そして北郷軍と曹魏の戦が勃発した。
 開戦の報を聞いた公孫賛軍は、即座に趙雲に援軍を率いさせて北郷軍を支援した。
 戦いは激しいものであった。先の公孫賛軍と袁紹軍との戦いと違って、れっきとした戦争。
 謀略、工作、武将同士のぶつかり合い。
 それぞれの勢力が、武技知謀を競い合い、お互いを打倒そうと全力を尽くした。
 やはり多くの死傷者が生まれた。
 そして、その戦いは最終的に北郷軍の勝利で終わった。
 覇王、曹操が率いる魏は大陸という舞台から降板することになったのだ。
「北郷殿から言伝を預かってきた」
 戦いが終わり、九峪達の下へと戻ってきた趙雲は、そう口を開いた。
「へえ、言伝ね。何だって?」
「白装束の連中が現れた。面倒なことに、奴らは北郷軍を嫌っているようでな。水面下で色々と妨害をしてくれた」
「何してきたんだ?」
「まず、こちらが先手を打つ予定だったにも関わらず、その情報が漏らされたこと。そして更に白装束の集団と思しき暗殺者が北郷殿の命を狙ってきたこと。まあ、これは馬超殿がいたため未然に防がれたが」
「暗殺か。……相変わらず、北郷狙われてるなー。何であいつだけ来て、俺の方には来ないんだろ?」
「北郷殿も悩んでいたようだ。同じニホンジンなのに不公平だとか、何とか」
「だろうなあ。そもそも俺の方なら暗殺者に襲われ慣れてるからどうってことないが、あいつにはきついだろうに」
 弟分の北郷が置かれた境遇に、九峪は同情せざるを得ない。
 九洲にいた頃は毎日のように命を狙われていた九峪だからこそ、暗殺者の怖さはよく知っていた。
「で、他にも何かしてきたのか?」
「聞いて驚くな。奴ら、凄まじい手を打ってきたぞ」
「ほー。具体的には? 星がそこまでもったいぶるなら、相当のことなんだろうが」
「――奴ら、曹操を操った」
 趙雲は静かに語った。その言葉に九峪の眉が跳ね上がる。
「操った? どういうことだ?」
「そのままだ。白装束の一味には道士がついているらしい。一瞬の間に曹操の心を奪ったとか。名は干吉。長身痩躯。烏の濡れ羽色の髪を持つ男だそうだが、それ以上の詳しいことは曹操とて覚えていないらしい」
「……確か、曹操は北郷のところの捕虜になったんだったか」
「ああ。如何な乱世の英傑も、捕虜となってしまえば、再び立ち上がることはできまい」
 趙雲が、この何とも言えない結果に肩をすくめる。
 大軍同士の戦いを影から容易く操る存在がいるというのに、その正体はいまだ不明。
 不気味なことこの上なかった。
「探っても探っても、あちらは姿を見せずに北郷をつけ狙う。一方的な状況ってのはむかつくな」
「敵も余程の実力者であることは間違いない、ということだ。腕が鳴る」
「俺はどうも、そう好戦的には考えられそうにない」
 ふー、と未だ見えない世界の全貌に頭を悩めた九峪は空を見上げて息を吐いた。
 いっそ白装束の集団が姿を現して、真正面から攻めてきてくれた方がよっぽど楽なように思えた。
「鍵は北郷と、白装束。それ以上の情報はさっぱりか。星は敵の目的は何だと思う?」
「知らん」
「素晴らしい回答で涙が出そうだ」
 九峪は苦笑いを浮かべた。
 趙雲はにやりと笑った。
「そのようなことよりも、だ。お前はやるべきことがあるのではないか?」
「んー? 何だ?」
「……まったく。捕虜にした初日で曹操を手ごめにいた北郷殿とは月とすっぽんだな」
「は? 今、お前何つった?」
「だから、北郷殿とは大違いだと」
「もうちょっと前まで具体的に」
「初日で曹操を手ごめにした北郷殿とは大違いと言ったが?」
 何を聞きたいのか分からないとばかりに、趙雲は首をかしげた。
 が、九峪は胸の内で盛大に天を仰いだ。
「……そんなにあいつ手が早いのか。しかも捕虜を」
「何を今さら。北郷殿の女好きは世に知れ渡っているだろう。上は黄忠殿から、下は張飛殿まで総当たり。北郷軍の総大将に死角なしと随分噂になっているぞ」
 九峪には初耳の話であった。
「マジかよ。そりゃ多すぎじゃないか?」
「しかし不思議なことに修羅場はおきないらしい。何でも噂では神の遣いゆえという話だが、天ではよくある話なのか?」
「あるわけねーよ。うーん……先輩としてびしっと言ってやるべきか」
 九峪は頭を押さえて思い悩む。人生の先輩として、弟分を導いてやらなければならないと考えるが、他人の情事に口出ししていいのかも悩む。
 中途半端な常識人ゆえのジレンマであった。
「特に九峪が悩むことでもあるまい。一国の王ともなれば、珍しい話でもない」
「まあ、そう、なんだよなあ」
 胸の中。納得できないものを感じながら、九峪はそれについて考えることをやめた。
 今度、北郷と会った時に本命は誰なのかじっくり話をしてみようと決意する。そして必要ならば愛について語ろうと。
 だが、その決意は二秒でひび割れた。
「というよりも、手を出したことに関して、お前が言えた義理ではあるまいよ」
 事実それはその通りであった。
 男とは忘却する生き物なのである。


 魏が倒れたことで、大陸に残るのは事実上、北郷と孫権の勢力のみとなった。
 公孫賛は独立を保っているが、同盟の強度から考えても九割方北郷側の勢力と言えるから除外する。
 そして北郷軍と孫権軍であるが、両軍の関係については良好であった。
 というのも孫権は元々、保守的な人物であり、他国を攻め落とそうとかそういった野望を持っていない。
 向かってくるなら倒す。しかし敵とならないならば無視する。
 そういった信条の人物であるために、大陸を制覇しようとしていた曹操の野望が潰えたことを喜び、基本的には戦いを望まないことを伝えてきた。
 元より覇道に興味などない北郷はその言葉に同意したため、魏の統治に集中している状況だ。
 つまり今は戦乱が続いた大陸にしては珍しく、かりそめの平和が訪れていることになる。
 そして嬉しいことに、九峪の怪我もようやく完治したところだった。
 リハビリがてら、城下町を見回りにうろつく。
 ただしまだ万全ではないために華雄を引連れての見回りではあったが。
「平和だな、ほんと」
「確かに」
 ぱかぱかと、白馬の蹄が音を鳴らす。
 まったりとした気分のまま、九峪は周囲を見て回る。
 見る限り、城下は平穏に見えた。
 途中、屋台通りのようなところで竹筒に入れられた飲み物を買って、華雄にも手渡す。完全なだらけモードであった。
 最近は文官もちょこちょこ育ってきていたので、九峪は地のぐうたらさを徐々に発揮できるようになっていた。
「今さらだけど、うちには慣れた?」
「本当に今さらな質問を。慣れていなければ、とうの昔に出奔している」
「そうか。そりゃあよかった」
「中々ここは面白いものが多いしな」
 今思えば、誘われて良かったと、華雄はぽつりと呟いた。
 その声を聞いて、九峪は自慢げに鼻を鳴らす。泣き落しまで駆使した甲斐があったというものだ。
「そういや、前のお仲間の張遼。今度は北郷軍についたぞ」
「またか。あいつは……。まあ、それだけ何処の軍でも能力を買われているということなのだろうが」
「鞍替え二度目となると、ちょっと聞かないな」
 九峪は華雄に続いて、苦笑した。
 もちろん悪いことではないのだが。ひとしきり二人は笑みを浮かべる。
 そしてその後。話題のなくなった二人は何も言わずに、あたりの巡回を続けた。華雄と二人きりになると、時折このように会話が途切れることはあった。
 とは言ってもそれが特別不愉快だとか、そういうことを九峪は感じない。
 これはこれで味である。拒否されている類の沈黙でもない。ならば、それでいい。
 九峪はそんなことを馬上にて考えた。
 すると突然、華雄が普段と変わらぬ口調で声を発した。
「ところで質問してもいいだろうか」
「いいけど、何?」
「最近、あの二人とはどうなのだ」
 言われた瞬間、九峪は驚きから少し目を見開いた。
「ん、それって」
「ばれていないつもりだったのか? 意外と抜けているな」
「……ですよねー」
 別に隠していたわけでもないのだが、華雄がそんなことを聞いてくるのは意外に思えた。
 そんな九峪の様子に、華雄はしれっと付け加える。
「というより、そもそも私が焚きつけた」
 ばぶっと、口に含んでいた飲み物を九峪は噴き出した。
 完全な不意打ちであった。
「傍で見ていて、じれったかったからな」
 事もなげに華雄は言う。九峪はこの瞬間に相手への認識を改めた。
「お前は知らないかもしれないが、あれで中々二人とも可愛いところがある。特に趙雲などは当初、枕事を正座で向かい合って――」
「よし分かった。つまり裏で糸をひいていたのが華雄だと」
「まあ、そういうことだ」
 それにしてもこの女、一体、何を言い出すのだろうか。九峪はげんなりと嫌な汗をかいた。
 しかし、どうやらここからが本題であったらしい。
 華雄は言葉を続けた。
「それで、どうなのだ」
「どうなのと言われても」
「いや、そういうことではなく。……聞き方が悪かったな。まだお前、ここから出ていくつもりなのか?」
 それは二度目の不意打ちであった。
 九峪はまじまじと華雄の顔を凝視してしまう。
「……俺、出ていくとか一言でも言ったか?」
「言わなかったが、お前はそんな風だっただろう。違ったか?」
「……まあ、うん。そうだな」
 ばれていたのか。日本に帰りたいと時折思っていたことが。
 九峪は内心で赤面した。
 というよりも隠しているつもりだが、頬が赤くなったのは華雄にばれていた。
「で、どうなのだ」
「うーん。まあ今は永住しようかなと思ってるかな。旅を続けるのに飽きてきた。いや、違うか。ぶっちゃけてきつい」
「そうか」
 華雄はついと九峪から視線をそらした。
 聞きたいことは聞けたということらしい。
 そこで会話が終了する。これまで思っていたよりも、洞察力のある相手であったらしい。
 無言で街中を進む中、人とは付き合ってみなければ分からないものだと改めて感じ入る。
 と、そこで九峪は馬を止めさせた。
 遅れて華雄も足を止める。二人して、同時に一方を見据えた。そこには町中の裏路地。人目に付かない場所から、二人を、いや、九峪を見据える視線があった。
 ぴりぴりと圧力を感じる。
「白装束だな。どうする?」
「――追いかける。ただし罠でもありそうなら撤退だ」
 二人は阿吽の呼吸で行動を開始した。
 馬を下りて、現れた白装束の男に接近する。男は、それを待っていたかのように行動を開始した。
 二人をどこかに誘うように、奥へ奥へと、人通りの少ない部分へと移動する。
 そしてぴたりと足を止めた。
 白装束の男が九峪を見据えた。長身痩躯。烏の濡れ羽色の髪。眼鏡の下には冷たい双眸が隠れている。
 曹操を操った道士。干吉であると、九峪はすぐに思い至った。
「――初めまして。と、いうべきでしょうか」
「挨拶は抜きでいい。狙いは俺なんだろ?」
 九峪は笑って剣を構えた。リハビリがてら、全力で戦えそうな機会に笑う。
「そういうことになります」
「なら聞かせてくれよ。どうしてこのタイミングで、俺の所に来たんだ? 何故これまで北郷にばかり構っていた」
「貴方と彼では、存在の性質が異なるのですよ」
 干吉は剣を向けられても、冷たい印象を受ける笑みを絶やさなかった。
 だが、九峪はいくつか情報を得る。タイミングという言葉を理解したということは、目の前の相手は純粋なこの時代の人間ではない。
 つまりそれは――。
「九峪が狙い? どういうことだ?」
「悪いが、後で話す。今は聞くな。相手に対応してくれ」
「ふむ。そういうことなら」
 華雄も同様に構えた。だが、それを干吉はただ一言で嘲う。
「縛」
 直後、華雄の体が金縛りにあったように硬直した。剣を取り落とす。
「ふむ、やはり人形にしか通用しませんか。ならば、――操」
 さらに華雄の目から心が消えた。機械じみた動きで、剣を構えなおした。
 それを九峪へと向ける。
「言葉一つで人を操れるってことか。何て面倒な」
「しかし、貴方には通用しないようですがね」
 どうやら九峪ごと操る心算であったらしい。残念そうに干吉は告げる。
 そして、さっと腕を振って華雄を操った。剣を構えた、華雄は操り人形として九峪に牙をむく。
 攻撃を見切った九峪は、剣の柄であて身を食らわした。
「あぐっ……、す、すまん。……九峪」
 そのまま華雄は気を失ったのか、ぱたりと倒れる。
 その様子を見て干吉は驚いたように片眉を上げた。
「ほう、そんな簡単に解けるはずではなかったのですが」
「何が言いたい」
「いえ、別にどうということではありません。やはり我々は貴方よりも優先しなければならない相手がいることが分かったと、それだけのことです」
 そう言うと、干吉は一息に場所を離れた。離脱する。倒れた華雄を抱える九峪は、追うことができなかった。
 それが遅まきながら、白装束の集団と九峪の初邂逅である。
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