その時、伊万里の目に映ったのは強力無比な炎の顕現だった。
 先行している星華の部隊が突如として現れた魔人に蹂躙されているという報告。それを受けて、伊万里が応援に向かった先で今まで見たこともないような強力な炎が生じていたのだ。普段の星華からは信じられないだけの力の発現。意のままに炎を操り、魔人を打ち据えるその姿からは、天空人のような人ならざる力を感じることが出来た。

「……これが、雅比古さんの言っていた血の力なのか」

 爆ぜ飛ぶ魔人の姿を見て、知らず九峪に言われた言葉を伊万里を思い出していた。
 何故ならば、尋常ならざる星華の力が生じた瞬間に、伊万里もまた確かに感じたから。
 心臓の鼓動が、視界に映る星華と共鳴するような違和感。
 普段の自分とは明らかに異なる力が、どこかから流れ込んでくるような高揚感。
 同じ血が流れ、同じ火魅子候補としての資格を有しているということ。
 伊万里はこの瞬間に、自らもまた星華と同じ存在であることを強く認識した。
 星華が先ほど見せた力に、半ば引きずられるかのように、伊万里は全身が熱く燃えるような感覚に陥っていた。今この時ならば、普段は相手にすることもできないような魔人さえも、倒せるのではないかという自信が胸に満ちていく。

(これなら、行けるか……ッ!?)

 思考しながら、伊万里は走った。
 その両目は力を失って地面に倒れ伏した星華の姿を捉えている。そして少し遅れて、業火の直撃を受けて表皮を爛れさせた魔人が立ち上がる光景もまた。――このままでは、怒り狂った魔人に狙われるであろう星華が危うい。
 援護に入るために、伊万里は全力で地面を蹴った。不自然なほどに湧いてくる力が、普段とは比較にならないだけの推進力を生む。そのことを理解しながら、伊万里は更に加速した。
 横に並んで走っていた上乃達はもう、その速度に追いつくことができずに、後方へと引き離されていく。
 だが、それを待っていては間に合わない。
 伊万里は単身で魔人と相対することを決意した。
 走り抜けるその途中、呆然としている亜衣の横を通り過ぎる際に 「援護を」とだけ短く呟いて、星華を抱えた衣緒の前へと到着した。――直後、眼前に黒い影が迫る。
 伊万里は、その襲撃を直剣一本で受けきった。鉱物がぶつかり合うような重低音が響く。

「……やはり魔人という奴らは手癖が悪いな。そう思わないか?」
「い、伊万里様!?」
「とにかく今は星華さんと一緒に退避して。やっぱり結構、ぎりぎりみたいだ」

 怒りに息を荒くした魔人の爪としのぎを削りながら、伊万里はそれだけを言うのが精一杯だった。
 自分の身に、今まで感じたことのないような力が宿っていることは感じている。それが火魅子の血に起因するだろうことも。
 だが、それを考慮してもやはり魔人という存在は規格外なのだ。魔人と力比べをする体勢になっている伊万里の全身の筋肉は、早くも軋んで悲鳴を上げようとしていた。辛うじて押し切られないだけの力では、正直きつい。
 一対一どころか、倒れた仲間を守りながらでは勝機すらない。

「いいから、早く――ぐっ」

 呆けていた衣緒に指示をするため呟いた瞬間に、後方から何かが迫っていることを伊万里は知覚した。とっさに回避行動を取る。遅れて、援護の方術が魔人の横腹へと直撃した。伊万里は間一髪で後方に跳躍することで、余波の巻き添えを喰らうことを避けることができた。
 方術が誰からのものであるかは考える必要も無い。この状況で、魔人に方術をぶつけられる気概のある人間などそうはいない。

「――衣緒、星華様を避難させろ!」
「あ、わ、分かりました!」

 予想通り、後方から聞こえてきた亜衣の声に伊万里は安堵した。
 少なくともこれで、誰かを守りながら魔人と戦わなければいけないという最悪の状況は避けられたのだ。ならば、少しばかり厳しくとも、ここで自分が魔人を倒してさえしまえばどうにかなる。
 ふっと、疲れを吐き出すように、肺から空気を搾り出して、伊万里は剣を構えた。
 ――どうにかいけそうだ。そう判断をする。
 前までの自分ならば決して敵わなかった相手なのだろうが、今の伊万里は何かに引きずられるように力を増している。それがいつまで続くのは分からないが、それでも、この状況が続くのならばどうにかできるような気がした。
 心臓が燃える様に脈を打ち、全身に力を漲らせていく。
 狙いを伊万里へと変更し、尋常ではない速度で爪を振るってくる魔人の攻撃を避けながら、伊万里は反撃へと移った。
 炎に焼かれて、爛れた魔人の皮膚へと全力で剣を打ち据える。
 鋼のようだった皮膚も、負傷していればその硬度は当然落ちるらしく、浅くだがざしゅりっと肉を切る感触が伝わった。
 そして遅れて、痛みのためか魔人が悲鳴を上げる。
 僅かではあるが、手ごたえはあった。それが決して致命傷と呼べるようなものではなかったとしても。

(私が体力尽きて倒れるのが先か、それとも魔人を倒せるのが先か。……賭けとしては、良くも無いが、それしかないな)

 伊万里はいつ星華のように尽きるかもしれない力を振るって、そのまま魔人を圧倒することを選択した。
 怒りに我を忘れて声すらあげることもない魔人から、矢継ぎ早に仕掛けられる攻撃をかいくぐり、反撃する。
 獣の牙のように鋭い爪が、顔をかすめるたびに、背中に冷や汗が流れたが、伊万里は引くわけにはいかなかった。
 伊万里は防波堤なのだ。
 ここで伊万里が背を向けて魔人から逃走すれば、復興軍という存在は崩れ落ちる。せっかく狗根国打倒のために高まった士気が瓦解してしまうのだ。――ここで伊万里が敗走を選択すれば、もはや魔人に抗える存在などはいなくなるのだから。
 学も無く、軍略については学んだこともない素人の伊万里であっても、それは半ば本能で理解することができた。
 復興軍はいまだ芽の状態でしかない。
 地中の中に埋められた種が、長い時間をかけて養分を蓄え、かろうじて地上の光を浴びることができるようになっただけの脆い存在。そんな壊れ易い弱い集団でしかないからこそ、何か問題が生じれば容易く枯れてしまう。
 ただの直感で、そのことを伊万里は悟っていた。
 自分が折れることは即敗北につながるのだと。――このあたりの判断の良さは、同じ火魅子候補である星華とも似たところが見受けられた。

「――伊万里、大丈夫ッ!?」

 そんな時。後方から声がすると同時に、矢による援護が来た。伊万里の動きを先読みするかのように、魔人のみへと矢が放たれ、伊万里への攻撃を牽制する。
 その一瞬でできた隙をついて、伊万里は後方へと跳躍して、魔人との距離を取ることが出来た。
 いかに今の伊万里であっても、魔人相手に接近戦を続ければいつかは倒れる。
 いつの間にか上がってしまった息を整えながら、ちらりと伊万里は声の持ち主の姿を確認した。上乃と仁清の二人が、魔人のいる場所へと近づいてきている。更に、その横には亜衣もいて、ちょうど二撃目の方術を放とうとしているところだった。
 方術による炎が生まれて、魔人へと迫る。――が、それはすげなく避けられた。
 しかし、これも牽制の援護にはなった。
 その間に、上乃は伊万里のすぐ後方まで接近してくる。これで状況は四対一。先ほどまでとは雲泥の差だ。
 伊万里は剣を構えて、魔人を見据えた。

「上乃、一瞬たりとも気を抜くなよ。今まで私達が倒してきたような相手とは違うぞ、アレは」
「――分かってるって。それよりも、伊万里こそ一人で飛び出しちゃって、心配かけさせないでよね」
「それは悪かった。けど、弁解は後だ。ここでアレを倒してしまわないと厳しいぞ」

 その言葉に、上乃は神妙に頷いた。
 普段は冗談を好む上乃であっても、ここでそんな余裕がないことには気づいているのだろう。いや、目の前の魔人がそんなことを許さないのだ。気を逸らした瞬間に、人間など挽肉にできるだけの力を、魔人は持っているのだから。
 緩めたことさえもない気をさらに引き締めて、伊万里はもう一度攻勢へと転じることにした。
 威嚇するように喉から言葉にならない叫びをあげて、食物連鎖の頂点に立つ魔人へと迫っていく。
 剣を持ち走る最中、ここに紅玉か九峪がいればという考えがちらりと頭をかすめたが、すぐに後ろ向きな思考は切り捨てる。
 伊万里の後ろには、すぐこの前まではただの人であったにも関わらず、戦うと決めて兵となった者達が大勢いるのだ。
 たとえ望まずとも、火魅子候補として、それらの人員を従える立場になった自分が無様な姿を見せることはできない。
 伊万里は、さらに地面を蹴った。
 魔人との距離がまたゼロになる。


   /


 九峪より後を任されて、魔人と対することになった紅玉は、注意深く間合いを計りながら魔人を殺す方法を考えていた。
 人が相手ならば紅玉は力で押すだけで、苦も無く勝利を得ることができる。
 だが、魔人と戦闘するにあたって力に頼ることは無謀でしかない。
 まず基礎的な力からして違う。何の技術も、何の努力も無く最強を誇れる魔人という生物は、基本的に人では倒せぬように生まれてきているのだ。その魔人を人が倒そうとしたら、何よりもまず観察しなければならない。
 人との組織の違い。関節の稼動域の差異。
 皮膚組織の硬度。総重量。最大速度。
 それら全ての情報を、命のやり取りをする間に把握し、頭の中で体系的に理解して、初めて反撃の一手が打てる。
 暴風雨のように降りかかってくる魔人の猛攻を凌ぎ続けながら、紅玉は冷静に相手がどれだけの力を持っているのかを推し量っていった。――そして、自分と相手の戦力比に関する判断を終了する。

(……この程度ならば、勝てる。先ほど痛めた肩が問題ではあるのだけれども)

 紅玉は常人ならば一瞬すらもたない苛烈な攻防の果てに、勝利への道筋を頭の中で弾き出した。
 例えあらゆる身体的スペックが人よりも上な魔人であろうとも、この程度ならば自分は負けないと。
 この程度の差しかないのならば、己が修めてきた武術で十分に対応が可能であると。
 唯一の不安要素は、先ほど魔人の一撃を喰らいかけていた九峪を助けるために、強引な体勢で放った一撃が右肩を負傷させてしまったということなのだが、その程度ならば戦闘に支障はきたさないと判断する。
 紅玉は無手でも鋼鉄の破壊ぐらいならば可能であることに加えて、例え片腕を負傷していたとしても、愛用する鉄扇を用いれば更に破壊力のある攻撃をすることすらできるのだ。
 例え鉱物のような皮膚を持つ魔人であっても、全力で攻撃すればダメージを与えることは難しくない。
 そしてダメージを与えられるということは、勝てるということに繋がる。
 紅玉には自信があった。
 例えどれだけ俊敏であろうとも、自分が相対している魔人程度の動きならば避け続けることができるという。
 先ほどの九峪は未熟なことに怒りに我を忘れて、魔人の攻撃を喰らう寸前までいってしまった。
 だが、それは感情を制御できなかったためであり、紅玉は戦いの最中に怒りに身を委ねるようなことはしない。例えどれほど憎い相手だろうと、仮に最愛の肉親を殺した相手が目の前にいたとしても、淡々と相手を破壊することができる。そう考えている。

(……そういった意味では、雅比古さんはまだ未熟。あれほどの怒りを溜め込んでいたことは予想外だったにしても、戦うのならばそのようなものに囚われてはならないのだから)

 ふと紅玉は、先ほどの九峪の姿を思い出した。
 前から飄々としていて、どこか掴み所のない人間を故意に演出していた男。だからこそ、それは仮の姿でしかないのだろうと思っていたわけだが、その推測は当たっていた。魔人を目にした瞬間に吼えた姿は、紅玉をしてさえも寒気を感じるものだった。
 ただ言葉にも成らない、意味さえ持たない獣のような叫び声であったにも関わらず、そこには様々な感情が籠められていたからだ。怒りも感じた、悲しさも感じた、憎しみも感じた、悲しみも感じた。――おそらく本人でさえも何に起因しているのか分からないだろう絶叫が、魔人へと向けて放たれたのだ。
 それだけで、紅玉には九峪のたどってきたおおよその過去が分かってしまった。
 これまで復興軍に属してより決して過去を語ろうとしなかった男の過去が、ただ一度の絶叫で分かってしまうというのも皮肉な話だ。だが、それでも分かってしまうのだ。愛する者を失ってしまった、残された者の慟哭は常にあのように悲しくて、惨めだ。救いが無い。
 九峪は魔人に、そして狗根国に愛する者を奪われてしまったのだろう。
 そんな確信が胸の中をよぎる。
 何故その事実を隠して復興軍に力を貸そうとしているのかまでは分からないが、それでも九峪が何か大切なモノを失っているということは間違いない。だからこそ、九峪は何にも執着しない。金にも、女にも、名誉にも。
 最早失ってしまったものを取り戻すことは不可能であるからこそ、あのように九峪は何も望まないのだ。
 望んでも得られぬモノを望むことほど、空しいことはない。

(だとすれば、やはりあの姿は全て虚勢。……哀れすぎる)

 あれほどの力を得るために、どれほどの研鑽を積まなければならないのかが分かるからこそ、紅玉は九峪を哀れまずにはいられなかった。ただの人があそこまで強くなったということは、余程大切な守りたいものがあったということなのだ。
 それなのに九峪の傍には親しい相手など誰もいない。
 常に一人で、復興軍の誰にも心を開いていない。触れられることを恐れるかのように、曖昧な笑みを浮かべて周囲の人間との関係を遮断している。それは二度、大切な相手を作ってから失ってしまうことを恐れているからかもしれないと紅玉は考えた。
 あの年で、そのようなことを考えなければならなくなったとしたら、どのような過酷な状況を生き延びてきたのか。
 想像するだけでも憐憫の情を禁じえない。
 紅玉は、うなり声を上げながら猛攻を続けてくる魔人を、紙一重の見切りで翻弄しながらも、そんなことを考えていた。

(ただ、今はそれよりも目の前の魔人に集中しなければ。――無駄に体力を消耗するより前に、決めなければいけない)

 そして、そこで一度、雑念を振り払う。
 思考を完全に武道家としてのそれに切り替えてから、紅玉は腰に差していた鉄扇を構えた。右肩は先ほど痛めてしまったために、左に鉄扇を持つ。魔人は紅玉が武器を構えたことにもさして注意を払わずに、相変わらず頭の悪い攻撃を続けていた。
 そのことに嘲笑が漏れそうになる。
 紅玉は、自分が牙を剥いたことにも気づかない相手に、先ほど九峪に抱いた感情とは完全に別種の冷たい哀れみを抱いた。
 己の喉元に爪が振るわれようとして、避けぬ獣がどこにいる。
 殺そうとしている相手を人だからという理由で蔑み、自らの勝利を疑わない傲慢な魔人の姿勢は、紅玉にとって愚かに映った。
 だから紅玉が本気で命を奪おうとしていることにさえ気づけない。そもそも負けるという可能性すら信じていないのかもしれない。勿論、それは紅玉にとっては好都合以外の何者でもなかったのだが。
 その細腕からは信じられないほどの握力で、紅玉は鉄扇を握り締めた。

「――代償は、その命一つで」

 冷淡に言葉を放つと同時に、魔人から振るわれた攻撃を避ける。丸太のような腕が、紅玉と紙一重の距離を通過しているが、当たる事は無い。当然だった。そのまま勝負を決めてもほぼ勝てるところを、紅玉は万全を期して傷を負わないために、相手の動作を見切るために長い時間を消費したのだから。
 既にその攻撃パターンは読めている。
 だからかわせる。
 そして、だからこそ余裕を持って反撃に移れる。
 紅玉は容赦なくカウンターの要領で、九峪によって傷つけられた魔人の顔面を鉄扇で打ち据えた。ボギャリと形容しがたい音が鳴って、血反吐が巻き散った。魔人は何が起こったのか理解できないのか、そのまま後ろへと巨岩のような体を倒れさせた。
 だが、そこを見逃す紅玉ではない。
 反撃に移ったのだから、相手に対応するだけの時間はもう与えるつもりも無い。悲鳴すら上げさせない。
 体勢を立て直す機会を、体力に優れた魔人に与えれば厄介なことになる。
 だから後方へと背中から倒れようとする魔人へと肉薄して、紅玉は更に連撃を放った。
 一度、鉄扇を振るって肋骨を圧し折る。続けざまに邪魔な腕を破壊するために、逆関節の要領で鉄扇を肘へと差し込めば、魔人の腕が曲がってはならない方向へと曲がった。遅れて、骨が折れる低い音が響く。
 この間、わずか数瞬である。
 そしてようやくこの時点で、魔人は自らが致命的な反撃を受けたことを理解できたのか、痛みに歪んだ悲鳴を上げた。
 力任せに腕を振り回して、接近している紅玉を吹き飛ばそうと抵抗する。
 だが、それすらも紅玉にとっては予想できた反応でしかなかった。
 直撃すれば即座に人体など細切れに吹き飛ぶ魔人の攻撃の合間を、紅玉は縫うように移動して、混乱してしまったがゆえに無防備になった頭部へと音もなく近づいた。魔人は顔面を強打されたことで、視界を奪われたのか、まだ紅玉がどこにいるのかを察していない。
 端的に言えば、そこで勝負は終わった。

「――我々には時間がありません。散りなさい」

 直後。無慈悲に放たれた鉄扇が、魔人の頚椎を圧し折る音が響いた。
 最早悲鳴を上げることすら許されずに、魔人はそこで絶命した。いかに魔人とて急所を打たれれば死ぬ。そして紅玉には、どのように堅牢な骨格に守られた急所であっても破壊できるだけの技と力があった。
 それだけのことだったのだろう。
 紅玉は確認のために動かぬ魔人の頭蓋を鉄扇でもう一度砕いてから、その傍を離れた。
 そして魔人と戦闘していた場所から離れた場所で、事態を見守っていた復興軍の人間の元へと近づいていった。
 皆、声が出ないように押し黙っている。
 呑気にしているのは香蘭ぐらいだ。
 火魅子候補として事態の推移を観察していた藤那でさえも、何と言っていいのか計りかねているようである。
 勿論、他の兵士たちは言うまでもない。
 魔人が一対一で倒されたという結果を認識できないかのように、半ば呆然としていた。
 少しだけその様子が間抜けだったので、観察していたい欲求が紅玉には湧き起こったが、そうもしてはいられない。
 挟撃するため、街を挟んで反対側に位置している友軍が危険にさらされているのかもしれないのだから。
 対魔人用の人員として九峪を先行させたものの、どこまでやれるかは怪しい。紅玉達も次の行動に移る必要があった。

「藤那様。時間がありません。魔人に足止めをされましたから、早急に進軍を再開しましょう」
「……ん、ああ、そうでした。確かに。至急、準備を急がせましょう。こちらは陣形も乱れていないので、先ほど駿馬を強奪していった雅比古の部隊をどうにかすれば問題はないはずです」
「ならば暫定的に雅比古さんの部隊はこちら指揮下に組み込んでも構いませんか?」
「ええ、それぐらいならば。――兵も、魔人さえ打ち殺す紅玉殿の下にあったほうが安心できるでしょうから」

 そこで藤那はやっと苦笑を浮かべた。
 魔人を難なく倒した紅玉の存在は心強い。だが、その存在が兵士にとって力強く映りすぎるのも問題なのだろう。
 この前の戦闘に続いて、今回も藤那からすればいいところを持っていかれてしまったわけだ。
 魔人を兵士達の前で、一対一で倒してのけるというパフォーマンスは何よりも分かり易い強者の基準だ。学が無い兵士であっても、純粋な戦闘技術であるからこそ凄みが理解できる。それはとりもなおさず、紅玉を通じて火魅子候補の香蘭の人気も上昇するということでもあるのだ。
 藤那からすれば少々どころではなく不味い事態に他ならない。
 だから藤那はすかさず次の手を打つことにした。

「ただし、紅玉殿はお疲れでしょうから、隊列は変更して街攻めは我々に先陣を努めさせて頂きたいのですが」
「ええ、その程度でしたら」

 藤那の武勲を上げたいという意を汲んで、紅玉は提案に首肯した。
 余り手柄を立てすぎれば反感を買う。
 この時点で目立ちすぎれば、組織力のある藤那派と星華派に後から狙い撃ちにされる危険性は十分にあった。
 その点を考慮すれば、ここは譲るのが賢いという判断である。
 武道家らしからぬことに、聡明な紅玉はこのあたりの機転も利く。その性質が娘に継がれなかったことが残念ではあるのだが。

「では、そのようにして今は急いで街へと向かうことにしましょう。――あちら側にも魔人が差し向けられている可能性が高いでしょうから」
「確かに。進軍の速度を上げる支持はこちらで出しておきます。紅玉殿は配下の者達の元へとお戻り下さい」
「分かりました」

 ともかく、そうして藤那と香蘭の部隊は、急ぎ星華、伊万里の部隊の応援へと向かう事になった。
 現実に二人の推測どおり、星華、伊万里の部隊は魔人による急襲を受けている。
 急がなければ、ならない。



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