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異世界。そんな場所に飛ばされたらどうなるか。普通に考えたら、まず間違いなく死ぬと思うだろう。きっと竜とか魔法とか物騒なものが群れを成して襲い掛かってきて、ひ弱な現代人は哀れ物言わぬ骸となる。もしくは、運良く生き延びたとしても泥水でも啜りながら、そこらを練り歩く化け物たちの脅威から身を隠し続けて生きなければならない。そんなところだろうか。 虚弱極まりない日本人の俺が、そんな場所にいきなり放り投げられて、日々生活ができるはずがない。俺だって現実に異世界に迷い込んだ時はそう思った。きっと異世界の生き物は皆屈強で、普通の大学生だった俺では対抗することなんてできないのだと。 だが、現実は違った。 確かに異世界には化け物はいた。 確かに俺が迷い込んだこの世界には理解不能な魔法だとか竜だとかはいた。その他にも冒険者ギルドだとか、何たら帝国とか賢者組合とか、耳が長いエルフだとかファンタジーすぎる設定が掃いて捨てるほどに転がっていた。 だがしかし、一つだけ予想と違っている点があった。それも大きく。その一点だけで、俺の異世界迷い込みは至極安泰なものになってしまったのだ。 前振りは面倒なので簡単に言ってしまえば、この世界の生き物は総じて地球の生物達よりも貧弱だったのである。 1 恐らく、重力からして違うのだろう。俺が迷い込んだ世界は非常に力のセーブが難しい環境だった。 ちょっと跳ねればそこらの背の高い木よりも高く飛び上がってしまうという難儀な場所であり、普通に生活するための動作を覚えるのに半月近くの時間が必要になった。特に歩いたり走ったりという基本動作は習得するのが凄まじく難しくて、俺は長い間、移動手段が跳ねるだけの日々を送っていた。 ただし、一度体の傾け方や力の使い方を覚えてしまうと後は楽なもので、今ではきちんと歩くことができるし、本気で走ると弾丸のような速度まで加速することができる。ぶっちゃけてクレイジーだ。 まあ、この世界の生き物はそんな柔な環境で生活しているためか、総じて脆い。分かり易く言えば、重力百倍のトレーニングルームから出てきたドラゴンボールの悟空にピッコロは叶わないみたいなものだろうか。毎日やんわりした重力だけを受けているので筋力もそこまで必要ないらしく、外見は地球人っぽいのにまるで体力が無い人間達がひどく多い。恐らく生物としての進化の過程が、根本的に地球の生き物と差があるのだろうと今は推測している。 異世界っぽく時々ドワーフのような力持ちなイメージのある種族とも遭遇するのだけれど、腕相撲をしたらやはり俺があっさりと勝ってしまう。それも左手で半分遊びながらでも。まあ、顔を真っ赤にして唸るドワーフの旦那達を見ていると罪悪感が湧いてきたので、もう二度とそんなことはやらないけれども。 そして生活に関してだが、これも問題ない。日本のように戸籍だとか面倒なものは重要視されない世界だったらしいので、どこかの街に定住することは難しくなくて、仕事も近くの化け物退治とかを受ければまず間違いなく報酬が受け取れる。まったくもって楽なものである。仕事の内容もさほど難しいものは選んでいなくて、せいぜいが日本でいえばスズメ蜂をゴキジェットで退治するレベルの簡単なものしか引き受けていないのに、早くも俺は街中の傭兵連中から一目置かれ始めていた。 曰く、「手に負えない幻獣が現れたらマツバラに回せ」とか何とか。 命の危険性なんて余りない依頼を受けているのに、回りからは凄く信頼されている状況というのは非常に居心地が悪いものである。こちらに来て最初の少しの間だけ生活するのに困っていたが、今では逆に金が余って困っている。見かけはグロテスクなくせに貧弱な化け物を退治するだけでもう人生が安泰な感じなのだから、これはもう何ともはや。 日本に残っていても就職できなくて困っていただろうから、これはこれで良かったのかもしれない。 そんなことを考えながら、こちらへと飛んでくる事になった原因を回想してみる。 あれはそう、無用心にも妹の部屋へと入ってしまったのが原因だった。 「おーい、沙希。兄ちゃんのiPOD知らないか? 何だか見当たらなくってさー」 「ちょっ、この馬鹿兄貴! 勝手に人の部屋空けんな!」 「おわっ、き、着替え中だったのかっ。ごめん」 「うっさい閉めろもう遅い死ね、この世界から消えてなくなれ――ッ!」 「ちょ、ちょ待ってごばぁっふじこ!」 そして俺は星となりこんな場所で生きている。 人生、何が起こるか本当に分からないものである。妹に殴られたおかげで今の平穏無事な生活を手に入れることができたのだから、これはもう妹に感謝しなければいけないのかもしれない。思えば、この世界の化け物にまったくびびらないのも、最後に見た妹の右ストレート以上の恐怖をどの化け物相手にも覚えないからというのも大きい。あれできっと俺は度胸がついた。 まったくもって俺はできた妹を持ったものである。ちょっと寂しいことにもう二度と会えないんだろうけど。 そんなことを考えたときだった。外から大きな野太い声が聞こえてきたのは。 「おーい、マツバラ先生! いるかい?」 「いるよ。どうかした?」 ひょっこりと窓から顔を出して、声の主の姿を探すと容易に見つかった。俺が化け物退治で得た資金で購入した家(←何と四階建て!)の玄関の前にはライオンのような顔をした男が立っていた。この辺りでは結構名の知れた獣人族の戦士で、名をゲインという。俺と同じく街の傭兵ギルドに籍を置いていて、やはり化け物退治や野盗の撃退などで収入を得ている。 割と熟練の戦士であるらしく、俺と依頼が被ることが何度かあって、時々助けたりしていたらいつの間にか俺のことを先生とか言うようになっていたという好青年である。見た目、二足歩行の黒い虎って感じで俺よりも恐ろしげなのに、礼儀正しくて印象もいい。 「また厄介ごとが起きたらしい! 人の命が懸かってるんで、力を借りたいんだがいけるかい?!」 「へえ。人の命が懸かってるなら、しょうがないわな。ゲイン、ちょっと後ろに五歩ぐらい下がれ」 大抵ゲインが俺を呼び出すのは他の連中では手に負えないような緊急事態が発生した時であり、そのことを理解していた俺はもう面倒だったので近くにたてかけてあった青銅の剣(←結構、貴重品)を手に取ってから跳んだ。一拍間をおいて、ずだんっと地面に着地する。 昔なら実行することもできなかったようなことだけれども、重力加速度の弱いこの世界ではどうってことはない。 ただし、この世界ではこんなことができるのは俺を含めてごく一握りなので、余り人目につくところでやってはいけない。もしも子供が見て真似でもされたら洒落にならんからな。 「はっ、相変わらず狂った体してるな、先生は」 「まあね。それよりも何があったわけ?」 「どうも北の方で起きた戦から落ち延びてきた騎士崩れが、遂に盗賊にでも鞍替えしたらしい。リアの街とここを繋ぐ街道を通っていた商団が襲撃を受けて壊滅。命からがら逃げてきた一部の商人が今、ギルドに転がり込んできたってところだ」 「……ふーん。俺らの縄張りで、舐めたことしてくれるね、それ。被害は結構ひどいの?」 すうっと自分の目が細まっていくことを自覚しながら、尋ねる。気が付けばギアを上げて走り出していた。慌てながらゲインが俺に追いすがってくる。だけど足は緩めない。ゲインはこのあたりでも数少ない、俺とほぼ同じ速さで走れる相手だから。 「護衛の傭兵連中の消息は不明だってよ。盾になって依頼主を逃がしてたらしい。商団の連中も、生存が確認されてるのは二人だけって話だ。あとは現場に行って見ないとわかんねえな」 「――俺が呼ばれるって事は、相手も数いるわけだよね?」 「ああ。何でも傭兵連中は数えで二十はいたらしいんだけど、それが反撃にも出れずにやられただけって話だから相当だろう。小さな集まりだったら俺だけでも良かったんだけどよ。先生、獣を殺すのには躊躇ないくせに、言葉が通じる相手を殺すのは殊更嫌がるからな」 「うん、そういうことか。――分かった。良いよ。乗った」 「ありがてえ。感謝しとくよ、先生。なら、まずはこのまま現場に行ってもいいんだがよ、それよりも先にラクシャの嬢ちゃんの所に行ってもらえねえか? そっちの方が手間も省ける」 ぐんと足に力を籠めてトップスピードを出そうとしていたけれど、後ろからその声がかかって止める。 ラクシャ・カストール。齢十三歳。こちらの世界に迷い込んできた俺を最初に見つけてくれた少女であり、俺の家の近くで魔法具を売っているカストール商店に住んでいる。彼女はただ一つの点を除けば周囲のごく普通の少女達と大差ない可愛らしい子だ。 彼女の元へと向かうという言葉に、少しだけやる気を削がれる。 「ラクシャ? 大体、予想はできるけどどうして?」 「……先生が血生臭いのを子供に見せるのが嫌いだってのは分かってるけどよ、とぼけるのは無しにしてくんねえかな? まだ生きてる奴だっているかもしれねえんだ。時間の猶予があるってわけじゃない。そんな時には嬢ちゃんの力は絶対に役に立つ。――それに、嬢ちゃんだって納得はしてくれているんだからよ」 「まあね。……分かってるんだけど」 ラクシャ・カストール。彼女の名前は、傭兵ギルドに所属する者達からは共通の認識を受ける。――通称、死人招き。硝子球のような白い焦点の合わない右目で、この世からあの世へと滑り落ちていく者達の魂を補足する異能の持ち主。彼女の現実の世界を見れない右目は、およそあらゆる非現実の霊魂を認識し、例えば近くに死体が転がっていたならばあっという間に残留している霊たちと交信してその名や過去などを言い当ててみせる。 つまりは、ラクシャがいれば例え傭兵達が全滅していたとしても、襲ってきた盗賊たちの情報を手に入れることができるというわけだ。だから昔からラクシャは血生臭い事件が起きた時には、よく手伝いをやらされていたようだ。 ひどく気乗りしないけれども、この世界では使える者は子供でも使うというのが当然の摂理であるらしい。ラクシャ自身も、それらの手伝いを拒んでいないことからも、それが事実だとは分かる。 ただ、子供に死体を見せるようなことを、俺は完全には納得できない。できるなら多少面倒になっても、一人だけで荒事は解決したかった。けれどゲインの言葉にも理はある。まだ商団の人間が全員殺されたと確定していないのならば、全ての作業は迅速に行わないといけない。 確かに、正しい意見だ。 「ただ、そういうのってホントに嫌いなんだよね」 たんっと地面を蹴りつけて走ると、びょうびょうと風が顔に吹き付けてきた。無視をして進む。行き先をカストール商店へと変更して、石畳の道路を駆け抜ける。 ラクシャはインドア派の子供であるので、大抵は家で大人しく本でも読んでいることが多い。恐らくカストール商店に行けばすぐに会えるだろう。そんな確信を得ながら最後に大きく地面を踏みしめると、直ぐに目的地へと到着した。 こじんまりとした店の、古びた扉が目に入る。取っ手をひねるとギギギと音を立てて扉は簡単に開いた。 「ラクシャ、いるか!」 隣でゲインが早速にも声を張り上げた。こいつの大声は向こう三軒離れている家にだって届く。この家に人がいたのならば、まず間違いなく馬鹿でかい呼び声は届いているはずだ。 少しばかりの静寂の後、たんたんたんっと階段を人が降りてくる軽い音が聞こえてきた。 そして、右目を白い眼帯で覆った少女が店の奥から顔を出してきた。 腰まで伸びた光沢のある長い白髪に、薄い青色の瞳。ラクシャ。同世代の少女達と比べるとやや背は高いが、痩せていて、病的なまでに白い肌を持った少女が口を開く。 「……何が、起きたのでしょうか」 どうしたのか、とはラクシャは尋ねない。俺とゲインが揃っているというだけで事態を理解するだけの聡明さを彼女は持っている。そしてその聡明さを強いるだけの回数、彼女は血生臭い事件に協力してきた。 少し、胃の中がムカムカする。 「ごめんね。北の方で商団が襲われたらしいんだ。助けに、っていうのはもう遅いかもしれないけど、調べにいかないといけないんだ。ついてきてもらえる?」 「……ええ。分かりました。何か準備をしておいたほうがいいのでしょうか?」 「いや、いいよ。ラクシャに危害が加わるようなことには絶対にならないって約束するから」 「……そうですか」 ラクシャは少しばかりのタイムラグがあった後に頷くと、とことこと俺達に近づいてきた。そして俺の背中側へと回る。 「それでは、今日はマツバラさんに乗らせてもらおうかと思います。……あなたが私にこのような依頼をすることは滅多にないことですから」 相変わらずの無表情で、そんなことを呟くとラクシャは俺の首に手を伸ばした。そして、その軽い体を預けてくる。この世界の人々は総じて軽いのだけれど、その中でもラクシャは特に軽い方だ。まるで負担を感じない。 ラクシャの髪が、少しだけ肌にかかってこそばゆい。そして、どこか線香のような香りが鼻をくすぐったことに眉をしかめそうになって、自制する。 「くははっ、やっぱり嬢ちゃんは先生を選んだか。確かに、この人滅多に背中に人を乗せねえからな」 「……はい。こんなレアなチャンスを逃すわけには行きません。ゲインさんにはいつも乗らせてもらっていることですし」 「確かにな。スピード重視の荒事が起これば、俺と嬢ちゃんが組まされることなんて、今までざらにあったからな。今さら俺の背中に楽しみなんて見出せねえってか!」 「……はい。それに意外とマツバラさんの背中って乗り心地が良いんですよ。どうも衝撃を体全体で緩和してくれているみたいで。……実は、今まで何度か背中で寝てしまったこともあるぐらいです」 「そうかそうか! なら俺も今度乗せてもらおうかな、なあ先生!」 人が少しばかりキャラに似合わない真面目な事を考えている横で、二人はいつものように噛みあっていないようで抜群に噛みあっている間の抜けた会話をしている。ゲインとラクシャの年は一回り以上離れているが、付き合いは長いらしく、無口なラクシャもこのように良く言葉を返してくる。 普段のラクシャなら、挨拶をする事はあっても、その後に会話を続けることは滅多に無いので、このような長い会話をしているシーンを見られるということは一種の奇跡のようなものだ。 「――何が悲しくてゲインなんかを。お断りだ」 「あらら、振られちまったか。人の身で獣化した俺よりも早く走れる先生の秘密を探れるチャンスだと思ったんだがな」 「だから言ってるだろう、これはただの生まれつきだって。――それよりもラクシャ、出るからしっかりとしがみついてね。ゲイン、遅れるなよ。本気で走る」 会話に時間を潰されるわけにはいかなかったので、そこで強く地面をけった。本気で走る。加速度的に目に映る風景がスライドしていって、一気に街の外へと、街道へと到達した。後ろを見るとゲインは少し離れたところを走りながら付いてきている。 「……少し、早く走りすぎなのではないでしょうか。ゲインさんが遅れています」 「いいんだよ。あいつ、まだ本気で走っていないんだから。――ほらね」 直後、後方から獣の遠吠えのような叫びが聞こえてきた。 ちらりと後方を確認すると、先ほどよりも二割ほど全身の筋肉を膨張させたゲインが更にスピードを上げてこちらへと走りよってきていた。心持ち牙も視線も普段よりも鋭くなっている印象を受ける。獣化。獣人であるゲインの特技であり、この状態になったゲインは爆発的に身体能力が向上する。そして虎族と呼ばれる獣人のゲインは特に走力と膂力が増加するらしく、この状態になると俺でも逃げ切るのは至難の技だ。 「あいつは人を乗せてると安全のために獣化はしないんだ。振り下ろしたら危ないから。だから今までラクシャの前ではあの姿を取らなかったんだろう。ああなると細かい動作が難しくなるって言ってたからね。あんまり血が頭に上ると敵味方の区別がつかなくなって危ないともいってたかな」 「……そうだったんですか。話に聞いたことはありましたが、少し、意外なものを見た気分です」 そんなことを話していると、直ぐにゲインが声の届く距離まで近づいてくる。 「先生、ちょっとぐらい待っててくれてもいいんじゃねえか? 俺だから付いて来れるんだろうが、他の奴なら姿を完全に見失ったところだって。間違いなく」 「だろうね。そしてゲインなら俺が真面目に走っても付いて来れる。そうだよね?」 「まあ、それはそうだけどよ」 まだ何か言ってこようとしていたゲインの言葉を遮って、そこでまたスピードを上げた。地面を蹴るというよりも砕くほどの勢いで走る。視界の端に見えていた街道の光景は一瞬で零に縮まり、また遠くに見える場所へと向けて跳ぶ。 こうなるとゲインも無駄口を叩く余裕はなくなったらしく、必死になって後を追いかけてきていた。 「体、大丈夫? 重圧かかって痛くない?」 「いえ、……これぐらいなら、まだ、耐えられます。けど、本当に、マツバラさんは常識外れですね。……ここまで景色が早く動くところを私は見たことがありません。それに、そんな中でも私が舌を噛まずに喋れることも、理解不能です」 「そっか。小さな頃、よく妹をおぶってやってたから、揺れないようにするのは得意なんだよ。もし今はそうじゃなくても、気分が悪くなったら言ってね。いつでも止めるから」 「はい……。けれど、その必要は無いようですね。見えます」 真面目な声でラクシャが告げる。彼女の言葉に従って遠くを見てみると、街道の途中で打ち捨てられた荷馬車の集団らしき者が転がっている光景が見えた。その周辺には、ばたばたと人らしき影が転がっている。 そして人影は、予想はできていたけれど、動いていない。 「ホントだ。やっぱりもう賊は残ってない、か」 呟きながら地面を最後の一蹴り。ぐぅんっと体が宙に浮かんで、そして落下を始める。死体に溢れた荷馬車の傍へと。 土煙を上げながら着地して、周囲を見てみると、生き残った人間はいないようだった。 ひどく鼻に咽るような匂いがする。 |