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 轟々と炎が袁紹軍を呑み込んでいく。
 突然の火に、多くの兵士達は対応できぬままに焼け死んでいくことになる。
 九峪はその様子を遠くからじっと観察していた。
「袁紹の姿は、この混乱じゃ見つけられないか。それよりも東に逃げ出した奴らの数が薄い。狩り頃だ」
「出るか?」
「ああ。用意しろ。回り込ませておいた部隊にも連絡を」
 策はこれまでのところ順調に進んでいた。
 占拠された砦の中。九峪達しか知らない脱出用の抜け穴から逆に忍びこんだ間者に一斉に火を放たせた結果、乾燥した大気も後押ししてか袁紹軍の詰める砦はよく燃えた。
 特に念入りに焼けたのは兵糧を保管している備蓄庫か。
 恐らく搬入した荷物の大部分は使い物にならないだろう。念入りに焼くように指示しておいた甲斐があったというものだ。
 これにより袁紹軍は公孫賛の領土半ばまで、最初から食い込んできたことが仇になる。
 もはや国に帰ろうと思っても、そこまでの距離が遠すぎるのだ。
 だというのに袁紹達はこれから兵糧を確保するまでの間、長期戦という選択肢を選べなくなる。
 つまりそれは飛車角落ちの相手に勝負を挑めるようなものだ。
「袁紹は兵数の多い所に潜んでいるのではないか?」
「だろうな。けど分かっていても今は攻められないよ。こんな有利すぎる状況でも、数の優位さで、正面からぶつかったら俺達が負ける」
「だから本隊と離れた奴らを削るしかないということか」
「そういうこと。俺らは裏方だ。止めを刺すのは後ろの奴ら」
 そのまま九峪と華雄は兵を率いて、混乱した袁紹軍の隊列を乱した個所を狙い澄まして攻撃していった。
 放火により混乱している相手を、さらに夜襲することで混乱に拍車がかかる。
 袁紹達も突然湧いて出た九峪達を迎撃するために準備をしようとするが、まずは主である袁紹を守る準備をしなければならない。
 そうなるとどうしても他の部隊への支援はおろそかになった。
 勝手気ままに暴れまわる九峪達を攻撃しようとすれば主を守れず、主を守ろうと思えば一方的に攻撃される仲間を助けられない。
 それは相当なジレンマだ。
 夜闇の中。音を立てぬために蹄に藁をはかせた公孫賛の白馬隊が、思うがままに袁紹軍の兵士達を討ち取る様は一方的であった。
 ただの虐殺と呼んでさえいいかもしれない。その光景は多くの兵士達に恐怖心を刻み込む。
 だが袁紹軍も長い忍耐の果てに、ようやく準備が整う。
 暴れまわる九峪達に逆襲しようと多くの兵士達が戦闘準備を終えたのだ。
 多大な被害を出した分やり返すため、いつでもかかってこいと、主を守る陣形を維持しながら構える。
 だが、そんな袁紹軍の対応を嘲うかのように、九峪の率いる白馬隊は相手に対応のための準備が整ったと知るや否や、撤退を開始した。
 未練も残さず引き際鮮やかに、夜の暗がりの彼方へと消えていく。これであっけに取られたのは、死に物狂いで構えた袁紹軍である。
 ためらいもせずに撤退するなどとは考えてもいなかった。
 せめて一度でも刃を合わせられれば、湧き上がる怒りを放出することができるのだが、それも許されない。
 歩兵が主体の袁紹軍では追撃することさえも敵わない。
 遠くに逃げ去る白馬隊を沈鬱な気持ちで睨みつけることしか許されなかった。
 結局、その日の戦いは袁紹軍だけが一方的な損害を受けて終了した。
 全兵力の二割が行動不能。ならびに備蓄していた兵糧の大多数が焼失。
 袁紹軍は敵領のど真ん中で多くの兵を構えながら、戦争を継続しなければならないことになったのだ。


「なな何ですの!? 今夜の奇襲は!?」
「あれヤバいって……。公孫賛じゃなくて、あいつだ。公孫賛のところの軍師。用兵に見覚えがある」
「誰ですの!? あんな危険そうな野蛮人なんて記憶にありませんわ!」
「こっちのこと散々誉めてた公孫賛軍の男だって。まずいなあー。完璧に嵌められたかも。早く逃げないと、ってもう遅いのかな」
 軍をまとめあげならが、袁紹達は消え去っていく白馬隊の指揮官の姿に渋面するしかなかった。
 これほど鮮やかに火を放たれ奇襲を受けたということは、それが作戦だったということが分かる。
 ならば当然、連戦連勝で砦を奪取できたことも相手の思惑であろうし、孤立し兵糧も少なくなった現状を考えれば、そこまで考えられている可能性がある。
 たかが地方領主の軍隊と侮ったのが致命的だった。
 九峪が董卓との戦いでおべんちゃらばかり言っていたため、小物と判断していたのも悪かったかもしれない。
 もしも、今回のためにずっと本心を隠して行動していたのだとしたら。
 文醜の背中に、氷が差し込まれたような怖気が走る。
 まだ今回の損害を加えて考えても、兵力差では袁紹軍が有利。だというのに何故か勝てる気がわかないのも事実だった。
 
 
 そして、最初の大きな夜襲の後。袁紹軍と公孫賛軍の衝突はぱったりと無くなる。
 奇襲を恐れた袁紹軍が徹底的に慎重策に移っているためだ。
 まずは国の近くまで移動して、兵糧の確保に努めようとしているらしい。
 当然だ。それが軍を維持していく上で必要最低限の選択なのだから。
 だが、そんなことは当然、九峪も読んでいた。
 楽に補給を済ませるわけがない。
 機動力に任せて、袁紹軍を回り込んで追い抜くと、袁から送られてくる物資を積んだ輜重部隊をことごとく襲撃する。
 大多数の兵力を最初の出撃で連れて行った袁にはろくな部隊など残っていないため、輜重部隊への攻撃は成功を続けた。
 亀のように閉じこもって守りを固めている袁紹軍は物資の補給を終えるまでは守勢を固持する予定だったのだが、その妨害活動により移動を余儀なくされる。
 公孫賛の領内にいる限りは、地の利は敵にある。
 この場所に留まってはジリ貧であると悟ったわけだ。
 だから物資の補給を迅速に行うとすれば、せめて国境まで移動しなければならない。
 その先に何らかの罠が待っていると分かっていても、下がるしかなかったのだ。
 もちろんそこまで読んでいた九峪はことごとく妨害工作や破壊工作を続けた。
 そのあまりの厭らしさに仲間内から怖れられたほどの徹底ぶりである。
 ちなみにこの日の戦いを境に、公孫賛軍の軍師九峪の名前は諸国に知れ渡っていくことになる。曰く、切れたら怖いと。
 そして夜襲による焼き打ちと同程度の被害をこうむってから、袁紹軍はようやく国境へと撤退することに成功した。
 公孫賛領に侵攻を開始してから既に十日。
 敵本隊と戦うことなく、袁紹軍は国元へと帰らされたわけだ。
「驚いたな。ほとんど戦わずに追い返してしまったぞ」
「……この結果は俺も驚いた。怖いぐらいこっちの思惑通りだ。途中で敵も対応してくると思ってたんだけど。まるで変わらなかったな」
「面白いように罠にかかっていたからな。指導者がよほど馬鹿だったのだろう」
「ああ。この調子だと、もう一回突っ込んでくるような馬鹿なことはしないだろう。随分と痛い目を見せられたんだから」
 九峪は九峪で自分の予想を遙かに超えた結果に喜びつつも、半ば困惑していた。
 うまくいきすぎているような気がするのだ。
 だが相手はろくな頭脳を持っているとも思えない。少しぐらい考えていたら、九峪の妨害工作も後半からは通用しなくなっていたはずだが、それもなかった。
 つまり袁は紛れもないお馬鹿国家である、はずだ。
 だがどうも胸のあたりがもやもやする。
 何かが、気にかかった。
「けど、まあいいか……。二、三日偵察を続けて、動きがなかったら引きあげる。そういうことにしよう」
 九峪はそこで話を打ち切る。
 だが、この判断を後に九峪は悔むことになる。
 袁紹も馬鹿ではないのだから、すぐに攻め返してくることはないだろうと気を抜いてしまったためだ。
 そう、馬鹿ではないからなどと。
 袁紹こそ戦国が誇る最強のお馬鹿であることを九峪はこの時、考慮の外へと放り投げてしまっていたのである。


 この二日後。
 俗に袁の最後の悪あがきとして知られる、遼西群大攻勢が始まることになるのだった。
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