とにかく酷い嵐だった。豪雨程度で収まってくれるだろうという俺の予想は完全に外れたわけだ。
 あれからも勢いを増し続け、ありとあらゆるものを押し倒そうと吹き荒れた風は、リムザの街に少なくない傷跡を残した。
 何棟かの家屋が半壊し、整備されていた道路も随分と壊れた。
 怪我人も数人出たらしい。
 とは言っても、この世界では自然の驚異は仕方が無いものだと認知されているので、住人達もその結果を受け入れているようではある。死人が出なかっただけ上出来という声があちこちで聞こえ、もうすでに壊れた建物や道路の修繕が開始されていた。
 かくいう俺も馬鹿力には定評があるので、資材運びなどに奔走することになった。
 土木作業や建築業に俺が手を出すと、それを生業としている人たちに影響が出てしまうので普段は静観しているだけなのだが、こういった時ぐらいはいいだろう。
 持ち上げるのに大人の男が十数人必要な荷物であっても、俺が一人いればあっというまに運搬できる。
 壊れた資材を撤去するのも人数が必要になるが、俺が手伝えば、それもさくさくと進んだ。
 
「親方、運ぶのはこれぐらいでいいか?」
「ああ。悪いなマツバラ。それが終わったら、西地区に援軍に行ってくれ。それで力仕事は最後だ」
「――了解」
 
 各方面で修復工事を仕切っている人間に指示を仰ぎながら街を回る。
 だがそれもようやく終わりに近づいたらしい。肩に担いだ荷物も随分と軽くなった。
 そのまま街の様子を観察しながら、指定された工事現場へと向かう。
 そこで資材一式を現場の人間(厳密にはドワーフや獣人もいるので違うが)に渡して、俺の仕事は終了だ。
 なぜならば、馬鹿力の俺は細かい作業になると子供ぐらいの役にしか立たないからだ。
 同じ力持ちのドワーフは手先まで器用だからズルイと思わないでもないが、仕方ない。
 適材適所、という至言があるが、まさしくその通りなわけで。
 俺はやることやったから、後はもう寝て待つぐらいしかできない。現場をうろうろされても邪魔だろうし。
 そんなことを考えていると、正面、町の中心部側から走り寄ってきた男が俺に声をかけてきた。
 
「マツバラさん、ここにいたんですか!」
 
 その男の名前は忘れたけれど、顔は覚えている。ギルドの職員だった、はずだ。
 
「……何か用?」
「ゲインさんが、至急ギルドまで来てほしいそうです。例の幻獣討伐の件で」
「それ今日の昼からじゃなかった?」
「いえ、何でも騎士団の方々に急用ができたので早めに行動を開始することになったらしく」
 
 恐らく街内を駆け回って俺の姿を探していたのだろう。息を切らしながらそう口にした後に、荒い呼吸を繰り返す。
 
「――急用ね。まあ、もうやることもないし、呼ばれているなら行ってみるよ。わざわざ探しに来てくれてありがとう」
 
 
 
   6
 
 
 
「これで最後か。それでは今回の作戦について説明させてもらう」
 
 ゲインに呼ばれたという部屋の中へと俺が入れば、上座に座っていた男がすぐに切り出した。
 俺はよく状況が分からなかったが、ゲインに目線で促されたために空いている席に座る。両隣がゲインとグスタフという、暑苦しさが部屋の中で最も高いだろう特別席だ。正直、チェンジを要求したい。
 
「まず、今回雇った傭兵の中で君達だけを個別に集めた理由は他でもない」
 
 部屋の中には大きな円卓があり、それを埋めるように二十数名の人員が座っていた。確認できる種族は人、獣人、それにエルフだろうか、様々だ。その内の十数人ほどには見覚えがある。まずはゲインと、それにグスタフ、ゲイルの両名が率いてきた傭兵団のメンバーになる。
 名前は知らないが、顔だけは雰囲気で覚えている。
 そして今上座に座っている六名ほどの人員はまるで知らない。身なりがきちんとしていることや、独特の雰囲気の差異から傭兵には思えない。恐らくは噂の辺境騎士と呼ばれる存在なのだろう。
 口ひげを生やした今喋っている中年の男の脇には、同じ服装をしたエルフが一人、それに若い男が二人、さらに女性も二人順番に座っている。
 素人目なのでよく分からないが、皆が皆、鍛えられているように見えた。
 
「この場に呼んだ総計十五名には、危険度の高い仕事を請け負ってもらおうと考えている。当然、死亡することも有り得る仕事ではあるが、この場所に来てくれたということは、その点は納得済みということなのだろう」
 
 ふむ。そんな話があったのかと、まるで聞いていなかった俺はゲインを横目に見た。
 するとゲイン君は軽く肩をすくめる。そんなのどうでもいいだろう? とでも言わんばかり態度である。
 まあ確かに余程のことが起きない限り、俺はこれ系の仕事は断らないのだが。
 
「まずは自己紹介をさせてもらいたい。私は辺境騎士団の第一中隊副長を務めているガーランド百兵長だ。君達傭兵ギルドの人員に騎士団の規律を押し付けるつもりはないので、好きに呼んでくれて構わない」
 
 そう言い終えてからガーランドという騎士は、眼球だけを動かしてから俺達を観察した。
 
「“大戦斧”に“狂戦士”、それに“早弓”“夜駆け”“赤雷”といった名の知れた、もしくはそれに劣らないだけの凄腕がこうして我々の招集に応じてくれたのは素直に嬉しい限りだ。この作戦の成功率は格段に上昇したことだろう。感謝する」
 
 視線の向き方から狂戦士がゲイン、大戦斧はグスタフの呼び名で間違いないらしい。
 揃いも揃って、俺の両隣を占める獣人は物騒な通り名を持っているものである。
 俺もいつか近い将来、そういう風な通り名で呼ばれるような日が来るのだとしたら、是非とも語感の良い柔らかな名前をいただきたいものだ。
 正直、自分がそういった風に呼ばれる光景が想像できないというか、……いや、そもそも通り名なんて欲しいとは思わないな。
 地味にこの街の周辺だけで、しかも気まぐれに仕事を請けて目立たないようにしていこうと密かに決意する。
 
「それでは作戦の詳細について、これから説明させてもらう。これは先の嵐の際にゲイン殿の助力も得て我々が入手した情報になるが――」
 
 と、そこから細かい話が始まっていく。
 まずは今作戦の概況についての話から。騎士団から派遣されたのは辺境騎士団の代名詞とも言える“炎の魔女”と、その魔女が指揮する一中隊のみであるらしい。しかもダラダラとこの仕事にかまけている余裕など人員不足の騎士団にはないために、明日中にはこの街を発てるようにしたいとのことだった。
 とどのつまり、今日中に邪魔な幻獣はぶっつぶしてしまいましょうと上品に言われたわけである。
 やり方はシンプルに初っ端から最大戦力である“炎の魔女”を幻獣の集団にぶつけて火達磨ということらしい。
 それで傭兵さん方はその補助をする、と。だが、そこで一つ疑問が浮かんだ。
 
「そんなに凄い火力なわけ? あの集団は生半可な魔法じゃ消し炭にできないと思ったけど」
「ああ、“炎の魔女”は別格だ。正直俺も、先生と同じくらい敵に回したくはないな。何せあの魔女、火に耐性がある赤竜を焼き殺したっていう逸話があるからな。どんだけ出鱈目だって話だよ」
 
 ガーランドさんの邪魔をしないように、こそこそとゲインに耳打ちすれば、非常識な答えが返ってくる。
 どうやら噂の人物の実力は、ゲインが掛け値なしに賞賛するほどのものであるらしい。
 
「へー。そりゃ怖いな」
「先生も相性悪いと思うぜ。周囲一帯灰にする魔法だから、食らえば逃げ切れねえだろうし」
「その人の性格はどうなの?」
「……クソ婆ってのはあの魔女のためにある言葉だと思うが、詳しくは見てみないと分からない人種だな、アレは」
 
 どうやら聞いた話によるとゲインは魔女に苦手意識でもあるようだ。
 若さに任せて傍若無人な獣人をここまで警戒させるとは、中々お近づきにはならないほうが良さそうだ。
 などと俺達が会話していると、それに気づいたのかガーランドさんは説明を止めてからこちらに視線を向けてきた。
 
「――何か、質問でも?」
「いいや、少し気になったことがあっただけだ。もう解消したから、改めて聞く必要もねえ。続きを進めてくれよ。邪魔をしたようで悪かった」
「そうか。ならば引き続き説明するが、この地図上に書いた赤の円は疫学調査により、毎年多数の幻獣が確認されてきた地域。さらに橙の円で囲まれたのは、その中で今年だけ有意差を得るほどに幻獣の数が減少している地域になる。見て分かるように、この橙の地域とウイッグルの発生が報告された場所はほぼ重なっている」
 
 俺達に話を折られたにもかかわらず、気にせずガーランドさんは説明を続ける。肩書きを聞く限りでは偉そうなのに、全然態度は偉ぶったりしておらず立派なものである。
 もしかしたら傭兵なんてこんなものだと最初から諦めているのかもしれないが、少なくとも今後は説明中の私語はやめておこうと思った。真面目に働いている人の邪魔をするのは忍びない。
 
「つまり、この時期に活動を始める幻獣は既に食われているいうことか?」
「そうなる。この情報を元に先日、ウイッグルの活動調査を改めて行ったわけだが、やはりこの橙の地域とウイッグルの活動範囲は重なっていた。この地域で例年駆除されていた幻獣がウイッグルの第一標的となっていたために周辺を通る人々に被害が及ばず、傭兵ギルドの人員がこの近隣を通りかからなくなったことが、ウイッグルの発見の遅れにつながったのだろうな」
 
 皮肉げにガーランドさんは口元を吊り上げた。本人はジョークのつもりなのかどうか、判断が難しい。
 横に座るゲインは何か感じ入るものがあったのか、くくっと短く笑い声を漏らす。
 ……ダメだ。感性が違うから、どこで落ちたのかが分からない。
 
「さて、脱線したが話を戻す。――今年度の幻獣の減少数や実際に目測したウイッグルの数、分布状況、もしくはこれまでの報告されている一般的なウイッグルの活動範囲、生態情報などから判断するに、群れは二つ存在しており、一つは約二百、もう一つは百弱の個体数というのが我々の結論だ。これは八年前も同様の作戦に参加した騎士団の者や賢者連盟の人員を交えて議論をかわした末に出したものであるために、一定の信頼は置けると判断する」
「……ちょっと待てよ。群れが二つってことは、魔女の婆さんが二度出張る必要があるってことか?」
 
 確か、グスタフの団員になる獣人が疑問を口にする。
 横のゲインは 「あの婆ならやってもおかしくないな……」などと呟いてるあたり、実際にできそうではある。
 だがガーランドさんは首を横に振った。
 
「いや、流石にそれは無理がある。いかな隊長とて任務続きで消耗しておられる。余力を残すことを考えなければそれも可能であるのだろうが……。我々としては大規模の群れのみを隊長に任せ、小規模の群れは当中隊所属の魔法使い全員で対処することで撃破する予定としている」
「馬鹿にするわけじゃねえが、その魔法使いの騎士団員達に任せられるだけの腕はあるのかよ」
「もっともな質問だ。だが客観的な事実として、五名が共鳴魔法を用いることで、それだけの破壊力を生み出せることは訓練において確認している。そして紹介が遅れたが、実際にその魔法を行使するのが、今ここに座っている五名になる」
 
 ガーランドさんの紹介に応じて、エルフ一名と、若い男二名、女性二名が立ち上がって階級ならびに氏名を名乗った。
 どうやらこの五人は騎士団所属の魔法使いであったということらしい。はきはきとした口調ときびきびとした態度はまさしく軍隊という感じだった。
 まあ五人の名前を一度に覚えることは不可能だったけど。
 
「……信用していいんだろうな?」
 
 隣に座って無言を保っていたグスタフが初めて口を開く。その直後、部屋の中の人間が気圧されたかのように沈黙が生まれた。
 まるで岩山が動いたような圧迫感を感じているのだろうか。ゲインを除いて、皆が視線を腕を組んだグスタフに集中させた。
 そしてガーランドさんは、グスタフの問いかけにしっかりと頷いた。
 
「無論だ。隊長を含め、我々騎士団員は相当の練度を保持している自負がある。そして私の部下であるこの者達も、必ずや役割を果たすだろう。何より、この者達は隊長の、魔女の下で魔法を学び、最後まで逃げ出すことがなかった者達なのだからな」
「そうか。それなら、いい」
 
 それきりでグスタフは喋らなくなった。そして、そこからガーランドさんの説明もスムーズに進んでいく。
 だがその途中。ぴたりと話の流れが途切れるところがあった。
 それはここにいる十五名の編成だ。誰がどちら側につくか。
 ガーランドさん側が提示した案は、こうだった。
 “炎の魔女”側につくのはゲインと俺の二人。残りの者達が小規模な群れと対する魔法使い側につく形となった。
 それに少しだけ異論が出る。
 というのも、この仕事の中で最も大きいのは間違いなく“炎の魔女”側の仕事だ。
 そうなると一流の傭兵としての自負がある者からすれば、自分が“炎の魔女”側につけられなかったことには不満を覚えてしまう。
 ゲイルの傭兵団のメンバーからは不満は出なかった。ゲインを信頼しているのだろう。
 だが、グスタフが連れてきた獣人が納得できないように言葉を発した。
 もちろん、その対象は俺だ。ゲインについては納得できるということだろう。
 
「魔女に何かあったらこの作戦は総崩れになる。それを踏まえて任せられるだけの実力がそいつにはあるのか? まさか、この街でちぃっとばかし名が知れてるからここに呼ばれたなんてわけじゃないよな」
「私も彼については詳しくない。だが、狂戦士が組める人間は彼しかいないと本人から聞いている。そうだろう?」
 
 俺の頭上で飛び交う俺に対する話。疑問を呈した獣人の質問はごもっともで、頼りなさげな俺に危機感を抱いた獣人の理性は本物だと思う。
 そんなことを考えていれば、呼びかけられたゲインが久しぶりに口を開いた。
 
「……この人しか俺の動きについてこれねえんだよ」
 
 そして静かに、ゲインは疑問を口にした獣人を見据えた。顔も動かさず、視線だけで相手を射竦める。
 まるで雷撃に打たれたように、比喩ではなく狼族らしき獣人の全身の体毛が総毛立った。
 
「おいゲイン、そんな人を睨むなよ。お前ただでさえ見た目怖いんだから」
 
 横でその光景を見ていた俺は、つんつんとゲインの脇腹を突いた。
 ぶわぁっと興奮した犬のように毛を逆立たせた獣人が苛められているように見えたためだ。ラブアンドピース。それこそが俺の信条である。
 
「別に睨んじゃいねえよ。それどころか、これが里だと普通だったんだけどな。まあ、先生には解らないか。――それよりも、話進めようぜ。座るのに飽きてきた」
 
 ゲインはそのままガーランドさんに話を促した。
 そしてまだ当初の話に戻る。ゲインの発言で俺についての疑問は薄れたのか、粛々と説明が続いていく。
 唯一ゲインを止められそうなグスタフも、何も口をはさまなかった。ただ閉じていた片目を開いて、ちらりと俺を見つめただけだ。
 やがて今回の幻獣討伐作戦についての説明が全て終わった。
 皆が席から立ち上がって、これから始まる作戦のために移動を開始する。
 俺は俺で、一回家に帰って飯でも食いに行こうと考えた。
 その時だった。癖のある赤い髪が、視界に入る。
 そしてほぼ同時。少し遅れて、見知った顔が俺の前に姿を現した。
 
「ねえ、マツバラ。これから時間ある?」
「食事するだけだから余裕あるけど、どうかしたのか?」
「なら一緒に食べようよ。ていうか、この街で美味しい店教えて。特に肉が」
 
 目の前で快活な笑みを見せているのは、無骨なゲインの妹とは思えないゲイルだった。
 イメージとしては固まった黒色のどこか閉じた感じのゲインとは真逆で、このゲイルのイメージは躍動する赤色。
 人懐っこい笑顔から、近くにいるだけで陽気さが伝わってくるような気がする。
 
「ん、ゲインと一緒じゃないの?」
「兄さん、グスタフの馬鹿と話があるからダメだって」
 
 ぶうぶうと不満そうに口をとがらせるゲイル。
 
「だからあたしとしては、この街に来てからの兄さんのことを聞くためにマツバラを誘おうと、ね?」
「よっぽどあいつが好きなんだな」
「うん。自慢の兄さんだから」
「……そうか」
 
 満面の笑みで兄を好きだと公言する妹。俺はゲインへの嫉妬心が心の中で荒れるのを感じた。
 なんであの肉食動物がここまで好かれて、雑用を負担してやっていた俺は懐かれなかったんだっ。
 この世とは、実に不可解極まりない。
 
「どうかした?」
「いや。何でもない。それよりも昼食だったな。いいよ、今日営業してる店の中で、いくつか心当たりがある」
「あ、皆も連れてくから七人入れるところね」
「はいはい。了解しましたよ」
 
 そんなこんなで俺はゲイルにまとわりつかれながら、昼食をとりに、まだ損壊した建物の修復を続けている街中を移動していった。
 ぞろぞろとゲイルが率いてきた傭兵団と共に。
 馴染みの店へと入り、軽いものを注文する。
 すると、向こう側から早速質問が飛んできた。とは言っても、当初予想してきたゲインに関する質問ではない。
 
「ところでマツバラ殿は、ラードのご出身なのでしょうか?」
 
 確かウィルというメンバー。戦士というにはどこか細い印象のする、俺と同じ黒髪黒眼の若い女剣士が尋ねてきた。
 
「いいや、違うよ。どうして?」
「いえ、黒髪黒眼はこの国ではあまり見かけませんので。同郷かと」
「ああ、そっか。えっとウィルさんだったかな? ラードの人なんだ。」
 
 ラードとは今いる国から南東に抜けて、死の砂漠を横断し、さらに海を越えてようやく辿りつける島国の名前だ。
 二百年前に起きた黒竜戦争の主な戦場の一つである。かつてその地に存在していた二大国の戦いは様々な紆余曲折を経て、最終的に黒の真竜が乱入したことで終結を迎えた。
 人の戦いに興味を抱かない真竜が、どうしてその戦争に介入したのかは、今でも歴史学者の間で熱い話題となっている。
 そんなラードでは黒竜戦争終戦の間近に、黒の真竜を諌めるために一人の剣士が旅立ったという伝承が受け継がれている。
 剣士の名前はジュザエモ。
 人の身でありながら神ごとき膂力と技の冴えを見せ、己の命をかけて真竜すら撤退させることに成功したと、伝えられている。
 その本当のところは……。まあ、いいか。
 ともかく剣士ジュザエモを讃えるために、それ以降彼の国の戦士は、一人前と認められれば、彼と同じ戦装束をまとうという決まりがあった。
 そして目の前のウィルが身につけているのは紛れもなくそれ。
 防具は籠手以外ほとんど身につけず、携えるのは片刃の剣一振り。
 すその広い戦袴はまさしく俺の記憶にあるものと似通っていて。
 俗にサムライと呼ばれる人種だった。
 言うまでもなくジュザエモは十左衛門あたりだろう。しかも日本人が刀を持っていた時代の。
 
「はい。家督を継ぐために、武者修行の旅に出ている最中、ゲイル達と知り合いまして」
「そっか。ラードのサムライや北方諸国の聖騎士は、一人前と認められるには諸国をめぐる必要があるって聞いたことがある」
「ちなみに俺は、その準聖騎士になる」
 
 と、そこで口を挟んできたのは、ウィルと対照的に全身をがちがちの金属で覆った男だった。
 くすんだ金髪の、背丈は俺と同じぐらいの騎士。確か名前は、ノイマン。がっしりとした体格でありながら、たれ目気味の目が柔らかい印象を持たせている。
 準聖騎士ということは、聖騎士候補生の一人であると考えられるので、ウィルと同じく修行の旅の途中ということになる。
 この旅の中で一定の功績をなしとげられたなら、祖国では聖騎士として認められることになるのだろう。
 
「へえ、珍しい職種ばかり集まってるな。もしかして、他の二人も?」
「これが珍しいもの好きだからな。サムライ、聖騎士、竜騎士、半獣人。で獣人二人と面白いメンバーになってるよ」
 
 はははと軽快に笑うノイマン。だが、コレ呼ばわりがむかついたのか、ゲイルの方は不満げな顔をした。
 
「これって言うな」
「悪かったよ、大将。それよりもマツバラに聞きたいことがあるんじゃなかったのか?」
「……なにか馬鹿にされてる気がする、けど。ま、いっか。それよりも、そう! ねえ、マツバラ、この街での兄さんのことを教えてよ」
 
 ころっと顔から不満を忘れ去って、ゲイルはこちらに身を乗り出してきた。
 
「この街で、あいつがどうしていたのかを?」
「うん。兄さん里の外で何してるのか、つい最近まで教えてくれなかったから。どんな関係かは分からないけど、マツバラ兄さんと仲いいんでしょ?」
「まあそうだな。気がついたらあいつとはつるむ様になってからなあ。ただ、どこから話せばいいんだか」
 
 頭の中でゲインと初めて出会った時のことを思い出す。
 とは言っても、最初に会った時はまるでゲインを気にしていなかったので、よく覚えていないのが実情なのだけど。
 印象が強いのは、二回目、三回目の時だろうか。
 偶然が重なって依頼がバッティングして何故か勝負みたいな、あの頃のゲインは今の三倍ぐらい血気盛んだったような気がする。
 
「じゃあマツバラと兄さんが知り合った時のこと」
「……うーん、その辺りは話すと面倒だから飛ばして、奴の意外にお茶目なところを語っていこうと思う」
 
 俺はだるくなってきたのでゲイルの要求をスルーした。
 しかし俺の言葉にゲイルは予想以上の食いつきを見せる。
 
「兄さんのお茶目なところ? ね、それ何?」
「うむ。聞かせてやろう。まず最初。奴は手先が器用なくせして、魚を三枚に下ろすのが苦手だ。この前、暇だ暇だ言いながらうちに来たから夕食を作らせてみた結果、焼き魚の中に普通に骨が入っていた」
 
 この妹の前でゲインの情けなさをアピールするために、敢えて厳選した実話をチョイスする俺。
 俺一人だけ妹に懐かれないなんて、許せるものじゃない。
 
「そして次。奴は見た目通りに勉強が苦手だ。この大陸の人間じゃない俺よりも、歴史について知らなかった。特に戦史ではなくて文化について弱い。知り合いの子供に混迷期の文化について問題を出してもらったら、俺の圧勝に終わったよ」
 
 どんどんヒートアップしてゲインの駄目な部分を伝えていく。
 我ながら恐ろしいことをしていると思う。だが、それもこれも一人恵まれた状況に甘んじるゲインが悪いのだ。
 
「そして更にここだけの話だが、奴はどんなに愛想を振りまいても、大抵の子供には怖がられる。しかもそれを内心で気にしている」
 
 と、どんどんゲインの小物っぷりを主張していく俺。
 ここまで言ってしまえばいかに可愛い妹とて、妹としての本来の姿に戻るだろう。そう思ってゲイルを観察してみれば、あんぐりと口を開けていた。
 ふっ、作戦は成功したようだ。頭の中で前髪をかきあげる。
 
「……へー」
「驚いたみたいだな。奴は意外と小さいだろう」
「え、いや驚いたのは兄さんにじゃなくて、マツバラにだけどね」
「……うん? どういう意味だ?」
 
 いまだゲインに幻滅した様子の見えないゲイル。その姿がおかしくて首をひねってしまう。
 
「いや、さっきの話本当なの?」
「まったくの事実だ。脚色は一切してない」
「はー。信じられる?」
 
 そう言うとゲイルは、横に座っている黒い毛並みの犬顔の獣人、ランドに顔を向けた。
 ランドはぶるぶると顔を横に振る。その顔にはあり得ないと書いてあった。
 
「いや、信じられないかもしれないが事実だ」
 
 俺は重ねて真実を強調した。だが、ゲイルは呆れたように息を吐く。
 
「いやそうじゃなくて、マツバラって兄さんに料理作らせたり勉強させたり、子供の相手させたりしてるの? それが、信じられないんだって」
「信じられないと言われても、実際やってるしな」
「けど、あの兄さんだよ? 兄さんの正しい反応としては、そんなことさせようものなら半殺しだと思うんだけど」
「そうか? 割と素直にやると思うんだけどな」
 
 俺がそう呟けばゲイルを含めた六人のメンバー全員が俺を 「お、恐ろしい子……!」という視線で見つめてくる。
 ゲインの評価を下げようとして、俺が変な風に見られるという結果に俺は納得がいかない。どうやら彼らと俺の間では、ゲインの認識に対して齟齬があるようだった。
 彼らは口々に言葉を発した。
 
「信じられないな。本当にマツバラ殿は何者なのですか?」
「ははっ、北部諸国連合でも噂が流れる狂戦士を、家政婦扱いたぁやるねえ」
「……ダウト」
 
 最後の一人は大げさに首を振って、天を仰いでいた。強烈な疎外感を感じてしまう。
 
「そっちがゲインのこと知らないだけだと思うけどな」
「つってもなマツバラ。あれは並大抵の戦士じゃない。昨日軽く手合わせ頼んだらうちのメンバー全員秒殺だぞ? しかも最終的に六人全員で戦っても、一本も打ち込めなかったんだ」
「何? あいつと戦ったの?」
「ああ。噂がどんなもんか真贋見極めてやるつもりで臨んだら、えらい恥かかされた。ありゃ多分、俺の祖国の騎士団長クラスの実力はある。絶対こんな所でくすぶってるのがおかしい」
「へー」
 
 俺が適当に返事をすると、ウィルあたりが言葉を続けてきた。
 
「私もそう思う。マツバラ殿は、何故ゲイン殿がこの街に定住しているのかご存じですか?」
「住みたいからじゃないの? ここいい所だよ」
「いやマツバラはそうかもしれないけどな。戦士には戦士の、目指すべき場所ってもんがあるだろ。あれだけの強さを持った奴なら、絶対に自分より強い奴と腕試しをせずにはいられないはずなんだよ。サムライだとか聖騎士だとか、呼び名は違っても根っこは大して変わらない。誰も彼も自分の腕を信じてる馬鹿ばかりなんだから」
「ていうか、今日兄さん、自分についてこれるのはマツバラだけって言ってたよね。てことは意外と強い?」
「さあ、どうだろうなあ」
 
 何かゲインを語っていたはずなのに、話の流れが俺個人に向きそうだったので俺はとぼけた。
 しかもいいタイミングで注文した料理がやってくる。完璧だった。
 これで話がリセットされる。そう考えながら俺は肉を食い始めた。が、ゲイルはしつこかった。
 俺と同じく肉ばかり食べながら、質問を繰り返してくる。
 
「ねーねー、強いんでしょ。一回手合わせしようよ」
「問い一。アーカブー地方の冬季限定の名産品と言ったら何でしょう」
「え? 何言ってるの?」
「はいダメ―。正解は美味しい緑黄色野菜ポポロでした。駄目だなあ、兄と同じで勉強しないといけないぞ」
 
 ははは、と笑ってごまかしてみる。が、相手はそこまで馬鹿ではなかったようだ。
 
「もう、話そらさないでよ。ていうか今考えると、最初にはぐらかされた兄さんと会った時が一番怪しい。こう、嗅覚的に来る」
「話に嗅覚を用いるのはどうかと思うがな」
「もーっ、ちゃんと答えろってマツバラ!」
 
 徐々にヒートアップしていくゲイル。ぶうたれたその顔は不満で一杯である。
 ただ俺としてはどう見ても、戦いが好きっぽい人種と強弱を語る趣味は無かったので、そのままはぐらかしてしまうことにした。
 これまでのへらへらとした顔を、がらりと変える。
 ふう、と息を吐く。
 
「あのな、空気を読んでくれよ。世の中には話せないことだってあるんだ」
「ただ馴れ初めを教えてくれって言ってるだけじゃない」
「……俺だって、俺とゲインだけしか関係していないのなら話してやってもいいんだけどな。そうもいかないんだ。この話にはまだ関わっている人がいるんだ。俺の口からはそれだけしか言えない」
 
 静かな声で、諭すように俺は告げた。もちろん口にしているのは全てでまかせである。
 ただ純粋に喋るのがめんどくさいだけなのだ。
 だが真面目な顔でこんなことを口にすれば、大抵の人間は裏を読む。目の前のゲイルもそうだった。
 
「事情があるってこと?」
「この件に関して俺はもう何も言わないよ。ただ、どうしても聞きたいならゲイン本人から聞くといい」
「そう、なんだ」
 
 ゲイルは純粋な子だった。とても好感がわいて、少し罪悪感を覚えた。
 ていうか素直に信じられすぎて俺は焦った。
 予定ではそんなこと言って嘘だよね! と詰問されて、そこをへらへら笑い返して、怒られながらもはぐらかすはずだったのに。
 ……どこで間違えたのだろうか。
 そんなことを考えれば、俺の顔は暗くなった。口も重たくなる。
 そして、そんな様子を見たゲイルは獣耳をしゅんとさせて、うなだれた。
 ノイマンが空気を変えるように、明るい話題を唐突に振ってくる。
 ウィルがキャラに似合わず華やかな声で相槌を打った。
 俺はその気遣いに、さらに内心でダメージを受けた。さっきのはついてはいけない種類の嘘だったかもしれない。
 焦る。いつものごとく俺はネガティブに落ち込んだ。ゲイルは更に落ち込んだ。
 他のメンバーはうろたえた。
 泥沼だった。
 
「ごめんなさい……。思わせぶりなこと言ったけど、全部嘘です」
 
 そして罪悪感に耐えかねて俺が全てを告白するのは、そう遠くない未来だった。
 何だちくしょう全部演技かよというブーイングが巻き起こり、ゲイルには殴られかけたが、まともに拳で俺を殴ってしまえばゲイルが怪我をしてしまう。
 仕方なく俺はその攻撃を全て紙一重で避け続け、その場にいた面々から凄いけど馬鹿というイメージを持たれてしまったのだった。
 ゲイルには結局、嫌われてしまった。
 やはり俺は世の妹には好かれないキャラクターであるらしい。
 そのことを残念がりながら、道端で会ったシェリルに説明したら 「馬鹿じゃないの?」と呆れられた。
 俺は今日もダメ人間だった。
 こんなことをしていても、幻獣の掃討作戦開始まで残り半日を切っていた。



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