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 どさりっという音がして小さな土煙が生まれる。それが一つの命が潰えた瞬間の光景だった。
 倒れ伏して動かなくなったブラッドオーク。その死骸を見下ろしながら、抜き身の両手剣を
持つ男、アルフレッド。奪った者と、奪われた者。
 戦いが終わった後の空気というものは、どうしようもなく乾いている。誰も口を開かず、勝
者であるはずのアルフレッドも動かない。
 そしてまた騎士である三人も、見せつけられた常軌を逸した戦闘の光景によって、動くだけ
の気概を奪われてしまっていた。一瞬、静寂が生まれる。まるで最初に動いた者が負けてしま
うような、不穏な空気がそこにはあった。
 が、その緊張状態は、一人の男の声によって破られる。
「皆さーん! 大丈夫ですかっ!」
 拮抗するかのように、誰も口を開かなかったリドリー、アルフレッド、ジャック、ナツメの
四人に向かって、遠くから間の抜けた声が聞こえてきた。丸っこい鎧をがちゃがちゃと鳴らし
ながら四人に近づいてきたのはガンツだった。
「ブラッドオークはどうなりま――やや、これは!?」
 全力で走ってきたのか、汗をビッシリと浮かび上がらせたガンツの顔が、驚愕に染まる。そ
の視線は倒れたブラッドオークに向いていた。そして続いて、ブラッドオークの前に立ってい
る傷一つないアルフレッドを見る。
「あなたが、これを?」
 驚きを隠しきれないガンツの声。それが、停滞していた状況を動かした。
 アルフレッドはその声を聞いてから、再び動き始めた。携えていた剣を一度横に振るって、
刀身にこびりついた血糊を飛ばすと、ゆっくりと鞘の中に剣を収める。
 そしてガンツと視線を合わせた。
「――そうなるんでしょうね」
「だとしたら、危ないところを助けていただいたようでありがとうございます」
 まだ少し息を切らしているガンツが、頭を下げる。すると、少しだけ不快そうにアルフレッ
ドは眉をしかめた。
「ブラッドオークとは少し因縁があったから、やらせてもらっただけですよ。それよりもガン
ツ団長、あなたは部下の手綱を握っておくべきだ。あんな何も知らない、何も出来ない子供達
を、こんな化け物と戦わせるべきじゃない」
 そこでちらりとアルフレッドは視線を、まだ地面に尻餅をついているリドリーと、その後ろ
に立つジャックに向けた。
「――誰かが死ぬことが周囲にどんな影響を与えるか、分からないわけじゃないでしょう」
 その声は透き通っていて、そしてどこまでも過去を感じさせる冷たいものだった。
「耳に痛い言葉ですが、その通りですね。覚えておきます」
 ガンツはアルフレッドの言葉に、何か思うところでもあったのか、表情を引き締めて頷いた。
「そうしてください。きっと、あなた達はこれから人より多くの不幸に見舞われるはずですか
ら。――特に、リドリー、ジャック。お前達の未来はきっと辛いものになる」
 そこでアルフレッドは振り返って、後ろにいる二人を見た。
「……どういうことだよ、おっさん」
 不満そうに、ジャックが言い返す。だが、その表情はどこか覇気がない。
「今のままだったら、お前達は状況に流され続けるだけだ。身の程をわきまえろ。自分の限界
を知っておけ。そうしないと、きっとお前達みたいな奴らは無茶をやる」
 まるで予言するような声。確定している事項を語るような無機質な声は、どこか寒気がした。
「抽象的すぎてわかんねえよ、何が言いたいんだか」
「そのままだ。お前達は自分と、自分の近くにいる相手だけを見ておけ。間違っても世界だと
か、竜だとか分不相応な領域に近づくな。――自分を守れない奴は、自分だけを見ておけばい
いんだ。高望みしすぎれば、この世界では足元をあっという間に攫われる」
 そこまで言って、アルフレッドは二人から顔を背けた。
「今の言葉は覚えておけ。それがきっと、お前達のためになる」
 そして、そのまま歩き始める。その様子を見て、慌ててガンツが声をかけた。
「どちらへ行かれるのですか?」
「待たせている連れがいるから、拾いに」
 ちらりとガンツを一瞥してから、アルフレッドは足を止めずに答えた。
「それなら、私達も同行しましょうか?」
「いや、必要ありません。それよりも早く安全な場所へ行ったほうがいい。ブラッドオーク一
匹すら対処出来ないようだと、この場所は危ない。――少なくとも、こんな程度にはッ!」
 言い終えるや否や、アルフレッドは外套から短剣を取り出して、凄まじい速さでそれを投擲
した。森の中の一点を目掛けて、凶器を投げつける。
 短剣は、森の中に吸い込まれるように消えていった。
「な、何があったのですかっ?」
「ここを監視している奴がいました。気配の消し方から考えて、相当な手練でしょうね。――
ナツメ・ナギ。あんたも気づいていただろう?」
 同意を求めるように、アルフレッドはリドリーの前に立つナツメに視線を向けた。
「確かに、それらしき違和感は感じていましたが、断定はできません。それよりも、あなたは
何者です? ガンツ殿とは知己のようですが、私は貴方を知らない。なのに、どうして貴方は
私の名前を知っているのです」
 毅然とした表情で、ナツメが口を開く。その表情を見て、アルフレッドは苦笑した。
「俺の名前はアルフレッド。テアトル三番隊チーム・トリトンに所属している剣士ギルドの人
間だ。あんたの名前を知っているのは、当然だろう。この稼業で騎士団が誇る、紫色山猫剣士
団の若い女団長を知らないやつがいたとしたら、そいつはモグリだ」
「そうですね。私の知名度が低くないことは事実です。だから、その事に関しては貴方の言葉
を信じましょう、アルフレッド」
 ナツメは内心での動揺を悟らせないように、最大限気を配りながら平静を装った声を出した。
そして目の前に立つ不詳の剣士の姿を見る。ブラッドオークを刹那の内に殺すことのできる両
手剣の使い手は、緊張を解いた様子でナツメを見返していた。
「それはありがたいな」
「勘違いしないでください。あくまで信じるのは私に関しての情報だけです。正直、その他の
情報については、私は一切あなたの言葉を信用していない」
「それはどうして?」
 試すような口調でアルフレッドが声を発した。その声には先ほどまであったような研ぎ澄ま
された殺意がまるで見えない。その事実に気づいて、ナツメは更に気を引き締めた。
 常人は殺意という異質な感情を抱けず、戦いに明け暮れた者達だけが何かを殺すという意思
を持つことができる。そしてそんな人間の中でも、殺すことに明け暮れた者だけが殺意を自由
自在に操れるようになる。
 ナツメは経験からその事実を知っていた。だから他の騎士団員とは違ってアルフレッドに最
大限の警戒を払う。殺意を冷静にコントロールできる人間に正常者はいない。ナツメも含めて
それは、道を外れてしまった異常者でしかない。注意しすぎても足りるものではない。
「まず貴方の実力。そこからして違和感を感じます。我々騎士団は、力の均衡を保つために各
ギルドの戦力を完全にとは言いませんが、かなりの精度で把握しています。だからテアトルの
主な戦力についても私の頭の中には入っている。それなのに、そこにアルフレッドという名前
はありません。ブラッドオークを屠りえるだけの力を持つ強者の名前が、これまで表側に出て
こなかったという時点で、作為的なものを感じずにはいられません」
 一息に言い切る。そしてナツメは視線を細めてアルフレッドを見た。
 アルフレッドは微かに笑った。弾劾するような言葉を受けても、その表情には余裕があった。
「あんたは頭が切れるな。確かにその疑問は正しいよ。――そうだな、こればかりは俺の説明
が悪かった。俺は今でこそテアトルに所属してるけど、それは三日前からの話なんだ。だから、
あんたの情報に俺の名前がなかったことは当然だ」
「つまり、あなたはここ最近にテアトルに入ったばかりの人間である、と。そんな人間が何を
しにこんな場所に来ているのですか?」
 警戒を解かずに、更にナツメは質問を続けた。だが、その言葉はあっさりと止められる。
「さあな。その辺りまで喋る必要性はないだろう? ナツメ・ナギ、あんただって何を目的と
してこの場所にいたのかと聞かれたら答えられないはずだ。それと一緒だよ」
「それは――」
 ナツメは息を呑んだ。その言葉が正論であるからだ。傍らにリドリーがいる以上、どうして
この場所にいたのか、その理由を口にする事は出来ない。
 それはアルフレッドを追及することができないということを意味していた。
「分かったみたいだな。それなら、話はこれで終わらせてもらう」
 アルフレッドは、歯噛みするような態度のナツメを眺めながらそう言った。
 その言葉で二人の会話は止まる。アルフレッドは自然体で佇み、ナツメはぎりっと視線を強
めているが何も言葉を発さないでいる。二人の会話を一歩はなれた場所から聞いていた三人は、
内容を理解できていないのか、口を挟めないでいた。静寂が続いていく。
 結局、その居心地の悪い沈黙は、遠方から声が届くまで打ち切られなかった。
「アルフレッド、大丈夫!?」
 その瞬間、視線を互いに逸らすことなく交錯させていた二人の視線が、森の一方へと向いた。
声が聞こえてきた場所には、ライトエルフとダークエルフの二人がいた。手を振りながら、ア
ルフレッドの近くへと走り寄ってきている。
 アルフレッドはその二人を見て柔らかい表情を浮かべた。
「そっちこそ、怪我は無かったか? 悪かったな、放り投げたりして」
「ううん、良いよ。この場所を見れば、理由なんて嫌でも分かるから」
 アルフレッドの近くまで来たハップは、ちらりと視線を倒れ伏しているブラッドオークの遺
骸に向けて、そう言った。横にいたハイアンもまだ慣れていないのか、恐る恐るその赤い巨体
を眺めている。
「……うわ、信じられない。一日に二回もブラッドオークの死体を見るなんて」
 そしてぽつり、とハイアンは呟いた。
 その言葉に誰よりも早くナツメが反応した。
「ダークエルフの貴方。今、……ブラッドオークの死体を二度見たと言われましたか?」
 目を見開かせて、ハイアンを凝視する。
 ハイアンは気圧されたのか、少しだけ後退した。
「う、うん。そうだけど。君は?」
 怯えたような声。
 そのハイアンの態度を見て、ようやく自制が失われつつある事に思い至ったのか、ナツメは
それまで纏っていた驚愕したような雰囲気を取り払った。こほん、と咳払いをした後に、落ち
着いた態度を取り戻す。
「すみません。礼を逸しました。――私の名前はナツメ・ナギ。王国に所属する騎士で、紫色
山猫剣士団の団長をしています。それで、先ほどの話は本当ですか?」
「うん。ついさっき襲われたばっかりだからね。アルフレッドがぱぱってやっつけてくれたか
ら良かったけど。多分、二人だけだったらどうしようもなかったんじゃないかな」
 ハイアンは両手を振り回して、大きな何かと戦っているようなジェスチャーをしてみせる。
 ナツメは思案するように、眉根を寄せた。
「アルフレッドがそのブラッドオークも倒したのですか?」
「うん。そうだよね、アルフレッド」
 聞かれたハイアンは素直に頷き、そして言葉を発しないでいたアルフレッドを見る。
 アルフレッドは、その問いかけに、小さなため息を持って答えた。そして口を開く。
「まあ、そういうことになるかな」
 アルフレッドが頷いてみせると、さらにナツメは胡散に思ったのか表情をしかめた。目の前
に立つ相手を観察するかのように、凝視する。
 対するアルフレッドは、少しだけ肩をすくめた。
「それで、こんな所で時間を潰していていいのか? 騎士なら、こんな場所にブラッドオーク
が現れたことを上に報告する義務が有りそうな気がするんだけどな」
 暗に会話を打ち切るように、アルフレッドはそう続ける。ナツメは、一瞬だけ躊躇うような
素振りを見せたが、その表情を打ち消して、平静な女騎士の顔を取り戻した。
「……確かに、このことは早めにラークス様に報告必要がありますね。いいでしょう、話はこ
こで一旦、打ち切ります。ですが、また貴方と話をする機会が必要であることは変わりません。
アルフレッド、近い内に貴方を訪ねさせてもらいますので」
「好きにするといい。俺は大抵、街のどこかにいるはずだからな。テアトルに来れば、会える
だろう。それでいいか?」
「ええ、今回はこれで。――ガンツ殿、レナードは何処に?」
 と、そこでアルフレッドとの会話を終えたナツメは、二人の会話を遠巻きに眺めていたガン
ツに顔を向けた。ガンツは話の矛先が自分に向かったためか、一瞬びくりとした表情を見せた。
「え、あ、はい。彼なら、すぐ近くの木に休ませてありますが」
「そうですか。分かりました。――それでは私は、レナードを回収して先に帰らせてもらいま
す。先ほどの話にもあったように、この状況は早めに報告する必要があるかと思いますので。
桃色豚闘士団は、任務を続けるのですか?」
「はい。私達の任務はまだ終わっていませんから」
 問いかけられたガンツは、気を引き締めるように頷いて見せた。
「そうですか。それならば、細心の注意を払ってください。ブラッドオークが二体もこの付近
にいたということは、まだ他にも残っている可能性があります。通常ならば考えられない事態
ですが、今は非常時だと言えますから。正直、結成されたばかりの団には荷が重たいでしょう」
 そこまでナツメは苦々しそうな表情で言葉を発した。歩き始めたばかりの桃色豚闘士団には
難易度が高すぎる可能性があることを理解しているためだろう。ガンツも身の程をわきまえて
いるのか、その言葉に反論しようともしない。
 そんな二人に向かって、アルフレッドが遠巻きから口を開いた。
「確かに、この三人だと荷が重いな。それは間違いない。だからここで提案になるけどな、俺
を桃色豚闘士団の護衛として雇わないか?」
「あなたが彼らの護衛をですか? そちらも任務中ではなかったのですか?」
「いいや、別に任務だから俺はここにいたわけじゃない。ただの趣味だよ。ダークエルフの里
にあるエルヴンワインが欲しくて、この場所に来ていただけだ。こう見えて、酒には強いんだ」
 ナツメの問いかけに、アルフレッドは飄々と返す。ナツメはその態度を見て、一瞬だけ黙り
込んだが、すぐに顔を上げて言葉を発した。
「それならば依頼させてもらいます、テアトルのアルフレッド。依頼内容は桃色豚闘士団のこ
の地での任務の援護。報酬はどの程度必要ですか?」
「五千ダコル。ただの護衛だからまけておく」
「五千、ですか。ブラッドオークを秒殺する剣士を雇う報酬としては破格の安値ですね。いい
でしょう、普通ならば前金を払っておくべきなのでしょうが、あいにく今は手持ちがありませ
ん。桃色豚闘士団が帰還した際に、報酬は全額払わせてもらいます」
「こっちはそれで構わない。天下の騎士団が報酬を出し渋るとは思えないからな」
 そうしてアルフレッドは頷いた。するとナツメは、それまで脇に置いていた三人に確認する
かのように視線を向けた。ガンツ、リドリー、ジャックの三人の顔を一人一人眺めていく。
「それでは、そういうことで問題はありませんね、ガンツ殿」
 そしてナツメは三人の中で最も地位が高いガンツに向かって尋ねる。ただし、その問いかけ
は相手を強制的に頷かせるだけの威圧が籠められたいるという点を考えれば、正確には問いか
けだとは言えない。それは一種の命令だ。
 ガンツは、気圧されたのか、それとも自分達の状況を鑑みたのか、少しばかりの逡巡の末に
首を縦に振った。
「……分かりました。ですが、このような形でテアトルの方の力を借りることになってもよろ
しいのでしょうか? こういった要請は、任務に就く前に済ませておくのが通例のはずでは」
「確かにその通りですが、事態が事態です。貴方達の任務は、決して軽いものではありません。
ですから、旗騎士である我々が自己の裁量で判断していく必要性もあるでしょう。――それに、
もしも今回の護衛要請がラークス様に認められなかった場合、私個人からの依頼だったとすれ
ばどうとでもなります。そんなことを考えるよりも、貴方は自分の任務を遂行することを考え
てください」
 滑らかで抑揚のない口調だが、同時に有無を言わせないような視線を伴わせて、ナツメはそ
う言い切った。反論を認めないような言葉をそこまで投げつけられてしまえば、ガンツとして
は黙り込んでしまうしかない。そこでガンツとナツメの会話は終わった。
 すると、それまで二人の会話を眺めていたアルフレッドが口を開いた。
「どうやら話は纏まったみたいだな。――そこの二人も、それで問題はないよな?」
 ガンツの後ろに二人で並んで立っていたリドリーとジャックに問いかける。
「ああ。団長が頷いた以上は、団員としては従うのみだ」
「そうか、団員の鏡だな。それでジャック、お前は?」
「俺か? 別に、俺もそれでいいよ」
 アルフレッドの問いかけに、リドリーは無表情に、そしてジャックは少し不満そうにしなが
らも頷いて見せた。内心で二人が何を考えているのかは分からない。だが、アルフレッドが桃
色豚闘士団に随伴することはこの時点で決定した。
 そこまでの会話を聞いていたナツメは、一度首を縦に振った。
「異論はないようですね。それならば、私はもう今すぐにでもここを発たせてもらいます。ガ
ンツ殿、それにリドリー様、お気をつけて」
「はい。万全を期して任務を継続させてもらいます」
 ナツメの去り際の言葉に、ガンツは力強く頷いた。が、リドリーは不満そうな表情を浮かべ
た。だが、それにナツメは気づかない。そのままナツメは次にアルフレッドを見た。
「アルフレッド、もう一度言わせて貰いますが、今回の貴方の任務は桃色豚騎士団の護衛です。
誰か一人でも団員に不測の事態があった場合は、報酬は渡すことが出来ないと考えてください」
 念を押すような声で、ナツメが確認するように言葉を発する。その言葉の中には表面的な意
味だけではなく、裏側の意図も隠されているようだった。
 そして、そのことに気がついているようにアルフレッドはゆっくりと頷いた。
「分かっている。この団が無事に任務を終えられればいいんだろう?」


 アルフレッドとの契約が終了した後、ナツメはそのまま城へと帰っていった。ブラッドオー
クの生存域外での出現という事態があり、それを早く報告しなければならない以上、仕方の無
いことなのだろう。
「さて、そういうことになったけど、まずはこれからどうするつもりなんですか?」
 妖精が二人、人が四人となった場で最初に口を開いたのはアルフレッドだった。ガンツに向
かって、平静な態度のままに尋ねる。その姿を見ているだけでは、歴戦の戦士であるとはまる
で信じられない様な穏やかな表情だ。
 みすぼらしい格好をしているが、その表情はひどく優しい。
「そうですね。まずは緑森京へと早々に帰還することにしましょう。伝えなければならない情
報が多いですから。――それと、ライトエルフの貴方は緑森京へと遣わされた使者の方と考え
てよろしいのですよね?」
「え? あ、うん。そうだけど」
 ずっと黙っていたのに突然話題を振られたためかハップがややどもりながらも答える。
 その言葉にガンツは、大きく何度も頷いた。
「やはり、そうでしたか。――うーむ、それでは帰りも慎重を期す必要がありますね。では、
念のため陣形を組んで緑森京へと帰ることにしましょう」
「それなら、ハップとハイアンを挟む込むような形で、桃色豚闘士団の三人が前衛を、俺が後
衛を担当するってことでどうですか?」
 呟くようなガンツの言葉にアルフレッドが提案して返す。ガンツはその言葉の内容を吟味す
るかのように腕を組んで考えるような素振りを見せたが、やがてまたゆっくりと頷いた。
「我々が前を、貴方が後ろをですか? ……そうですね、このメンバーでならそれが妥当なの
でしょう。そういうわけでリドリーさん、ジャックさん、陣形を組み直してください。妖精の
お二方もそれで構いませんね?」
「うん、それでいいよ」
 そうして、六人はそのまま緑森京へと進むことになった。
 そして、それまでのブラッドオークの出現が嘘のように大した敵も現れないままに、全員は
緑森京まで到達した。


「ガンツ団長、俺はひとまず別行動を取らせてもらいますよ」
 緑森京へとついたアルフレッドの第一声がこれだった。そのまま余り物珍しそうにすること
もなく、広間の大テーブルまで向かって歩いていくと、慣れた様子で椅子へと腰掛けた。
「はい、そうですね。アルフレッドさんはテアトルの方ですから、それで構いませんよ。私達
は、これからノゲイラ殿と面会がありますので、自由にしていてください」
 ガンツはアルフレッドの勝手気ままな言葉に不満を抱くことなく、やんわりと頷いて見せた。
 その言葉にアルフレッドもまた笑って返す。
「なら、そういうことで。何かあったら声をかけてください」


   /


 ガンツ達とひとまず別行動をとったアルフレッドは、広場のテーブルに座り、ちびちびとエ
ルヴンワインで喉を濡らしていた。アルコールをことさら好むわけではないアルフレッドにと
って、それは祝杯だった。まずは自らの望みへと一歩近づいたというささやかな喜び。世界を
蹂躙する戦乱の流れを止めるという、彼の目標が無事に始まったことに対する安堵感がそこに
はあった。。
 アルフレッドの隣にはハイアンがいた。ハイアンは一風変わった人間であるアルフレッドに
強い興味を持っているらしく、羨望や好奇心の入り混じった瞳でアルフレッドを見つめていた。
「悪いな、賭けは成立していなかったのに、ワインをもらって」
 並々とグラスに注がれたワインの味を楽しむかのように、少しずつ口を潤しながらも優しい
声でアルフレッドは隣に腰掛けているハイアンに声をかけた。
 途端に、ハイアンの表情にも嬉しそうな感情の色が浮かぶ。
「ううん、いいよ。これぐらい。何といっても、アルフレッドがいなかったら、今ごろブラッ
ドオークに食べられていたかもしれないからね。これはそのお礼だと思ってよ」
「そうか。ありがとうな」
 アルフレッドはアルコールに耐性があるらしく、グラスを二杯、三杯と傾けているのに、そ
の顔に赤みは見えず、酔った様子も見えない。酒豪としての素質があるのだろう、呂律もしっ
かりとしていて素面にも見える。酔うことよりも、酒を飲むという状況を楽しんでいるように
思える。
「あ、そういえば聞いても良い?」
 と、そこでハイアンが何か思いついたように声を上げた。
 グラスを傾けていたアルフレッドは少しだけそこで動きを止める。
「聞きたいって、何を?」
「そういえば、アルフレッドってどうやったらあんなに強くなれたの。生まれた時から、ずっ
とあんなに強かったわけ?」
 ハイアンは無邪気な顔で尋ねる。だが、それはアルフレッドにとっては余り歓迎できる質問
ではなかった。
(昔の俺か。……強かったなら、どれだけ良かっただろうな)
 そうして直ぐに、ブラッドオークにリドリーが吹き飛ばされた瞬間の光景が脳裏に浮かび上
がる。例え、今という時間にそれを防いだとしても、死ぬまでその後悔と屈辱と絶望に満ちた
記憶が消える事はないのだ。だから、反射的にアルフレッドは顔をしかめそうになった。
 だが、その衝動をアルフレッドは精神力で打ち消した。
(だけど、この記憶は俺だけが覚えていればいいことなんだよな。他人をそれで、不快にする
のはただの八つ当たりだ)
 だからアルフレッドは、意図的に口元を緩めて笑いかけた。
「いいや、昔の俺は酷く弱かったよ。ただ、本当に戦い続けていたからこれくらいには慣れた
だけだ。こんなこと、褒められたことじゃないんだろうけどな」
「へー、やっぱりそうなんだ。生まれた時から強い人なんて、いるわけないもんね。だけど、
アルフレッドだったらもしかしてって思ったんだけど。――あ」
 返答を自分なりに解釈しながら頷いているらしかったハイアンが、言葉の途中で動きを止め
た。そして視線がアルフレッドから離れて、他の違う点に定まる。それはアルフレッドの後方
に固定されていた。
「どうしたんだ?」
 アルフレッドは背後から金属の擦れ合う音が聞こえてきた事を察知しながらも、あえてその
ことには気づいていない振りをして尋ねた。その問いかけに、弾かれたようにもう一度アルフ
レッドを見つめなおしてハイアンは口を開いた。
「あの騎士団の人達が出てきたみたいだよ。ノゲイラ様との話し合いが終わったのかな?」
 そこでアルフレッドは後ろを振り返って、ハイアンと同じ方向を見据えた。族長であるノゲ
イラの部屋の前から、桃色豚闘士団の面々が階段を降りてきている姿が見えた。
「全員が出てきたってことはそうなんだろうな」
 三人の表情は険しいものではない。そのことから、アルフレッドは内心でライトエルフから
の講和に関する返答がそこまで厳しいものではなかったのだろうと当たりをつけた。そして、
その事実に安堵感を覚えながら、過去の自分を除いた二人、リドリーとガンツという懐かしい
人物の顔をあらためてゆっくりと眺めた。
 以前とは違って二人の顔を眺めても申し訳なさは覚えても、やるせなさから顔を背けたくな
るような衝動は湧き上がらなかった。
(……俺もここにきて、少しずつ昔と向き合えるようになってきたってことなのかな)
 頭の中でそんなことをアルフレッドという偽名を名乗っているジャック・ラッセルは考えた。
 が、そこで思考が中断させる事態が起きた。
「あ、あっちもこっちに気づいたみたいだ」
 横から上がる声。ハイアンが同意を求めて声を上げる。
 だが、アルフレッドには返答するだけの余裕などはなくなっていた。何故ならばその瞬間、
アルフレッドは無遠慮に観察していたリドリー・ティンバーレイクと、瞳が合わさっていたの
だから。
 陽光のような黄金色の髪をなびかせる少女の、深くて気高い碧色の瞳。世の汚れなどほとん
ど知らずに育ってきたのだろうその視線は、二十歳をとうの昔に過ぎた男の心に憧憬の感情を
浮かばせるほどに深く、そして透き通っていた。
 ――不測の事態により過去に飛ばされてから数日。
 アルフレッドはずっと、負い目を感じていたリドリーの目を真正面から覗き込むことはしな
かった。いや、正確には直視することができなかった。それは自衛のための誓約に近い。
 だが、その決まりをアルフレッドはブラッドオークを打倒できたことによる安心感からか、
破ってしまった。途端にアルフレッドの視線は、透き通ったリドリーの双眸の更に奥底、意識
のたゆたう場所まで吸い込まれていく。
 一瞬だけ、アルフレッドは懐かしさから全ての思考を投げ出していた。
 遠い昔、世界を律する竜達を殺したときより、ずっと張り詰めていた精神と神経が、ゆっく
りと緩んでいく事を感じる。それは戦いに明け暮れた業の深い自身のことを、誰よりも自覚し
ているアルフレッドにとっては信じられない様な事態であり、そして同時に何故か納得もでき
る状況だった。
(はは――やっぱり俺にとって、リドリーは他の人間とは違って、どこか特別な相手だってこ
となんだろうな)
 知らず、その自らの予想し得なかった変化にアルフレッドの口元は緩んでいた。
「おい、何なんだ。人の顔を見て笑うとは、失礼だろう」
 そんなアルフレッドの態度を見て取ったリドリーが、侮られたとでも感じたのか不満げに鼻
を鳴らす。いつの間にか桃色豚闘士団の面々はアルフレッドのすぐ近くまで来ていたらしく、
既にアルフレッドの周囲にはガンツ、リドリー、ジャックの三人が並んでいた。
「まったくリドリーの言うとおりだって、アルフレッドのおっさん。いくらリドリーの仏頂面
が面白いからって、そう面と向かって笑ったりなんかしたらリドリーも傷つくにきまってるじ
ゃんか。――ねえ、団長?」
 そしてアルフレッドが知る過去の姿と同じく、最も場をちゃかすことが得意なジャックが早
速にも不愉快そうな表情をしているリドリーをからかいはじめる。それはアルフレッドが、も
う二度と手に入れることができないと考えていたはずの光景だった。
「え、え? ……私はリドリーさんは確かにちょっと愛想が無いとは思いますけれど、――で
はなくて、いえいえ。違います。違いますよ、リドリーさん。あなたの表情には私、凛々しさ
が溢れていると常日頃から思っていましたよ。はい」
 ジャックの言葉に、うんうんと頷いていたガンツの表情が途中で一変した。
 その理由は簡単で、いつの間にか戦斧を右手に握り締めていたリドリーが傍らで凄んでいた
からに他ならない。
「――だ、そうだが。ジャック、お前は何か言い残すことは無いか?」
「いや、ほら。俺たちは、同じ団に所属している団員で、言ってしまえば家族なんだからさ、
そうやって刃物を突きつけたりはしないほうがいいんじゃないか?」
「そうか、それが辞世の言葉か。哀れな奴だな、ジャック」
「うわ、ちょっとやめろって! 元はと言えばアルフレッドのおっさんが悪いんだろ! ――
ていうか今気付いたけど、やけに機嫌悪く無いかリドリー!」
「私の知ったことかっ!」
 子供のように、いや真実子供であるのだろう。言い争いをしながら少し危険度の高い追いか
けっこを始めた二人はあっという間にどこかへと消えていった。何ともそれは間の抜けた光景
に見えて、アルフレッドは一瞬だけ、彼にしては珍しく呆気に取られてしまった。
「いやはや、何ともお恥ずかしい。ジャックさんはともかく、リドリーさんは普段はあそこま
で感情を乱すような方ではないのですが」
 そのアルフレッドの態度を見ていたたまれなくなったのか、彼らを統率すべき立場だったガ
ンツがおどおどと声をかけてくる。管理不行き届きを自覚しているのか、普段から明るく歯切
れのいいガンツの言葉は鈍ってしまっている。
 何とも締りの悪い姿ではあったが、それは決して悪いものではなかった。
「くくっ――」
 気がつけばアルフレッドは胸にこみあげるおかしさから喉を鳴らしていた。
 じゃれあうリドリーとジャック。そして、そんな二人を扱いきれずに困ったように眉根を寄
せるガンツ。それはアルフレッドにとっては本当に懐かしく、そして望んだ光景だった。もし
あの時自分がブラッドオークの凶刃からリドリーを守れたならば、未来はどんな風に変わった
のだろうか。何度も何度も頭の中で考えた疑問の答えが、この場所にはあった。
 変わらなかったのだ。変わらないままに世界は流れていったのだ。争いや憎しみなどは生ま
れることが無く、ただ平穏だけがそこにあって。それまでの当たり前であり、何者にも代えが
たい関係がずっと続いていって。
「はははっ、そうか。そうだったんだな」
 堪えきれなくなったアルフレッドは両手で顔を覆ってから声を上げて笑った。嬉しかった。
そして楽しかった。だから、アルフレッドは更に声を上げて笑った。
 傍らにいたガンツは、そんな唐突な事態に目を丸くしながらも、何かを理解していたのか、
アルフレッドに声をかけようとはしなかった。それは彼がアルフレッドの充血した瞳から流れ
た一滴に気がついてしまったからかもしれない。


   /


 小さく微笑むことは過去に戻ってからもあった。だが、これほどまでに声を上げて笑ったこ
とはなかった。久々に腹の底から感情を発露したジャックは、ひとしきりの充足感を得るまで
笑う事をやめなかった。
 ガンツもまた、それを止めるようなことはしなかった。じっと黙って傍に立っている。
 ただ隣に座るハイアンだけが状況を理解できずに小首をかしげている。
 アルフレッドにとってはそんな状況すらも喜ばしいものに見えた。
(くくっ……。まったく、あのブラッドオークの一件が無かっただけで、こんなにも満ち足り
た気分になれるなんてな。俺はどうやら自分が思っていた以上に、あの時の影に後ろ髪を引き
ずられていたらしい)
 いつまでも笑っていたいような衝動にアルフレッドは包まれていた。過去の自分と、リドリ
ーが共に並んで立っていることはそれほどまでに素晴らしいことだった。
 だが、だからといっていつまでも笑っているわけにはいかないこともまたアルフレッドは理
解していた。これはただの始まりに過ぎないのだと、頭の中に存在する冷えた鉄のような理性
が主張する。気を抜くのは一瞬だけでいい。注意を怠れば、その隙を突いて災厄が訪れること
をアルフレッドは嫌というほどに知っていた。
 ――だから、笑うことをそこでやめる。
 浮かべていた笑みを消すことなくそのままに、傍らに立つガンツに視線を向ける。
「すみません。ちょっと昔の、本当に楽しかった頃のことを思い出してしまったんですよ」
「昔の事をですか。……それよりもよろしいのですか?」
 言葉を投げかけられたガンツは何も追及することはなかった。そして、そのかわりにアルフ
レッドの目元を見据えた。つられたアルフレッドが目元を指で触ると、そこは濡れていた。そ
れは紛れも無い涙だった。
 アルフレッドは、そこで初めて自分が泣いていたことに気がついた。喜びと後悔と、一抹の
寂しさがごちゃ混ぜになって生まれたその涙を、そのまま指先で拭い去る。
「……これは、すみません。いい年をした大人がみっともない。あの二人がいなくて助かった
かな? 見られていたら、何を言われたことか」
「いえ、泣くことに年齢などは関係ないと思いますよ。誰にでも、涙を堪えることができない
ほどの出来事というものは、あるはずですから。それに言わせてもらえば、あのお二人はこの
状況を茶化すような人たちでもありませんから」
 ガンツは笑わない。普段の鷹揚とした表情を引き締めて答える。それは彼なりの誠意だった
のだろう。もしかしたら、頭の中ではガウェイン・ロートシルトのことを思い出していたのか
もしれない。
「そうですか。いや、確かにそうなんでしょうね。まいったな。少し、あの二人を見くびって
いたかもしれませんね」
 ガンツの言葉に、アルフレッドは一度呼吸をしてから頷いた。
 そして続いて、本題を切り出す。
「ただ、それは置いておくとして、どうだったんですか? ――ライトエルフからの返答は」
「……ライトエルフ側からの反応ですか。正直、私達にも未だに分からないというのが現状に
なりますね。どうやら、あちらからの使者の方がダークエルフ側に伝えた内容というものが、
協議する時間が欲しいというものだったようですから。――それと、話は変わりますが、アル
フレッドさんは私達の任務の内容を知っていらっしゃるのですか? 詳しく説明した記憶は無
かったはずなのですが」
 ふむ、とそこで疑問に気がついたと言う風に首をかしげてガンツが尋ねる。
 その言葉にもあるとおり、アルフレッドが詳しく桃色豚闘士団の任務内容を聞いたことなど
はない。疑問に思うことも当然であるのだろう。焦る余りに詰めを間違えたことに気がつく。
アルフレッドは内心で一度小さく舌打ちした。
 しかし、そんな感情を表に出すことなどはしない。急ぎすぎたことを自覚しながらもアルフ
レッドはそ知らぬ顔で、自らの行動の綻びを取り繕い始めた。
「それは、話を聞かずとも、少し考えれば桃色豚闘士団の任務内容なんて簡単に分かりますよ。
ライトエルフからの使者の存在。そして、そのライトエルフと交流のあるダークエルフの里で
何かを待っていた騎士団の存在。更に言えば、その騎士団の構成員がかつての親妖精派として
知られたガウェイン・ロートシルトの息子と、同じくケアン・ラッセルの息子であることを考
えれば、答えなんて一つだけしかありません。あからさますぎますからね。違いますか?」
「……確かに、それはそうですね」
 ガウェイン・ロートシルト。その名を聞いた瞬間に一瞬だけガンツの表情が歪んだ。その胸
に去来している感情が何であるのかは分からない。ただ、苦々しさを強烈に覚える感情である
事は想像するに難く無い。
 アルフレッドはガンツの表情を正面から観察しながら、そんなことを考えた。だが、そのま
ま見て見ぬふりをして、強引に会話を継続した。ガンツに意気消沈するだけの時間を与えない
方がお互いにとって良い選択だと思えたためだ。
「それにしても時間が欲しい、ですか。あちらにとっては急な話ですからね、考えられない対
応じゃない。――いや。むしろ協議する意思が存在すると分かっただけでも、これは収穫かも
しれませんね。今までは直接ライトエルフと講和を求めに使者を送ったとしても、即座に追い
返されていたわけですから」
「はい。その通りですね。これが講和の糸口になってくれれば、そう思います。ですから、取
り敢えず私達は一先ず帰還し、上からの指示を仰ぐということになります。ライトエルフ側か
らの話と、ノゲイラ殿の話を総合して考えると、あちらも一月程度の時間はどうしても欲しい
とのことでしたので」
「――そうですか。なら、出発は今すぐにでも?」
「いいえ。まだ我々、桃色豚闘士団は任務にも慣れていませんので、出発は休養を間に挟んで
明日ということにしようかと思います。アルフレッドさんに、そのことを伝えておこうと思い
まして」


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