「あの、少し時間もらえますか?」
「いいですよ。何の御用で?」
 ファーストコンタクトはあちら側から作られた。北郷は部下の関羽達を退けてから、ただ一人九峪だけを呼び出したのだ。
 何が言いたいのか分かっていた九峪はのこのこと付いていった。
 つまりは九峪という名前に聞き覚えがあったのだろう。
 服装はこちらのものを着こんでいても、そんな変な名前は三国志には存在しないのだから。
「あの不躾にすいません。それで貴方の、名前は九峪さんだって聞いたんですけど、もしかして九州とか佐賀とか焼き物とかご存じないですか? あ、いや変なこと聞いてるかもしれないですけど、できたら答えてください」
「いやいや警戒しなくても大丈夫。その通り、俺も日本人だよ。君と同じ昭和○○年生まれの、元高校生」
「マジすか!? 俺、聖フランチェスカに通ってた学生で北郷って言います! あの良かったら、こちらについて分かってることとか教えてもらえませんか?」
「おーけーおーけ。これでも異世界二回目のベテランだからな。何なりと答えてしんぜよう」
「に、二回目!? もしかして、これって一回で終わんないんですか!?」
 と、そこから二人はお互いの近況について語り合った。
 九峪は九洲やら何やらを制覇した後、ここに来てしまったこと。北郷については、神の遣いになることになった経緯などをこと細かにだ。
 途中で一度、北郷が会議のために抜けたが、終わらせるとすぐに九峪のところへとやってきた。
 それで分かったことだが、お互いに打つ手なしということだった。
 まず呼ばれた理由が分からない。偶然なのか意図的なのか。
 何をすればいいのか、何をしてはならないのか。
 提示された情報が少なすぎる。
 ならば、とお互いに今は望むことをしようという形で落ち着いた。取りあえず二人とも、賊とか黄巾党とか大嫌いだったのである。
 やはりそういう存在がいない現代で育っているだけに、そういった輩への嫌悪感は強いということか。
「それにしても先輩、強いですよねー。普通に軍を指揮してたから、日本人じゃないのかって一瞬思っちゃいましたよ」
「まあ九洲全土で泥沼の抵抗戦やったからなあ……。嫌でもあれぐらいできないと、見知らぬ土地で墓の下だ」
「あはは、……俺にもできるかな」
「こればっかりはどうだろうな。ただ、……諸葛亮(おそるべきことに、はわわ軍師)に関羽(ギガおっぱい)もいることだし、そっちはお前が前線に出ることもないんじゃないか? 公孫軍は強い武将もいなけりゃ、軍師もいないから俺は確実に最前線行きだろうけど」
 北郷に先輩と呼ばれ、存分に先輩風を吹かせる九峪。
 このあたりは日本では剣の道を進んでいた体育会系特有の上下関係だと言える。とにかく年長者のほうが偉い! みたいな。
「うわ、きつそうですね。大丈夫ですか?」
「まあやれるだけやってみるさ。これでも昔よりは随分、状況がいいんだ」
「はは、……よくぞこれまで無事で」
 そんなこんなで雑談した後に、二人の話は打ち切られた。
 北郷軍が本拠地へと帰らなければならなくなったからだ。やはり違う軍に所属している以上は、ずっと喋っているわけにもいかない。
 軽く一杯酒飲んで酔っ払って、さようならである。
 帰り際に主を取られたのが悔しいのか、複雑な表情で見据えてくる関羽などの視線をかわしながら、九峪は後輩が動乱の時代を生き残れることを祈るのだった。
「なあおい九峪。お前、北郷と何を話してたんだ? 朝から夜まで所構わずこそこそ語り合っていたようだけど」
 公孫賛が九峪へとたずねてくる。
 九峪は説明するのが面倒だったのではぐらかした。
「何、ただ気があったから話をしていただけですよ。お互いに、戦国では数少ない男の武将ですからね。女に負けずにがんばろーぜ、なんてことを」
「そうなのか? 一部では九峪が実は男女両方いける口で、その、なんだ、あれしているなんて噂も流れていたけど、違うよな? ほ、北郷は確かに美形だけど、あれ男だぞ」
「……うわあ。そんな噂流れてるんですか?」
「ああ。北郷がどうも、お前にだけは、ともすれば関羽達によりも懐いていたのは明白だったからな。変な噂が流れたんだろう」
「言っておきますけど、俺、普通に女の子が好きなんで。女の子、愛してますんで」
「そ、そうか。わかった。うん、悪かったな。変なことを聞いて」
 こうなったら現場を体験して信じてもらうしかない、と言って公孫を自室へと連れ帰ろうとした九峪を殴りつけてから公孫は納得したようだった。
 この時代、男女が逆転しているためか百合は多いが、薔薇はあまり聞かない。
 そういうもんなんだろう。九峪は納得した。そして薔薇族と思われるのは嫌なので、知り合いの女の子をとっかえひっかえして噂を払拭しようと目論むのだった。
 だが取り敢えず、まずは自室へと帰ることにする。
 すると、そこには趙雲がいた。
 別にこの女は連れ込みたくないんだが、と考えながらも普段とは違う様子に気が付く。
 趙雲は旅支度を終えていた。
「……何だ、やっぱり行くんだな」
「まあな。今も少し迷っているのだが、他の国を回るのもよかろうと思った」
「そっか。達者でな。ただ忠告するなら、お前は一刀達のいる国に行った方がいいと思うぞ。あそこでなら、お前の力は存分に発揮できる」
「ふん、私ほどの武将を引きとめはしないのか。前々から思っていたが、お前は将を見る目はなさそうだ」
「人を見る目はあるつもりだから、いいんだよ」
 受け流すように、九峪は肩をすくめた。
 その態度を見て趙雲は、じっと黙りこんだ。だが少しの時間が経ってから、武器を構えた。
「最後だ。今日ぐらいは逃げるな」
「そんな俺みたいなのに固執しなくても……」
「くどいぞ。茶化すな」
 真剣な言葉の響きに感化されて、九峪ははあと息を吐いた。
 諦める。趙雲のための送別会とでも思って、納得した。
「――まあ、一回ぐらいならいいか」
「やっと首を縦に振ったか。まるで美女を口説き落としたような気分だ」
「そうかよ。まあ、やるならやるで場所を変えよう。さすがに公孫軍の武将が全員やられたなんてことになれば、士気に関わるからな」
「確かに。それは一理ある。人気のない場所へと移るか」
 趙雲は九峪の言葉を受けて、荷物を持ったまま歩きだした。その背中を眺めながら九峪はついていく。
「なあ九峪。そういえば、お前は軍師としても中々だな。先の戦いでは良い目を見させてもらった」
「あれぐらいなら、俺よりうまくやれるやつは山ほどいるさ。諸国を回ってきたなら、知ってるだろう?」
「そうだな。確かに。頭の切れならお前を凌駕するものは多いだろう。だが、あそこまで私をうまく使えたのはお前が初めてだ。褒めてやる」
「そりゃどーも。あんたも俺が見てきた武将の中じゃ、中々だったよ」
「ふん、つまり世の中には私よりも強い者達がまだまだいるということか」
「それを旅で見てくるといい」
 そこまで行ったところで趙雲が歩みを止めた。
 人気のない、十分に動き回れる場所へとたどりつく。
 ここでならば良い戦いができそうだ。
「……最早、言葉は無粋だ」
 趙雲はそこで口を閉ざした。構える。静かに包み込むような圧迫感が九峪にまとわりついた。
 答えることなく、九峪も剣を抜いた。
 そして自然な様子で先手を取った。
 存外にも九峪が扱うのは待ちの剣ではない。相手より常に先手を取って戦う苛烈な剣である。
 ぐぐっと口元を吊り上げて趙雲は野獣のように笑った。
 柄を握る手からギチギチと音が鳴る。
 凡骨が立塞がったならば、視線だけで吹き飛ばされてしまいそうな重圧が生まれた。
 九峪はそれをそよ風程度と受け流して、趙雲の間合いへと入って行ったのだった。
 そして――。
 月が照らす夜は、ふけていった。



「……あれから少し考えたのだが」
「何だよ」
「もう少し、ここの世話になることにした」
「はー。どういう気の変りようだ」
「何だ。手放しで喜ぶところだろう、ここは」
「いやいや。昨日、変なのに襲われたんで、体中が痛くて喜びを表現できないんだよ。マジで」
「それはお互い様だろうに。鼠の振りをした犬か何かと思っていたが、それ以上だったからな。読み誤った」
 次の日の朝。九峪と趙雲は部屋の中で話をしていた。
 昨日の戦いの結果がどうなったのかは、本人達以外が知る必要はないだろう。
 言えるのは、結果として二人ともに手傷を負っているということだけだった。
 黄巾党との戦いでも二人はここまで怪我を負っていない。
「しかし、お前は一刀の所に行く方がいいと思うんだがなあ」
「……昨日から、まるで私に出て行ってもらいたいようなことばかり言いおって。そうなると私も直ぐに抜けるわけにはいかなくなったな。お前が泣いてここにいてくれと頼むまで、付きまとってやるのもいいかもしれん」
「何だよ、その天の邪鬼」
「これが私の性分だ」
 そう言ってから趙雲は立ち上がった。そして九峪に背中を見せる。
「そうだ、一つ教えてやろう。感謝しろ」
「何をだ?」
「――星。それが私の真名だ。次からは、そう呼ぶがいい」
 それだけを言い終えると、趙雲は足早に九峪の部屋から出て行った。
「もしかして照れてるのかね。だとしたら可愛げがあるんだが、そりゃなさそうだ」
 一人になった部屋の中で、昨日眠れなかった分の埋め合わせをするために、九峪は二度寝を決め込むのだった。
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