ラクシャの家で軽くお互いの近況などを話してから、俺はそのまま次の目的地へと移動することにした。
 穏やかな性質のラクシャとの会話が心地よかったからだろう。
 その頃にはすっかり、傭兵ギルドで溜め込んだフラストレーションは緩和されていて、気分が良かった。
 次に向かう先も個人的には好きな場所だからか、気がつけば鼻歌が出てくる。
 電源が切れてしまったiPODからはもう聞くことはできない洋楽や邦楽などを口ずさめば、まるで昔、大学のキャンパス内で知り合いとくだらない話をして盛り上がっていた頃に戻れたような気になれる。
 空が快晴であることもあって、ますます俺の中の陰鬱とした感情は吹き払われていった。
 そして、完全にリラックスした状態で、目的地へと到着する。
 壁一面が植物の蔦に絡まれた、古い教会。
 所々錆びているが、それでも手入れが行き届いた正面の扉を開いて中に入ると、見知った顔がこちらへと笑みを浮かべた。
 シスター・エリザ。
 もはや初老であるために、その顔には深いしわが幾つも刻まれているが、それよりも本当に柔らかい笑顔が印象的だ。
 エリザさんはこの世界で有力な宗教であるパンゲア教のシスターであり、街の中にある教会を他の教徒と一緒に管理している。人手が足りないから、この年になっても引退できないなどと冗談めかして言うことが多いが、この教会で働いている姿は楽しそうだ。
 どことなく祖母に似た、このシスターのことが、俺は好きだった。



   3



「こんにちは、シュウジ。ご機嫌はいかが?」
「こんにちは、エリザさん。気分はさっきまで悪かったんだけどね、ここに来たら良くなったよ」
「あらまあ。それは良かったわね」

 俺の言葉に、エリザさんはさらに笑みを深めた。
 皺だらけの顔が、またしわくちゃになる。そんな表情を見ると俺も楽しくて、笑っていた。

「それで、シュウジは今日は何の用で来たの? もしかしたら、やっと修道士になる決心をしてくれたのかしら」
「ははっ、その話は断ったはずだよ。今日はちょっと、手元には余るお金ができたから寄付しに来たんだ。これ、どうぞ」

 そう言ってから、先ほどギルドでもらった金貨の入った袋を俺はエリザさんへと手渡した。
 傭兵家業で金は今でも余っているので、これぐらいの寄付は、今の俺にとっては痛くない出費になる。
 だが金額が金額であったためか、柔らかい落ち着きを感じる笑みを浮かべていたエリザさんは目を見開かせた。
 そして俺を眺める。

「……あらまあ、いつも悪いわね。だけど、そんなにいつも私達に寄付ばかりしなくてもいいのよ、シュウジ。あなたぐらいの年なら、色々と要りようでしょうに」
「いいんだよ。俺はこう見えて根っから貧乏人で、無駄な金なんて持っていても使い道が分からなくて腐らせるだけだから。それなら必要な人が、必要な分だけ使ってくれたほうがいい」
「そう――。なら、ありがたくもらっておくわ。ただ本当に無理をしてまで、私たちの面倒を見ようとしなくてもいいということは覚えておいてね」
「分かってるよ。俺は薄情だから、金欠になったらここなんて見向きもしなくなるさ。だから、その時までは何も言わずに、これぐらいは受け取っておいてよ。この指輪の利子とでも思ってさ」

 そこで俺は右手の中指に嵌めた、装飾のまったくない薄青色の指輪を胸の前に出した。
 友情の指輪と呼ばれるこの指輪は、三百年ほど昔に、東のドラム王国の最高導師の手によって開発されたと言われている一品だ。極東に存在する未開の大地にて、言語体系がまったく異なる国家と王国の先遣隊が遭遇した際に、円滑に交渉を進めるための手段として生み出されたらしい。
 その効果は言語体系が異なる人間にも、自国の言葉を理解させることができるという優れもの。
 詳しい原理は理解できなかったけれど、翻訳コンニャクみたいなこれを使って、東方の国家と王国は友好条約を締結することができたという逸話にちなんで、友情の指輪と言う名前が冠されている。
 そして現在、俺が中指につけている友情の指輪は時が経って当時のものよりも、幾つかヴァージョンアップされたもので、会話だけでなく文字を読み書きすることまでできるようになっている。
 この指輪があるからこそ、俺はまったく縁の無かったこの世界で暮らしていけるわけだ。
 そして、この俺には必要不可欠な指輪をくれたのが、何を隠そうこの教会の人達である。
 右も左も分からない異世界で、見た目細っこい言葉も通じない少女とジェスチャーだけで意思疎通をして、連れて来られたのがこの場所だった。何も分からないで混乱していた俺に、笑いながら指輪を付けてくれたのがエリザさんだった。
 あの時、指輪をつけることで、他人と会話が出来るようになった喜びは今でも覚えている。
 そして、そのためか俺はエリザさんと、同じ場所にいた神父、さらにラクシャにはこの街の中でも別格の好感度を持っているわけだ。何というか、飢えてる時に餌をもらった犬がなつくみたいな感じだが。
 もちろん、こうやって寄付したりするのも、それが原因だ。
 当の昔に友情の指輪を三つ四つは買えるだけの金は寄付しているのだけれど、受けた恩は十倍返し、受けた仇は百倍返しの松原家家訓に従って、俺は今でも金が余るとここに来ている。
 一時期住まわせてもらっていたカストール家が一切お金を受け取ってくれないので、その腹いせにこっちの教会に無駄に寄付していると言う面もあるけれども。

「それにほら、あの子達だって、時々は着飾らせてあげないと。俺この前、行商人が持ってきた服をユーノが羨ましそうに眺めてたの見たよ。他の子はまだ色気より食い気な年だけど、あの年になるとやっぱりそういうことにも気を使うんだって」

 そして、さらに俺がこの教会に寄付をする理由がもう一つある。
 それは教会が運営している孤児院の存在だ。
 リムザの街は中堅ぐらいの大きさしかない街だから子供の数はそこまで多くないが、孤児は少なからずいる。この世界ではモンスターに襲われたり、盗賊に襲われたりと、人が死ぬ理由には事欠かないためだ。
 保護者を失って路頭に迷う子供は年に一人は必ず出る。
 そんな子供達の面倒を見ているのがこの教会というわけだ。
 その時点で放っておけないのだが、更に言えば孤児院など経営しても収入など増えるわけじゃない。
 街から少しだけ、あとパンゲア教本部から更に少しだけ補助金が出るのだが、それだけでは教会の人間が無給で働いても子供の面倒なんて見ることはできない。
 残りの足りない資金は街の人間からの寄付などから賄うのがこれまでのスタイルだった。
 当然そんな調子でうまく資金が集まるわけも無く、今までエリザさんのいる教会の運営は常に火の車だったわけだ。
 しかもその癖、仕方が無いからと前の神父が教会に残していった友情の指輪を換金して孤児院の経営に回そうとしていた所で、いきなり言葉も通じずにオロオロと情けなく半泣きになっている不審な男がやって来たら、換金するのを止めて、必要だからとその見ず知らずの男に指輪を差し出す始末である。
 もう善人すぎて見ていられない。
 というか、助けてもらって何だが、こんな人たちに子供が育てられるのだろうかと正直疑問に思ったものだ。
 だからこの人達や、育てられている子供達が飢えて死んだりしないかを監視する意味も込めて、俺はここにちょくちょく顔を出している。もちろん、それ以上に、この教会の雰囲気が好きだからという理由の方が大きいが。

「あら、それは五日前のこと? 確かにユーノが気落ちしていたように見えたけれど」
「多分そのあたりの日。やっぱ、普段はあれでも女の子してるんだよ。そのお金で余裕ができたら、何か見繕って買ってあげると喜ぶと思う」
「そうね、――あの子も最近好きな人ができたみたいだから、そういうことも考えないといけないのかもしれないわね」
「あれっ、好きな人?」
「そう、好きな人よ。小さい頃から、あの子のことを見てきたから分かるの」

 そう言うとエリザさんは茶目っ気のある笑みを浮かべてこちらを見てきた。
 誰もが認めるお婆ちゃんであるエリザさんだが、やはりこの年齢になっても恋だの愛だのといった話は楽しいだろう。
 パンゲア教徒は、クリスマス関係の宗教のように死ぬまで清い体を保たなければならないといった規制はなく、むしろこういった話には寛容だ。

「へえ、まだ着飾りたいだけかと思ってたけど、そういう理由もあったのか」
「そういうことよ。シュウジ、あなたは気が利くようで気が利かないところがあるわよね」
 
 そういうとエリザさんはまた楽しそうにからからと笑った。
 言われて見れば思い当たることが多すぎる言葉だけに、俺は反論できない。
 できることと言ったら、所在無く頬をかくことぐらいだ。
 そして、そんな時だった。

「――ただいまー」
「おう、婆ちゃんにおっちゃん、帰ったぞ!」

 俺が入ってきた教会の正面の扉から、元気さ溢れる腕白小僧達が二人、突入してくる、
 それは俺が見知った顔をしていた。
 一人は五歳になるサイラスで、もう一人は八歳になるがこの孤児院では新顔のハーヴィー。
 共にこの孤児院周辺で悪戯の嵐を巻き起こす悪餓鬼である。
 
「あ、兄ちゃんも来てたのか!」
「来てたのかー!」

 ハーヴィーが俺の姿を見つけると、一目散にこちらへと駆け寄ってくる。
 そして、その弟分であるサイラスもハーヴィーの真似をしながら同じように近寄ってきた。
 二人共、きらきらとした目でおれを見上げてくる。
 不思議なことに、何でか知らないが、俺はこの二人には懐かれていた。
 記憶の限りでは時々変な日本料理を作ってあげたり、もしくはラクシャにスカートめくりを行ったので軽く躾けてやったぐらいしか、この二人に何かした覚えはないのだけれども。何が良かったのだろうか。
 やっぱり子供だから、街の中でトップクラスの変な人間である俺のことが珍しいのかもしれない。

「ああ、少し用があったから来てたんだ。そういうお前達は遊んでたのか? もしかして、また誰かに迷惑かけてたんじゃないだろうな」
「そんなことしないって。この前約束しただろ!」
「しただろー」
「そっか。なら良かった。マツバラ家に伝わる躾を、またお前達に試さないですむからな」
「……あ、あれかよっ? しなくていいぞ! 俺たち何もしてないからな!」

 俺が幼少の頃に母親から受けた仕打ちを、この子達に伝えずにすんで安心していると、二人共必死になって自分の無罪をアピールしてきた。ハーヴィーの口真似をすることが多いサイラスも、今は無言で首を横に振っている。

「そんなに必死にならなくても大丈夫だって。何もしてないなら、俺は何もしないから」
「ほ、本当かよ。ならこんなことしても怒らないか?」
「お、怒らないかー?」

 そして窺うようにこちらを見ながら、何故か俺の足をつんつんと突いてくる。まるで爆発物にでも接しているかのような手つきだ。いつもながら唐突で、意味が分からない。
 エリザさんのほうを見ると、目尻のしわを深めてこちらを見ていた。
 だからまあいいかと思っていれば、二人はそんな俺を気にすることなく、いきなりダッコちゃんのように足にしがみついた。そして何故か俺の体を上り始める。
 するすると器用に二人共、俺の背中や腹にしがみつきながら肩まで上がってくる。
 まるで小猿みたいだ。
 こそばゆくて振り払おうかとも思ったが、エリザさんの前なので自重しておいた。
 そして、そんなことを考えていると、ハーヴィーはさっさと、サイラスは何とかそれぞれ俺の右肩と左肩へと到着した。
 まるでここが俺の椅子だと主張せんばかりの態度で、そのまま肩に腰掛ける。
 二人は落ちないように手で俺の頭というか髪の毛を掴んでいるので、髪の毛がぐしゃぐしゃになっているのが自分でも良く分かる。

「――よし出発!」
「しゅっぱつ!」

 元気良く俺の耳元で騒いでくれるガキ二人。
 どうやら俺はこいつら二人に操縦されるロボットか何かの役回りらしい。
 子供は高いところが好きで唐突だというのは知っていたつもりだけれど、この脈絡の無さは何というか。
 エリザさんのほうに視線だけ向けると、ごめんなさいと頭を下げられた。
 子供の遊びに付き合ってくれということなのだろう。
 そして予想は当たっていたのか、頭の中にエリザさんの声が響いてきた。

『ごめんなさい。その子達、この前、子供が肩車してもらう光景を羨ましそうに眺めていたの。だから、付き合ってくれないかしら。うちの神父様はぎっくり腰で無理はできないし、ローウェル君は子供を抱えられるほど力があるわけじゃないから』

 これはパンゲア教徒が使う神術の一つだ。
 時々、子供達に聞かせたくないような話をする時にエリザさんが使ってくるテレパシーのようなものになる。
 どうやら俺の肩で騒いでいる二人は、そのことが羨ましくてこんな行動にでも出たということらしい。

(まあ……、今日はもうやること無かったから、それでいいか。それにこの教会の男に、肩車は確かに無理そうだからな)

 この術は一方通行であり、俺は使うことができないので、小さくエリザさんに頷いて見せることで返答にした。
 頭の中に、壮年のヒゲだけは立派な神父と、痩せていて力の余りない修道士のローウェルの姿を思い浮かべてみれば頷ける話だった。他に修道女が三人ほどこの教会にいるが、その誰もが子供を二人抱えて走り回れるとは思えない。
 俺のところにお鉢が回ってくるのも頷ける話だ。

「何だよー。早く動いてくれよー。体力だけが兄ちゃんの取り得なんだろー」
「シュウジ兄ちゃん。僕、塔のてっぺんまで行ってみたい」

 そんなことを考えていたら、子供達は待ちきれなくなったのか、俺の髪を引っ張ってくる。
 まるで雑草でも引っこ抜くかのように、思いっきり髪をぐいぐいと引く動作には、遠慮というものがまるでない。
 こういうのが子供らしさというものだろうから、悪いとは言わないけれど。
 もしも本当に俺の髪の毛が抜けたらどうしてくれるつもりなんだろうか、こいつらは。

「あー、もう分かったから引っ張るな。というわけで、来て早速に何ですけど、外出てきますね」
「ええ、いってらっしゃい。その子達をよろしくね」
「はい」

 俺がそう頷くと言質を取れたことが嬉しいのか、喜んだ子供二人が両手を上げる。
 まだ幼いサイラスなどは、はしゃいで体勢を崩して地面に落ちかけたほどだ。
 ころりと頭から床に落ちそうになったところを、慌てて左手で抱きかかえてみれば、何で自分が落ちたのか理解できていないのかきょとんとした顔をして、こちらを見つめ返してくる。

「サイラス。まだお前は危ないから、塔の上まで行くのは無しだ。それでいいな?」
「いいけど、じゃあ、どこに行くの?」
「まあ危なくない所かな。――具体的には、そうだな、ノーマの家にでもがらくたを冷やかしに行ってみるか?」
「賢者様のお家? あそこ変な匂いがするから嫌い」
「そっか。確かにあの家の油臭さはきついな。それなら商店街あたりにでも行ってみるか。ダグラスが露天を出していたら、好きな菓子でも一つだけ買ってやるよ」

 そう言うと露骨にサイラスは顔を輝かせた。素晴らしいほどに分かり易くて、大変結構だ。
 子供はやはりこうでないと。

「ハーヴィーも、それでいいな?」
「おう、俺もそれでいいぜー。それよりも早く動けよ、兄ちゃん。全速で全力だぞ!」
「あー、はいはい。わかったわかった」

 めたくたに髪の毛を引っ張って俺の将来を不安にさせるハーヴィーをいなし、腕に抱えたサイラスをまた肩に乗せてから俺はそのまま教会の外へと出た。お望みどおりに、子供には耐えられないような速度で、商店街まで二人を乗せて走ってやった。
 街の中には当然、二人の子供の悲鳴が上がった。



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