耶麻台国の隠れ里。
 その傍にある森の入り口付近で、金属のぶつかり合う音が響いていた。

「まだまだ――ッ」

 何度も剣と剣がぶつかり合って、耳に残る高音が生まれる。
 その場所では二人の女性が、お互いにその手に握った剣で打ち合っていた。
 一人は、流れる柳眉が美しい女性、伊万里。
 もう一人は、ウェーブのかかった長い青髪を後頭部に纏めている女性、上乃である。
 二人はともに今までただの山人として生きてきた。だが、その剣術の練度は群を抜いている。およそ並の軍人ならば簡単に二人は屠ることができるだろう。
 刃先が残像を残すほど早く振られているにも関わらず、二人は汗すらかかない。
 多少の息の上がりはあろうとも、これがただの修練にすぎないことの証明だ。

「踏み込みが足りないぞ、上乃!」

 上乃の下段からの斬り上げを、伊万里は余裕を持って回避する。
 先ほどから彼女は上乃の攻撃を悉くかわし続けていた。
 刃と自分の間に拳一つ分の距離を維持して、決してその身にかすらせることがない。

「今度はこちらからいくぞっ!」

 ある程度、上乃からの攻撃を受け続けていた伊万里だったが、その言葉と同時に攻撃へと移り始めた。
 ダンッという音がする程の強い踏み込み。
 地面を強く蹴って、目の前の上乃へと肉薄する。
 上乃との距離を一気に詰めた伊万里は勢いそのままに剣を振るった。
 上乃は繰り出された伊万里の剣に、慌てて反応しようとする。――が、遅い。
 その鋭い一撃を防ぐための体勢を十分に取れずに、上乃の剣は打ち込みの重さに負けて弾かれてしまった。
 そして上乃の剣はくるくると回転しながら宙を舞い、そして地面に刺さった。
 これが実戦なら上乃の負けということになる。

「まだまだ――。もう一回だ、上乃!」

 そんな上乃に対して、伊万里は鬼気迫る表情で告げた。
 普段の彼女は無愛想であるが、ここまで険しい表情はしてはいない。
 その伊万里の様子に、上乃は僅かに動揺を禁じえなかった。

「……どうしたの、伊万里? 何かいつもと違うよ?」

 再び打ち合いをするために、剣を取りに行きながら尋ねる。
 問いかけを聞いてから伊万里は、目を細めてから軽く息を吐いた。
 そして意思のこもった堅い視線で上乃を見据えた。

「……足りないんだ、何もかもが」

 何処か苛立たしげに伊万里はそう呟いた。
 先ほどまでの太刀筋はただの山人にしては見事なものである。だが、それだけの技術を修めていても、伊万里は満足できないらしい。しなやかな獣のような肉体に、高い水準の技術を内在させていれば、よほどの相手でなければ敗北することはないというのに。
 伊万里は間違いなく自分に不満を抱いていた。
 そして、その理由が義理とはいえ姉妹として育ってきた上乃に理解することができた。

「昨日のこと?」
「……ああ、そうだ。私は十分に狗根国の奴らと戦える力を手に入れたと思っていた。それなのに――いざ戦ってみればあの結果だ。私は戦うことさえ出来なかった」
「けど、あれは私が捕まっちゃったから――」

 伊万里の、無力感を噛み締めるような言葉に上乃は声を上げた。
 だが、その言葉を言い終えるよりも早く伊万里は首を横に振った。
 慰めはいらないと、その表情が雄弁に語っている。

「解っている。だけどやはり私は未熟だったんだ。奴らの企みにも気付けず、感情に任せて行動して、その結果、無様に木に縛り付けられていただけ。あれが私の真実なんだ」

 普段、口数が多いわけではない伊万里は、不自然なほど饒舌に話す。
 恐らく、彼女自身すでに何度も考えたのだろう。

「けど、これ以上続けたら伊万里が体を壊しちゃうよ? 昨日からまともに休んでいないじゃない」
「それでも私は止まりたくないんだ。――強く、強くならないと誰も守れない。私は狗根国から九洲の人たちを守りたいんだ」
「けどね伊万里――」

 諌めようと言葉を向けてみても、伊万里は首を横に振るだけだ。
 休む気配の無い伊万里をなんとかしたいと考える上乃であったが、こうなると伊万里はてこでも考えを変えない。
 基本的に伊万里は生真面目で純粋で、だからこそ融通がきかない。
 一度固めた考えを撤回させるためには、相当の努力が必要になる。
 そして、今回に至っては強くならなければいけないということは、上乃も感じていたことであったので余り強い言葉は言えない。
 真っ先にやられてしまった上乃が言っていい言葉は少ないからだ。
 だから結局、何も言えなくなる。
 上乃は強くなろうと焦っている伊万里に、適切な言葉を送ることができないでいた。
 そんなに気を張り詰めすぎていれば逆効果だということも何となしに理解できていても、うまく言葉を選べない。
 そんな上乃の様子を見ながら、伊万里も何か思うところあったのか、動きを止めて黙り込んだ。
 沈黙が、二人の間を包む。
 あっという間に森の静寂の中に伊万里と上乃は埋没していった。

「う〜ん、いい話だな」

 だがしかし、その静けさを破る声が突如響く。それは若い男の声だった。
 場の雰囲気とは馴染まない軽い口調で二人に声をかけたのは蒼い服の男、雅比古だ。
 いつものように軽い笑みを浮かべて、二人へと近づいてくる。

「雅比古さん?」

 伊万里が声の主の姿を求めて、辺りを探してみれば、木々の暗闇の中に雅比古は立っていた。
 その距離は意外なほどに近い。
 遠目ににも目立つ青い衣装を着込んでいるにも関わらず、こんな距離まで二人に気取られずに接近してきた雅比古の実力を、伊万里はあらためて実感する事になった。

「よっ、二人とも昨日の怪我は大丈夫か?」

 二人にゆっくりと近づいていきながら雅比古が軽い口調で告げる。
 歩き姿は自然で自分たちと何も違わないはずなのに、足音がまるで聞こえないことに伊万里は気がついた。

「ねえ雅比古、どうしてここにいるの?」
「ああ、暇だったんで散歩をしていたら、たまたま二人を見つけたから近づいてみたんだ。そうしたら二人の会話が耳に入ってね。みんなを守る、か。うん、感動的な話だ」

 上乃の問いに、へらへらとした笑みを浮かべながら雅比古が茶化すように言った。
 その態度に伊万里は反射的に眉をひそめてしまう。

「……何かおかしいのですか?」
「いや、その考え自体は良いと思うよ。ただ、あんたにその覚悟が本当にあるのかどうかは別としてね」
「……それは、どういう意味です?」

 九峪の不躾な言葉に、伊万里は声に剣呑な響きを持たせて答えた。
 昨日は自分の無力さを感じたために、それが苛立ちとなって伊万里の心の中は燻っている。
 その火種をまるでわざと着火させるような台詞を聞けば、視線に力を籠めてしまうことは当然だろう。
 だが、そんな伊万里を嘲るように雅比古は言葉を続けた。
 更に深くにいっと唇をつり上げる。

「そのままの意味さ。あんたは本当に心のそこから皆を守りたいと思っているのか?」
「――当たり前だ」

 もはや反射的に伊万里は言い返した。
 一度ならず二度までも挑発するような雅比古の態度に、怒りが湧いてくる。
 その場には殺気に近い危険な雰囲気が充満していった。

「うん、本当にそう考えているみたいだな。実におめでたい」

 だが、それを理解していても尚、雅比古は舌勢を緩めなかった。
 伊万里の強烈な視線を何処吹く風と受け流しつつ、また挑発を繰り返す。
 それはあからさまに意図的な台詞で、伊万里を侮蔑していることは間違いないように聞こえた。

「いくら昨日あなたに助けてもらったからといっても、それ以上、何か言うようなら容赦はしないぞ」

 基本的に好戦的な性格ではないが、伊万里とて山人だ。
 侮辱されているとわかれば、争うことを厭わない。
 右手に持った剣を雅比古に向かって突き出し、伊万里は冷えた声でそう告げた。
 しかし雅比古は、その言葉を鼻で笑う。

「狗根国の狩人部隊に捕まるような子が何を言ってるんだ?」

 そして、右手で肩を揉みながらやる気の無さそうな声で答えた。
 その返答に伊万里の殺気が遂に外へと膨れ上がる。
 これだけ言われて黙っていられるほど、伊万里は聖人君子ではない。

「……忠告はした」
「ち、ちょっと伊万里! 雅比古もなんでっ!」

 臨戦態勢に入った伊万里と、逃げる様子の無い雅比古の姿に慌てて上乃は声を上げる。
 だが、その声はヒートアップした伊万里と、そう仕向けた雅比古には届かない。

「上乃は下がっていてくれ。この人は私とやり合いたいようだからな」
「そんな気は別に無いんだけどな。弱いものいじめは好きじゃないし」

 場を治めようとした上乃だが、それも九峪の挑発に阻まれる。
 その時点で既に、誰も止める事ができない段階まで到達してしまったことは間違いなかった。

「私が弱いかどうか、その体で確かめてもらう!」
「それは、ご自由に」

 気取った雅比古のその台詞で、一気に戦闘が始まった。


   /


「私が弱いかどうか、その体で確かめてもらう!」
「ご自由に」

 九峪は挑発しながら、伊万里が自身に向かって迫り来るのを確認していた。
 余りにもたきつけ過ぎたため血が上っているのか、その動きは直線的で、そして躊躇いなく九峪へと切りつけてきた。
 伊万里の斬撃が九峪の頭部に向けて放たれる。
 情け容赦のない完全に仕留めることを目的としている一撃である。
 これが常人であったならば、一撃で昏倒させられていたところだろう。
 しかし、残念ながら九峪にはそれは当てはまらない。

「よいしょっと」

 気の抜けた声を出しながらも、九峪は上体を逸らすだけでその攻撃をかわした。
 剣の風圧により九峪の髪が僅かに揺れるが、それだけだ。
 まったくの無傷。九峪は顔に笑みを張り付かせたまま、剣先の軌道が自分から離れていく様子を眺めていた。
 そんな九峪に、伊万里は二撃目を向けてくる。

「――せっ!」

 上体を後ろに倒した不安定な体勢でいる九峪に対して、伊万里は迅速に追撃を放った。
 初太刀の軌道を強引に切り替えての刺突。
 その攻撃は九峪の不安定な体勢でかわせるものではない。
 伊万里の剣の刃が九峪の体に近づいていく。
 通常ならば確実に仕留めた呼吸である。
 だが、しかし。
 その刃が九峪の肌に触れることはなかった。
 九峪は迫り来る刃を、不安定な姿勢を利用してわざと地面に倒れこむ事でかわしたのだ。
 びょうっと風を切る伊万里の二太刀目もやはり、空振りに終わる。
 自然と両手を伸ばしきった体勢の伊万里と、地面に仰向けに倒れこんだ九峪という構図が出来上がった。
 そして、先に行動を開始したのはそれまで攻勢に出ることの無かった九峪だった。
 地面に倒れる九峪の目の前にある伊万里の剣。
 その柄の部分を握る伊万里の手を、倒れこんだままの姿勢で蹴りつける。
 力を籠めた刺突を放った直後の伊万里は、それをかわすことはできない。
 あえなく手首を強かに打ち据えられた伊万里は剣を手放すこととなった。

「く、あっ――」

 小さなうめき声と共に伊万里の手から剣が落ちていく。
 その瞬間に九峪は全身のバネを使って手を使わずに跳ね起きた。
 それはまるで重力を無視したかのような跳躍。
 間違いなく、九峪は伊万里を圧倒していた。

「これでお互いの武器は拳と拳になったな」
 
 初めて九峪が九洲にやって来た時、彼はただの高校生だった。
 戦闘能力も無く、指揮能力も無く、治世能力もない一般人。
 それが九峪雅比古という男の全てであった。
 しかし、戦いは九峪がそのままの状態である事を許さなかった。
 神の遣いであるという身分から、彼は三年間も前線で戦い続け、そして最も命を狙われ続けた。
 寝ている時間さえも命を狙われる環境。
 彼が愚かであれば仲間が次々に死んでいく現実。
 それらの事象は九峪の心を傷つけ、そして最終的には彼を練り上げた。
 死なないがために仲間達から武術を。
 失わないがために仲間達から知識を。
 いつしか彼の強さは仲間達をも凌駕していった。

 ――これは仮定ではあるが、その異常なまでの成長能力を精霊としての本能で察した鏡は彼を九洲へと導いたのかもしれない。
今はそれを確認することは不可能に近いが。

 そして親しい仲間を失ってからの九峪は狂ったかの様に力を求めた。
 復讐のための力を得るため。
 懺悔のために自らを傷つけるため。
 或いはただ修練の間だけは全てを忘却する事ができたからか。
 羅刹の道を歩んだ彼の力はいつしか人を外れた。
 如何に同年代の人間の中では突出した才能を持つ伊万里であっても、戦乱を経験した九峪に届く事は無い。
 そもそも現在の九峪を形作ったのは成長した、未来の伊万里でもあるのだから。

「どうした? もう終わりか?」

 立ち上がった九峪は服についた泥を払うことなく眼前の伊万里に問いかける。

「まだ終わるものか!」

 見下ろすかの様な九峪の視線に伊万里は声を荒げた。
 彼女は距離を詰めて九峪に向かって拳を振るう。
 だがしかし、その攻撃は難なく捌かれる結果を迎えることとなった。

「速さが足りない」
――お前には何時も助けられた――

 かつての記憶を思い出しながら、しかしそれを表情に出すことなく、九峪は紙一重の距離で全ての攻撃を回避した。
 気負いも疲れもなく、淡々と伊万里の連撃を避け続ける。

「力が足りない」
――それなのに俺はお前に何もできなかった――

 伊万里の攻撃を潜り抜け、九峪は彼女に向かって強烈な回し蹴りを放つ。
 咄嗟に伊万里は両腕を交差させて防御するが、吹き飛ばされる。

「技術が足りない」
――血に濡れたお前を見たときに初めて自分の愚かさに気付いた――

 吹き飛ばされながらも勢いを衰えさせることなく再び九峪に向かってくる伊万里。
 九峪は彼女の勢いを受け流し、そのまま腰を払い片手だけを使って投げ飛ばした。

「そして何より認識が足りない」
――戦場でお前が死ぬくらいならば、今ここで戦えない体にしよう――

 地面に背を強く打ち付けることとなった伊万里の肺からは、こひゅっという音が漏れた。
 その動きが一瞬だけ止まる。
 そして、そんな地面に倒れる伊万里に九峪は近づいていった。

「わ、私の……どこが認識が足りないと、いうんだ」

 投げ飛ばされた時に背中を強く打ったのか、かすれた声で、しかし瞳の意思は変わらずに伊万里が問いかけた。
 言葉は途切れ途切れだが、その目はまだ敗北を認めていない。

「この状況でも戦い続けようと思えるところが、さ」
「……戦う事の、何が悪い!」

 九峪の言葉に伊万里は吼えた。

「これだけ俺に好きなようにやられているのに実力差が解らないわけじゃないだろう?」

 噛み付かんばかりの伊万里の様子に動きを止め、九峪がそう言葉を投げかけた。
 見下ろす視線は侮るような感情が隠れているように、見えた。
 そして地面に這いつくばっている伊万里にとって、その言葉はまさしく正論でもあった。
 だが、しかし。何があろうとも頷けないものはある。

「……退いては何も始まらない。私は強くならないといけないんだ」

 伊万里はゆっくりとながらも立ち上がった。
 その瞳は変わらず死んではいない。

「強くなってどうするんだ? そこに何がある?」
――止まれ。後は任せろ――

 膝をつきながら立ち上がる伊万里を九峪は蹴り飛ばした。
 低い放物線を描いて後方へと吹き飛ぶ伊万里。
 生半可な決意など吹き飛ばしてしまうような、容赦の無い一撃。

「結局、あんたはここまでなんだ。解ったなら里にでも帰って狩りでもしていろよ」
――俺ではお前を変えられないのか――

 続けざまに嬲るような言葉を、その表情に何の感情も映さずに、九峪は伊万里に向けて告げた。
 一瞬だけ、九峪の表情が泣くことを耐える子供に似る。
 ほんの一瞬だけ。
 だがしかし、伊万里はそれでも屈さずに立ち上がった。

「……退けるわけがない。私は決めているんだ」
「何を決めているんだ?」

 平静を装ったような声で九峪が問いかけた。圧倒的優位な立場からの質問であるはずだった。
 だが、二人の戦いを見ていた上乃は思った。
 無傷であるはずの九峪が気圧されている、と。
 故に彼女は二人の戦いを止める事ができなかった。

「私は強くなる。だから私は貴方に負ける訳にはいかないんだ。理由はどうあれ一度戦いを始めた以上、私は負けない」

 伊万里の言葉に、九峪はただ佇んだ。
 その瞳は伊万里の姿を捉えているが、見てはいない。
 思い浮かべるのは過去か。心を支配するのは懺悔か。
 どちらであるのかは分からない。

「……貴方はさっき言ったな。強くなってどうすると」

 言葉を口にしない九峪に代わって、伊万里は語り続けた。
 何度打ち据えられていても、やはりその瞳は燦然と輝いている。

「そんなものの答えは決まっている」

 一度そこで言葉を切り、伊万里は目を閉じる。
 その様子を九峪は黙って眺めていた。

「ただ守れれば、――それでいい」

 そして伊万里は目を開き、その両足で大地に立ってから言い切った。
 たった少しだけの間に、ぼろぼろにされた体であっても、恥じることなく己の決意を口にする。
 それは痛みには膝を曲げないということ。
 誇りを持つということだった。
 そんな伊万里を九峪はやはり見つめていた。
 だが、長く思える沈黙の後に薄い笑みを浮かべた。
 それは苦笑いに似ていた。

「ははっ、あんたはやっぱりおめでたい。だが素晴らしい」
――ああ、そうか。お前は退かないからこそ美しいのか――

 突然九峪は笑い出した。
 その表情はどこか嬉しそうであり、またほんの少し悲しげでもある。

「……何が言いたい?」

 九峪の変わりように気勢をそがれたのか、伊万里は問う。

「なあ、あんたは自分がどうなっても皆を守りたいと思うのか?」
「何を言っている?」

 前触れも何も無い九峪の言葉に伊万里は戸惑ったように問い返す。

「いいから答えてくれよ。あんたは何があっても皆を守りたいのか?」
「当たり前だ」
「あんたを取り巻く現状が変わるとしてもか?」
「――くどい」

 伊万里は九峪の問いかけ全てに即答する。
 そこに迷いは見えない。
 その様子を、じっと見据えた九峪はゆっくりと言葉を口にした。

「今までの言葉は失言だった。謝罪しよう、悪かった」

 それまでの敵意を霧散させて、急に九峪は頭を下げた。
 その様子に伊万里はもとより、近くに居た上乃も驚いた。
 伊万里を挑発し、戦いを始めた相手が真っ先に謝ったのだからそれも当然か。
 だが、そんな驚きなど気にもせずに九峪は言葉を続けた。

「あんたに話しておかないといけない事がある。少し時間はあるか?」
「……時間? 時間ならあるが」
「そうか。ならついて来てくれ。今から重要な話をしないといけない」
「話ならここでもできるんじゃないのか?
「この場所では無理なんだよ。いや――というよりも足りないというのが正解かな」

 一人、自分のペースで九峪は話を続けた。
 先ほどまで良いようにあしらわれていた伊万里には何が何だか理解することができない。

「だから、一体何の話だと言うんだ」
「それは来れば解るさ。それとも怖いか?」

 挑発するような九峪は言葉を発する。
 何も説明しないでおいて随分な言い草ではあったが、侮られるのを黙っていられる伊万里ではない。

「……問題ない」
「なら、行こうか」

 伊万里の返答に満足したのか、九峪はそこで背を向けて歩き始めた。伊万里もそれにそれに続く。
 上乃はその光景をぼーっと眺めていたが、やがて突然の展開についていけずに置いていかれてしまったことに気がついた。

「ち、ちょっと待ってよ!」

 慌てて走りながら二人を追いかける羽目になる。



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