「早速だけど、清田君。今月の我が新聞部の活動内容はこれに決定したから!」 ででーん! と効果音がどこかから聞こえてきそうなほどに勢いよい声。西霞高校新聞部部長である白石先輩はホワイトボードをばしばしと叩きながら断言した。ホワイトボードにはペンで書いたくせにえらく達筆な筆跡でこう書かれている。 『我が高、人気ナンバーワン男子。高崎勝也の交際関係を徹底リサーチ!』 高崎勝也先輩。三年生。その名前を目にすれば、色んな情報が勝手に浮かび上がってくる。二年生の僕にも知られているほどに高崎先輩は校内の有名人だった。 今は高校総体が終わってしまったので引退してしまったが、サッカー部の元部長でありエースFW。恐らくサッカー部にマネージャーが八人も在籍していたのは彼がいたからだというのがもっぱらの通説になっている。当然のようにルックスも良く、あなたは何処の少女漫画から飛び出してきた人ですか? と尋ねたくなるくらいに女子の受けもいい。 一度だけ高崎先輩が人と話している所を間近に見たことがあるけれど、男女問わずに凄く人当たりの良さそうな笑顔と会話が印象的な人だった。 「まあ、新聞なんて知名度ですから、食いつきは凄く良いと思いますよ。この話題だったら。けど、ちょっと無理がありませんか? だって、高崎先輩って言ったら、尻尾を出さないことでも有名じゃないですか」 高崎先輩は冗談ではなく、もてる。バレンタインデーには、サッカー部が練習しているグラウンドの近くを一、二、三年生の女生徒がうじゃうじゃとたむろしており、彼女たちが先輩の動きを逐一観察していたのは記憶に新しい。そして、そんな非現実的な伝説が生まれるぐらいに、色々とアプローチを受けているというのに、高崎先輩には一つの謎があったのだ。 それはたった一つのミステリー。高校三年生なんていう思春期真っ盛りのお年頃で、尚且つ選び放題であるにも関わらず、高崎先輩の周囲からは具体的に誰かと付き合っているという情報がまったく流れてこないのだ。 告白して玉砕した生徒達からの情報によると『付き合ってる人がいるんだ。ごめん』というのがよく聞かれるお断りの台詞。だが、そこに具体的な名前はまったく出てこない。だから、やんわりと断るための擬態という線も考えられる。 ただ一つ分かっていることは、半年前、僕がまだ一年生だった頃、新聞部で似たような企画を組んでも、結局、何も目新しい情報は得られなかったという事実だけなのだ。 「正直な話。僕らには荷が重過ぎると思いますよ。だって、去年。大学に行った先輩たちも居たのに解けなかったテーマを、今の新聞部で解決できると思えませんし。白石先輩、今、幽霊部員を除いて活動している新聞部員が何人だか分かってますか?」 「お馬鹿! 去年やれなかったから、やることに意味があるの! ――それと現在活動している部員はあたしと清田君の二人だけど、そんなもん、根性で何とかなるって。具体的には一人で三人分働けばほら、もう去年の部員数五人の新聞部を超えちゃったじゃない」 「……マンパワーを軽視した精神論はいかがなものかと思いますけどね。しかも僕とか、はっきりいって惰弱ですから、頑張ったらやる気が無くなって半人前にランクダウンするかもしれませんよ」 「そこは気合でっ――」 「どうにもなりませんよ?」 やってやれないことはないけれども、さすがに力技で進められると僕の体力的にだるい。これまでの部活動で培ってきた抜群のタイミングでの突っ込みを行う。 白石先輩はうぐ、と口を詰まらせた。困っているらしい。 しかしそれも一瞬。 「悩む時間なんてゴミ箱にぽいっ!」が信条の白石先輩らしく、白石先輩は先ほどまで怯んでいたくせに、くわっと目を見開いて僕を一喝した。 「……あーもう、そこっ、ぐちぐち言わない! ただでさえ人数少なくて難易度高いんだから、始まりぐらいはスムーズに行かせてよ。清田君、あなたは黙ってあたしについてくればいい。オーケー?」 うがー! と叫ぶような迫力を持って返された白石先輩の言葉は実に男らしい。小さくて貧相な体つきの先輩は異性としてはまったく見れないけれど、その気風のよさは見ていてかなり清々しいものだ。この男前な背中に憧れて、僕は廃部寸前の新聞部に在籍しているといっても過言ではないのだ。 白石冨美子先輩。三年生。――我が新聞部が誇る西霞高校の核弾頭は、今日も今日とて絶好調であるらしい。 「はーい。じゃあ取り敢えずは頷いておきます。――ただ真面目な話、本気でこれは難しいですよ? 何か考えでもあるんですか?」 日課である白石先輩観察から頭を切り替えて、そう尋ねてみる。すると、そこでようやく白石先輩は待っていた質問が来たとばかりに表情を邪悪に歪めて笑った。 「ふふ、その質問を待ってたの。勿論、策は我にあり。ちょっとばかり垂れ込みがあってね。具体的には明後日の夕方、学校が終わってからが勝負だから。清田君も時間空けておいてよ。いいね?」 「明後日の夕方? 何があるんですか?」 「そこは当日のお楽しみ。ヒントは歓楽街に消える謎の影ってところかな。正直、清田君って新聞部の癖に口が軽すぎるから機密事項はできるだけ話したくないし」 「うわ、酷いですよ、それ。ただ、共感はできますけれど」 何を隠そう、僕は人から尋ねられると嘘をつけない歩く正直者だったのだ。 重大な秘密があるのなら、僕に隠しておこうという先輩の考えは非常に納得できてしまう。というよりも、他の人に先にスクープをすっぱ抜かれないためには、それは絶対に必要だ。 「でしょ? それと明後日の集合場所と時間を決めておくけど、駅前の喫茶店“よもやま”の前に六時集合。いい?」 「分かりました。じゃあ、期待して待ってますね」 「よし、良い返事。じゃあ今日の定例ミーティングはここまでってことで解散! ――あ、それと一応言っておくけど、この話は当日まで誰にも話しちゃ駄目だからね!」 / などという出来事があったのが二日前。白石先輩の言っていた“明後日”が遂にやって来た。時間は既に放課後。約束の時間は近い。 そして話は変わるのだが、僕はやっぱり嘘をつけない性格をしていたのだった。正直者なのである。 「――でさ、清ちゃん。その白石先輩が言ってた考えって何なのか分かんないの? 歓楽街に消える謎の影とかいうヒント、凄い興味あるんだけど」 「さあ? 僕はそういうの苦手だからまったく分からん。あ、あとこの話は新聞部の秘密だから誰にも言うなよ」 「うんうん、分かってるって。――あ、そういえば理沙っちは何か思い当たることはない? サッカー部のマネやってたっしょ?」 「私? ……うーん、知らないねえ。岬ちゃんが振られた時点で、私の中の高崎先輩はホモに分類されちゃってたから、あんまり興味なかったし」 「え、嘘? 岬さんも振られてたの? 田村さん。――あ、それと今日、新聞部が高崎先輩を探るっていうのは秘密だから回りに言いふらさないでね」 「やだなあ、分かってるって。――あと岬ちゃんのこと、新聞部なのに知らなかったの? かなり有名な話だよ。十七歳の誕生日に告白するって息巻いてたのに、顔真っ赤にして泣きながら岬ちゃんが帰ってきた話って」 「へー、あんな美人まで振ってるのか、高崎先輩。ならホモ疑惑が出てもおかしくないね。……うわ、嫌な想像だけど、もし男の恋人とか今日見つけちゃったらどうしよう」 「その時は清ちゃんが高崎先輩に告っちゃいなって」 「意味分からん。死ね」 「清田君、死ねとかユーミンに言わないでよ。せめて空気読んであっち行けぐらいで」 「ちょっと、……理沙っち毒吐いて無い?」 「ううん、そんなことないよ。ねえ、清田君」 「勿論。むしろ存在自体が毒なのはお前だ」 こんな会話が現在進行中。当然、今日の部活動内容は全部ばれている。 今思えば、気を利かせて僕も事前に高崎先輩の情報を集めようとしたのが失敗だった。それとなくクラスの人間に高崎先輩の話を聞いて回ったら、あっという間に新聞部の次の目的が高崎先輩の動向を探るということだとばれてしまったのを皮切りに、隠しておこうとした情報まで全て日の目を見てしまったのだった。 実に恐ろしきはクラスの女子の会話力と僕の間抜けさ加減だろうか。 ……しかし考えてみてほしい。僕的にクラスで一番可愛い田村さんに質問されたことを答えずに口をつぐむことなんてできるはずがないのだ。だって、黙り込んだらじっと無言で目を見つめられるし。 そんなことになったら僕は顔が赤くなってしまうことは間違いない。 これがいつも小生意気にも田村さんの隣を陣取っているユーミンこと柊由美だったなら、鼻で笑ってスルーできたはずなのに。まったくもって不覚だ。 「うわ、今すごいこと清ちゃんに考えられた気がする。背筋がゾッてなった。やめてよね。想像の中であたしに変なことすんの」 「……馬鹿は放っておくとして、そろそろ時間だから行くよ」 ちらりと腕時計を見てみれば四時半。真面目に部活もやってない二人と長話が過ぎたようだった。教室の中にはもう僕らだけしかいない。急がないと、集合場所に遅れてしまう。 「あ、うん。行ってらっしゃい。結果が分かったら教えてね?」 「おっけー。――あ、だけど新聞に書くまでは内容聞いても誰にも言わないでね?」 「いやだなあ清田君。それくらい分かってるって。付き合い長いんだから」 田村さんの声を聞きながら、鞄を持って椅子から立ち上がる。早く行かないと間に合わないかもしれない。 それと、どうでもいい話になるけれど、僕が新聞部の極秘情報を田村さんに横流ししたことは、これが初めてではない。具体的な回数は言えないが、常習犯、ということだけは告げておく。 / 「遅いっ、遅いよ清田君!」 「猛烈にすみません。余裕を持って出たつもりだったんですけど、間に合いませんでした」 駅前の喫茶店。そこで平謝りする僕。理由は簡単で、結局僕は白石先輩との待ち合わせに遅刻してしまった。しかも二十分ほど。 最初は「まだ? また遅刻なのかな。先輩、怒っちゃうよ^^」だったメールでの問い合わせが徐々に味気なくなっていき最後には「もう、……二十分経過」になった時には死を覚悟したけれど、どうにか機嫌はぎりぎりのところで維持されているらしい。 ずずーと白石先輩は豪快にコーラをストローで啜っている。――あ、しかも氷噛み砕き始めた。 ガリガリと堅いものが削れる音が聞こえてくる。 「先輩、ちょっと行儀悪いですよ」 「いいの、これくらい。あたし別に貞淑な女なんて目指してないんだから」 「けどまあ、そんなことだと嫁の貰い手が無くなりますよ?」 「失礼なッ――、清田君と違ってもう当てはあるわよ!」 「……え、あるんですか? 意外だなあ、誰です? 相手の人紹介してくださいよ」 予想もしていなかった言葉に少し驚く。 西霞高校三年生にして未だ引退しない新聞部部長である白石先輩は簡潔に言ってしまえばミニマムな人だ。そして小っこいけれど、その体には濃縮された生命力が詰まった謎の生命体であるともっぱらの評判だ。跳ねるし騒ぐし、時々、飛び上がる。 その様は可愛らしいのだが、どこか女の子っぽさといったものとは別種の可愛らしさだ。 何というか、漫画やアニメのキャラクターが現実世界に殴り込みをかけてきたような、マスコットちっくな、性的な対象とならないキュートさとでもいうか。ともかく、可愛いのだけれども、何か違う。 そして、そんな僕の印象を裏付けるかのように、今まで特に白石先輩が誰かに告白されたとか、付き合っているとか言う噂は僕の耳には入ってきていなかった。 高校でもトップクラスの白石先輩フリークの僕の耳に入らないのだから、きっとこの先輩は独身貴婦人決定だろうと考えていたのだけれど。違っていたらしい。 誰だろうか、相手は。僕の大切な可愛い先輩に手を出したのだから、挨拶ぐらいしに来るのが筋じゃなかろうか。 「……あ、ごめん。今のなし。忘れて。普段は軽い頭の中に詰まった記憶消し去ってよ清田君」 そんなことを考えていると、あちゃーとでも言いたそうな、苦虫を噛み潰した表情で先輩。がりがりと氷を噛み砕くスピードが加速度的に上昇していく。 前もって心の準備をしていれば嘘だって白石先輩は平気な顔でつけるのだが、こういった突発的な事態にはまるで弱い。 落ち着きの無い行動から、実は彼氏有りという事実は丸分かりだ。せわしなく店内を移動し始めた視線などが雄弁に物語っている。恐らく本人は気づいていないのだろう。 「またまた、そんなこと言わずに今度紹介してくださいよ。誰です? 西霞高校の人ですか?」 「いや言わないし答えないからね」 「何でですか。僕と先輩の仲じゃないですか。言っておきますけど、今の内に僕を手懐けておいたほうが得ですよ? そうしないと結婚式の友人代表のスピーチで先輩の恥ずかしい過去が新郎側出席者に暴露されることに――」 「……なんてくだらない脅迫してくるかな。それよりも、そうだ、部活の話しよっ。早くしないと時間的に間に合わなくなるから!」 嫌な顔をしていた先輩が途中で名案を思い出したとでも言いたそうに表情を輝かせる。正直、露骨な話題の切り替えだ。 ――だが可愛いので許す。 もし僕に子供ができたら、先輩のように育ってもらいたいものである。今日も今日とて実に白石先輩は見ごたえがある。 「ああ、確かにそうでしたね。そういえば今日は部活で来たんでした」 「そうそうっ、清田君が遅れるから本気で時間ないよ、よく考えたら!」 「……それ本当ですか? 僕まだ今日の説明も何も受けてないんですけど」 「完全に本当! もうそろそろここ出ないとスクープが逃げてくかも!」 あたふたと時間に気づいたらしい先輩が、慌しく椅子に置いていたバッグを肩にかけ、そして置いてあった伝票を手にとって立ち上がった。これは本気で時間が無いようだ。 「時間が無いみたいなんで単刀直入に聞きますけど、今日は何をするんですか?」 「今日は高崎君が恋人と会う日だから、そこをすっぱ抜いて写真にするの。――やばいなあ、もうそろそろ予備校が始まる時間だよ」 先輩は高速で移動して伝票をレジの店員に叩きつけると、あたふたと財布を取り出し始めた。奢られてしまわないうちに僕もお金を払ってしまう事にする。千円札を二枚払って、超速でお釣りを財布の中に入れてしまう。 「あ、ちょっと待ってよ。あたしお金あるって」 「良いですよ、後で返してもらえれば。それよりも今は時間が無いんでしょう?」 だらだらと喋っていた喫茶店から近所の予備校までは歩いて二、三分の距離になるけれど、移動は早いに越した事は無い。不満げにこちらを見てくる先輩の視線を意図的に無視して、僕は先輩の肩を叩いて自動ドアの外へと追いやった。 早歩きで移動を開始する。 「ほら、拗ねてないで早く行きましょう。その先輩の手に入れた高崎先輩が恋人と会うっていう情報がどれほど信頼が置けるか知りませんけどね」 「ん、言っておくけど、情報は完璧だからね。何と言ったって、その、凄まじく信頼の置ける人からの情報だし」 「信頼の置ける人というと?」 「秘密。無事に写真取れたら教えてあげる。さっきのお金返すのと一緒にね」 「はいはい、なら期待してますよ。――あ、そういえば一昨日、ヒントは歓楽街に消える謎の影とか言ってませんでしたっけ? もしかして高崎先輩の恋人って、そっち方面の人ですか?」 気になって尋ねてみる。 すると白石先輩はあっけらかんと言い放った。 「ああ、あれ? まだ信じてたの? あれは嘘。超嘘。どうせ清田君はあることないこと全部誰かに話しちゃってるだろうから、他の人に先回りされないように混ぜたダミーの情報」 「何と言うか、嘘って酷くないですか? ちょっと傷つきますよ」 「けど、どうせ誰かに今日の事は話しちゃってるんだよね?」 「……否定はしませんが」 「なら、問題なし。もし誰にも話して無かったなら謝ってあげてもいいけど。こうやってべらべら秘密を喋る部員を持つと、部長としては色々と対策を考えないといけないわけよ」 にこっとまるで罪悪感を覚えていない表情で先輩は言い切った。まるで澱みなく言葉を結ぶ。 この人は昔からこういった性格をしていて、必要があればいくらでもそのフットワークの軽い舌から嘘八百を並びたてられるという特徴があった。子供みたいな性格をしているけれども、その実、内面は非常に狡猾でもあるんじゃないだろうかと僕は踏んでいる。 そして事実、どうやらの僕の嘘のつけない性格は、あらかじめ考慮に入れられていたらしい。少しだけ安心する。傷ついたなんて先輩には言ってみたけれど、正直な話、こんな風に僕の口の軽さまで考えて先輩が行動してくれるのなら変に緊張しなくてすむからいい。 ――これからも肩肘から力を抜いて、色々と情報を駄々漏れにすることができるし。 「へへえ。先輩、外見とは違って中身は考えてるんですね」 「何? もしかして喧嘩売ってる?」 「まさか。ただ純真だった先輩がそういう風に、さらりと嘘を言えるようになったのが嬉しいだけです。これなら僕がいなくても、来年、大学で社会の荒波に揉まれることもないだろうと思いました」 「……何か生意気なこと言ってるね。あたしとしてはその無意味に人を挑発する癖を無くせない清田君の方が、社会の厳しい洗礼を浴びそうな気がして怖いんだけど。闇討ちされるとか、集団で囲まれるとか」 「大丈夫です。僕、さりげなく強い子ですから」 どうでもいいことだが僕の父親は警察官であるためか息子である僕にやたらと護身術を習わせるという悪癖があった。そんな体育会系な世界が嫌で、僕は高校では病弱な文系少年の位置をキープしているが、バイオレンスなことに柔剣道空手の段位を合わせると合計四段になる。 僕自身は特にその事実に価値を見出していないのだが、客観的に言えばかなり強い人間になるのだろう。 実は今まで、一対一だろうと多数相手だろうと喧嘩をして僕は負けたことがない。――先輩の前で荒事なんてしたことはないので、先輩はこのことは知らないだろうけれど。 「強い? 普段から疲れるから体動かしたくないとか言ってる貧弱君が何言ってるんだか」 「いや、確かに普段はそうですけどね。……まあ、いいか」 やはり信じてくれなかったらしい。僕の言葉を先輩は鼻で笑った。まあ、これはどうでもいいことだ。 それよりもようやく目的の予備校の前まで辿り着いたことの方が大きい。 「それで、どうします? 着きましたけど」 「うーん、時間はまだ多分大丈夫か。ならちょっと隠れてようかあのビルの裏の方に」 ちらりとピンク色の可愛い腕時計を一瞥した後、先輩は視線で予備校の建物から少し離れた建物を指示した。角度的に、予備校の入り口は死角となっていて見えない位置だ。 かろうじて見えるのは横側の駐車場入り口くらいだろうか。 「あそこで、いいんですか? 何も見えませんよ?」 「いいの。――あのね、清田君。高崎君はあれで用心深いんだから、予備校の正面入り口なんて押さえていても姿をみせるわけが無いに決まってるんだから。高崎君はね、放課後に恋人と会ってる日は、恋人の車で地下の駐車場に入ってから階段で中に入っていくの」 「それも信頼できる人からの情報ってやつですか?」 「うん。――まあ、見てなさいって」 自信満々な表情で先輩は告げる。そしてじっと人通りが少ない予備校の横側に位置している駐車場入り口を見つめる。自然、おしゃべりな先輩が口をつぐむと僕も黙り込むようになってしまった。 そして、沈黙が訪れる。 「……来ませんね。ていうか何を目印にして僕らは観察しているんでしょうか」 「うるさいなあ。ちょっと黙っててよ。来たらあたしが合図出すから、清田君は写真撮って」 煩わしそうな声で、ずっと駐車場入り口を見つめていた先輩は口を開いた。そしてゴソゴソとバックの中から黒光りする、異様にごついフォルムのカメラを僕に手渡した。 その名をスクープ君一号。我らが新聞部の開設時に、初代部長が私財を投げ打って部のために購入したという、新聞部に伝わる三種の神器の一つである。 これならば多少距離が離れていても、倍率を上げれば相手の姿をシャッターに納めることができる。高崎先輩が恋人とやらと一緒に車を出ようものなら、一網打尽だ。 「……あれも違うし、あれも。――遅いなあ、まったく」 「先輩がどんな情報を掴んでいるのか知りませんけど、そりゃあ時間通りにぴたっと来るって言うものじゃないでしょう。こういうのは」 「それは、そうなんだろうけど――あたし、こうやって一箇所に留まっておくの嫌いだから」 固まってるのが嫌い。確かに先輩の気性を考えれば大いに頷ける話だけれども、それでよく今まで新聞部員をやってこれたなと思わないでもない。 何と言っても我が新聞部のテーマは三流タブロイド誌なのだから。尾行なんてざらにあるイリーガルさと常識の無さを売りにしているからには、落ち着きの無さは致命的な気がするのだけれども。 まあ、先輩は可愛いから甘やかされて育ってきたのだろう。何と言っても卒業された白石先輩よりも上の学年の先輩方は、それこそ白石先輩を犬か猫かハムスターのような感覚で盛大に甘やかしていたからな。 四方八方から伸びた手によって強引に口の中にお菓子を詰め込まれ 「むがっ、ぐ、ぐぎゃーッ!」と奇声をあげて抵抗する先輩の姿に、気弱な新入生だった僕は何度も癒しを感じたものだった。 「……今、よく分からないけど不穏なこと考えてなかった? 目がキモかったんだけど」 「いや、何もそんなことは考えてませんよ。気のせいでしょう、多分」 「本当? いまいち信じられないんだよね、清田君って」 「またまた、最後の一人になっても先輩が部長を勤める新聞部についてきているけなげな後輩を疑うものじゃありませんよ」 「まあ、……そっか。そうだよね、うん」 ちょろいな、なんて心の中では僕は決して思わない。 「それよりも、部活動のほうを真面目にしないと――、あ、来た! あの銀のミラに注目!」 「え、もう来たんですか? ちょ、ちょっと待ってください」 突然、飛び上がって叫び始めた先輩の視線を追えば、そこには確かに銀色の軽自動車が。 中に誰が乗っているかはよく見えないけれども、先輩が嘘を言っているとも思えない。急いで首にぶら下げていたカメラを持って、レンズ越しに倍率を合わせる。見えるか、見えないかぎりぎりのラインだ。 焦りながらピントを合わせる。 「ちょっと、清田君、早くやってよ! もうそろそろ着くっていうか高崎君降りた! あ、あれ! 絶好のシャッターチャンス! 今、今ッ!」 「ばしばし肩叩かないでくださいっ。画像がぶれますから」 カメラに衝撃を与えてくる先輩の手を避けながら、予備校の駐車場前を見てみると、見知った顔が車の助手席から降りてくるところだった。そしてくるっと車の前を回って運転席側へと移動すると、運転席の人物へと二、三言何かを語りかけているようだった。 間違いなく高崎先輩だ。 だけどレンズ越しには高崎先輩の顔しか映っていない。今写真を撮ったとして、スクープになどなりそうにもない。――せめて、相手が窓から顔でも出してくれれば。 そう、考えた時だった。 まるで僕の意見に同調したかのように、運転席から若い女性が顔を出した。そして何かを言い返すと、軽く高崎先輩の肩を叩く。その瞬間を見逃すわけには行かない。 僕はかちりとカメラのシャッターを切った。薄くだがストロボが発光する。 写真を取られた二人はこちらに気づいたようには見えない。高崎先輩が一瞬、こちらに視線だけを向けたような気がしたけれど、気のせいだろう。高崎先輩はそれから特に逃げも隠れもせずに、自然な態度で車の女性と別れて駐車場の中にある階段の方へと向かって建物の中に消えていった。 「取れた? 取れた?」 「ばっちりぐー。略してばっちぐーですよ先輩」 「やった、これで今月の特ダネは頂いたも同然だね!」 「まさしくその通りで。――ただ、少し聞きたいことがあるんですが、先輩。いいですか?」 視界の端に移動を始めた車を捕らえながら、横に居る先輩に僕は尋ねた。 「何? どうやって高崎君たちがここに来るのを知ったのかって話?」 「はい、それですよ。少し気になりまして」 「んふふー、まあ、聞きたくなるのは人情だろうね。普通なら取材源の秘匿ってことで教えちゃいけないんだろうけど、清田君は次の新聞部をしょって立つ人間だから特別に教えてあげる。実はね――」 先輩はそこで息を止めてじっとこちらを見据えてきた。何を言ってくるのか、その期待感に僕も息を止めて答えを待つ。 「なんと、高崎君が付き合ってる相手って、あたしのお姉ちゃんなのよ」 「……はあ?」 「だから、さっきの車に乗ってた女の人。あれね、私の血の繋がった姉なわけよ。おーけー?」 姉。お姉ちゃん。この目の前にいるちっこい人の。それが高崎先輩の付き合っている人。 ふむ、と思考が止まってしまう。 いきなり訳の分からない展開になってしまったものだ。 「すいません。ちょっと話の流れが急すぎてついていけないのですが」 「まあ、そうだろうね。じゃあ順を追って説明してあげる。あのね、実は高崎君の家って、あたしの家の近くなの。しかも小中高って通ってきた学校も同じくらいに」 「そうなんですか。初耳です」 「そりゃあ言ってなかったからね。それで、実は高崎君には五つ上のお姉さんがいてね、しかもあたしにも六つ上のお姉ちゃんがいるわけよ」 「ほうほう」 続々と上がる新情報に僕は頷くしか術は無い。 「二人は仲が良くて、よくうちのお姉ちゃんも高崎君の家のお姉さんの家に行ったりしてたわけ」 「はあ、大体何を言いたいのか分かってきましたが続きをどうぞ」 「やっぱり分かる? ――それでね、詳しい説明は省くけど、まあ色々あって高崎君とうちのお姉ちゃんも仲良くなっちゃって、結局、最後にはくっついちゃったわけなの。あの二人」 「ちなみに付き合い始めたのは、いつの話ですか?」 「あたしが中学三年の頃」 「……わーお。信じられませんね」 つまり年の差、実に六歳ということは中学三年の高崎先輩に、大学三年の白石先輩の姉が手を出したと言う事か。なかなか、生々しい話である。 僕が意味ありげに頷いてみると、白石先輩は苦笑した。 「まあ、それで分かってると思うけど、ちょっと世間的に聞こえが悪いでしょ? 二十歳越えたいい女が、近所の中学生に手を出したなんて。だからまあ、あの二人は色々と世間の目をきにしながら今まで、ずっと付き合ってきたのよ。――今も高崎君が、誰にも尻尾を見せないのは、そういった理由があって、かなり用心深くなっちゃってるからなのよね」 「……だとすると、この写真は余り表に出さない方がいんじゃないですか?」 西霞高校新聞部は、校内にスクープの嵐を巻き起こすことを喜びとしているが、第三代目の部長からの方針で、尾を引きそうなディープな問題には首を突っ込まないようにもしている。 今の話が本当なら、今撮った光景は現像しない方がいいような気がするのだけれど、はたして。 僕の言葉に先輩は首を横に振った。 「まあ、確かにそうなんだけど、実に三年が経過した今になって、そのカップルの片側が現状に不満を抱き始めたわけよ。うちのお姉ちゃんなんだけど、もう隠れてこそこそするのは嫌! って。だけど高崎君は高崎君でここまで来たら誰にもばらしたくないのか、それとも今のままが気に入っちゃったのか、首を縦に振らないわけ。それで駄々こねちゃって、あたしに相談してきたのよ、お姉ちゃんが。で、考え付いたのが――」 「あ、もうその先言わなくて良いです。大体、何を言いたいのかは分かりましたから」 長々と説明を始めた先輩の言葉をそこで遮る。 大体の絵はもう読めた。中々、種明かしは詰まらないものになってしまった。 ここまで聞いてしまえば、これ以上の説明は要らない。 「本当?」 「ええ、つまりはこの写真を使って、強制的に交際関係を世間にばらしてしまおうと、そう言いたいわけですね? そうすればもう、世間の目から隠れる必要もないと」 「その通り。いやー、清田君って意外と頭が良いね」 「これぐらい誰でも分かりますよ。ただ、それでいいんですか? 高崎先輩、聞いた話だと納得してないみたいですけど」 「まあ、そこは何とかなるわよ。ちょっと意固地になってるだけだろうから。――きっとお姉ちゃんのこと好きでいてくれるなら別れたりしないだろうし」 「……まあ、先輩がそう言うなら頷いておきますけどね」 僕は先輩の言葉に頷いて見せた。 個人的には好きではない結果だが、そう白石先輩が言うのなら、従ってみるのが後輩としての勤めであるのだろう。 僕はカメラを先輩へと返した。 そして、その日の新聞部の部活動は終わった。 / 「いやー、凄い反響だったじゃん。清ちゃん。あたしも色々聞いて回ってきたけど、結構話題になってるみたいだよ、あの記事」 「だろうな。そうなってくれないと、僕もわざわざカラーで新聞を書いた意味が無いし」 「けど、本当に凄いって。尾行までして交際相手とのツーショット撮るとか、高校生ができる技じゃないよ。もうさ、このまま新聞記者とかになっちゃえば? それでお昼のスクープを取り続けてあたしが主婦になった時のお茶の間の話題を提供するとか」 「それはそれで面白いが、一つだけ今の話には欠点がある。何故ならばお前には嫁の貰い手がいないから主婦になどなれない。――ねえ、田村さん」 「うん。ユーミンって結婚はできなさそうだよね」 あれから更に三日経過した現在。高校の中では新聞部が堂々と掲示板に張り出したスクープ写真が話題となっていた。高崎先輩の抗議により昼休みには放送部顧問の手によって新聞が取り除かれてしまったが、放課後になった今でもその話題はくすぶる様子を見せない。それもそのはずで、撮った自分で言うのも何だけれども、あの写真はできすぎていた。 誰がどう見ても、高崎先輩の交際は明らかな現場を押さえたのだから。少し、笑ってしまう。 「何でよ、美砂っち! あたしこう見えても料理とか裁縫とかできるし、周りの男はほっとかないと思うんだけどっ」 「確かにユーミンって私よりも家庭的だよね。けどねユーミン、覚えておいて。女はそれよりも大切なモノがあるの。ねえ、清田君」 「まさしく。俺は例え料理ができるお前よりも、この前の家庭科の授業で、フライパンから火を噴かせるという偉業を成し遂げた田村さんの方を嫁に貰いたいからな」 「……清田君?」 どうでもいい話だが、家庭科の授業でフライパンを黒焦げにした田村さんは炎の料理人の異名を持っている才女なのだった。 そんなことを考えていたら、横からの田村さんの視線がきつくなったような気がしたけれど、これは気のせいだろうか。首筋がじりじり焼かれるような視線を感じる。しかしこんな邪悪な視線を田村さんが僕に刺すように突きつけるはずなどないのだから、大方、目の前にいるアホアホ生物柊由美が原因であるに違いない。きっとそうに決まっている。 「あ、清ちゃん。駄目だって。美砂っち、あの時のこと本気で気にしてるんだから。ね、美砂っち? まさかテレビで見たシェフみたいに、フライパンに調理用のワイン振りまいたらあんなことになるなんて思ってもみなかったんだよね? ――そりゃあ料理下手な清ちゃんでさえ普通にハンバーグ作れてたけど、知らなかったならどうしようもないって。高校二年生からでも、さしすせそから覚えていけばいい話だからさ」 気にしないでいいよ。友達だから笑わないよ、と一生懸命に落ち込んでいるらしい田村さんを慰めようとしている柊。 だがしかし、奴はアホなので自分のやっていることが傷口に粗塩を塗りこむが如き行為である事に気づいていない。 田村さんは、顔を俯かせて、視線を見えなくした。ちょっと怖い声を出す。 「……ユーミン、それ天然で言ってるの? 違うとしたら笑えないんだけど」 「え、なになに? ちょっとよく意味分かんないよ、美砂っち」 しかし柊には田村さんのドスの利いた声は通用しないようだった。凄まじい女である。 「この馬鹿柊。何を田村さんに嫌味言ってるんだ。こういう時は、例え塩の代わりに砂糖をつぎ込む味噌汁でも、あなたが作った味噌汁なら毎日食べたいです、くらいは言うものだろ」 「……ユーミンだけじゃなくて清田君もなわけ?」 「ん? 僕、何か変なこと言ったかな?」 さりげなく田村さんに好意をアピールしたつもりだったのだれど、不発に終わってしまったらしく、返答はどこかよそよそしい。何故だろうか? 不覚である。 そんな落ち込んだ僕の様子を見て調子に乗ったのか、柊が囃し立ててくる。 「やーい、ばーか、ばーか。美砂っちに冷たい目で見られてやんのー」 「うるさいお前の方が先に呆れられてたじゃないか、この馬鹿一直線」 「へへーん。心理学的に印象強いのは後の方だって知らないんだ。やっぱ清ちゃん頭悪いよね」 「小賢しい知恵を付けやがって。どうせ田村さんからの受け売りで言ってるんだろうが、まずは自分で三次関数の公式を頭に叩き込んでから出直して来いこの数学赤点女」 「な、なにおーっ! 自分がクラスで上位だからって馬鹿にして!」 ヒートアップしていく僕と柊の頭の悪い罵りあい。普段ならこうなる前にそれとなく田村さんが止めてくれるのだが、今日はどうしてか抑止力として動く気配は無い。 どうしたのだろうか? そう思って田村さんのほうを眺めて見た瞬間に、ぴたりと僕の体の動きが止まった。 一瞬遅れて、僕の視線につられて田村さんを見たらしい柊の動きも止まる。 二人とも、同じものを見ていた。何か赤筋が額に浮かび上がっていながらも、凄いきれいな笑顔で微笑んでいる菩薩のような田村さんがそこにはいた。そして何故か背後には菩薩の変わりに鬼子母神のオーラが漂っているのだった。 ――しまった! いじるだけいじって放置したのがまずかったか!? ――清ちゃん、これやばいって! ここは一気に土下座で畳み込んじゃおっか!? ――こちら清田。了解した! 慌てた僕と柊は一瞬でアイコンタクトを成立させて、事態の回収のために動こうとした。だが、遅かった。致命的なまでに。 どんっ! と教室の机を平手で叩くような音が響いた。 「――二人は、仲が良くって、いいよね」 いや、訂正する。実際に机は平手でしばき倒されていた。一見可憐な田村さんの手によって。 その光景に僕と柊は震え上がった。 田村さんはいつもニコニコしていて凄くキュートなのだが、稀に怒らせてしまった時の怖さは半端じゃない。 普段物静かな人間ほど怒ると怖いという通説を地で行くような田村さんは、クラスの中でも刺激してはいけない人物ナンバーワンに輝いているといっても過言ではないのだ。 どうにかして、怒りを静めなければ、しばかれる。 それはゴメンこうむりたいので、僕は一気にフルスロットルで脳味噌を回転させた。 体中の血液を流れる酸素からエネルギーを産生して、その全てを事態の打開へと注ぎ込む! 「あ、そうだ! そういえばさっきの話でまだ言ってないことがあったんだった!」 「さっきの話ってまた料理の話? ……意外にしつこいんだね、清田君って」 虚ろな目を僕にロックオンした田村さんの視線はかなり怖い。正直、素手で殴り合ったら確実に勝てるはずなのに、僕は小鹿のように膝をガクガクと震わせてみたくなる。というか逃げたい。 だが誤解をされたようで慌てて弁解をする。軌道修正をしなければならない。 「いやいやいやっ! そっちじゃなくて、もう一つ前の新聞の話! あの高崎先輩の!」 「高崎先輩の……? ああ、そういえばそんな話してたんだったね。何か、清田君が変なこと言ったから話しが逸れちゃったんだけど」 「そうそう! 清ちゃんが悪いんだって、全部!」 「――ユーミンはちょっと黙っててね?」 「――はい」 自分だけ助かろうとしたのか、僕に全ての責任を押し付けようとした柊はたった一言で黙らされていた。自業自得だが、あの鋭い視線で一瞥されて屈したからといって、僕には柊をへたれとけなすことはできない。 何故ならば、僕もまた反射的に頷きかけてしまったからだ。 「それで、まだ話してなかった話って何なの?」 「ああ、うん。どうやらこの問題は終わって無くてね。僕、今、実は現在進行形で呼び出し食らってるんだよ。高崎先輩に」 「呼び出し? 高崎先輩が?」 このいきなりの話題転換には田村さんも驚いたようで、先ほどまでの鬼のようなオーラがしゅわしゅわと消えていく。 僕はあまり知らない高崎先輩からの呼び出しに、この瞬間だけ凄く感謝した。 そう、呼び出しである。 まあ考えれば予想はできる事態だったのだけど、何が不満であったのか、僕と同じクラスのサッカー部男子生徒を伝令として伝えられた高崎先輩からの言葉は、「放課後五時に、放送室で待っている」というものであったのだ。 その内容を目の前の二人に話してみると、二人は更に目を丸くした。 「え、嘘。そんなことって本当にあるんだ。けど、それって逃げた方がよくない?」 「どうして?」 「だって、普通に考えたら、私生活をばらされたからお返しとか、そんな感じになるんじゃないの?」 最早、普段の優しい田村さんに戻っているようで、田村さんは僕を心配してくれているような台詞を口にする。 うむ、実に癒されるものである。僕は大いに気を良くした。 「いや、けど無視するのもあれだし、行ってみようとは思ってるんだよね」 「だけど、高崎先輩って本当に運動神経とか良いんだよ。力もあるし。私、前までマネやってたから知ってるの。……多分ないとは思うけど、喧嘩とかになったら危ないって」 田村さんはまだ心配したような声を向けてくれる。多分、想像の中で僕はこてんぱんに負けているのだろう。 別にそのことを不思議には思わない。だって、田村さんの前でも荒事なんてやってみせたことがないのだから。せいぜいが寝ている柊の額に鬼のでこぴんを食らわせたぐらいである。 対して、柊の方は、そういった心配はしていないようだった。 何故ならばこの女、小学校低学年の時にガキ大将の座を賭けて、僕と死闘を繰り広げたことがあるアホアホ生物だからだ。 そして更に付け加えれば、僕と柊は中学までは同じ柔道の教室に通っていたという経歴がある。 何と言うか、僕と柊の父親は共に警察官で、似たような境遇なのだ。 「あー、美砂っち、知らないんだっけ? 清ちゃんに限って喧嘩とかで負けることとかないから心配しなくていいと思うよ。ていうか、それじゃなくて高崎先輩の心配しないと」 「え? え? だって清田君だよ」 「そう清ちゃんだから大丈夫なんだって。多分これ柔道部の石崎より強いから。それはあたしが保障する」 「いや、あのボディビルダーは正直きついな。せめて、同じ柔道部の吉田君で手を打ってくれ」 「え? 吉田君も石崎君も二年生で県の大会に出てるんじゃなかったっけ? それを清田君が? 冗談きつくない?」 さりげなく混乱しているらしい田村さんの言葉には、隠れた毒が含まれている。それは中々つらいものだ。 僕はちょっとだけ切なくなって窓の外の風景を眺めた。 「ほらユーミン。騙されちゃ駄目だって、この清田君だよ? 雰囲気出そうとして外見てるのに、まるでなってない清田君。そんな清田君が高崎先輩に適うはずなんてないって」 「いやけど清ちゃん、親父さんに色々と仕込まれてるからねー、多分、相手が運動神経良いぐらいじゃ負けはしないと思うんだけど、……ただ美砂っちの言葉でへこんでるところ見ると確かに負けちゃいそうかも。速攻で」 「だよね。やっぱりそうだよね」 「確かに、こうやって見るとかなり情けない顔してるんだ清ちゃんって」 「多分、目に力がないから駄目なんだよね。清田君って」 そして更に募る集中砲火に、僕は視界が濡れていくことを知覚したのだった。具体的に言うと半泣きになった。 「あ、泣いた。そろそろいじるのやめよっか」 「うん、分かった。――けど本当に清田君一人にして大丈夫かな? 新聞部が使ってるのって、離れの技術室だから、人通りも少なくて危ないと思うよ。ユーミンが大丈夫って言うなら、そうなんだろうけど」 「だから大丈夫だって。この男、人畜無害な顔してるけど、本気になったら鬼のように暴れまわるんだから。多分、竹刀も持ったらこの学校で一番危険かも。不良ぶってた高杉のグループが最近大人しいのも、こいつのせいだし。確か白石先輩の取材申し込みを蹴った罰とか言って、訳わかんない理由であいつらを夜中に追い回しててんだから。だから美砂っち、あんまり清ちゃんのこと無害だとか思っちゃ駄目だからね。これからは触られたら乱暴されるぐらいの認識で行こうよ」 僕が泣いた瞬間にころっと態度を変えて、僕を精神的にいたぶるのをやめたこの二人はどちらもサドに違いない。 そんなことを強く確信する。将来はびしばし旦那の尻を叩きながら財布を握っていくのだろうと思うと、僕は男として何故か縮み上がりたい気分になるのだった。 そして、あることないことを田村さんに柊が吹き込む前に話を止める。 「違う。あれは高杉の取り巻きが、取材を諦めて帰ろうとした先輩にブスちび帰れーとか言って空き缶投げつけて、先輩を半泣きにしたからだって。僕だって、取材を断られたくらいで力に訴える野蛮人じゃないわけだよ」 一代前の西霞高校新聞部部長より伝えられた厳命である 「俺たちの可愛い あの誓いは永遠なのだ。 「ふーん、何か嘘はついてなさそうだね。意外って言うか――あ、そういえば。あともう一つ気になったことがあったんだけど」 と、こちらを半眼でうさんくさそうに眺めていた田村さんが、ふと思いついたように声を上げた。 「何?」 「何かさ、今回のスクープって変じゃない?」 「変って、どういうところが?」 「具体的にどうっては言えないんだけど、何ていうのか、ほら上手く行き過ぎているっていうか」 何とか言葉を選ぶようにして、田村さんが自分の違和感を口にしようとする。その感性に、僕は興味を惹かれた。 何故ならば。僕も同じ事を考えていたからだ。 ―――今回の出来事は全てが上手く行き過ぎている。 どこかでもっと考えるべきだ、という警告に似た声が聞こえてくる。それは写真を取り終えたあの日から、ずっと継続して消えることが無かった声だった。こんなことは常識的に考えればあり得ないのではないかと。今月の部活動を終えた満足感はあるのだが、それと同時に違和感もまた確かに僕の心の中には残っている。 だって少し考えれば今回の取材の矛盾点は幾らでも浮かび上がってくるのだから。 そんなことを再考していると、目の前で柊が大きく頷いて見せた。 「あー、確かに。部活も終わって気が抜けちゃったのかな。いくら身内に内通者がいたからって、これまで誰の目からも逃れてきた高崎先輩にしては、不味い手だったって気はするね」 「そうそう。それだよユーミン。私もそう考えてた」 「やっぱ美砂っちもそう? まあ、高崎先輩の気が抜けたのと白石先輩のお姉さんが動いたのが同時期だったていうのは偶然なんだろうけど、――いや偶然が重なったから写真が撮れたってことになるんかな? ま、どっちでもいいか」 アホアホ生物である柊が、意外にも鋭い点を突く。 それは表には出していないけれども、僕が現在も感じている違和感の一つだった。偶然にしては重なりすぎている。話に聞いただけならそうは思わなかったかもしれないが、現に取材を行った体験まで加われば、どうにも素直に納得することはできない。 去年。似たような企画が新聞部で立案された時には、尾行だけでなく聞き込みから張り込みまで、およそ高校生には似つかわしくない行動をほぼ行った。今年とは違って人員も五人と今の倍以上の数があった。しかも白石先輩を除いた僕より二学年上の先輩たちは、皆そういったことが何故か得意な人たちだったのだ。 ――しかし、それでも何の証拠も証言も僕らは得ることはできなかった。結局あの時は、当時の部長の判断で「この件についてはもう触れないことにする」という結論が得られただけだった。 それなのに、どうして今回だけ、こんなにも簡単に全てが終了してしまったのか。 確かに白石先輩が去年は新聞部の活動を影から妨害していたとでも考えれば、少しは頷ける話なのかもしれない。 が、一代前の部長たちはそんな情報操作に踊らされるような軟弱な人たちだっただろうか? 疑問は、残る。 「……確かに。どっちでもいい話かもな。――それよりも時間になりそうだから僕はもう行くよ」 立ち上がる、そのまま。 「……清田君、本当に大丈夫なの? 顔色いきなり悪くなったよ?」 「うん、大丈夫。何か喧嘩になりそうだったら、ぼこってから逃げてくるから」 「忠告。ぼこるのはやめた方がいいって。高崎先輩叩くと、後々女子から手痛い反撃が来るからね」 「その時はお前が女子側からの攻撃を塞ぎとめてくれるのを期待しているよ」 そう言って、返事も聞かずに僕は教室を出た。 そして、歩いてそのまま高崎先輩が待つ新聞部部室へと向かった。 ―――そこにはきっと、この騒動の中心だった人が待っている。 / 高崎勝也先輩。三年生。 今回のスクープ騒動の中心人物。 体育祭では赤組団長にして、文化祭では実行委員も兼ねていたような気がする。顔良し、頭良し、運動神経良し、トーク良しの全てが揃った何でもできる秀才君。そのおかげか、とにかくもてて、僕としては嫌い。 だけど三年の中では誰からも信頼されているらしい。 天が二物を与えた、その典型のように羨ましい男が、僕の目の前にいた。 椅子に座ることなくこちらを見据えている高崎先輩は噂に聞いたとおりに背が高く、体格がよく、顔も良かった。 ベリーショートに切り揃えられた髪をワックスで跳ねさせているけれども、それが高崎先輩の鍛えられた細身の体格や切れ長の目とは良く合っている。悔しいけれど、外見は逆立ちしても僕では勝てそうに無い。この人ならきっと、某男子アイドルプロダクションのオーディションにも合格できることだろう。 しかもこうして対面してみると、服の着崩し方や、裾から見える腕時計などといった小物類にもセンスを感じる。 どうやら服装に関しても凡俗とは違うようだ。 何でこんなにも世の中は不公平なんだ畜生めっ。 「どうして呼ばれたか分かってる?」 第一声。それは考えていたよりも平凡で。聞き方によっては怒っているようにも聞こえるけれども、少なくとも僕の耳にはそう聞こえない。もっと別の。まるでこちらの反応を測っているような声に聞こえる。 「さあ。分かりませんけど」 「朝の写真があったのに?」 「はい。まったくもって見当もつきません」 まずは探り合いの意味でとぼけてみる。しかし相手はまるで感情を乱さなかった。 「ふーん、フミから鉄面皮って聞いてたけど、その通りなんだな」 フミとは誰か。一瞬だけ悩んだけれど、すぐに答えがはじき出される。 白石冨美子先輩。その人のことだろう。 確か設定では、この人の恋人が白石先輩の姉となっていたはずだが。はたして。 「ま、そうかもしれませんが。――ただ僕には高崎先輩に質問される趣味は無いんで、こんなことが目的なら帰っても良いですか? 実は暇じゃないんです」 「嘘付け。暇じゃない人間がこんな場所にわざわざ来るわけないだろう」 「失礼ですね。色々とあるんですよ。僕も謎多き高校二年生ですから」 「それは例えば、俺の行動を尾行したようなことと同じことなわけか?」 色々と会話を振ってみても、どうにも高崎先輩の趣旨は一貫しているようだ。即ち、ここでは朝の新聞の件で話をしたいらしい。 それが分かった以上、面倒なのでとぼけるのはやめにする。 「あったりなかったりですね。――で、飽きてきたんでお話しましょうか。新聞の件で僕に何を言いたいんですか? 先輩は」 「時々殴りたくなる、ってフミが言ってたが本当みたいだな。その言葉遣い、信じられん。ちょっと殴っていいか?」 「良いですよ。存分に。ただこちらとしてもやり返しますけど」 「――なら止めた。確かお前、強いんだったよな。俺らの代の柔道部の部長がスカウトしたがってたから覚えてる。あいつが欲しがるようなのを、俺って人間として認めてないわけよ」 あまり僕は目立っていない生活を送っていたつもりだったのに、どうやら向こうはこちらについて知っているらしい。そのことに気づいて内心で舌打ちする。何か嫌な感じだ。 「それは置いといて、だ。まあ、こっちも面倒なんて単刀直入に言うけどな、あんな新聞は書かれたらこっちも気分としては良いもんじゃない。そこでだけどな、これから新聞部は俺と関わらないって約束をして欲しいわけだ。まあ、今回の事は起きちゃったことだからどうでもいいよ」 「……一つ聞いて良いですか? どうしてそれを僕に言うんですか? 今回の企画を考えたのは白石先輩なんですけれど」 「うん? それって責任はあいつに全部取らせろって意味?」 「いえ、違います。ただ純粋な興味ですよ。どうしてこうやって僕に一対一で言ってくるのかなと思いまして」 校舎から少し離れた技術室の周囲には人がまるでいない。だからか、空気が本当に静かで、どちらかが口を開く事をやめれば、すぐにでも相手の呼吸の音が聞こえそうになる。 僕としてはこの人気の無い空間は好都合なので、特に緊張などするわけではないのだけれど。 「まあ、それはもうフミには言ってあるからな。やめろって。――それに、あいつだってそろそろ卒業だ。となると次の新聞部を背負って立つのはお前になるんだよな? だったらそっちを強めに言い含めておいた方がいいってのは当然だろう」 「確かに。筋は通った考え方ですね。なるほど。――ただ来年も新聞部があるかは正直微妙ですが。人がいないもので」 「ああ、聞いてるよ。来年になったら幽霊部員を入れても三人になるんだったか。当ては無いわけ?」 「それが微妙なんですよ。部活も真面目にやらず、放課後、教室で暇つぶししているような二人組なら知ってるんですが。あの二人が入ってくれるかどうか。ただ現状では脈は無いような気がします。あの二人はどちらかと言うと記事を書く側じゃなくて、読む側ですからね」 「そうなのか? それは可哀想に」 顔に軽い笑みを浮かべながらも、先輩は付き合い程度の相槌をうつ。 そして一度言葉を区切ってから、こちらを見据えた。 「――それで、返事は?」 その表情からすうっと感情が薄れていく。こちらを探るような視線。 何と言うか、話している印象としては、こちらのほうが、らしい。 しっくりくるのだ。きな臭いというか、この人は僕らに付狙われた、いわば被害者のような人なのだけれど。 話している印象としては、この人はどちらかというと人をはめる側の人間のような気がした。漠然とした印象だけれども。 「ふうん。先輩ってそっちの方が地ですか?」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。自分がどう振舞うかなんて、相手によって変わってくるって思わないか?」 「確かに。その考えには僕も同意します」 頷き、先輩を見返す。ぐっと視線に力を込めてみても、先輩はまるで意に介さない。この程度ならば慣れているらしい。 恐らくこの人は単純に頭がいいだけの人じゃない。それに加えて間違いなく狡猾さも持っている。これ以上、会話を引き伸ばしたとしても、僕が感じている違和感の正体について探れそうにも無い。 そもそも、この人が何か情報を握っているかどうかも、定かではないのだけれど。 諦めて、会話を打ち切ることに決めた。 「それと、そうですね。――まあ、先輩には関わらないという話ですが、そちらも頷いておきますよ。正直、僕としては高崎先輩に興味はそこまで無いもので」 「……面と向かって本人に興味ないとかよく言えるな、お前」 「残念ながら、こういう性分なもので」 呆れたような視線を向けてきた先輩に肩をすくめて見せる。 すると先輩は更に僕を珍獣でも見るような視線で観察してきた。だけど、途中で何を思ったのか軽いため息をつく。 「まあ、いいか。もう新聞部が俺と関わらないなら、他に言うことはないから」 「そうですか」 「ああ。何かそれにお前と話してると疲れるからな、帰らせてもらうわ」 話の終わりは実にスムーズだった。すうっと先輩は歩き始めると、僕の横を気負わずに通り過ぎ、部屋のドアから姿を消した。かつかつと一定のリズムを刻んでいた足音もすぐに聞こえなくなった。 僕は一人、部屋の中へと残された。 そして考えた。今回のスクープの事を。 しかし、何も新しいことは高崎先輩と話してみても思いつかなかった。 ただ今回の一連の騒動に違和感を覚えている僕がここに残っているだけで――。 「……何だかしっくりこないんだけどな。ん?」 そして、そんな時だった。 僕の携帯が振動を始めたのは。 授業中に鳴ると没収されてしまうからバイブ機能にしているそれの画面を見ると、そこには伊藤秀樹という名前が浮かんでいた。 反射的に僕の背筋がぴんと伸びる。 「――はい、こちら白石先輩を見守るクラブ部長、清田です」 「俺だ。その声聞いた限りだと元気にやってるみたいだな」 「それはもう。世を忍ぶ仮の姿として在籍している新聞部の活動が時々だるいですけど、それでも毎日、白石先輩のエキセントリックな行動を観察できるので飽きません」 「そうか。まだ白石ちゃんは人間爆弾やってるんだな。俺もできたら生であの弾けっぷりを観察したいんだけど、もう大学県外に出たから、それもできん」 「心情、察するに余りあります」 などなど、初っ端からトップギアで僕と会話できるこの人物こそは先代の新聞部部長にして、僕が本格的に所属する白石先輩を見守るクラブの初代部長でもある伊藤先輩だった。 そのキャラクターは僕がこれまで出会ってきた人間の中で最も濃い。 新聞部では第三代部長の代より禁止されてきたC級スクープの報道を再開させたり、部室で寝ている白石先輩に悪戯してマジックペンで極太眉毛を付け足してみたり、何故か弁当にすっぽん料理を持ってきたためにあだ名が“すっぽんの伊藤”だったりと、もうその存在がでたらめな人物である。 そんな伊藤先輩と僕の出会いは、僕が西霞中学に在籍していた頃まで遡る。 確か西霞中学付近でたむろしているヤンキーが、謎のスーパー学生と謎のアホアホ生物によって狩られているという事件を伊藤先輩が追ってきたのが発端だった。詳しい事情は省くが、伊藤先輩の入念な調査も空しく、その事件は平和的な交渉によって日の目を見ることはなかったのだが、その時になぜか僕は伊藤先輩と仲良くなってしまった。そして、ひいてはそれが原因で、僕は高校で新聞部へと入ることになったのだ。 まあ、ばらされたくなかったら部員足りないから部員になれとか、そんな感じである。 あれがなければ白石先輩という不思議生物に出会うことができなかったので、伊藤先輩との出会いはまさしく価値があった。 「それで、どうかしましたか? 先輩が僕に電話かけてくるなんて珍しいですね」 |