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 銀竜を倒し、監視者という存在を討ち果たしことで世界は何も変わらなかった。少なくとも
人の世には、何ら変化が起きなかった。人はただ、己の生活を続けていくだけ。――隣人であ
った妖精種の絶滅などは、時間が経つにつれて人々の話題にすらも滅多に上らなくなった。
 人は皆、これからは今まで通りの平和が戻ってきたのだと考えていた。
 だが、そんな中にも疑問を持つ存在はいた。
 ジャック・ラッセル。――現状へと世界を変えた少年。彼の心の中には、時間が経つにつれ
て数々の疑問が沸き立つようになっていった。
 アルガンダース。監視者を失ったトゥトアスの明日。死んだリドリーの真意。
 考えれば、考えるほどに分からなくなることばかりだった。答えを述べるものを、己の手で
消してしまっているのだから、答えが得られるはずなどない。
 ジャックは悩んだ。――そして決めた。答えを自らの手で探し出すことを。
 決断してしまえば、後は全てが早かった。ジャックはすぐにでもテアトルを辞し、旅の準備
を整えて住居を引き払い、そしてそのまま己の足で各地を巡った。
 手始めにヴァレスに存在する文献から所在を知ることができた遺跡を回り、それが終われば
地図の外へと出て、新たな手がかりとなりそうな場所を探した。海を渡り、山を越えて、世界
をしらみつぶしに歩いていった。何度も何度も危険な目に会いながらも、それでも巡礼者のよ
うに旅を続けた。
 ジャックは黙々と歩き続けた。――もしかしたら、その胸の中にはリドリーを死なせてしま
ったことに対する後悔があったのかもしれない。
 そして十数年にも及ぶ旅路の果て、彼は一つの遺跡を見つけていた。地図に載らない世界の
果て。その場所で。
 その頃になると、ジャックの中にも一定の答えが形作られようとしていた。アルガンダース
とは何か。監視者とは何か。リドリーの真意は何か。
 あと少しの情報を得れば、それは確信へと変わる。そんな段階。
 だが、そんな旅の目的が達成できるかもしれないという期待感が、ジャックの判断を狂わせ
た。遺跡の最深部へと向かう際に、彼は犯してはならない類のミスをしてしまった。
 ガグンッという音が響いて、世界が揺れる。トラップの発動。周囲が黒い霧に覆われ始める。
 危険だ――そう判断したときには、遅すぎた。

 そこで、ジャックの意識は途絶えた。


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 しくじった、と気がついた時には全てが遅かった。ジャックは意識が覚醒する瞬間のまどろ
みを感じながら後悔した。そして同時に、倒れていた体を跳ね起こす。そのまま流れるような
動作で剣を抜き、呼吸をするような自然さで周囲を探った。
 後方。彼のすぐ近くには、人の気配が一つ確かに存在していた。その相手がゆっくりと近づ
いてきていることが、見る必要も無く理解できる。
 躊躇いなどはない。ジャックは刃を背後に立つ存在へと向けた。――その瞬間に、背後で動
いていた気配がぴたりと動きを止めた。
「――なっ」
 背後の存在は困惑するような声を上げた。その声を聞いて、ジャックは刃による制止を緩め
ることなく、ゆっくりと振り返った。
 そして、背後にいた存在と同じように、彼は困惑した声を上げた。
「どうして……」
 ジャックは世界が崩れていくような驚愕を覚えた。何故ならば、彼が刃を向けたのは、この
世にいるはずのない相手だったから。きつめの瞳。太陽の光を受けて輝く金髪。貴族然とした
佇まい。――リドリー・ティンバーレイク。
 もうずっと昔に死んだはずの少女が、驚きに目を見開かせて、彼を睨むように見つめていた。
「……何のつもりだ。お前は私が騎士団の一員と知った上で剣を向けているのか?」
 剣を喉元に突きつけられても、何ら屈する様子を見せないその姿は、確かにリドリーが持っ
ていたものだった。ジャックは更に深い混乱に陥っていく。
「いや、死んだはずだ。……どうしてッ」
「……何を言っている。頭でも打ったのか? 私はここで倒れているお前を見つけて近寄った
だけだ。お前が野盗でもない限り攻撃する意思はない。剣を収めろ。今なら不問にしてやれる」
 死んだ少女が、ジャックの胸の中で息絶えたはずの少女が、変わらない姿で言葉を口にする。
それは一種の悪夢だった。自らの手で潰してしまった可能性であるからこそ、それはジャック
の意識を苛んだ。――悪夢、そんなものは壊してしまおうかという衝動が、ジャックの胸の中
で衝動的に湧き上がる。
 だが、それよりも早くに現状を打ち破る、新たな因子が姿を見せた。剣を突きつけられたま
まのリドリーの後方から、ゆっくりと幼げな容貌をした少年が顔を覗かせる。
「リドリー、何やってるんだ? ――って、何してるんだお前! 早くリドリーから離れろ!」
 対峙するジャックと、死んだはずのリドリーの間に、喚き散らしながら遠くから近寄ってき
たのは、ジャックが小さな頃から見慣れていたはずの顔をした少年だった。緩んでいた顔を一
変させて、たどたどしくも抜刀しながら、リドリーを守ろうとしているのか走り寄ってくる。
 ジャックは、その相手を認識して自分の精神が遂に発狂してしまったのかと狼狽した。
「お前は……」
「俺はジャック・ラッセル! お前が剣を向けているリドリーとは同じ桃色豚闘士団の仲間で、
そして騎士団憲章にも書いてあるように家族だ! そいつに手を出すようなら、俺が黙っちゃ
いないぜ!」
 ジャック・ラッセル。彼の目の前にいたのは、十年近く昔の彼自身だった。


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 目の前には死んだはずのリドリー。そして、その後方では窺うようにこちらを睨みつける過
去の自分。ジャックは、自分の置かれた状況が理解できずに、ただ混乱を続けていた。
「おい、リドリーを人質にとってどうするつもりなんだよ」
 呆けたような表情であっても、リドリーの喉元に剣を突きつけた体勢のままのジャックに、
過去のジャックが耐えかねたかのように呼びかけた。過去のジャックは、ジャックのことを野
盗か何かだと判断しているのだろう。
 その判断も無理もなく、今のジャックの格好は余りにも酷い。不躾に伸ばされたヒゲ。肩ま
で伸びた髪は乱雑に紐で結わえられているのみ。服装はずたぼろ。ただ、それらの格好の中で
唯一、剣だけが異様に鋭い。初対面の人間ならば、十中八九、スラムの人間か何かを連想する
ことだろう。
「言っておくけどな、うちの団員に手出したら承知しないぞ」 
 剣を構えたまま過去のジャックは悔しそうな表情をしながら告げる。いつものように威勢の
良い言葉を口にしてはいるものの、内心では目の前に立つ相手の実力の片鱗を感じ取っている
のだろう。先に動こうとはしない。
 対するジャックは未だに現状を把握できていなかった。もしかしたら、という疑念はあるが、
それはまだ確信に至るほど大きなものではない。
 目の前の少女と、幼い自分を目にすれば自然と生じてくる疑問だけがジャックの胸のうちに
はある。
「少し聞きたいんだけど……お嬢ちゃんの名前は?」
「お嬢ちゃんなどと言うな。私の名前はリドリー・ティンバーレイク。騎士団員だ」
「ティンバーレイクというと、北方大鷹と考えて良いのか?」
「……まさかお前、貴族狙いの誘拐犯か何かか?」
 ジャックの質問に、リドリーは顔をしかめた。いや、どちらかと言えば屈辱に表情を怒らせ
たようにも見える。
「いや、違う。お前をどうこうしようとは考えていない。まだ状況が理解できていないだけで、
敵対する意思はない。信じてくれ」
「――なら、その剣を早く離せよ! 話はそれからだろ!」
 そこで、会話から置いていかれていた過去のジャックがたまりかねたように声を上げた。当
然の主張ではある。剣をかざして敵意は無いなどと言われても信じられるものではない。
 混乱していたジャックは、ようやくその事実に気がついた。
「……確かに、そうだよな。――悪かった」
 ジャックは、ゆっくりと剣を鞘に収めた。それまで威嚇に使われていた剣が、自らの居場所
へと帰るかのように、するりと腰元へと戻る。
 リドリーと過去のジャックは、相手がすんなりと剣を納めたことに驚き、目を見開かせた。
「それで、お嬢ちゃんは北方大鷹で、そっちの元気なジャック・ラッセルは、もしかして“竜
殺し”の息子で間違いないのか?」
「……そうだ。私は確かにティンバーレイクの家名を継ぐものだ。そして、そこのソレは白色
近衛騎士団団長であられたケアン・ラッセル殿の実子になる。――こちらも答えたぞ。これで
満足か?」
 リドリーの返答に、ジャックは胸の中の疑問の一つ一つに答えを見出していった。
 ――目の前にいるのは確かにリドリー。そして後ろで殺気立てているのが過去の自分。そこ
まで確認したところでジャックの中で、それなら、いったいここにいる自分は何になるんだと
いう新たな疑問が湧き上がった。
「……ああ、できたらもう一つ答えて欲しいんだけど、今は騎士団の任務を遂行中なのか?」
「そうだ! 今はドワーフのおっさんの護衛をしてる最中だったんだよ!」
 リドリーの喉元から剣を引いた瞬間に、リドリーの隣へと移動していた過去のジャックが、
今度は質問に答えた。
「そうか……」
 その言葉を聞いた瞬間に、ジャックは酷く信じ難い、現状に対する答えを得た。

 ――俺はどうしてか、過去に来たみたいだな。

 ジャックの脳裏には、意識を失う寸前に見た、殺風景な遺跡の光景が浮かび上がっていた。


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「さっきから頷いてばかりで、こちらはまるで話が分からない。説明してもらおうか。お前は
何者で、ここで何をしていた? 私に剣を向けたのは何故だ?」
 呆然とした様子で立ち尽くしたジャックを見て、眉根を寄せながらリドリーが尋ねた。
 しかし、その質問はジャックにとって答え難いものだった。ジャック自身は、目の前に死ん
だはずの人間と、過去の自分がいるという非現実的な結果があるからこそ、自分は過去に飛ば
されたようだという事実を受け入れられる。
 しかし、目の前にいる二人は違う。常識的に考えて、そんな言葉を信じることは出来ないだ
ろう。昔のジャックならば、上手く言いくるめれば信じさせることができるかもしれないが、
どう考えてもリドリーは不可能だ。
 そこまで考えたところで、ジャックは時間を引き延ばすために会話を続けた。
「ええっと――リドリー、と呼んで良いか?」
「別に呼び名はどうであっても構わない。それよりも早く質問に答えてもらえないか?」
 少なくともジャックの方が実力的に上であると、その首筋で体験したはずのリドリーは、そ
んなことに構う様子も無く、ジャックを詰問する。
 そんな様子を見て、何とも気が強いお嬢様だと思いながらもジャックは、何故か自分がその
言葉に従ってしまうことを、驚きながらも自覚していた。
「分かったよ。リドリーに剣を向けたのは、混乱していたからだ。どうしてか気絶していたみ
たいでさ、意識が戻った瞬間に背後に近づいてくる相手に気づいたから混乱して。気がついた
ら反射的に剣がな」
「反射的に、かよ。そんなので命狙われたらたまらないな」
 ジャックの言葉に、リドリーの横に立っていた過去のジャックが毒づいた。まだその手は剣
の柄を握り締めている。
「……そこまでは分かった。それで、お前は何者なんだ?」
「俺か? 俺は――」
 と、そこでジャックは返答に詰まった。目の前の少年がいるからにはジャック・ラッセルの
名前は名乗れない。そんなことを言えば、良くて馬鹿にしていると思われ、悪ければ精神を疑
われる。
 かといって、上手い偽名も頭に浮かばない。どうするべきか。そうひとしきり悩んだところ
で、取り敢えず、さらに時間稼ぎを行うことを決めた。
「あ」
「どうした? 早く答えろ」
 段々と苛立ちが募ってきたのか、突き放すような口調でリドリー。
「そういえばさ。二人共、騎士団の仕事の途中だったよな。こんな所で油を売ってる暇があるのか」
「……あ」


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 ――まず団長に事情を説明する必要がある。だからお前もついて来い。

 これがリドリーの弁。この言葉に反論を思いつかなかったジャックは、リドリー達と共に、
近くに待機していたガンツ達の下へと向かった。
 そもそもジャックとリドリーが遭遇した理由も、護衛の任務で近くを通りかかったガンツ達
一行が、突然雷が落ちたような音を聞いたことを不審に思い、そこで原因を探るためにリドリ
ーが付近を探索したところ、気絶していたジャックを発見したという流れであったらしい。
「……と、このような理由で、この男を連れてきましたが、どうしますか?」
 事態を振り返っていたジャックの横で、リドリーがガンツへと現状の報告をしていた。
「そうですね。私としましては、本日のお天気のように晴れ晴れしい我らが桃色豚闘士団の初
任務で、面倒なことになって欲しくありません。――どうでしょうリドリーさん、この方への
対応は以後気をつけてくださいという忠告だけで済ますのは。勿論、剣を突きつけられたのは
リドリーさんですから、それ以上の対応を望むべきだとあなたが思うのでしたら、私も考え直
しますが」
「その対応で不満はありません。この男が無害だと分かれば、ですが」
 人差し指を立てて提案するガンツの言葉に、リドリーは小さく頷いた。そして次に、隣に立
つジャックの方を見た。
「そういうわけだ。先ほどの質問の続きに答えてもらおうか」
「名前とか、気絶していた理由か?」
「そうだ」
 リドリーが頷く。ジャックは、自分が追い詰められていくことを感じた。
 自分は何者だと名乗ればいいのか。適当な偽名を思い浮かべていくが、どうもしっくりと来
ない。それどころか、浮かんでくるのはコテツやジェラルドといった、かつての知り合いの名
前ばかりだった。
「とりあえず、名前を聞いておこうか。それが分からないと始まらない」
 そして、その言葉でジャックは更に追い詰められた。頭の中ではチャーリー、グレゴリー、
ロマーリオといった、種族性別問わず、過去に見知った相手の名前が浮かんでは消えていた。
「俺の名前は……」
「名前は?」
 念を押すように尋ねられた瞬間にジャックは観念し、思いついた名前を適当に言い放った。
「アルフレッド。――俺の名前は、アルフレッドだ」
「アルフレッド? アルフレッドというと勇者アルフレッドと同じ名になるのですかな?」
 リドリーとジャックの会話を後ろで聞いていたガンツが表情を緩ませて尋ねた。
 現在の時代よりも百年ほど前に存在していた勇者アルフレッドは、ラジアータでは比較的有
名な存在であり、騎士団に在籍していた最中に、数名の従者のみを引き連れて数々の武勲を立
てた歴史上の人物である。
 偉大な人物であるために、その名は好んで生まれてきた子に用いられる。少なくとも偽名と
して用いるには恐れ多い名だ。
 だが、ジャックは構わず嘘を貫き通した。
「……そういうことになるのかな」
「ほほう。貴方の名を付けられたご両親さんは、きっと貴方にかの勇者のような人物になって
欲しいと思ったのでしょうね」
「そうなんでしょうね」
 人が良いガンツを騙すことに、少しばかり居心地の悪さを感じながらもジャックは頷いてお
いた。現状を切り抜けるためには、一つ二つの嘘は出さないと仕方がない。
 そんな風に黙り込んだジャックを見てどう思ったのか、近くにいた過去のジャックがにやり
と含み笑いをした。
「へへっ、あんたが勇者と同じ名前か。なんか面白いなあ。そんなにボロボロなのに。――あ、
そうか! あんたその名前と格好のギャップが恥ずかしくて今まで名乗れなかったんだろっ?
名前は勇者なのに、格好が変だからさ!」
「ジャ、ジャックさん! 何と言うことを! それは誰もが思っていても口に出さない言わぬ
が花というやつなのですよ!」 
 少しばかり失礼なことを言い出した過去のジャックを、慌てて嗜めるガンツだが、フォロー
になっていない。むしろジャックより酷い。
 そんな二人の会話を聞いていると、少しばかりジャックから罪悪感が薄れていった。
「――何を笑っているんだ?」
 そんなジャックに向けて、近くにいたリドリーが尋ねた。ジャックは一瞬、質問の意図が理
解できなかった。
「何だって?」
「だから、何を笑っているのかと聞いているんだ」
「……俺は、笑ってたのか?」
「ああ。どう考えても貶されているのに、変な奴だな」
 頷くリドリーを見て、ジャックは自分の頬に手を当ててみた。確かに、苦笑いのような表情
を形作っている。それは少なからず驚きだった。
「そうか。俺は笑ってたのか」
 記憶にある限り、ジャックがそんな風に笑ったのは、実に数年ぶりだった。


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 名はアルフレッド。現在は職を探してラジアータ城の城下町へと向かう途中で、剣には少な
からず自信がある。できるならテアトルに入隊したいと考えている。気絶していた理由は自分
でも分からない。もしかしたら空腹で倒れただけかもしれない。リドリー達が聞いたという雷
のような轟音は聞いた覚えがない。
「――俺についてはこんなところかな」
 アルフレッドという偽名を騙り終えた後は踏ん切りがついたのか、それからはすらすらとジ
ャックの口から嘘八百が飛び出ていた。答えられるところは答え、答えられないところは知ら
ぬ存ぜぬを繰り返す。
 リドリーを含めてガンツ一行は基本的に真正直なので、嘘を信じ込ませることは難しくは無
かった。特にクライヴなどは疑問点すら見出そうとしていないようだった。唯一、護衛対象で
あるドワドノビッチのみが少しばかり不審そうな目をしていたが、それも騒ぎ立てるほどのも
のではなかったらしい。
 結局、アルフレッドと名乗ったジャックは、ガンツ一向と一緒にラジアータまで行動するこ
とになっていた。お人よしのガンツが、道端で倒れるような人を放ってはおけないと判断した
ためだ。
「へえ、あんた無職なんだ。かっこ悪いなあ」
「うるさい。お前だって将来、いつ騎士を辞めさせられるか分からないんだからな」
「ははっ、それは無いね。何たって俺はこのまま出世街道まっしぐら! いずれはダイナスの
おっさんの地位を継ぐことになってるからな!」
「……お前みたいなタイプは、下手すればあと一回任務に就いただけで首を切られるような気
がするけどな」
 自分の未来を知らないということは幸せなことだと実感しながら、ジャックはげんなりとし
た気分で過去のジャックに言い返した。
「へへーん、それって無職のひがみ?」
「どうとでも受け取ってろ」
 取り合うことが面倒になったジャックは、そこで会話を終了させた。
 そして、そこで違和感に気がついた。
 まるで首筋に絡み付いているような何かが、自分達に向けられていることに。
(これは? ……うまく周囲の獣の気配に混ざりこんで隠しているけど、違う。この纏わりつ
くような視線は、監視か。――そういえばナツメとレナードの二人がいたんだった)
 ジャックは視線を動かさずに、尾行してきている二人の位置を探った。紫色山猫剣士団の二
人はガンツ達とは比較にならない見事な技能を用いて、ジャック達とつかず離れずの位置を保っていた。
(これだけ見事にやられると、このメンバーじゃ存在に気づくこともできないな)
 ジャックは尾行を察知したという事実をナツメ達に気取られないように、表情を変えずに歩
き続けながら対応策を考えた。
 ジャスネはリドリーが関わっていればただの無能に成り下がるが、それ以外では他者の追随
を許さない切れ者だ。ナツメについても同様で、ジャスネが関わっていないのならば有能を絵
に描いたような人物だと言える。どちらも敵に回したくない。
「ん? アルフレッド、どうしたんだ?」
 と、そこまで考えたところで、過去のジャックが話しかけてきた。
「――何でもない。それよりも騎士なんだから周囲への警戒を怠るなよ。もしかしたら近くに
敵が潜んでいるかもしれないからな」
「ないない。俺のセンサーによると、この近くにはスプレースネーク一匹いないね」
「そうか。大した自信だな」
 おざなりな返事をしながらも、ジャックは監視をどうするべきか考えていた。
 監視の目的はどう考えてもリドリーの護衛。ジャスネもナツメも、リドリーに対しての防衛
本能は薄ら寒いものがある。下手にここでリドリーと会話などしようものなら、物の数分で敵
として認定されてしまうだろう。そうなると面倒だ。
 現在のジャックはどうして自分がこの時代に飛ばされたのかさえも理解できていない。その
理由を解明するためには、時間が必要だろう。そして原因の探索の間に邪魔をされたくはない。
そのためにはリドリーと会話をするべきではないのだろう。
 そこまで考えたところで、ジャックは自虐的に笑った。
 自虐的に笑うだけの、理由があった。
(ははっ……それなら、逆に好都合なのかな?)
 そう。好都合。――事実として、ジャックにとってそれは好都合だった。
 ジャックは、リドリーと面と向かって会話をすることができない。
 それは過去のジャックの行いに起因している。
「――どうした? 気分でも悪いのか?」
 何故ならばリドリーの声を聞くと、ジャックは何を話して良いのか分からなくなるのだった。
過去に見捨ててしまった相手とどう接すれば良いのか判断できるほどに、ジャックはまだ大人
にはなりきれていなかった。
 だから、小さく首を横に振ることしかできない。
「いや、何でもない。ただの考え事だ」


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 仮にも騎士団。いかに新米騎士の寄せ集めだとはいっても、護衛をまっとうするくらいの実
力ならばあったようで、無事にジャック達はラジアータの城下町へとたどり着くことができた。
 門の前までたどり着いたところで、ジャックはひとまず一団を離れることにした。
「世話になりました。ガンツ団長」
「いえいえ、騎士たる者にとっては当然の行為です。それに、袖振り合うのも他生の縁と言い
ますからね」
 ガンツはにっこりと笑って言った。終始変わらない優しい表情だった。
「それじゃあ俺はこれで失礼します。――それとドワドノビッチさん、あなたの護衛なのに同
行させてもらってありがとうございました」
「ふん。人間であっても少しは礼儀を身に着けておるようだな」
 挨拶をするとドワドノビッチはぶっきらぼうに言い返した。
「あとはクライヴ。きっとクライヴなら、立派な聖職者になれると思う。このまま頑張れよ」
「そうか? ならぁオラこの調子で頑張るだー」
「ああ、その調子だ」
 クライヴは少しだけ嬉しそうな表情をしていた。自信が無かったのだろう。だが、回復が可
能であるというただ一点だけでも、それは充分な戦力になる。
「最後にジャックと、リドリー。――はっきり言って二人とも素人に毛が生えた程度のレベル
だから、自分の腕を過信しないようにな。もしも危険な敵に遭遇したら、迷わず逃げ出せよ」
 そして最後に、二人の将来を知るジャックは、忠告の意味も兼ねて言った。
 だが、どうやら二人共その言葉が気に食わなかったらしい。
「何だよ、俺達二人だけどうして説教みたいなのになってるんだよ」
「そうだな。……こいつと一まとめにされるのは納得できない」
 二人が憮然とする表情は似ていた。
「そういう風に言い返そうとするところが甘いってことなんだよ。実力がある人間なら流すか、
気にも留めないでいられる。それができないってことは未熟ってことだ」
 ジャックがそう言うと、二人は拗ねたような表情を見せた。そんな二人を見ていると、自然
とジャックの口元に笑みが漏れる。
 すると、それを侮りと思ったのか二人の表情は更に膨れた。
「怒るなよ。子供に見えるぞ」
「そんなこと知るか。早く何処へでも行ってしまえ」
「そうだそうだ!」
 怒らせてしまったらしい二人の返答を聞いて、ジャックは苦笑いを浮かべた。
「そうか。なら俺は行くよ。――命を、大切にな」


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