
「――お前に似た奴を知っているから、俺にも少しはお前の気持ちが分かる。だから焦るなよ。
俺の知ってるあいつは、たった一人ぼっちで死んだ。それは絶対に悲しいことだ」
 そこで一瞬だけ、言葉が止まる。
「だから、もし悩むことがあったら誰でもいいから相談しろ。ジャックだろうと、ガンツ団
長だろうと、もし相手が見つからなかったら俺でも良い。とにかく一人で何もかも決めよう
とするな。……今、自分がやるべきことを見つけられないからと言って恥じる事はないし、
世の中には俺みたいに、この年になっても右往左往している奴だっているんだからな」
 アルフレッドは子供に笑いかける父親のように唇を緩めた。
「きっと、こういったものは自分が寿命で死ぬまでに何か見つけられれば良い。そんな気の
長いことなんだろうから」
「……本当にそうなんだろうか?」
「ああ、きっとそうだ。誰だって悩みを抱えているし、誰だって答えを出そうとしている。
この年になるまで、何百っていう人たちと触れ合ってきたけど、悩みを持たずに自分の思い
どおりに生きているような人間なんて、少なくとも俺は知らない」
 アルフレッドの声は不思議と、苛立たしいものではなくなっていた。
「……分からないな。それに、難しい。お前の話は」
「ならゆっくり考えていけばいいさ。ただし、今日は宿にまで帰ろう。もう遅い」
「ああ、確かに。もう、暗いな」
 話をしている間に、森の中は更に濃い夜闇に包まれていたことに、リドリーはその言葉で
ようやく気がついた。そして、自分が思った以上に話に集中していたことも。
 アルフレッドは返答を聞いて、リドリーに背を向け、ゆっくりとだが歩き始めていた。
 慌ててリドリーはその背中を追う。
「なあ、アルフレッド」
「何だ?」
 アルフレッドは振り返らなかったが、リドリーが近づくことを待つように足を止めた。
「いつの日か色眼鏡や誰かを通した私ではなく、リドリー・ティンバーレイクという私自身
を見てもらえる日が来ると、お前は思うか?」
「そうだな。それはきっと難しいことだろうけど、お前ならできそうな気がするよ」
 少し逡巡してのその言葉に、リドリーは少し胸の中の重みが軽くなったような気がした。


   /


「あ、そういえばさ、おっさんとリドリーって昨日一緒に帰ってきたけど、何かしてたの?」
 そして次の日の朝。
 桃色豚闘士団の面々とアルフレッドは、ライトエルフ側からの通告を王国首脳部へと伝え
るために帰国の途へとついていた。
「……森の中で訓練をしているアルフレッドと偶然あったから、少し話をしていただけだ」
「何の話してたんだ?」
「別にお前に話す必要はないだろう、ジャック」
 帰途は緑森京でのブラッドオークとの戦闘が嘘であったかのように平和なものだった。
 普段ならば姿を現すモンスター達とさえも、遭遇することはない。
「何だよ、別に話してくれてもいいじゃんか。今、話題もなくて暇なんだかさあ」
「聞いても面白いことなんてないぞ。ただ、リドリーと色々と取りとめのない話をしていた
だけなんだからな」
「――具体的には?」
「そうだな。例えば、どうしてジャックはあんなに元気が有り余っているのかとか、そんな
ことばかり話していただけだよ」
「うえ、何だよ、その話題。絶対お前ら俺のことぼろぼろに言ってただろ」
 話したくなさそうなリドリーに代わって、アルフレッドが昨晩のことをぼかして会話を続
ければジャックは唇を尖らせて不満を述べた。
 その態度にリドリーは、はあとため息をつき、アルフレッドは楽しそうに笑みを深めた。
「さて、どうだろうな。悪く言っていたかもしれないし、案外、お前のことを絶賛していた
かもしれないぞ?」
「……ほんとかよ」
 その笑い方を見たジャックは、こいつ最初よりも良く笑うようになったなと思い、そして
どこかで見たことのあるような笑い方だと考えて、内心で首を捻った。


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