「リムザの街へようこそ。獣人族の御一行」

 何事も基本は挨拶から始まる、と俺は無口な父親に教えられてきた。だから当然、第一印象を良くするために明るい声で呼びかける。すると建物の中にぞろぞろと入ってきていた獣人達は、いきなり声をかけてきた酔っ払いが胡散に思えたのかもしれない。少しばかり目を細めてこちらを観察してきた。

「……何か用か?」
「ああ、熊族のグスタフであっているよな? ――ゲインから伝言がある」
「兄さんから?」

 何となくこの集団のトップはグスタフだろうと考え、話をしていたのだけれど、ゲインの名前を聞いた瞬間にグスタフの後ろにいたゲイルが顔を出してきた。街娘のように綺麗に寝かされておらず堅そうな、夕焼けのように赤い髪が視界の前で揺れる。
 その外見はまるでゲインとは似ていなかった。
 ゲインの毛の色は黒だが、このゲイルは赤色で、しかも獣人の女であるために人に近い容姿をしている。
 ゲイン曰く口元が俺に似ているなどと言っていたが、どこからどう観察しても同じようには見えない。少しだけ本当に目の前の獣人がゲインの妹であるのかが分からなくなってきた。

「ええと、ゲインの妹さんかな?」
「グスタフのことは知ってそうなのに、あたしについては聞いてなかった?」
「いや、聞いていたよ。ただ確信が持てなかっただけで。確か、虎族のゲイルだよな。――ああ、こうしてみると口元がゲインと似ている」

 何となく不満そうなゲイルに弁解するつもりでそう返答すれば、ゲイルは満足そうに頷いた。
 
「でしょう。よく言われる。性格も髪の色も違うけど、負けん気の強さと口元はそっくりだって」
「はは、そうなのか」

 本当はいまだに口元のどの部分が似ているのかは分からないが、社交辞令として頷いておく。
 すると一応はゲイルとの話が終わるのを待っていてくれたのだろう、最初に話しかけたグスタフが横から、というよりも俺よりもはるかに背が高いのでほぼ真上から言葉を発してきた。

「それで、ゲインの奴は何だって?」
「グスタフ、ゲイルの両名は暴れるの禁止だそうだ。それとグスタフはギルドの簡易宿泊所じゃ満足に横になれないだろうから、ゲインが自分の家に泊めてもいいとか言ってたけど、どうする? もしそれがいいなら酒場で待ってろってもゲインは言っていたよ」

 ともかく暴れさせると面倒だとゲインが言っていた二人に伝言を伝えてみれば、二人ともが心外そうな表情を浮かべた。
 ゲイルのほうは母親に小言を言われた娘のように露骨に、そして暴れ者だと聞いていたグスタフのほうは片眉を跳ね上げて静かに不満を表しているようだ。

「……ならあいつの世話になるとするかな。ここで待っていればいいんだよな?」
「ああ。ゲインは今、辺境騎士団と打ち合わせに行っているんだけど、終わったら真っ先にここに寄るって言っていた。だからここで適当に時間でも潰しているといい」
「そうかい。兄ちゃん、ありがとよ」



    5



 俺が伝えるだけ伝え終わると、グスタフのほうは理解したのか頷いた。
 どうにも最初はゲインから聞いた前情報があったので乱暴者かと勝手に予想していたのだけれど、この熊族のグスタフは全然そんな奴ではないらしい。どちらかというと物静かで、理性的な獣人に思える。
 これなら出会った最初の頃のゲインのほうがまだ乱暴者なのだけれども。
 何でゲインはあんなにグスタフがやばいやばい言っていたのだろうか? 少し、分からない。
 こうしてみるとゲインに聞いたように乱暴そうな印象はまるで無いのだが。

「ま、いいか。……それでグスタフ達はここにいるとして、ゲイル達はこれからどうするんだ?」
「あたし達? まあ、兄さんがここに来るっていうのなら待ってようかな。今、組んでるメンバーも紹介しておきたいし」
「そうか。なら適当に時間でも潰しているといい。まあそれと、あんたらに喧嘩売るような根性のある奴はこの街にはいないと思うが、何か問題が起きたら殺し合いになる前に俺を呼んでくれ。俺はそこのテーブルで飲んでいるから」

 ともかく騒動が起きそうに無いということは良い事だ。
 俺は二人の前で、ベアトリスが座るテーブルを顎で指してから、そのまま二人から離れることにした。ゲインでもいればまた違ってくるのだろうが、初対面の人間とはこれ以上話すような話題もない。

「いいけど、その前に聞いてもいい?」

 グスタフ達とゲイル達の集団から離れようと踵を返したところで、ゲイルが声を発した。

「何を?」
「あんたの名前。教えてもらえる? そっちだけあたしらの名前知ってるのは居心地が悪くてね」
「ああ、そんなこと――いや、確かに大事なことだな。悪い。名乗るのが遅れた。俺はシュウジ=マツバラだ。短い付き合いだろうが、同じ街の中にいる間は今後ともよろしく頼む」
「そ。ならシュウジ、じゃあね」

 そういうとゲイルは俺への興味を失ったのか、引き連れてきたメンバーが先に確保しに行っていたテーブルへと向かった。
 既にグスタフ達も同様に、それとは違う席についている。
 話してみた感じでは、予想よりも遥かに社交的な獣人だったので、この調子なら騒ぎが起きることはないだろう。
 この街に在住している傭兵達が能動的に仕掛け無い限りは。そして考えるに、そんなガッツがあって思慮がない連中は今酒場にはいない。――なら、俺の仕事はこのままここでゲインが帰ってくるまで待っていることになる。
 そんなことを考えながら、元のテーブルへと戻る。
 先ほどまで潰れていたはずのシェリルが目を覚ましたのか、こちらに視線を向けてきた。

「……あれが噂の獣人?」
「ああ。中々、圧巻の立ち姿だったろう?」
「……そうね。向かい合って立ってたマツバラが小枝みたいに見えたわよ」

 それだけ言うと、気分が悪そうにシェリルは再びテーブルへと前のめりに倒れこんだ。どうやら飲みすぎたらしい。
 青ざめていて、酷く顔色が悪い。

「大丈夫か?」
「結構、……厳しいかも」
「弱いのに、無理して飲むからだ。別に飲ませるつもりもなかったんだから、途中できつくなったら普通の茶でも頼めば良かったのに」
「私も普段は自制してるのよ。……だけど、目の前で二人がどんどんグラスを空けていくから、もしかしたら度数が低いのかな、って思って。あなた達が頼んだのは果実酒みたいに口当たりの良いものが多かったから、真実に気づくのが遅れたのもあるわ。――しかも今、見てみれば何よ。二人で度数40パーセントを三瓶も空にしているとかあり得ないでしょう?」

 ぐぐっと死に体で手を伸ばし、空になった酒瓶の表記を確認した後に、シェリルはうめき声を上げた。
 そしてそれが最後の断末魔となり、それきり理解できる言葉を吐かなくなる。
 ピクリとも動かなくなった相棒が心配になったのだろう、ベアトリスが近づいていって背中をさすろうとしたが、それをか細い声でシェリルが止めさせた。 「……駄目。今、刺激が来ると出る」だの、 「帰るって言っても、歩いた時点で駄目だと思う……」などと言った怪しい会話が、俺の耳元にかすかに届いてくる。
 何という迷惑な酔っ払い。
 酒は酔うものであって酔わされるものではないという、妹のありがたいお言葉が、自然と脳裏に思い出された。

「ベアトリス、取り敢えずは放っておくといい。今の内に苦しませて、酒の飲み方を体に覚えさせるのが優しさってものだ」
「え? でも――」
「いいからいいから。それに多分、シェリル、話しかけられるだけでも体力を消費してるみたいだからそっとしておこう。――俺は戻されると面倒だから刺激したくないな」
「な、何もそんな笑顔で言い切らなくても……」

 俺の提案に、どこか引いた感じで慄きながらも、ベアトリスは結局放っておくことにしたらしい。また席へと戻ってくる。
 耳元にはシェリルが倒れた方角から怨嗟のうめき声が聞こえてきたような気もしたが、正直、俺にどうにかできる問題でもないから、聞かなかったことにする。
 そしてそれから数分が経過して、シェリルは運良く再び睡眠に入ることに成功したらしい。
 少々豪快な寝息が聞こえてきたために、ベアトリスは何とか胸をなでおろすことができたようだ。
 俺も同意を示しながら、笑って告げた。

「ようやく大人しくなったか。丁度いい感じにうつぶせだから、寝ながら吐いてもこれなら窒息しそうにないな」
「ま、マツバラさん……? もしかして酔ってませんか?」

 俺は笑みを浮かべたままに、さあと首を横に振った。



 そしてそれからどれくらいかの時間が流れた頃。
 待ち望んでいた獣人がギルドの建物内へと顔を現した。夜闇に溶け込むような黒い毛並みの持ち主はゲインでしかあり得ない。
 そのゲインを待っていた獣人達は、匂いか何かで分かっていたのだろうか、俺よりも早く立ち上がってゲインを迎えるために入り口へと移動していた。つまりは俺が座っているテーブルのすぐ傍に、ぞろぞろと獣人の集団が立ち並んでいることになる。

「何だ。懐かしい匂いがすると思ったら、えらい雁首並べてるな、おい」

 建物の中に入ってすぐに、十数人の集団の視線にさらされることになったゲインの第一声は、そんな喉かなものだった。
 そして一人一人の顔を見渡していた中、赤毛の獣人の姿を目に留めたところで視線を固定する。

「おお、ゲイル。前見た時よりは大きくなったみたいじゃねえか」
「久しぶり。兄さんは、何だか昔よりも落ち着いた気がするよ」
「ははっ、そうだな。色々思うところあったから、多少は昔よりは落ち着いたかもしれねえ」

 飼い主に懐いている猫のように、ゲインの背中に回ったゲイルは首筋に顔を埋もれさせた。そしてマーキングするように顔を何度かこすりつける。その反応をゲインは笑いながら受け入れている。
 ……何なのだろうか、これは。もしかして獣人特有の親愛の表現方法なのかもしれない。
 もしくはゲイルが極度のブラザーコンプレックスであるとか。
 そんなことを、横目に獣人の集団を観察しながら俺は考えた。

「ね、ね。兄さん紹介する。こっちから、ここまでが今あたしが組んでるメンバー。左からノイマン、グリーン、ウィーバー、ウィル、それとあいつは知ってると思うけどランド」

 ゲイルが名前を呼ぶたびに、各人が頭を下げて簡単に挨拶をする。
 その間もゲイルはべったりと兄にくっついたままだ。俺はゆっくりと酒を喉に流し込んでから、確信した。
 ――間違いなくあれはブラコンに違いない。
 まさか、兄に甘える妹という稀有な存在まで見ることができるとは思えなかった。ここが異世界であることを痛いほどに強く実感する。まさかあんな可愛らしい実妹がいるなんて……、高速の右ストレートに打ちぬかれた感触を思い出して、俺は一人冷や汗をたらした。
 知らず、グラスを持つ手が震えそうになる。

「……マツバラさん、どうかしましたか?」
「いや、何でもない。酒に酔ったのかもしれない。うん、きっとそうだ」

 心配そうな声を上げるベアトリスにそう答えてから、俺はグラスの残りを一気に飲み干した。あっ、という声が上がるが、そのままグラスをテーブルに叩きつける。……ふう、落ち着いてきたかもしれない。
 ようやく可愛い、兄が大好きな妹という存在を納得できるような気がしてきた。
 息を落ち着けるために深呼吸をしてからゲイン達を再度眺めれば、先ほどのような動揺は起きなかった。
 うん、もう大丈夫だ。ここに来てから初めて、ゲインを羨ましいとは思ったけれど。

「沙希の奴もあの十分の一ぐらいは俺に懐いてくれても良かったのになあ……。部活が忙しいからって理由で皿洗いから風呂掃除に洗濯まで全部俺にやらせてたのに、俺と父さんにはいつもツンツンした態度ばっか取ってたし。思春期って言葉であれが許されるのはずるいよな、絶対」
「あの、本当に大丈夫ですか? さっきから明らかにおかしいですよ?」
「――ん? ああ、ごめん。ちょっと考え事に没頭してた」

 などなど。少々ぼけた会話をしている俺たちの横で獣人達の会話は続いていた。
 ゲイルの方は話したいだけ話したのか、今度はグスタフがゲインへと近づいて行く。
 無言で歩きながら近寄ってくるグスタフの姿に、ゲインは妹を首に巻きつけたまま、嫌そうな表情を作った。

「グスタフ。相変わらずでかいな」
「――ああ。お前はどこかギラついた印象が無くなったな」

 頭二つと半分ほど背丈が低いゲインを冷えた瞳で見下ろしながら、グスタフは声を発した。
 先ほどの俺に応対していた時の声とは違って、どこかその声は堅くて、そして冷たいような気がする。
 何だろうか……。もしかしてこの二人は仲が悪いのだろうか。
 ゲインからはそんなことは聞いていないのだけど、この光景を眺めてみた限りではとても友好的な相手には見えない。少なくともグスタフにとってのゲインは。

「ま、色々あってな。俺も少しは変わったってことだ」
「それは二年前のアレが原因か?」
「いや、そいつは違う。俺がちいっと変わったのは別件だ。――あのことはまるで関係ねえよ」

 背景はあまり分からないが、どうやらこの二人には確執でもあるらしい。
 詰問するような口調のグスタフの言葉に、ゲインはゆっくりと首を横に振った。
 だが、その態度が気に食わなかったらしい。グスタフはさらに底冷えのする低い声で問いかけた。
 更に一歩、ゲインとの間合いを詰める。

「なら、どうして族長候補であることを辞退した」
「気が変わったんだよ。昔のように一番偉いとか、誰よりも強いとかそういったことには興味が持てなくなった。――だから自然と、族長の地位も欲しくは無くなった。今になって思えば、大勢の仲間を調停して諌めてまとめ上げて、部族全体の進むべき方向を指し示すなんて面倒な仕事、頼まれたってやりたいとは思わねえ。俺は多分、手のひらにすっぽり収まるぐらいの小さな責任を背負った上で、後は色々と好き勝手にやるのが性に合ってるんだろうな。最近はそう思うようになった」
「それは腐っているだけじゃないのか? それに、候補に選ばれるという栄誉を何だと考えている」

 静かな口調とは打って変わって、グスタフの口元は言葉を発しないときには強く噛み締められているのか、咬合筋が目に見えて隆起している。鋭利そうな歯並びが時折、姿を現す。
 それに対してゲインは口調はいつものように乱暴だが、その雰囲気は落ち着いたものだ。
 並の人間ならば射すくめられてしまいそうなグスタフの視線を前にして物怖じもしない。
 まるでこの場所で乱闘が始まったとしても、自分よりも二周りは大きいグスタフに競り勝つ自信があるとでもいいたげな、力強さを兼ね備えた静かな落ち着き。
 言い争っている二人は、何から何まで真逆に見えた。

「腐っているわけじゃねえよ。それに確かに後押ししてくれた爺様方には悪いとも思うがな。――それでもこのまま意思もない俺が、族長選抜候補に残り続けることのほうが不義理じゃねえか。だから止めた。それだけの話だ」

 何もやましい所などないと、ゲインはそう言い切った。
 族長候補がどうとかいうのが口論の原因であるらしいが、事情は詳しく知らないので容易く判断はできない。しかしここまですっぱりと淀みなくゲインが言葉を口にすると、聞いている人間は正しいこと言っているような印象を受ける。少なくとも俺はそうだ。
 何となく興味があったので、ベアトリスにそこのところを聞いてみることにした。

「どう思う?」
「――入り口の前でたむろするのはマナーが悪いと思います」
「そうか分かった。君は感性は正常だ」

 意外に手厳しいことを言うベアトリスに驚いた後、もう一度ゲイン達を眺めてみれば、グスタフとの距離が更に近づいていた。
 今にもお互いに噛み付けそうな距離だ。
 ……まあ、未だにこの状況であってもゲインの首筋に後ろからしがみついているゲイルの姿がエッセンスとなって、そこまで険悪の光景にはなっていないのが幸いだが。
 だが睨み付けている側のグスタフにとってはまさしくゲイルが邪魔になったらしい。

「おい、ゲイル。退け。こいつと話をできない」
「嫌に決まってるだろ。久々に兄さんに会えたのに、何であたしが。――それよりもあんたがどっか行きな。ずっと前に終わった話なのに、族長がどうとか拘ってみっともないったらありゃしない」
「ふざけるな――。お前のような小娘には認識できないかもしれないが、これは誇りに関わる重要な問題だ。大人しく引っ込んでいろ」
「ふん、家族より優先するべきものなんてあるもんか。神経質な熊男はこれだから分かってないんだ」

 そして売り言葉に買い言葉。話の中心にいたはずのゲインを置いてきぼりにして、グスタフとゲイルが言い争いを始める。
 次第に相手に浴びせる言葉の内容が口汚いものへと変化していき、あっという間に二人は毛並みを逆立てて、お互いを威嚇するようにうなり声を上げ始めた。今にも殴り合いにでも発展しそうな勢いである。
 これは、本当に喧嘩になるかもしれないな――。
 そう考えたところで、初めてゲインと視線が交錯した。
 恥ずかしそうにゲインは頬をかいている。
 その視線は仲裁を求めているように見えなくもなかったが、俺としては自分のよく知らない相手のいざこざに巻き込まれるのは御免だったので、すぐに目を逸らした。これは薄情かもしれないが、きっと妥当な判断だと思う。
 そうに違いない。

「ベアトリス。そろそろ出ようか。時間も遅いし、いまだに目を覚まさない酔っ払いがいるようだから、送って行くよ」
「……いいんですか? その、今にも何か始まりそうな勢いですけど」
「だからこそ、だ。平穏を愛する俺としては巻き込まれたらかなわない。悪いけど、財布渡すから会計済ませておいてもらえるかな。もちろん、付き合ってもらったからには全部俺のおごりだ」
「あ、はい」
 
 小金を入れている財布を胸元めがけて投げれば、ベアトリスは危なげなくそれを掴んだ。そして言葉に従って飲み代を払いにテーブルを離れて行った。俺はその間に、眠りについたシェリルの腕を首の後ろに回してからしっかりと掴み、そのまま持ち上げた。
 この世界の人間は一様に軽いので、これぐらいならばまったく苦ではない。
 力加減が少しばかり難しいが、もう慣れた。
 そして、そんなことをしていると俺の意図を察したのか、ゲインが逃げるのかとでも言いたげな目でこちらを見てきた。が、俺は何も見ていない。華麗にスルーして建物の中から脱出する手はずを整える。
 
「お金、払ってきました。けど、本当にいいんですか?」
「いいんだよ。ゲインはこんなことで潰れるほど柔じゃない」

 獣人二人が口論を白熱させる方向を心配そうに眺めているベアトリスに、笑いながら言葉を返す。
 その言葉が聞こえたのかゲインはいやいやと首を横に振ったが、俺はやはり見なかったことにした。

「さあ、それよりもシェリルが心配だ。早く宿に帰して、暖かいベッドの上に寝かせてあげよう」
「……何となくですが、今日一日でマツバラさんのことがよく分かったような気がします」
「親交が深まるのはきっといいことだと信じてる」

 そう言ってから、俺は未だに熱い罵り合いが続くグスタフ達の横を通り過ぎてしまうことにした。
 入り口付近を獣人が塞いでいるので、やや通りにくくはあったものの、グスタフとゲイルを除いた獣人には理性が残っているようで、酔っ払いを支えている俺の姿を目にすれば、皆、道を空けてくれた。
 これでゲインの近くを通らなくてすむ。

「おいおい先生。相棒がピンチなんだから助けてくれよ」
「悪いが、妹に懐かれている奴は助けない主義なんだ。他をあたってくれ」

 そして実際に助けを求めてきたゲインの言葉も手早く切って捨てて、俺はシェリルを抱え、ベアトリスを従えたまま建物の外へと出ることに成功したのだった。これ以降、ゲイン達がどうなるのかは知らないが、きっと大丈夫だろう。
 あれで中々、危機を乗り越えて生還することに関しては凄まじいポテンシャルの持ち主であるから。
 シェリルを寄りかからせて道を歩きながらそう結論付けてから、空を眺めてみれば雲ひとつない空に丸い月が浮かんでいた。



次へ