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   / 2


(まずは……どうしても住む場所が必要になってくるな)
 ヘリファルデ門を通り抜けてテアトルへと向かいながら、ジャックは周囲を見渡した。
 初めて目にした時には、実に都会的な街だと思えたこの場所も、年を重ねてから眺めてみれ
ば違った印象を受けた。表面上は平和そうに見えたとしても、実際にはひどく異なる。
 ――まず、この街は余所者を監視している。
 元気に子供が街中を駆け回っている微笑ましい風景に隠れて、そこにはいつも幾つかの冷た
い視線が紛れこんでいる。ヴォイド・コミュニティに所属するリンカ、フラウ、ヘルツなどの
人間を筆頭として、テアトルのワルター、シーザー、ゴードン、神聖オラシオン教団のアキレ
ス、フェルナンド、ゴドウィンといった人間達が、それと分からないように、逐一、街を出入
りする人間をチェックしている。
 新米騎士だった頃のジャックは理解することができなかったが、今、こうして歩くたびに数
々の視線を向けられると、この街がどのような場所であるのかを理解することができた。
(この街は正真正銘、化け物の集まりだな。――ブラッドオークが集落を作っていたボルゴン
ディアーゾのほうが、まだ可愛げがある)
 それと分からないようにジャックを監視している面々のことを意識すると、ジャックは反射
的に剣へと腕が伸びそうになった。――勿論、ジャックもまたそんな感情はすぐさま揉み消し
て、平静を装いながら歩いている時点で、監視している側と大差ない存在ではあるのだが。


 そして幾つかの視線に晒されながらテアトルにたどり着いたジャックは、かつてのようにタ
ナトスの元へと向かった。
「テアトルに入隊させてもらいたいんですけど」
「あ? ああ、入隊希望者か。よし、じゃあ二階の階段側にある部屋に行ってこい。入隊試験
があるからよ」
「試験、ですか?」
 不審に思われないようにジャックは尋ね返す。だが、内心では既にクアルト隊の部屋まで移
動を始めようとしていた。
「ああ。行けば分かるから早く行ってこい。――あ、いや待て。違った」
 が、予想に反して声が上がる。ジャックの動きはタナトスの声に止められた。考えていなか
った事態に、ジャックの表情が少しだけ揺れる。
「四番隊は今日まで依頼で帰ってこないんだった。別の奴が面接をする事になる。――だから
な、とりあえずお前は、二階の一番奥の部屋へ行け。そこの隊長が面接をするはずだ」
 それは、過去とは違う応対。
(予想しておくべき状況だったな。――テアトルの人間が依頼で何日も街を離れることはよく
あることだ。入隊希望者の面接のために、いつもシーザーがあの部屋にいるわけなんて無い)
 ジャックは二階へと続く階段を上り、四番隊の部屋の前を素通りして、三番隊の部屋へと続
く廊下を歩く。そして部屋の前にたどり着くと、軽く扉をノックした。
「――入ってきてもらえるかしら?」
 部屋の中から、テアトルの中では異質な若い女の声が返ってくる。甘さを持ったその声の持
ち主の指示に従ってジャックが部屋の中に入ると、種類に富んだ花々の香りが歓迎するするよ
うに、ジャックの鼻腔をくすぐった。
 チーム・トリトン、その隊長を務める女。テアトルの中でも、ただ二人だけしかいない隊長
の一人。――そのアリシアの部屋は咲き乱れる花々によって彩られている。
「初めまして。あなたは、入隊希望者ね?」
 アリシアの声にもまた、周囲の花に劣らないような華やかさがあった。だが、そこに可憐さ
はないことをジャックは知っている。
(この人は、知らされていないはずなのに、俺を入隊希望者だと理解していた。――きっと気
配や、俺が廊下を歩いた時の足音、そしてノックのやり方から、俺がテアトルに所属している
人間ではないことことを理解して、推測したんだろう。あの時のシーザーと良い勝負だ)
 どうやってそれを理解したか、それがジャックには分かる。だからこそジャックは目の前の
相手がただの若い女ではないと改めて理解できる。
「はい。よろしくお願いします」
 ジャックは軽く頭を下げた。
「私の名前はアリシア。三番隊トリトンの隊長をさせてもらっているわ。若い女で不思議に思
うかもしれないけれど、テアトルは完全な実力主義になるから、実力さえあれば私みたいな女
でも隊長としてやっていける」
 そこでアリシアは一呼吸を置いた。
「――見たところ、あなたは腕が立つようだから、直ぐに兵長ぐらいまでなら上り詰められる
んじゃないかしら?」
 そして気取りもせずに、にこりと笑う。
 ジャックは黙ってアリシアの言葉を聞いていた。内心では、どこまで自分の実力が見抜かれ
ているのか分からないが、ただの一般人でないことは悟られてしまっていることを理解する。
 そこまで考えたところでアリシアを見ると、彼女は変わらず笑っていた。底知れないと思う。


   /


「そういうわけで、面接はこれで終了。この後は副長のジェラルドさん直々に入隊試験が行わ
れると思うから、三階の部屋まで行ってもらえる?」
「……分かりました。それじゃあ失礼します」
 アリシアに悟られていることからも分かるように、今のジャックは年月を重ねるたびに鍛え
上げてきた体捌きを完全に隠すことができていない。磨き上げてきた技術は、振るうことより
も隠すことこそが難しいのだ。
 そんな状態でジェラルドと会ってしまったら、どのような応対をされるのか予想がつかない。
嫌な予感を抱きながらジャックは、部屋を出て行こうとした。
 が、それを止めるように後方から声がかかる。
「あら、そういえばあなたの名前を聞いていなかったわね」
 アリシアは何の気もなしに尋ねたようだった。
 そして、その声を聞いて、ジャックは開き直ったような気分になった。
「――アルフレッド。俺の名前はアルフレッドと言います、アリシア隊長」
 一瞬、他の名前を名乗ってしまおうかと考えたが、それはリドリー達の前でアルフレッドの
名前を名乗ってしまっているためにできない。だからジャックにできることは、偶然を装って
勇者の名を名乗ることだけだった。
「……あなたの名前はアルフレッドと言うの?」
 アリシアは、そこで初めて笑顔を消した。どこか感情が削ぎ落とされたようにも見える。
「はい」
「そう。――それは、良い名前ね」
 だが、ほんの僅かの時間で、その感情の揺らぎも消えた。普段のように小さな笑みを浮かべ
て、アリシアは呟くように言う。そして続けて顔を上げて、ジャックを見た。
「それじゃあ、本当に私の面接はこれで終わり。――なるべく早めに副長の部屋まで急いでも
らえるかしら?」
 ドアを開けた時と変わらない表情で、アリシアはジャックを見送った。ジャックは、その言
葉に従って早々と部屋を出た。
 ドアを閉めた後に、三階へと向かって歩く。その最中、歩きながらもジャックは一つの事を
考えていた。
(アルフレッドの名前のせいで、下手にアリシアから探られないといいんだけどな)


   /


 二番隊の部屋の前に立つと、そこには何の気配も感じられなかった。扉の前に立っているの
に、人一人分の存在も感じることが出来ない。
 つまりそれは、相手が部屋の中に存在しているのならば、故意に気配を隠しているというこ
とだった。ジャックは、対応に苦慮した。
(……今の俺なら、きっと副長の剣を凌げる。けど、そうなると後が面倒になりそうだな。そ
うすれば確実に地力がばれる。なるべくなら、それは避けたい。――力があるってばれること
は、騒動に巻き込まれやすくなるってことだからな。今の俺には、それだけの余裕があるわけ
じゃない)
 死んだはずのリドリーの存在。まだ勃発していない妖精との戦争。これらのことを考えるだ
けで、現在のジャックは手一杯になっていた。何故自分がここにいるのかは分からなくても、
死んだはずの人間を助けたいという想いを、そしてこれから起こる悲劇を防ぎたいという想い
を、無下に切り捨てることができるほどにジャックの心は錆び付いてはいない。
 そしてそれが一筋縄ではいきそうにないことも理解している。だが、例え進む先が困難に満
ちている道程だとしても、助けられるなら助けたい。防げるなら防ぎたい。それがジャックの
偽りのない本心だった。
 だから現状でジャックは、なるべく厄介ごとを抱え込まないような選択肢を選び続けている。
(今回は、――入団を許される平均レベルに、実力を装うのが良いんだろうな)
 ジャックは全身から力を抜いて、木製のドアを開いた。
 ――瞬間。左前方から剣閃が走った。
 予定調和。ジャックはその攻撃を、後方へと小さくステップすることで回避した。首の薄皮
一枚の距離を躊躇いも無く鋼の刃が通過していく。ジャックは、あえてそこで体勢を崩した。
 迅速な返しの刃が、体勢を崩したジャックに向けて奔る。
 ジャックはそこでようやく剣を抜き、その攻撃を斬られる寸前で防いだ。剣と剣が金属的な
音を立てて鳴り、腕に衝撃が伝わる。
「――実力は上の中。鍛えてみれば、意外なぐらい光るかもしれねぇってところだな」
 ジャックの眼前に姿を現して、隠していた闘気をさらけ出しながらジェラルドが言った。
「これが、入隊試験と考えていいんですか?」
 ジャックは、つばぜり合いの体勢でジェラルドと力比べをしながらも尋ねた。
「そういうことになる。それにしても、俺と斬りあっていて物怖じすらしねえなんてな。――
喜べ、お前は合格だ。素人にも見えねえから、大してこの稼業について説明する必要もないだ
ろう。このまま四階に行って、大隊長に顔を見せにいって来い」


   /


 間違いなくラジアータの最強。その存在が、ジャックの前にいた。座っているだけで、――
いや、呼吸をしているだけで、その能力の高さを理解させられる。テアトルを統べる長。
 エルウェン。彼女は素顔を覆い隠す兜の下にある口元から、声を発した。
「ジェラルド、無茶苦茶だったでしょう?」
「そうですね。出会い頭に切りつけられるなんて、そうは体験できません」
 大隊長の部屋の中央で直立したまま、ジャックは答えた。
「ふふ、少しばかり乱暴なところがありますからね。ジェラルドは。――けれど、それで無傷
ですんでいるのだから、貴方も実力はあると考えていいのでしょう」
 そこでエルウェンは少しだけ体を前方へと押し出し、机の上で腕を組んだ。
「では自己紹介から。私の名はエルウェン。テアトルの大隊長を務めている者です。貴方は?」
「俺の名前はアルフレッド。職を探して来ました。ある程度の武器の扱いになれています。逆
に言うと、武器の扱い以外に大した取り得もないってことですけどね」
 もうこの段階になると、ジャックは偽名を名乗ることに違和感を感じなくなっていた。
「そうですか。――ひとまずアルフレッド、貴方を歓迎します。このテアトルの仕組みについ
ては理解していますか?」
「頭には入っています。――ここは住民からの依頼を受けて仕事をこなす、自警団みたいな組
織なんですよね?」
「ええ、そういうことになります」
 エルウェンは正解だと言うように頷いた。そして、ジャックを観察するように眺めた。
「得意としている武器は、その腰にある片手剣ですか? それとも背中に掛けている両手剣?」
「……武器なら、弓以外は一通り使えると思います。基本はこの片手剣ですけど、相手によっ
ては、これを抜くこともあります」
 そう言って、ジャックは背中に掛けている両手剣を叩いて見せた。鞘の中に隠されているた
めに、その刃の鋭さまでは見えないが、その刀身は細くて長い。平剣ではなく反りの入った珍
しい種類の剣だった。
「そうですか」
 ジャックの返答にエルウェンは小さく頷いた。その様子は何の感慨も抱いていないようにも
見えた。先ほどの質問は、ただ会話をするための問いかけだったのかもしれない。
「では、次の質問ですが――」
 そしてエルウェンは、そのまま深刻さも感じさせず、次の質問を切り出した。
「――貴方は、人を殺したことがありますか?」
 身構えていない状態で切り出された質問だったために、ジャックの表情は乱れた。そして、
その様子をエルウェンは冷淡に観察しているように思えた。
「……それは答えたほうが良い質問ですか?」
 苦々しい感情を味わいながら、ジャックはそう言葉を発した。脳裏には、彼女が死んだ時の
光景が浮かび上がっていた。
「剣士ギルド。テアトル・ヴァンクール。この名に惹かれてやってくる人間は、その殆どが腕
に覚えがある者達です」
 ジャックが表情をしかめようとも、エルウェンの声色は変わらなかった。まるでそれは冷え
た鉄のように聞こえる。
「――ですが、だからと言って、入隊を希望する者の全てが似通った性質を持っているわけで
は有りません。戦いを好む者。嫌う者。生活のためにのみ戦う者。鍛錬のために戦う者。皆が
皆、それぞれの理由を抱えて、この場所の門を叩きます」
 と、そこでエルウェンは言葉を止めて立ち上がった。
 十数年の間に成長したジャックの方が、彼女よりも体格は大きい。だが、エルウェンが立ち
上がると、まるで見下ろされるような威圧感が生まれる。
「そして、中には剣を振るうことに快感を得る種類の者達もいます。斬りつけることに、叩き
伏せることに喜びを見出す者が。――アルフレッド、貴方もそのことは理解できるでしょう?」
「……そうですね。本当に、そんな人間は何処にでもいる」
 ジャックは思い出すように、小さく頷いた。
「そう。そして、そんな人間をテアトルに入れるわけにはいかない。――貴方が人の汚れた部
分など何も知らない子供であったなら、敢えてこんな不誠実な質問をする必要もないのでしょ
う。ですが、違う。貴方とて、そのような種類の欲望の存在は知っているはずです。だから尋
ねます。貴方は、内なる己の声に従って人を殺したことがありますか?」
 まるで鋭利な刃のような声。沈黙を許さない質問。
 ジャックは、ここは虚飾を並べ立てるべき場所ではないと悟り、口を開いた。
「人を殺す。――それは直接的にですか? それとも、間接的にですか?」
「どちらであっても、です。それを貴方が望んで行ったのならば」
「そうですか」
 エルウェンの返答を聞いて、呟く。ジャックは知らぬ間に剣の柄に手をかけていた。
「それなら、無いと答えられます。俺は殺そうと思って、誰かを殺したことなんて、一度もあ
りません。――あるのは全て、死なせてしまったことだけですから」
 不思議と、その言葉を口に出してみても動揺は無かった。ジャックは自分が平静でいられる
ことに驚きを感じた。
 そしてジャックの目の前にいるエルウェンは、その様子を見て結論を得たかのように頷いた。
「そうですか。ならば、それ以外の事については深く追求はしません。――改めて歓迎します、
アルフレッド。隊の編成については明日知らせますから、あとは受付のタナトスの指示に従っ
てください」


   /


 タナトスに案内された住居は、以前と変わらない場所にあった。ジャックはぼろぼろになっ
ている荷物を一度部屋の中に放り投げると、まだ掃除もされていないベッドの上に、後ろから
倒れこむように体を預けた。
 部屋中に埃が舞い始めたが、それでも野宿するよりも心地が良い。
 ジャックはゆっくりと目を瞑った。
(何が何だか、さっぱり状況が分からないけど、一つだけ間違いないことがある。近い内に、
人と妖精の戦争の原因になった、アレが起きる。――それだけは、止めないといけない)
 思い出すだけでも、それは歯軋りを抑えられない記憶だった。
 血気に逸ってブラッドオークに突っ込んでいった自分。吹き飛ばされて死ぬ寸前まで追い込
まれたリドリー。そのリドリーを救うために霊継ぎを行い、そのまま死んだノゲイラ。そして
狂ってしまったかのように、人間への憎悪を募らせていったザイン。
 後悔だけが残った、あの日の光景。
「俺の中で、あの日の記憶は絶対に変わらないんだろうけど、……それでも黙っているわけに
はいかないよな」
 ジャックはベッドに寝そべったまま、天井へと向かって手を伸ばし、そして強く握り締めた。


「――彼は貴方の目から見てどうでしたか?」
 テアトルの四階。大隊長部屋の中で、部屋の持ち主であるエルウェンが言葉を発した。彼女
の目の前には、副長であるジェラルドが立っている。
「あの野郎は、腹の中に色々と溜め込んでいる人間ですよ。今まで何人も入隊希望者を斬りつ
けてきましたが、喉元に剣が迫ってもまばたき一つ表情を変えなかった奴は初めてです。潜り
抜けてきた場数が、動きの細部に嫌ってほど浮かびやがってる」
「やはり、できますか」
 まるで確認のためにエルウェンは尋ねた。
「――間違いなく。一度目の不意打ちは、そこそこの人間にはかわせるようにしましたが、二
撃目は違ったんですよ。あんまり簡単に避けられたもんだから、洗礼の意味を込めて本気で打
ち込んだのに、あいつは防ぎました。隊長格でも、相手は厳しいかもしれませんぜ」
 苦々しい表情でジェラルドは言った。
「そこまでですが。では、彼は何らかの意図をもって入隊したと考えましたか?」
「いや、そいつはないはずですぜ。あいつは強いくせに、人を騙す事になれてない。ヴォイド
の連中のような生き方をせずに、真直ぐに生きてきたんでしょうよ。――あの手の人間は、本
心を語らないかわりに、嘘もつけない」
 吐き捨てるような表情をしながらも、そうジェラルドは言った。
「それでは、貴方は彼の入隊に関しては賛成ですか、反対ですか?」
「事情つき賛成ってとこですか。――暴走しないように注意しておけば、良く働くでしょうよ。
で、大隊長はどんなお考えで?」
 ふむ、とそこで伺う様にジェラルドが尋ねた。
 エルウェンは一呼吸おいてから、その質問に答えた。
「私も、似たような考えです。少なくとも、彼はテアトルに牙を剥く様な人間には見えません
でした。彼の牙は、きっと何か他にある、特定のもののためにのみ振るわれるのでしょう」


   /


 まだ日が昇らず、部屋の中が薄暗い時間帯。ジャックはこれまでの習慣通りに、自然と眠り
から覚めた。休息させていた体を一度大きく伸ばしてから、立ち上がる。
 鋲や鉄板で補強された革靴を履いてから、テーブルまで歩くと、硬質的な音が鳴った。
 ジャックはテーブルの上に置いてある刃渡りの長い両手剣を背負い、横に置いてあった黒色
の鞘に納まった片手剣を腰に下げた。そして、胸部と肩のみを覆う軽装の鎧を着こんでから、
擦り切れかかった外套を纏う。
 最後に剣を振るうための革手袋を嵌めて、確かめるように二度、三度手を握った。
「――今日には、動き始めないといけないよな」
 少年だった頃と比べれば、格段に鍛え上げられた精神と肉体。それが、何事かを成し遂げら
れるのか。――全ては、今日からのジャック自身の行動にかかっている。
「戦争を止める。――止めてやる」


「何だと? 今日から休暇を取りたいだ?」
「ああ。予定では三日、長ければ七日ぐらいはラジアータを離れようと思ってる」
 テアトルの受付、タナトスに向かってジャックは言った。戦闘準備完了といった状態で、休
暇を取りたいというのだから、タナトスの声にも疑問が混じる。
「休暇、ねえ。――それだったら俺じゃなくて、お前が所属することになった隊の隊長に言っ
ておくんだな。隊員の休暇届を受け取るのは俺の管轄じゃねえ」
 ひらひらと右手を振って、タナトスが答える。
「もう、俺の入る部隊が決まってるのか?」
「ああ。最初にお前が面接を受けた部屋に行け。そこが、お前の所属する部隊、トリトンにな
る」
「……トリトン?」
 そこで何かの間違いではないかと思い、ジャックは聞き返した。それは想定外の言葉だった。
(……ジャーパス隊が慢性的な人員不足だったはずなのに、どうして今回、俺はトリトンに配
属されたんだ?)
 思考のために、動きを止める。だが、考えてみても明確な理由は浮かばなかった。
 そしてその態度をタナトスは、トリトンについて知らないためだと思い込んだのか、三番隊
についての説明を始めた。
「ああ、テアトルでもレベルの高い依頼を受けている部隊だ。隊長はアリシアになる。――言
っておくが、あの女は半端じゃなく強いから、怒らせないほうがいいぞ。下手をすれば、戦士
としてのプライドを叩き折られることになる」
 冗談なのか自嘲なのか、どちらであるのか分からないが、タナトスは肩をすくめて言った。
 対するジャックは、その説明を聞いて、ここで悩んでいても仕方がない事を理解した。
「そうか。分かったよ」
 そしてそのまま、二階へと向かい階段を上った。


   /


「それで、配属早々に休みを取りたいというわけね?」
 チーム・トリトンに与えられた部屋の中。花々の香りに包まれたその中央で、椅子に座った
体勢のままにアリシアは顔を上げて、ジャックに尋ねた。その表情に不快感は見えない。
「そういうことになります」
 対するジャックは、表情を引き締めたままに頷いた。完全武装の体は、少しばかり動いただ
けでもジャラリと金属の擦れ合う音が響く。
「理由は?」
「俺には、解決できなかった問題が、ありました。――それをどうにかしたい。今なら、それ
ができるはずなんです」
 ジャックは、嘘を交えずに答えた。ジャック自身、自分が誰かを騙すことに向いていないこ
とは重々承知していたことに加えて、今は偽りを述べるべき時ではないと判断したためだ。
 アリシアは、そのジャックの表情に何かを見たのか、普段通りの表情のままに口を開いた。
「良いわよ。それで期間はどれくらい?」
「予定では三日。長ければ七日はかかるかもしれません」
「最長で七日、ね。それじゃあ七日後にまたこの場所に集合しなさい。その時に、部隊の規則
や役割について改めて説明するわ」
 アリシアは、大して悩む素振りも見せずにそう言った。事情を探ろうともしない。ただ許諾
した。それはジャックにとって、何よりもありがたかった。
 ジャックはその言葉に感謝して、頭を下げた。
「分かりました。――ありがとうございます」
「別に良いわ。そもそも貴方に何を話そうか決めてもいなかったんだから。正直な話、この隊
でどんな役割を貴方に与えるべきか考えるのも、時間が必要だったのよ。私にとっては考え終
えるまでの締め切りが延びた、ただそれだけ」
 言い終えてからアリシアは、ジャックから目線を外す。そしてテーブルの上に置いてあった
カップを手に取り、中に含まれていた紅茶を口に含んだ。
 その様子を見て、ジャックは小さく頭を下げた。
「それでも、ありがとうございます」
「ふふ。礼儀正しいのね。だけど、そんなことをするよりも、早く行きなさい。――今、やる
べきことがあるんでしょう?」
 アリシアのその言葉を聞き、ジャックは強くと頷いた。そして、鋼鉄で武装させた体を翻し、
部屋を退出した。


   /


「……良かったのですか?」
 ジャックが出て行った後、トリトンの隊員であるデニスが尋ねた。その声は今も薄く笑って
いるアリシアとは違って、棘が見える。
 その言葉を聞いてアリシアは、花々の手入れをかかさないその男に、微笑みかけるように顔
を向けた。
「何がかしら、デニスさん」
「入隊したばかりのあの男に、あそこまで無法を許すことについてです」
 隊を舐められていると感じたのか、それともアリシアを侮られていると感じたのか、そのど
ちらであるのかは分からないが明らかにデニスは不快感を覚えていた。怒りを覚えるに足りる
だけの、心の中で大切にしているものがあるのだろう。
「ああ、そのことね。良いのよ。彼はまだテアトルの細かい規則も知らないんだろうから。そ
れは確かに、規則を説明した後にあんなことを言われたらノーと答えたでしょうけれど。――
それに、他にも理由はあるの」
「理由、ですか?」
 思わせぶりなアリシアの言葉に、デニスが反応して問い返す。
「彼について説明されたのよ、大隊長と副長から直々にね。――彼を決して侮るなって」
「……大隊長と、副長からですか?」
「ええ。――不思議には思わなかったかしら? 人員の補充という考えからなら、次の新人は
ジャーパス隊に流れるはずなのに、彼がこの隊に配属されたことを。理由は簡単なのよ。彼が、
アルフレッドという新入隊員が、ジャーパス隊の手には余るかもしれないと思われたからこそ、
トリトンへと編入された」
 笑った表情を変えないままに、そこでまたアリシアはカップを手に取った。
「新人を滅多に認めることがない副長に、過去最高の逸材と言わせしめた人間なのよ、彼は。
たかが休暇願いでいざこざを起こして、下手にテアトルとの関係をこじれさせると厄介なの。
特に、ヴォイドにでも流れられたら私たちの任務がやりにくくなる」
「つまり腕が立つから、多少の融通は利かせるということですか?」
 頭で理解したが納得できない。そんな印象をデニスの声からは受ける。
「そういうことになるのかしら。彼は得がたい人材だそうよ」
 アリシアがそういうと、更に目に見えてデニスは納得できなさそうに拳を握り締めた。
 そして、そのことにアリシアは気がついたのだろう。不機嫌そうに佇むデニスを見て、彼女
は微笑んだ。そして悪戯をした少女のように、くすくすと笑った。
「――なんてことは建前で、実は本当の理由があるの」
「……は?」
 突然、大人びた表情を一変させたアリシアに戸惑ったのか、それまでの不機嫌さをかき消し
てデニスは間の抜けた声を上げてしまった。アリシアが、更に楽しそうに笑う。
「ふふ、良い反応をありがとう。デニスさんの、そういうところ好きよ」
 そして何気なくアリシアの口から出された言葉。それが目に見えてデニスを狼狽させる。
「は? そ、そうですか。ありがとうございます。――いえ、そうではなくて。……建前とは、
どういうことですか?」
 どうにかデニスが本来の話題へと戻すまでに、あくまで上品にアリシアは笑い続けていた。
 デニスが尋ねることで、ようやく笑うのを止める。
「ごめんなさい。あんまり面白かったものだから、少し度が過ぎてしまったかもしれないわ」
「いえ、別に構いませんが。――それで本当の理由とは?」
 デニスが謝る必要などはないと言って首を小さく横に振ると、アリシアはそこでようやく表
情を普段の大人びたソレへと変えた。
「――ねえ、デニスさんは挫折したことがあるかしら?」
「……挫折、ですか?」
「そう、挫折。自分ではもう無理だと思い知ってしまって、何かを投げ捨ててしまうこと」
 アリシアの言動は読めない。少なくともデニスはついていけていないのだろう、答えられな
い。だが、アリシアは返答を待たずに言葉を続けた。その姿は自分自身に語りかけているよう
にも見えた。
「私はあるわ。小さな頃から頑張って、努力して、何度も何度も諦めようと思ったけれど、そ
れでもその度に我慢して一歩一歩積み重ねていったのに、ある時糸が切れたようにもう続けた
くない、無理だと、そう思って投げ出してしまった」
「……それで、どうしたのですか?」
 アリシアの変化を感じ取っているのか、そこで言葉を選ぶように、デニスが言った。
「私は、――待つことに決めたのよ。私が諦めてしまったことを成し遂げられるだけの人間を。
誰でもいいから、私が逃げ出した道の行き着く先、その最果てを私に教えてくれる存在を。そ
うしたなら、きっと今よりはましな自分になれると考えたから」
 ふうとアリシアはそこで小さくため息をついた。そして顔を上げてまた話を続けた。
「最初に、アルフレッド、彼を見たときにこう思ったの。この人はもしかしたら、私と同じな
のかもしれないなって。少し見ただけでも分かるくらいに鍛えてあるのに、その態度にはまる
で自信がない。副長や大隊長のような、本質的な強さが見えない。自分を肯定できていない。
だから思っていたのよ、私と同じで、この人も何かを諦めて、何も得られなかったんだって」
 アリシアの視線は宙を揺れている。言葉は乱れている。だが唇は熱を帯びていた。
「だけど、それが間違っていたと分かったわ。解決していない問題がある。それをやりとげに
行かないといけない。そう彼が言った瞬間に、私との違いを知ったの。――解決できなかった
問題があったのに、彼は諦めていない。まだ挑むつもりでいる。可能性という道を閉じてしま
った私の前で、どんなに細い道だとしても確かにソレは存在していると信じて、望む未来を手
繰り寄せようとしている。それが本当に羨ましいことに、私には見えたのよ。――少なくとも
私には、自分の手で潰した未来を信じることなんてできないから」
 そこでアリシアは言葉を止めた。そして言葉を挟むことなく横に立っていたデニスを見た。
「私はね、多分、余程の理由がない限り、何かをやり遂げようとする人間の邪魔を出来ないの。
その相手が、本気であればあるほどに。そして期待してしまうのよ。そんな人間なら、暗い石
室で座り込んでいる私を見つけ出して、どこか新しい道標を教えてくれるかもしれないって。
――デニスさん。こんな考えは、情けないかしら?」
 アリシアは、窺うように問いかけた。
 デニスは、それまで明確な言葉をかけることができなかった男は、その瞬間だけは素早く反
応した。首を横に振って、応える。
「いえ。何も間違ってはいないと思います」
「……本当に、そう思う? まるで他人任せだと思わない?」
「はい」
 デニスはためらいを見せずに頷いた。
 アリシアは、黙考するように口を閉ざした後、普段の表情を再び浮かべて小さく笑った。
「そう。――ありがとう、貴方にはよく助けられるわ」
「いえ。この程度なら、いつでも」


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