そして九峪が自軍へと引き上げれば、趙雲が縛った女を尋問している最中だった。
 華雄。本来ならばいまだ無名の関羽に打ち取られるはずだったのだが、この世界では趙雲が捕縛したらしい。
 れっきとした董卓軍の武将である。
 引き出せる情報は少なくないだろう。
「何か喋ってくれたか?」
「いいや、何も。こちらが聞きたいことはまるで答えない。こういった種類の武人は殺されても、何も語らんだろうな」
 趙雲は無言を貫く華雄に肩をすくめた。
 華雄はその態度にぴくりと眉を動かす。だが喋らない。
「ふーん。まあ、容易く掌を返しそうな顔はしていないな。確かに」
「無理を承知でも、痛めつけてみるか?」
「やめとこう。それは最終手段だ。どうせ、そこまで聞きたいこともない。ただ、そうだな……次の虎牢関に構えてる呂布の実力には興味がある。どんなもんか答えてもらえないかな」
 華雄に近付いて、そう九峪が尋ねれば、無言を保っていた華雄は唾を吐き返すことで答えた。
 慌ててよける九峪。
「危なかったな」
「まったくだ。服の替えなんてないから、汚れてたら精神的にきついもんがあった」
 九峪は再び唾を吐かれてはかなわないと距離をとった。
 そんな九峪を嘲うかのように、華雄が言葉を発した。
「そんな動きでは、呂布を相手に一合だってもたないだろうな。あれは化け物だ。お前たちでは束になっても打ち砕かれる」
「へえ、それほどなのか?」
「実際に戦場にて剣を合わせて思い知るがいい。最も、その瞬間にそちらの女は分からずとも、お前はあの世へ旅立つことになるだろうが」
「言ってくれる」
「いや、中々の見識だ。特に私の方が九峪より上であることを見抜いたことを鑑みるに、あながち呂布の実力についても嘘は言っていまい。――それでこそ腕が鳴るというものだ」
 戦闘民族メンマ仮面の趙雲さんは、呂布の実力が噂通りであることを確信して満足したのか、二叉の槍を取った。
 修練でもしに行くつもりらしい。
「これの扱いは九峪に任せる。私は尋問が苦手だ」
「あ、おい。一人じゃ心もとないって」
「気を抜いていたとしても、お前なら対処できる。知らんから、後は好きにしろ。溜まってるなら辱めてもいいが、私の見えないところでやれ」
 言うだけ言うと、趙雲は天幕の外へと出て行ってしまった。
 これこそ丸投げというぐらい、堂々とした丸投げである。まあ本々こういった尋問などは九峪の仕事ではあるのだが。
「私が怖いのならば、兵を呼んできた方がいいのではないか、若造」
「挑発してくれるなー。まあ、うん。俺なんてそんなもんだから、驚きはしないけど」
「ちっ、馬鹿ではないということか」
 柳のように罵倒を受け流す九峪に華雄は顔を歪めた。大方、口で激昂させて隙を作ろうとでもしていたのだろう。
「ならどうだ。先ほどの女も言っていたが、戦場で女とはご無沙汰なのだろう? 相手をしてやってもいいぞ」
「悪いけど色仕掛けとか効果ないから」
「……ふん、腑抜けめ」
 それだけ言って華雄は黙り込んだ。打つ手なしと悟ったのか。
「それよりさ、呂布について詳しく教えてくれないか? いや武人として少し興味があってさ」
「……お前が武人だと? ただの軍師ではないのか?」
「両方頑張ってるわけよ。非才の身ながら」
「余りそうは見えないが。まあ、いい。他のことについては死んでも喋らないが、そうだな、呂布に関してだけは話してやってもいい」
「ほうほう。それはありがたい」
「何故、私が呂布については話そうと思ったのか、理由は分かるか?」
「分からないな。理由は?」
 問いかけてきた華雄の言葉に、九峪は首を横に振る。
「あれは小細工が通用する類ではないからだ。世界は確かに広いが、それでもだ、あいつよりも強い者などいるまいよ。まさに三国無双の武将。それが呂布だ。そしてそれ以外に表現する術はない」
「具体的にはどれくらい強い?」
「お前の想像を振り切るぐらいだ。心構えして戦場で呂布と相見えるがいい。恐らくどれだけ準備をしていたとしても、実物を見た瞬間に己の愚かさを後悔し、お前は一撃の元に果てるだろう。私が言えるのはそれだけだ」
「ふむ。その話が本当だとすると厄介だな」
 九峪は腕を組んで考え込む素振りを見せた。
 だがすぐに止めて言葉を発する。
「ところで華雄、あんたこれからどうするつもりだ?」
 華雄はもう九峪の呼びかけに答えない。
 何を問いかけようとも、じっと黙って身動きを止めてしまった。話に定評のある九峪としても、こうなっては打つ手がない。
「……そうだな。これだけ無言を貫かれると話を聞くのは無理そうだ。袁紹には尋問で情報を引き出すのは無理と伝えておくが、それで殺されても文句は言わないでくれよ」
 九峪はそこで立ち上がった。華雄は喋らない。
「無視ですか。まあ何か話したくなったら、虎牢関での戦いが終わった後にまた来るから、その時に話してくれよ」
 そう九峪が告げると華雄は侮蔑するように唇を吊り上げた。だが何も言わない。
「その顔は次までに俺が生きていないとでもいいたげだな。まあ、そこは呂布から脱げ回ることで生き延びてみせるさ。助言に従って、な」
 九峪が肩をすくめると、そこで華雄は小さく笑った。久しぶりに口を開く。
「今、面白いことを思いついた」
「お、やっとだんまりを止めてくれたか。それで何だ?」
「賭けをしないか」
「賭け?」
「ああ。次の戦い、お前、呂布と剣を合わせてみろ。もしそれで生き残っていたならば、尋問に協力してやってもいい」
 実に面白いことを考え付いたとばかりに、華雄は口元をゆるめた。
 聞くまでもない。考えは分かった。顔にはそうすれば九峪は確実に死ぬと書いてある。つまりそれは達成できない約束なのだ。
 無理難題をふっかけて精神的に有利になりたい。そんなところだろう。或いは死ぬ前の遊びか。
「呂布とぶつかれば俺は死ぬんじゃなかったのか?」
「そうは言ったが、もしかしたらということもある。偶然が重なって生き残れるやもしれんぞ」
「よっぽど俺じゃ勝てないってのに自信があるらしいな……」
 げんなりした面持ちで九峪は呟いた。だが口では精神的に有利に立たせないのが九峪である。
 嘘をついてでも認めてはいけないものがある。九峪はがしがしと頭をかきながら頷いた。
「だが、乗った。面白い賭けだ。そうだな、俺が呂布と矛を合わせて生き残ったら協力してもらう。理解しやすくていい」
「虚勢を張るか。哀れだな。賢ければ恥を忍んでも引くべきだというのに」
「ははは、これでも男の子だからな。そう見下されて、すぐに撤退ってわけにもいかないさ」
 九峪は精神的に優位に立たれないように、にっと虚勢を張って笑った。
「まあ待ってろ。嫌々ながらでも、こちらに協力するしかない状況に追い込んでやるからな」
 その言葉に華雄は黙り込んだ。


 そして戦いの幕が再び上がった。
 虎牢関にて戦いが始まる。また袁紹から無理難題が出され、九峪は憤慨しそうになったが、そこは耐えたが。
 どうやら袁紹は北郷軍が気に入らないらしい。虎牢関が落とすのが難しいと分かると、先ほどの戦いで戦果を上げた北郷軍に強制的に最前線を任せた。
 先の戦いでは公孫軍の九峪達も戦果を上げたのだが、そこは九峪のおべっかが効いているのか戦いは免除された。
 神の遣いの力を見せてみろ。逃げれば逃亡者とみなして処刑する。それが袁紹の言い分だ。
 それは酷い話であった。九峪が自制できたことが奇跡と言えるほどに。
「おい九峪。北郷達、私らで援護できないか。あれじゃ嬲り殺しだ」
「そうですね。まともにぶつかったら、十中八九、壊滅だ。……時間がないな。少し孔明ちゃんと話を詰めに行ってきていいですか?」
「ああ。私も行こう。この前、協力した仲だ。見過ごしてはおけない。それに、あいつらがいなくなったら幽州はまた荒れる。それは不味いよな?」
 自分に言い聞かせるように公孫賛はそう訪ねた。
 九峪は即座に頷いた。治安維持の関係からも、近隣の友好勢力には生き残ってもらわないと困る。
 かくして九峪と公孫賛は大慌てで北郷軍の下へと急いだ。
 北郷軍において二人の訪問は歓迎をもって迎えられることになる。
「申し訳ない。ご助力、感謝します。どうか我々にお力添えを」
 天幕に入った時は怒りから顔を赤くしていた関羽達は、助勢しに来たと言えば深く頭を下げた。
「それで早速だけど孔明ちゃん。手はあるか? 俺はどうも頭が回ってなくて、いいのが思い浮かばない」
「そうですね……」
 制限時間付きの状況で孔明は必死に考え込んでいるようであった。
 九峪もどうにか北郷軍が壊滅しないですむ案を考えるが、まさかここまで馬鹿な命令が下されるとは前もって予想していなかったために、対処法が思いつかない。
 だが、九峪が悩む中、孔明が顔を上げた。何かを思いついたらしい。
「魏と呉の皆さんに敵を押しつけちゃいましょう」
 それはつまり変則的だが釣り野伏せのようなものだった。
 少数の北郷軍が前線へと出る。すると敵は機会を逃すまいと攻勢に出てくるだろう。その猛攻をしのぎながら後退し、どうにか近くに布陣している大国に敵を押しつけてしまい、北郷軍は離脱する。
 それが孔明の考えた案だった。言葉にしてしまえば簡単だが、絶妙のタイミングが求められる。
 引く時期、防ぐ時期を間違えれば、一瞬で北郷軍は瓦解するだろう。
 九峪もそれは考えたが、残酷であるために進言することができなかった。
「やれるのか?」
「やるしかありません」
 孔明は力強く答えた。本人がそう選択したのなら、九峪としてはもう何も言えない。
 ちらりと北郷を横目に見れば、北郷は納得したように頷いた。さらに何も言えなくなる。
「よし。分かった。それなら援護は任せろ。すぐに逃げて来いよ。もしやばくなったら、うちが全軍で突撃してやる。だから持ちこたえろよ」
 公孫賛もまた覚悟を決めたようだった。友軍のためとは言え、命をかけようとは義に熱いことである。
 これが武将としての試験であったならば零点の回答だが、それでも九峪にとっては望ましい。
 そういう人間は死ぬべきではない。そう思う。
「なら俺らは戻りましょう。――おい、北郷殿」
「何ですか、先輩」
「ここが正念場だ。そちらには頼れる武将や軍師も多い。それに俺達も友軍として全力で援護させてもらうから、絶対に諦めるなよ。――また一緒に話でもしようぜ」
 顔面が青くなりかけている一刀を安心させるように、九峪は呼びかけた。
 この時代とは無関係な、かつての自分と似た青年を見殺しにすることだけは避けたいと思ったのだ。
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