「……今後の方針だけど、北郷の奴らと本格的に同盟でも結ぼうかと思ってる」
「それがいいでしょーね。正直この前の戦いでうちは戦力が、もう」
「ああ、あと半年は、いや、できたら一年ぐらいは戦いたくない。それに九峪も、右足挫いただけじゃなくって靭帯までいってるらしいし。だから北郷軍に守ってもらおう」
 公孫賛の視線の先、九峪はまだ歩く際に杖を手放せなかった。
 戦場で診断されたよりも、遙かに怪我の具合が悪かったのだ。
 当分は戦場に出ることはできないだろう。馬に乗るぐらいならバランス感覚の良い九峪はできるかもしれないが、襲撃を受けた時に逃げ切れるかは不安だ。
 無茶はさせられない。
「で、あっちも流石にただじゃ受けてくれないだろうから、崩壊した袁を四:六で分けることにした。援軍に来ただけで、実質戦ってないのに六割譲るんだ。あっちも文句は言わないだろう」
「でしょうね。俺が北郷軍の側だったとしても、それでも文句は言いませんよ。むしろ少しもらいすぎてる気がするかも」
「だけど実際問題、袁の国土広いしな。うちらが取りすぎても統治できない。荒れるだけなら、信頼できる所に預けた方が都合いいよ」
「まあ、それはそうですね。ていうか、そろそろ即戦力の文官を大量に登用しないと、俺達死ぬと思うんですよ」
「はは……否定できないな、それ」
 公孫賛は乾いた笑い声を上げた。
 戦には前準備が必要だが、それと同じぐらい後始末にも労力が必要なのだ。
 死傷者の家族への対応。
 乱れやすくなった治安の維持。
 激減した物資の補給先の確保。
 討ち破った国への対応。
 何より荒れた人心の回復策。
 はっきり言って、戦場で肉体が死にかけた後に、執務室で心を殺される日々であった。
 九峪は怪我をしているが手は動くので、当然缶詰であった。
 逃げ場はない。それなのに仕事はわんさか増えていく。まさしく泥沼であった。
「ともかく当面は戦いはなくなるでしょうね」
「ああ。報告じゃ魏も呉も戦の準備をしている様子もなさそうだし。……とは言っても、あの二国に関しては裏で動いててもおかしくはないけど」
「ですねー。曹操に孫権。あいつらなら袁と違って、動きだす直前まで情報は漏らさないでしょう」
「ただ、俺が思うにこちらに攻めるつもりがあるなら、この一か月ぐらいできていたはずでしょうから、それもないと思いますけど」
 魏も呉も地理的に公孫賛のいる幽州を奪っても、特に利点があるとは思えない。
 むしろそれよりも、狙うとしたら北郷軍のいる付近だろう。九峪の目から見ても、あの連中には驚異的な成長性を感じる。
 放っておけば、乱世を統べてしまいそうな、厄介な爆発力というか、そういうものが備わっていた。
 それはどこか魏の曹操が持っている雰囲気に似ている。
 そして残念ながら、その雰囲気を公孫賛は持っていない。――いや、持っていない方がいいのか。
「どうかしたか?」
「いいや。何でもないです。ただ、曹操と次にぶつかるとしたら、北郷達だと思っただけで」
「その理由は?」
「同族嫌悪。というよりも同じ舞台に立てるからこそ、敵として狙われるというか」
「あー。確かに。曹操はうちなんて眼中になさそうだ」
「とは言っても、北郷軍が負けたらついでにうちも攻め落とされるでしょうけどね」
 それだけは確実だ。北郷軍と違って、魏とは友好的な関係を結べていない。
 非友好勢力を野放しにしておく国など、この戦乱の時代には存在しないだろう。
「……だとしたら、うちも守ってもらってる間に、兵を貸し出したりしたほうがいいのかな」
「必要最低限は送らないとまずいでしょうね。従属国ってわけでもないですし」
「今うちでまだ戦えるような余力があるところなんてあるか?」
「そーですねー」
 がりがりと手元の書きものを処理しながら九峪は、考えるふりをした。
 悩まずともそんな相手には一人しか心当たりがない。
 ただそれを口にしていいかが分からないだけで。
「少し、考えてみます」
「頼んだよ。今、私、仕事多すぎて手が回らないから」
 九峪の表情の変化には気づかないままに、公孫賛は下から突き上げられた仕事を処理することに没頭しているようだった。
「了解です。……ただまあ切り出すのが怖いところはあるんだけど」
 誰にも聞かれないように、ぽつりと九峪は呟いた。
 もし外に出て行けなどと言えば、趙雲さんはどんな反応をするものやら。
 昔は根なし草を自称していたが、最近はめっきりそのようなことを言わなくなった。
 ここに根づくつもりなのか、はたまた気まぐれにどこかへ行ってしまうつもりなのか。
 いまいち趙雲という人間は理解が難しい側面があった。
 九峪の頭脳を持ってしても判断付きかねる。
 どう考えても、公孫賛軍を代表して、北郷軍の援軍に武将を出すとすれば趙雲こそが適任であるのだが。
(うーん……。どうなるものやら。面倒なことになるかもしれないな)


「……今、なんと言った?」
「だからお前、北郷軍に移ってみるのもいいんじゃないかってことを少々」
「ほう。理由を聞かせろ」
 そして夜。
 人知れず趙雲と連絡を取った九峪は自室で、話し合いの場を持っていた。
 重要な話がある、と言えば趙雲は兵の修練を終わらせたばかりの忙しい時間帯でもやってきた。
「真面目な話。うちが前の戦いで受けた被害は大きい。もう戦う余力がないから、北郷軍に半年ぐらいの間は、これから助けてもらおうって話も出ているぐらいだ」
「確かにな。今、戦おうと思っても、兵はついてこれぬだろう。だが、それと私に何の関係がある」
「……いやまあ、何というかめんどくさいところなんだけどな」
「ぐだぐだぬかすな。はっきり喋れ。お前がそうやってまごついても、私には演技をしているようにしか見えない。話を切り出すための、な」
 じろりと趙雲は九峪を睨みつけた。
「ばれたか。まあ、ぶっちゃけてうちからも少しは兵力を派遣しないと向こう側と相互協力の形をとれそうになくてさ。それで誰かあっち行ってくれそうな人いないかと思って」
「お前は私を推すわけだ」
「ああ。実力あるし、戦はお手の物だろ? それに、ここにいたとしても当分は戦は起こりそうにもない。星にとっちゃ退屈だろう」
 腹芸が通じない相手であるので、九峪は観念して本音をぶっちゃけた。
 その九峪を、すうっと目を細めて趙雲は見据える。
「お前が、そう判断したわけだ。それは個人的な判断か? それとも軍師としての判断か?」
「どちらかという軍師としての判断かな。俺の手元を離れても、しぶとく生きていけそうな奴を考えれば、お前しかいなかった」
「そうか」
「個人的には、まあ寂しいんだけどな。俺はこんな様子じゃついていくことはできないし」
 笑って九峪は怪我をして、まだ包帯が巻かれた右足首を示した。
 頑丈に固定されたそれが、九峪が長い間、戦場に立てないことを教えてくれる。
「長引けば半年必要と言っていたな。そこから前の実力を取り戻そうと思えば、さらにかかるか」
「そういうこと。俺もう武将としては廃業だな。これからは軍師一直線」
「あの時の決着もついていないのに、残念なことだ」
 趙雲は九峪に近付いて、足首の具合を観察した。
 包帯に巻かれた箇所に手を触れる。
「どうせ、あのまま続けていたら星が勝っていたって」
「馬鹿にするな。埒が明かぬと判断したからこそ、あの日、私は引き分けで納得した。それを今さら考え直そうとも思えない」
「今こうして五体満足でいるか、怪我してるかが、その証明だろうに」
「違うな。戦場での戦いと、一騎討ちは根本的に違うものだ」
 言い終えると、趙雲は九峪の足をつかみ上げた。
 おろ、と九峪が声を上げるが、それを無視。
 そのまま体を持ち上げて、九峪を寝台へと投げつけた。
 抵抗する暇もなく、というか、そんなことをされるとは夢にも思っていなかったようで、九峪は受け身も取らずに寝台に激突した。
 げぶぅと変な声を出す。
 布団がなかったら、また怪我でもしていたことだろう。
「いてぇ、畜生……って、な、何してるんですか星さん?」
 九峪は自分の上に馬乗りになってきた趙雲に恐る恐る尋ねた。
 恐るべきマウントポジション。趙雲は一瞬で九峪の自由を奪っていた。
「お前は、時々だが私を心底苛立たせるな」
 靴を脱ぎ棄て、九峪の体の自由を制限しながら、趙雲は静かな声で告げた。
 九峪が何事か言い返す前に、その顎を指でつかむ。
「前々から北郷軍に行け、北郷軍に行けと、何を考えている? お前はそんなに私が邪魔なのか」
「いやだから、そっちのほうがお前も活躍できるだろうと思って」
「――おい九峪。そろそろ猜疑心の強いお前でも私を信用していいのではないのか?」
 趙雲は、そのまま九峪に唇を重ねた。
 まつ毛が触れ合うような距離で、視線が交錯する。
「……信用はしてるって。何を今さら」
「違う。前からお前は秘密にしていることがあるだろう。名にせよ、過去にせよ。それはまあいい」
 趙雲は九峪から顔を離した。トレードマークの帽子をそこらへと放り投げる。
「ただな、その秘密にしている何かを黙ったまま、私を動かそうなどと考えるな」
 九峪は黙り込んだ。
「これでも私にしては耐えていた。お前はそれに値する深さを持った相手だと、思っていたからな」
「そりゃどうも」
「だが、それだけにいつまでも対応が変わらないと頭にくるものもある、ということだ。覚えておけ」
「……あー、まあそうかもしれないな」
 九峪は趙雲の物言いに迷った。話してしまっていいのか? 北郷に迷惑はかからないだろうか。
 本々、荒唐無稽な話であるし、信じてもらえるかさえ分からない面があるというのに。
 判断の早さが長所の九峪にしては珍しく、口ごもる。
 悩む理由は他にもあったのだが。
「ところで星、何をしてるんだ」
 しゅるしゅると腰帯をほどく音がした。九峪の胸元に、帯が落とされる。
「何。もう面倒なことはやめようと思ってな。一つ、閨でも共にしてみるのがお互いの理解を助けるだろう」
「うわー……、立場が逆じゃねえかって突っ込みたい」
「馬鹿め。本当ならば男の方が積極的になるべきなのだ。それに深く考えずともよい。このようなもの、相性だけの問題だ」
 それは極論だ、そう返そうとした時には口をふさがれていた。
 歯を押しのけて、赤い舌がもぐりこんでくる。
 両腕を上から押さえつけられた九峪は、口内にちろりと侵入してきたモノに舌を絡めた。
 趙雲は口づけをしたまま、自分で上着を脱ごうと服に手をかけた。
 だが、そこまでいったくせに――。二度あることは三度ある。
 ただし逆のパターン、みたいな。
「おーい九峪、何か面白い菓子をもらったから、一緒に食べよ、う?」
 まず表情が止まった。ついであわわわと青くなった。
 が、一瞬後には真っ赤になっていた。
 公孫賛が驚きから声を上げる。
「な、ななななななお前らにゃに」
 そして盛大に噛んだ。
「まずは閉めていただけますか?」
 狼狽一つ見せずに、返答する趙雲。やはりこの女、豪の者であった。
「あ、うん。ごめんごめん」
 そう言って、公孫賛は扉を閉めた。ぱたん。
 微妙な沈黙が落ちる。九峪は、趙雲に組み敷かれている状態で、あちゃーと目の上に手を乗せた。天を仰ぐ。
 とはいっても元から仰向けなのだが。
 公孫賛は扉を閉めたくせに、まだ部屋の中にいた。じーと九峪達を見ている。
 その様子に趙雲は納得したように頷いた。
「つまり、これがいつぞやの復讐ということでよろしいか?」
「え? え? 何言ってるんだ?」
「隠さずとも良いのです、公孫賛殿」
「な、だから何が?」
 赤くなったり驚いたり、器用に百面相しながら公孫賛は答えた。
「しかし残念ながら、私は一人増えた程度では問題ないのです。こうなったら一緒にどうでしょう」
「はあッ!? お前ンに言って――」
「九峪が、どうも隠し事ばかりするので、一つ、親睦を深めておこうかと思いましてな」
 趙雲はもう、公孫賛のほうを見ていなかった。
 両ひざで九峪の腕を封じながら、服を脱ぐ。公孫賛はすわ公開プレイかと慌てた。思考が麻痺する。
 一時的に、正常な判断をくだせなくなった。
「どうします?」
 それがトドメ。
 公孫賛は迷った末に、最後に頷いた。
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