九峪はこれまで様々な武将たちと出会ってきた。
 その誰もが一癖も二癖もある厄介な相手であったが、だからこそ智将勇将猛将のほとんどの類と出会ったことはあると考えていた。
 だがそれはただの幻想でしかなかった。
 世の中には九峪の想像を斜め上に振り切ってしまう破天荒な存在がえてしているのだった。
 その人物の名は袁紹。
 間違いなく、反董卓連合の中で最もおつむが弱い武将であった。
 閉じてる城塞に突撃とか、どう考えても頭が悪すぎである。
 戦闘が開始する前に行われた軍議で、確かに怪しいところはあったのだが、ここまで突き抜けた無能だとは思いもよらなかった。
 悪戯に兵を死なせるだけで、人を率いる地位が務まるわけがない。
 九峪にしては珍しく嫌悪感が湧きあがる相手だ。
 自然と苛立ち、愚痴も多くなる。
「軍師がそう険しい顔をするな。部下が不安がるぞ」
「まあ分かってるんだけどな。ありゃ酷すぎだろ。策も何もあったもんじゃない」
「だが、袁には血筋だけはあったからな。誰も表立っては異論を唱えられまい」
「――あー、ほんと駄目だ。俺、ああいう偉いくせに無能ってのが一番嫌いだ」
「安心しろ。私もだ。私が今後、袁に流れることは生涯ないだろう。あれでは武を示す機会など、永遠に与えられまい」
 数が少ないので前線とは離れた場所で、予備兵力的な扱いを受けている公孫軍は、反董卓連合の理にそぐわない攻撃を眺めていた。
 実は理論派の九峪などは、その様子を眺めているだけでストレスがたまっていく。
 唯一の救いといえば、その無謀な作戦に自軍と後輩の北郷がいる軍が直接的に関わっていないということぐらいだろうか。
 本当にそれ以外は悪いことずくめだ。
「まあまあ。私らは無事なんだし、そう怒るなよ。そりゃあこの命令がでたらめだってことは私でも分かるけど……」
「そうなんですけどね、それでも……いや、やっぱ俺少し黙ります。口を開いたら愚痴が出そうだ」
 横から宥めてくる公孫賛の言葉に、ようやく九峪は愚痴を止めた。
 事態を静観することにする。口惜しくはあったが、それ以外に方法はない。
 ならば怒るだけエネルギーの無駄遣いだと思い込むこととする。
 だが存外に目の前で死んでいく兵士を無視することには多大な労力が必要だった。
「あの糞アマ、思いつきで仲間殺すような命令出しやがって……ッ」
「お、落ち着け九峪。な? 落ち着け。今ここで袁に逆らったら狙い撃ちにされるぞ」
「それは分かってます。個人の感情で軍を動かすつもりもありません。ただムカつく奴はムカつくってだけで。そもそもあの馬鹿、最初の軍議でもそこかしこに敵作って俺らが仲裁に翻弄されたっていうのに――」
「公孫賛殿。九峪はしばしほうっておくとよろしかろう。こいつは感情に捉われるほど馬鹿ではない」
「ま、まあそうだな。うん、放置しておこう」
 ぶつぶつと愚痴る九峪を放置する趙雲と公孫賛。
 いつもは口論する二人を宥めるのが九峪なので、まるで逆だ。
 その間にも戦闘は進んでいき、水関は激しく攻めたてられていく。
 愚策であろうとも、膨大な数の兵士は押し返せるものではない。
 だが、その途中、連合の不意を打って敵将華雄が出てきた。狙うは後方の北郷軍。
 連合では最も戦力が薄い箇所になる。北郷軍には諸葛亮がいるために、軍の建て直しは素早かったが、それでも押し返せるかどうかは分からない。
「どうする? 北郷のところは関羽が応戦しているようだけど」
「仮にも友軍ですからね、邪魔にならないように援護しましょう。幸いにもうちには兵力が余ってる。袁紹には……脆弱な北郷軍が敗れて、もしも高貴な袁軍が出ることになっては一大事のため、我々も出るとでも伝えておきましょう。それであの馬鹿なら納得するでしょう」
 即決で参戦を決める九峪はすぐに袁紹の下へと急ぎ、散々に袁紹の高貴さを誉め立て北郷軍の脆弱さを説いた。
 そして連合の中で最も尊い血筋の袁紹に被害が及んではまずいためという名目で、北郷軍への援護を申し出た。
 このような腹芸ができるところが、九峪の強みだ。どれだけ怒っていても、表情は気力で取り繕える。
 そして、この単純な話術にはまり、大いに気を良くしたのが袁紹である。
 内心では悪態をつきまくりながら、顔ではへりくだった九峪が並べた美辞麗句にほだされて北郷軍への援護を簡単に許可したのだ。しかも公孫軍の負担を一部肩代わりするぐらいの気前の良さ。「これも私の血のなせる技ですわね、おーっほっほっほ」などと高笑いしていたぐらいだ。単純な馬鹿である。
 九峪は許可を得るとすぐさま切ってかえし、前もって趙雲に準備をさせていた部隊をすぐに出発させた。
 後曲を狙った敵を、さらに回りこんでから挟撃する。
 公孫軍の主力は騎兵であるために、関羽が持ちこたえている間に包囲することは可能だ。
 九峪は急ぎ白馬隊を走らせた。
 そして、その動きを察知したものが北郷軍にもいた。諸葛亮だ。
 九峪の動きを知るや否や、陣形を変化させて守りに徹し、一先ず相手を自陣へと食い込ませる。
 そして注意を引きつけておくという絶好の状況を作り出したのだ。
 この機会を利用できなくては、軍師を名乗れるはずもない。
 九峪は諸葛亮が意図的に作った相手のどてっ腹に騎兵隊を一点集中させて突撃を敢行させた。白馬隊を率いるのは趙雲である。その突破力は尋常ではない。
 さすがに領主である公孫賛を出すわけにはいかないので、今、公孫賛は待機してもらっている。
 ところで作戦は見事に成功した。中央からずたずたに分断された敵兵達は統率を失って、一時的に混乱する。
 そこを見切った諸葛亮と九峪が、薄い部分を各個撃破していけば、あっという間に敵は倒れていった。
 しかも九峪達が戦線の維持に務めている間に、関羽と趙雲などは敵将、華雄の下へとたどり着き、これを捕縛する始末である。
 予想以上の戦果をあげることができた九峪は、ほっと胸をなでおろすことができたのだった。
 これにて水関は抵抗する力を失い、董卓軍は逃げ出していくことになる。


「あ、先輩。さっきはありがとうございました」
「いや、友軍の危機には駆けつけるのが筋だからな。別にそうありがたがるもんでもないって」
 戦闘が終わってから、一段落ついた後に九峪は北郷と顔を合わせる機会ができた。
 久しぶりの同朋との出会いに、口元も緩む。同窓会でもした気分だ。
「それでも、ほんと助かりましたよ。朱里も、そっちの援護で兵の損害がかなり少なくなってくれたって言ってましたし」
「そっか。なら、良かったじゃないか。この調子で生き残っていこうぜ。頭が馬鹿だから苦労しそうだが、そこは耐えていって、な。どうせトップがあんなんだと史実とは違って、袁が真っ先に潰されて消えるだろうし。この後は」
「そうですね。ここは忍耐で。うちのやつらも見返すまでは我慢って言ってました」
「良い心がけだ。うちも、そっちが危なくなったら駆けつけるから、ここではお互いに助け合っていこう。うちの姉御は北郷と敵対するつもりは微塵もないらしいからな」
「ああ、良いやつですからね」
「だろ?」
 日本人二人で、軽く笑い合う。
 すると時間が押しているためか、北郷を呼びに関羽がやってきた。
「ご主人さま、こんな所におられたのですか、戦場では一人で行動しないでくださいとあれほど、――む、貴方は確か公孫賛軍の」
「九峪だ。久し振りだな、関羽殿」
「このような場所で、我らが主と何をしていたのですか?」
「ただの雑談だよ。戦場じゃ数少ない男の将同士、悩みを相談し合ったりしてるわけだ。若い男には色々ある」
 訝しげな視線で見据えてくる関羽に、なるべく穏やかに返す九峪。
 だがしかし、関羽はそれが気に食わないらしい。ずばり九峪の予想によれば、それは嫉妬だった。
 自軍の主が友軍とは言え、違う軍の武将と談笑しているという事実が気に食わないのだろう。
 話がこじれてはまずいと思い、九峪は視線だけで北郷にこの場を離れることを告げた。北郷も理解したのか頷く。
 だが関羽にはそれが更に怪しく思えたのかもしれない。
「先ほど助けていただいたことは感謝します。ですが、少し九峪殿は我らの主を軽んじすぎてはおりませんか? このような場所に一人で主を呼び出して」
「おい愛紗、ここには俺が来てもらったんだから――」
「ということはご主人さまは、私たちの目を盗んで九峪殿と会っていたということですか? それはいったいどのような理由なのでしょうか」
 関羽は主にも平気な顔して噛みついていく。
 その姿に九峪はもう会えない清瑞の姿を思い出した。はは、と笑い声が漏れる。
「何がおかしい」
 関羽、すでに言葉が喧嘩越しである。
「いや、思ったよりも関羽殿は独占欲が強いらしいと思ってね。関羽殿の北郷殿を奪うつもりはないから、安心するといい」
「なっ、何を」
「うん。俺は正直、男よりも女の味方であるので、関羽殿を応援する。頑張ってくれ。それでは俺は若い二人のために外させてもらうとしようかな。失礼する」
 顔を赤らめて、ツンデレの片鱗を見せる関羽の横を九峪は通り抜けていった。
 いかな武人とて、この世界では乙女でもあるらしい。
 言葉で翻弄して煙に巻くのは、九峪の得意とする分野である。口でなら負けない、それが九峪という男であった。
 特に恋愛話に絡めて純情な乙女の反応を見て喜ぶのは十八番だ。
 そして狼狽する間に撤退してしまえば、関羽からの追及が来ることはなかった。
 北郷が何を言われているのかは、分からないのだけれど。
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