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それは先ほどの戦いが遊びに思えるほどに厳しい戦いとなった。 孔明の策はひやりとさせられる場面は多かったものの、無事に成功した。後ろから援護に徹していた九峪からすれば非常に心臓に悪い戦いではあったが。 それでも成功は成功に違いない。 押しつけられた敵兵の対処にかかる魏、呉の大軍を横に北郷軍と公孫賛軍は一気に突入した。 不意打ちに近い形のそれを敵兵は止められず、一気に中央近くまで制圧が終える。 だが、無事にすべてが終わったわけではない。 虎牢関の中をくまなく進軍していた北郷軍の兵士達が一か所で止められていた。 それどころか逆に押されている。 その光景を遠目に見ただけで、九峪にはおおよその状況が判断できた。 北郷軍の兵士達が次々と倒れていく。そこには紛れもなく生粋の武将がいた。呂布。戦場での指揮に集中していた九峪は、初めてそこで華雄の言葉を思い出した。 どれだけ心構えしようとも、耐えられぬ武。三国一の力。 公孫軍ではなく北郷軍がそれに当たってしまったらしい。 (こっちはもう、数に任せて制圧すれば事足りる。けど……、呂布はそうはいかないか) 離れた場所から観察すれば、呂布がいる周囲だけは異様な状況だった。 ぱっと見は赤い髪の華奢そうな少女。だが、中身は正しく万夫不当の豪傑だ。 一たび武器をふるえば、比喩ではなく兵士が飛び散る。 まったく慈悲なく死が量産される。 そして個人に軍隊がいいようにあしらわれては、士気は激減する。大局においては明らかに反董卓軍が優勢であるはずなのに、呂布の周囲においてだけは違った。 支配者は呂布であり、ありとあらゆる兵士は無力なまま殺されるだけ。 死ぬ。死ぬ。死ぬ。 弱い者は尽く死んでいった。たまらず、関羽が飛び出して呂布を抑えようとするが、一人では力不足。 続いて張飛が武人の誇りなど構わぬとばかりに、参戦したが、それでも劣勢。 他の大多数の兵士達は、呂布が放つ鬼気によって、皆動きを止められていた。 空気に壁でもあるかのように、関羽達の戦いを眺めるだけで足を止めている。 呂布とは、そのような桁違いの武を誇る豪勇であった。 (なるほどなるほど。確かにこれなら、俺は敵わないか。まともにやったら死ぬな、こりゃ) 敵の雑兵達をたやすく切り捨てながら、九峪は呂布の強さを素直に認めた。 華雄が言っていたことも、あながち間違いではない。よほど強い武将と考えてから、この場所には臨んだが、それでもこれほどとは思っていなかった。 事実として認める。 あらかた制圧を終えた趙雲が、九峪へと近づいてきていた。その眼はいつものように爛々とした活力には満ちていない。 彼女にしても呂布の力は肌で感じているというところか。 「私も行くぞ。お前も来い」 「……あれとやり合うつもりか? 多分、運が悪ければ死ぬぞ」 「それでもだ。ここまで戦況を有利に持って行って、一人の武人にそれを覆されたのなら、恥以外の何物でもない。総力戦だ」 「へいへい。まったく、うまいことこの戦では体力温存できるとぬか喜びしてたんだけどな」 趙雲の言葉に従って、九峪は走った。 呂布を包囲する、関羽と張飛の横に並ぶ。呂布は二人の増援にも、さして感情の変化を見せなかった。 それだけ余裕があるということか。 「卑怯と罵ってもらっても構わないが、俺らもまぜてくれよ」 「……構わない。弱い奴は、どれだけ群れても死ぬだけ」 「はっ、手厳しいね」 関羽も張飛も九峪達の参戦には口をはさまなかった。それ以前に、息が上がっている。 この二人をたった一人で、ここまで追い詰める存在を、人と呼んでいいのか、はたして九峪には疑問だった。 呂布は息も切らさずに、まっ先に九峪へと狙いをつけてきた。 一瞬で包囲する四人の中で、最も組みしやすい相手を選択したのだろう。 口惜しくはあったが、事実だ。 それは恐らく動物的な直感なのだろうが、そういった理論に頼らない相手は厄介だ。力押しというものが一番困る。 九峪は呂布が振りかぶって攻撃の体勢を見せた瞬間に、防御することを諦めた。 剣で受ければ、どれだけ上手く流しても剣が砕かれる未来が見える。絶望的なまでの武力差。 ならば死ぬ気で回避するしかない。 豪ッと皮一枚の距離を離れた空間を、刃先が通過していく。その一瞬だけで、ぶわりと背中に気持ちの悪い汗が出た。生まれた風だけで、皮膚が持っていかれた。 血が噴き出た場所を生温く感じる。 久々に強烈に死を意識させられた。 だが、それに意識を乱されてはならない。――死はすぐ傍に忍び寄ってきているのだから。 回避したはずの九峪の右下から、またしても呂布の攻撃が迫ってきていた。 それは恐るべき速度であった。 攻撃の後の間が、ない。つまりそれは休むことができないということだ。内心で舌打ちすることも許されず、九峪はまた回避に徹した。 次は皮一枚持っていかれた。血が飛び散る。 胸に斜めに傷が入った。 と、そこでようやく趙雲が後ろから呂布を攻める。永遠にも思えるほどに、長い時間だった。 たとえそれが現実にはまばたきする程度の、短い時間であったとしても。 九峪は息を吐いた。そして今度は趙雲に注意が向かっている呂布を逆に攻める。 完璧に後ろを取ったと思った。が、甘かった。 後ろに目が付いているかのように精密な動きで呂布は九峪の剣を叩き割った。いとも容易く。簡単に。 (ははは……、こんなんやってられるかよ!) 武器が一撃で砕かれ、九峪は後方へと飛びのいた。入れ替わるように関羽と張飛が再び呂布へと向かって行ったので、追撃はない。 だが、その瞬間に九峪の心の中にある柱の幾つかが豪快にへし折られたことは確かだ。 それは確かだ。耐え忍ぶことはできるが、間違いはない。心が折られた。 九峪は替えの剣を抜いて、再び呂布の下へと走りながら、華雄の言葉を認めるのだった。 三国無双。その名、その風評に相応しい人間は、この呂布以外にはどこにもいないだろう。 趙雲、関羽の連撃をこともなげに呂布は弾き飛ばし、趙雲の牽制を相手にもしない。九峪など注意せずに反射だけで対応しているような節がある。 自分こそが最強であるなどとは思っていないが、ある程度の強さを持っていると自負していた九峪にとって、それはショックなことだった。 だが結果も現状も変わることはない。悲しいことに。 と、そこで九峪の視界に面白いものが目に入った。 どうやら周辺で投網のようなものを準備している動きがある。いかに豪力を誇る呂布であっても網に絡まれてはどうしようもない。 それは事実だが、この状況でよく考え付いたものだ。大方、孔明あたりの判断であろう。 武人として戦うべきとの考えに捉われていては思いつけない。 「だけど、ここならそれが正解か。……なりふり構って人が死ぬよりはましだ」 ふうと九峪は頭を切り替えた。 呂布より自分が弱い。それはいい。それよりも自軍をどうやって勝たせるかを考える。 それには呂布を無力化すればいい。幸いにも下準備は冷静な軍師殿が終えてくれている。それならば、九峪はお膳立て通りに状況を望まれた形にするだけで良かった。 近くにいた兵士から、半ば奪い取るように剣を受け取る。 そして精神を落ち着けた。 今、手に握るのは七支刀だと考える。やれる。やれる。やれる。単純な自己暗示をすませてから、九峪は剣の柄を握り締めた。 そして状況をひたすらに観察する。 機会は、しばらくした後に訪れた。 呂布を包囲していた三人が、ことごとく振り払われる。気にせずに力をふるえる空間が生まれた。そこに他の三人が戻るよりも早く九峪は飛び込んだ。 呂布は息が少しだけ上がっていた。仮にも人間であったらしい。 九峪は今もてる己の全力を、握りしめる剣へと篭めた。 武器が砕けようとも構わない。北斗の煌き。それを再現するかのような大上段で、呂布に切りかかる。 がっと手に強い反作用が返ってきた。防がれたのだ。だが、完全に押し負けているわけではない。体勢が崩れ、疲労の色が見える呂布ならば押し切れる。 そう信じて体ごと呂布にぶつかった。不安定な体勢であっても、呂布は人知を超えた力で、ただ押し返してくる。 それだけで九峪の腕がメリメリと音をたてた。 それは骨と筋肉が挙げる悲鳴だ。 だが押し切られれば切られる。ならば打てる手など一つしかなかった。 足の親指に力をこめて、地面を蹴りつける。 生まれた反発力の全てを腕にこめて、さらに九峪は呂布を押しのけた。ガッと刃が離れる。剣がまた折れた。 呂布は後方へと初めて吹き飛んだ。そして同時、ゴキリと音が鳴っていた。右腕。間違いなく折れた。 後方へと吹き飛ばされた瞬間に、呂布が放った斬撃を防いだ瞬間に、力負けしたのだ。 「――半端ないにもほどがあるだろうがッ!」 九峪は後方へと下がった呂布へと向けて、根元から折れた剣の柄を投擲した。 それを造作なく呂布は切り捨てる。この時点で、九峪は無手。仲間の援護は期待できない。 呂布は己の勝ちを悟ったのか、一息に呂布との距離を詰めようとした。 だが、そこにふわりと何かがかかる。 投網であった。完璧なタイミングで呂布は網により身動きを封じられた。こうなってしまっては、いかに三国無双の武人であっても抵抗は不可能だろう。 九峪はそこで呂布に背を向けた。 右腕をぶら下げながら歩く。 「大丈夫か、その右腕」 「こりゃ一か月は戦うのは無理だろうな。なんだあの化け物」 趙雲は呂布をいまだに警戒したまま、九峪に寄ってきた。 「噂にたがわぬ腕だった。正直、一人で挑んでいたなら死んでいたな。私も、お前も」 「だろうな。もう俺は顔も見たくないよ。――早く姉御のところにでも帰ろう」 「いいのか? このままでは呂布を討ったのは北郷軍の成果になるぞ」 「いいんだよ。初めに矢面に立たされてるんだ。これぐらいはあっちの手柄にしておかないと、不満が出てくる」 「そういうことか。――それよりも、その腕」 趙雲は九峪の言葉に頷くと、折れた九峪の右腕に触れた。 「ふむ。これならばいけるか」 「あ、何するつもりだ」 「少しこれを口に噛んでおけ」 「え、ちょモゴご、もごーーっ!!」 ゴキッ、ボキッとリアルに骨が鳴った。 音源は紛れもない九峪の右腕からである。趙雲は折れた骨を継いだのだ。その痛み、筆舌に尽くしがたい。 骨が折れても泣かなかった九峪は、ぼろぼろと涙を流してうずくまった。口に布を噛まされたまま、言葉にならぬうめき声を上げる。 「うぐ、むぐー……」 「なんだだらしない。男ならこれぐらいで泣くな」 「……この痛みを星に伝えてやりたいよ」 布を口から取り出して、恨めしげに見上げる九峪の言葉に、趙雲は満足したように頷いた。 「情けないことを言うな。まだ兵がお前を見ているのだぞ」 「へいへい」 「それにしても、やっとまともに呼んでくれたものだな」 「何の話だ?」 「別にどうという話でもない。気にするな」 二人は捕獲された呂布を背に、だらだら喋りながら公孫軍の本営へと戻って行った。 |