子供たちの面倒を見るという名目で二人を連れまわした俺だったが、途中で子供特有のリアクションが面白くなり、存分に遊ばせて貰った。世の中広しと言えども、子供二人を放り投げてお手玉を敢行したり、手の平に一人ずつ子供を立たせてバランスを取って遊んだりした勇者は、きっと俺ぐらいなはずだ。
 しかも不思議なことに、あれだけ好き勝手に玩具にされたはずの二人が、夕方になって教会に帰す時には更に俺に懐いていた。
 途中でやりすぎてサイラスなんか泣かしてしまって不味いかもしれないと思ったものだけれど、意外に問題なかったらしい。
 そのあたり、やはり子供と言う存在は理解不能だと再確認せざるを得ない。

(やっぱり最後に、露天で食べ物買い与えて餌付けしたのが良かったのか?)

 泣いていたことも忘れて、買ってやった食べ物をがつがつと食べるサイラスの姿を思い出せば、あながちその予想も外れていないように思えた。――まあきっと、子供なんてそんなものということなのだろう。
 自分の中で適当な結論を出しながら、自宅までの道を歩く。
 子供二人を教会に届け終えてから、今度は町の中心部を通らずに、物静かな住宅地を歩いて俺は家まで帰っていた。多少は遠回りになる道だけれど、歩くのは苦ではないし、こちらの雰囲気の方が好きだからそれでいい。
 ゆっくりと時間をかけて、俺は足を進めていった。
 そして少しばかりの時間をかけて、俺は最近購入した自分の家付近までたどり着いた。
 だが我が家が姿を現した所で、家の扉あたりに見慣れない影が二つほど見えて足を止める。

「……ん、誰かいるのか?」

 さらに歩調を緩めて家に近づいていけば、その人影は二人の女であるらしいことが分かった。
 髪の長さや、服を押し上げる体のラインを見ればよく分かる。
 一人は栗色の髪を短く切り揃えた女。そしてもう一人は長い黒髪を、うなじあたりで束ねて、白い帽子を被っている女。
 さらに近づいてみた所で、その内の一人は知り合いの女であることが分かった。
 勝気そうな目をした栗色の髪の女。
 シェリル・オークライト。昨日に続いて今日も一度会った相手。
 こう何度も何度も会うと、こちらとしては勝手に既知の友人として応対してしまいそうになる。
 
「どうしたんだ、人の家の前で」
「あ、――マツバラ」

 俺が出てきたのとは反対側、街の中心部に伸びた道をぼーっと眺めていたシェリルは、俺の声に慌ててこちらに振り返った。
 隣にいる、白い帽子を被ったシェリルよりもやや背が低い女も続いてこちらに顔を向けた。
 やはりどう考えてみても、シェリルの横にいる人は見たことが無い。

「何か用でもあるのか? それと、そっちの人は?」

 そう尋ねてみると、白い帽子を被った女と視線が合った。
 軽く会釈を返されたので、俺もよく分からないままに頭を下げておく。
 それからシェリルを眺めてみると、どこか彼女は怒っているようだった。――いや、というよりも苛立っているのか。
 具体的には眦あたりがピクピクしている。

「ちょっと、マツバラ。話があるんだけど、いい?」

 そして返ってきた声で、俺は確信した。まだ数回しか会っていない相手だが、間違いなくシェリルは不機嫌だ。
 何かストレスを溜めている時の妹のような、低い声が鼓膜に響く。
 背筋をぴしっと伸ばして、反射的に気をつけしてしまいそうになる。

「ああ、……いいけど。取り敢えず話があるなら中に入ろうか」

 こういった状況が苦手な俺は、気がつけばベルボーイのように地面に置いてあったシェリルと横の女の荷物を持った後、家の扉を開いていたのだった。



「で、……用件って何?」

 場所を移して家の中。四人掛けのテーブルに向かい合うように座った二人に向かって、俺は切り出した。
 今回はどうやら相手のほうが心理的に余裕が無さそうなので、お茶を出すのは控えておく。
 目の前のシェリルはそんな時間があるなら話に付き合え、とでも言いたげな目をしているし。

「すぐ本題に入らせてもらって悪いんだけど、マツバラ、傭兵団に口利きをしてもらえない?」
「口利き? それってどういう意味?」
「私と、それとこの子もだけど、この前の一件で所属していた傭兵団が無くなったから、早く新しい組織に入りたいと思っているのよ」

 最初は何を言っているのか分からなかったけれど、その言葉で相手が何を言おうとしているのかが繋がった。
 俺は化け物みたいな力があるから一人でもギルドからの依頼を受けているけれど、普通ならばそうはいかない。一人で山賊退治や商団の護衛なんてできるはずもないからだ。
 そのため大多数の傭兵達は徒党を組んで、ギルドからの依頼をこなしている。
 ――この前、壊滅したばかりのシェリル達が属していた傭兵団のように。

(つまり、横の子は極力見ないようにしてたから覚えてなかったけど、あの時助けた四人の内の一人ってことか)

 その時点で、見慣れない、室内でも帽子を脱がない女の正体が理解できた。
 改めて見てみれば、助け出した時に目にしたような、微妙なところだけど見覚えがある気がする。
 そんなことを考えながら眺めていれば、帽子の女は視線が居心地悪かったのか、体を縮こまらせた。

「……あの、先日は助けていただいて、本当にありがとうございました。ベアトリス・ルアーノです。あの、……この帽子は、まだ、傷が残っていて、不恰好なので、すみません」

 どうやら白い帽子は傷跡を隠すためのものであったらしいけれど、それを俺が眺めていたから咎められてるとでも思ったらしい。さらに身を縮こまらせて、ベアトリスは頭を下げようとする。
 しかも今度は帽子を脱いでから頭を下げようとしていたので、慌ててそれを止める。
 傷口を抉るような真似は、できるだけ避けたい。

「そういうことなら気にしないでもらったいいから。こっちこそ無作法に眺めていてごめん」
「い、いえ……マツバラさんには本当に助けてもらっていますから。頭を下げないでください」
「そっか。分かったよ。――ところでシェリル、今日来たのは、二人が入れるような所帯があったら口利きしてほしいってことか?」

 余りこういう湿っぽい話は苦手なので、そこで本筋に話を戻す。
 それまで黙っていたシェリルはこちらの意図を察したのか、平静を装って言葉を返してきた。だが、視線が窺うように一度だけベアトリスの方へと向いたことが俺にはよく見えた。

「いや、そこまで頼もうとは思ってないわ。そうじゃなくて、私たちを入れても貴方は手出ししないってことを証言してもらいたいのよ」
「うん……? 俺は別にそういうことに手出しした記憶はこれまでないけど。手出しするとかしないとかって、どういう意味?」

 いきなり意味が分からない言葉が聞こえてきたので、首を捻ってしまう。
 最初は俺が知ってる傭兵団に入団の口利きをしてもらいたがっているのかと思ったけれど、どうやら違っていたらしい。
 それにしても俺に手出しするなとはどういうことだろうか?
 少なくとも俺は、大抵の傭兵達にはノータッチを貫いているから、そういうことは元よりしていないはずなんだが。

「今日のギルドでのこと、覚えてる?」
「ああ、何か暴れていたやつか。あれがどうしたの?」
「私達を取り囲んでた奴ら、西のツーリザまで、依頼主からの荷を運んでいる傭兵団だったのよ」
「そうなんだ。で?」
「まずは最初に、あんなことがあってこの街にも居辛いから、そこの組織にいれてもらえないかって私が頼み込んだわけ。それでまあ、入団試験ってことになって、五対二で良い動き見せたら一緒に連れて行ってやってもいいって話にまとまってたの」
「ふうん」

 話を聞いていくと、大体の流れが掴めて来た。あれは試験みたいなものだったのか。
 それにしては随分物騒に見えたけれど。

「けど、あからさまに喧嘩してなかった? 俺が見た時は確実に殺し合いだったような気がしたけどな」
「……途中で色々とむかつく話になってね。売り言葉に買い言葉ってやつで、気がつけばあんな風に」

 そこで再びシェリルが怒りを覚えたのか、目を細めた。
 不機嫌の原因はそれなのだろうか? だとしたら俺には関係の無いことだけれど。

「そっか。まあ何が原因かは知らないけど、ああいうことを街中でするのは止めときなよ。何かあってからじゃ遅いんだからさ」
「分かっているわよ。……あの後、酒場の売り子に聞いたわ。貴方はああいうのが大嫌いらしいってね。もうしないし、反省しているから睨まないでくれない?」
「ん、俺睨んでたかな? だとしたら無意識だよ、それ」
「……あの時、貴方に道を譲った連中の気持ちが分かったわ、マツバラ」

 そういうシェリルの顔はどこか気後れしているようで、隣にいるベアトリスなどはさらに居心地悪そうにしていた。
 本当に意識も何もしていなかったのだけれど、俺のほうも顔が不機嫌になっていたらしい。
 少し、自制するべきか。
 俺は一度眉間を指で揉んでから、話題を切り替えることにした。

「そっか。それで俺に手出しするなっていう部分がまだ分からないんだけど、どういう意味?」
「ああ、それね。――さっきの話。あなたがギルドを出て行った後の話になるんだけど、当然、ツーリザまで向かっていた傭兵達との話はお流れになったわ。あいつら貴方とことを構えたのが怖くなって、慌ててこの街を出て行ったし、そもそも喧嘩になった時点でこちらにその意思は無かったから」
「そう。それで?」
「それで、私たちもそのままじゃいけないから、次に入れてもらえそうなところを探していたのよ。本当はこの街を離れられそうな所が良かったんだけど、そう上手くはいかなくて。結果は全滅。――だから次はこの街を活動の拠点にしている団体に色々と話を聞いて回ったわ。けど、今度は交渉にすらならなかった。何故だか分かる?」

 シェリルの言葉に少しばかり考えてみるけど、答えは思い浮かばない。
 俺は首を横に振った。

「さあ。俺は知らないけど。ギルドの連中とは、あまり関わっていないから」
「やっぱり、そうなのね。私のほうも理由が分からなくて、今度はその理由を聞いて回ったのよ。そうしたら何人目かの人が答えてくれたわ。――何でも、この街の中では暗黙の了解があるらしいのよ」
「暗黙の了解?」
「そう。“南の狂戦士”か“マツバラ”と揉め事を起こした相手とは関わるなっていう暗黙の了解が」
「……はあ?」

 真面目な顔して言い出された言葉に、俺は間抜けな声を返してしまった。
 ぶち切れたら体力が尽きるまで止まらない暴走列車ことゲインなら分かるけど、その話では俺まで同列に扱われているのはどういうことなのだろうか。
 今までは一応、……この街中では穏便にやってきたんだから、そんなことは言われるはずないと思うんだけどな。
 街の住人との関係も良好なはずだし。
 月に一度の町内清掃活動には参加しているし、近所の子供と馬鹿みたいな遊びしたり、商店街でもお金を使って街の経済に貢献しているはずなのに。それに、もし街中や街の周辺で危険なことがあったら積極的に排除にむかっているし……って、ああそうか。
 そこで思い違いに気がついた。
 街の人の中じゃなくて、ギルドの傭兵達の間でってことか。
 それなら素直に頷ける。この街の傭兵に認められるまでは、今日みたいな小競り合いはしょっちゅうだったからな。
 色々やったから、そういう風に忌避されていたとしても仕方ないし、俺がそう仕向けた面もある。

「今まで気がついてなかったの?」
「ああ、うん。けど言われてみれば納得できそうだ、それ。心当たりが結構ある。――つまりあれか、俺とやりあったから仲間に入れてもらえなくなっているってことか。それで原因である俺にどうにかしろと」
「ええ。人のいる場所で揉め事を起こしたこちらが悪いことは分かってるんだけど、それでもどうにかしてもらいたいのよ。このまま二人だけだと生活していけそうに無くて」

 そう口にするシェリルの顔は本当に困っているようだった。横に座るベアトリスの方を見れば、やはり頭を下げられる。
 傭兵だの何だのは嫌いだから、極力関わり合いになりたくないのだけれど、正面からこんな風に頼み込まれると断るのも難しい。
 母親と妹からの教育によって、困っている女を見捨てるような奴は死ねというありがたいお言葉を頭の中に刷り込まれている俺であるし。……どうしようかな。
 そんなことを考えていると、こちらの内心での葛藤を察したのか、シェリルが口を開いた。

「何もマツバラ、あなたに誰彼に謝って欲しいわけじゃないのよ。一応、貴方が私達に敵意がないと証明できるなら入れてもいいというところがあって。そこの団長にさえ、口を利いてもらえたら」
「ああ、そういうことか。……ちなみにその団長っていうのは誰?」
「マグダリン・ジェキル。貴方に名前を言えば分かるって当人は言っていたけど」
「ああ、鉄槍戦士団のリーダーか。知ってるよ。褐色の肌に、赤い髪の快活な奴だよな」

 マグダリン・ジェキルという名前を聞いて、確かにありえそうな話だとは思った。
 鉄槍戦士団なんていうこの街でも実力は上のほうになる所帯を率いているマグダリンは、自他ともに認める面倒見の良い性格をしている。何というか典型的な姉御肌の人間なので、この二人に声ぐらいかけていたとしてもおかしくはない。
 気の良い奴なので、傭兵にしては珍しくて、俺も雑談したことがある。
 まあそんなに良く話をする知り合いってわけでもないが。

「ええ。その人であってるわ。貴方と同じくらい背が高くて、細身の人」
「そっか。あいつが相手なら別にいいよ。その口利きっていうのも。――ただ、あいつも俺とかゲインとか気にしてたってのは意外だったな。そういうのは気にならないタイプだと思ってた」

 俺の中でのマグダリンのイメージは、誰にでも姉御風を吹かせる性別を超えた男前だっただけに、そういうのは予想していなかった。

「いえ、そうじゃなくて気にしていないから私達に声をかけてくれたんだと思うけど? 多分、貴方からの口利きっていうのはどちらかと言うと団員の人を納得させるためって感じだったわ。それに貴方についても話を少し聞いたけど、怖がっているような素振りは見えなかったわよ」
「うん、俺についての話? それ気になるな。マグダリンはどんなこと言ってた?」
「キラーアントの巣の中で女を口説くような男だと言ってたわ」

 そこでシェリルは面白そうにくすくすと笑う。
 逆に俺はげんなりとせざるを得なかった。……まだ言ってたのか、あいつは。

「それは誤解だって。たかだか、髪を下ろしたほうが似合ってるって言っただけだろう。別に口説いてない」
「――危険な繁殖期前のキラーアントの巣で、女を褒める余裕があっただけってことね」
「まるで信用してないような口調だな……」

 普段は適当に、長い髪を紐一本で結わえているマグダリンだが、キラーアントの攻撃によりその紐が切れたことがあった。
 その時に、普段は前から見たらオールバックみたいに男前な髪型が、普通の女みたいになったから、何も考えずに言ってみただけの話で。ここまで引っ張られれるとは心外である。
 日本だと女の子がちょっとカットしただけでも話題にしてみるのが礼儀みたいな雰囲気があった。だから、それと同じ調子でここでも同じことを言ってみただけなのに。
 どうやらこっちでは余りそういうことは言わないらしい。それこそ軟派な男でもなければ。
 そして言った瞬間に、当のマグダリンには爆笑された苦い思い出がある。

「……まあ、いいか。とにかく鉄槍戦士団の所にでも行って、少しマグダリンと話をすればいいんだな?」
「ええ、お願いするわ、マツバラ」
「――お願いします」

 と、そこで久しぶりにベアトリスが声を発してまた頭を下げた。
 何だかベアトリスは気が強い人間が多い傭兵にしては珍しく、内向的な性格であるらしかった。……もしくは先日のこともあったので、まだ復調していないということなのか。そうであるなら俺にはどうしようもないけれど。

「なら、今から行ってもいいのかな。あいつはまだギルドにいる?」
「……多分もういないと思うけど。仕事の関係で朝帰りだって言っていたから。まあ私と話をした時は皆飲んでいたみたいだけど」
「そっか。それなら今ごろは完璧に泥みたいになって眠ってるだろうな。今から行っても無駄だろう。――今度、時間がいい時にまた呼んでくれよ」

 それかあいつを連れてきてもいい、と続けようと思ったがすんでの所で口を閉じる。
 今度は家に来いなんて言ったら、またマグダリンに話を広げかねられない。それは正直、嫌すぎる。

「分かったわ。ところでマツバラはいつもここにいるの?」
「そうだな。仕事なんて大口のものを時々しか受けないから、大抵はここにいるよ。もしここじゃないなら、魔法具売ってるカストール商店か、パンゲア教の教会にいるはずだ」
「……あの、パンゲア教徒なんですか? マツバラさんは」

 と、そこでこれまで必要な時以外は沈黙を保っていたベアトリスが声をかけてきた。
 何でもないことのはずなのに、少し内心で驚いてしまう。もちろん顔には出さなかったけれど。

「いいや、違うよ。俺は無宗教でね。宗教はよく分からない」
「なら、どうして教会に?」
「単純に、あそこの人達が好きだからだよ。どうもあそこの空気は落ち着くから。カストール商店に出入りするのも同じ理由」
「そうなんですか」

 そういうと、良く見ていないような小さな変化ではあったが、ベアトリスは柔らかく笑った。
 その表情が記憶の中のある人物と被る。

「もしかして、……ベアトリスはパンゲア教徒だったりする?」
「はい。とは言っても、過去の話ですけれど。今はこんな流浪の身ですから」
「やっぱりそうか。教会のシスターと雰囲気が似ていると思ったんだ」

 何となくその瞬間にベアトリスへの印象が良くなった。
 刷り込みって奴だろうけど、教会関係者は何となく良い人間のような気がする。――だからと言って入信するつもりは無いのだけれども。

「この子、傭兵やる前は普通のシスターやってたから、そう感じたのかもしれないわね。――まあ、それよりも、さっきの話はお願いね、マツバラ」
「ん? ああ、分かったよ。もう今日は帰る?」

 何となく、横から口を挟んできたシェリルが話を打ち切りたそうな気がしたので、そう尋ねる。
 
「ええ。少しは今日は動き回って疲れたから。ベアトリスもそれでいい?」
「あ、うん」

 二人はそこでテーブルから立ち上がった。
 一応、見送りぐらいはするべきだろうから、俺も少し遅れて席を立つ。そして二人が玄関に着くよりも早くドアを開いた。

「それじゃあ、さっきも言ったけどマグダリンと合えそうな時間が分かったら呼びに来てくれ。あとそれに、何かまたあったら今日みたいに来てくれていいから。困っているなら、俺が出来る限りで手助けするよ」
「そう、ありがとう。何度も迷惑をかけて悪かったわ」
「……あの、今日はありがとうございました」

 開いたままのドアを通る時に、二人はそんな風に言葉を口にした。
 俺も軽く会釈をしてから、外に出る。

「またな。疲れているなら、今日はゆっくり休むといい」
「それじゃあね」
「では、また――」

 二人はそう言ってから、街の中心部へと向けて帰っていった。ギルドの建物内に簡易宿泊所が設けられているから、そこにでも帰るのだろう。俺は二人の姿が見えなくなってから、家の中へと戻った。
 台所へと向かい、魔冷石と呼ばれる周辺の気温を下げる魔法具が入れてある、冷蔵庫代わりの木棚の中から冷えた麦酒を取り出す。まだ夕方なのでアルコールを入れるには少し早いが、やることはないから今から飲んでもいいだろう。
 この世界では力加減を筆頭にして、日本とは勝手が違うことが多くて疲れるのだけど、酒を飲めば酔えると言うことは変わらない。全力で拳を振るえば岩石が砕け、全力で駆ければ地面が爆ぜる世界であっても、――アルコールだけは共通している奇妙さがひどくおかしく思えた。
 そのまま何をするわけでもなく、静かに麦酒を飲む。
 昔なら酒を片手にテレビでも見ていたところだけれど、ここではせいぜい観賞できるのは街や空の風景ぐらいだ。
 自然と、何も考えずに酒の味を舌で楽しむぐらいしかやることがない。
 そのままゆっくりと時間が流れて、気がつけば一瓶が空になっていた。
 追加を持ってくるついでに、つまみでも作ろうともう一度台所に立つ。
 我が家の冷蔵庫を漁ってみれば、燻製肉とチーズが見つかったので、それを適当な大きさに切って小皿に乗せる。
 そのままテーブルへ小皿と麦酒をもう一瓶だけ持っていき、一人で再び酒を飲む。
 大学のサークルで飲み会をしていた頃が、少しだけ懐かしくなった。
 酒を飲むペースが速まる。
 少し飲みすぎだろうか。そんなことを考えた所で、不意に家の玄関の扉が開いた。
 ノックも何もせずに、我が家に侵入する度胸がある相手なんて、酔った頭であってもすぐに分かった。これから顔を出すのは黒い獅子のような顔をした獣人だろう。

「よう、先生。今日はいつになく飲んでるなあ」
「ああ、ちょっと今日はやることがなくてさ。気がついたら結構飲んでたよ」
「大概にしときなよ? どんな偉大な戦士だって、酒に体を壊されれば死ぬんだからな」

 そのまま気にすることなくテーブルまで近づいてきたゲインは、どかりと左手に持っていた布袋をテーブルの上に置いた。

「何? それ」
「ちょっと今日の仕事で手に入ったから持ってきたんだよ。先生も酒が入ってるし、丁度良かったかもな」

 そう言ってからゲインは布袋から、木箱を取り出した。
 そして更にその木箱のふたを開けて、中身を取り出す。木箱の中に入っていたのは、、捻じ曲がった形をした奇妙なキノコだった。

「何だ? それ」
「迷いの森の北側付近に生えてる珍しいキノコでな、かなりの珍味なんだよ。炙ってよし、炒めてよし、バターで合わせても美味いっていう優れものだ」
「へー、それはもちろん、ここに持ってきたってことは俺の分もあるんだよな?」

 俺がそう尋ねてみれば、ゲインは悪巧みを浮かべた小悪党のように、にやりと不敵に笑った。

「ここは一つ、お互いに秘蔵の一品を出すってことにしようぜ、先生。俺はこれ。先生はこの前、行商人から高値で買い取ってた七十年物のヴィンテージワインがあっただろう? あれを出してくれよ」
「……そうか、そういう狙いか。そういえばお前、やけにあれ欲しがってたな。俺としては湯水みたいに名酒ががぶ飲みされるのは避けるべきだと思って買い取ったんだけど」

 そこまで言った所で俺は立ち上がった。酒蔵代わりにしている台所の床下収納を開いてから、ゲインが飲みたがっているであろうワインを取り出す。

「――まあ、何だか面白そうな手土産を持ってきたようだから出してやろう。ほら、これでいいな。グラスは俺の分も棚から持ってこい」
「さすが先生、話が分かるってもんだ」
「そうだろう。俺は違いが分かる男だからな」

 すぐにグラスを取りに行ったゲインの背中を眺めながら、俺は上機嫌に頷いておく。
 元々このワインは一人でちびちびと飲もうかと思っていたものだけど、こういう日にぱーっと飲んでみるの悪くないかと思えた。
 明日になったら後悔するかもしれないが。
 そんなことを考えてから、小皿に乗せたチーズをつまむ。

「うん、美味いな」
「先生! ワイン開ける前にキノコ調理しとこうぜ! 味付けはどうする!?」
「男なら黙って炙れ! それ以外は認めん!」

 台所からゲインの大きな声が聞こえてきたので、無意味に俺も大声で言い返しておいた。
 大声を出すのは久しぶりで喉が疲れたので、潤す意味も兼ねて麦酒を一気に飲み干してしまう。
 直ぐに二瓶目が空になった。
 少し、体がフワフワするような気がする。が、ここからが俺の真骨頂なので問題は無い。
 すると、暫くして台所から良い香りが漂ってきた。
 あれでゲインは手が器用だから、美味いこと調理してくれるだろう。俺はここでダラダラしながら待てば良い。

「あー……何か眠くなってきたなあ」

 そんなことを考えていたら、台所からまた良い匂いがしてきたので、俺は気合を入れて起きつづける事にしたのだった。



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