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 次の朝。武が目を覚ますと普段に比べて頭痛の激しさが収まっていた。
 それが頭痛の原因が完治したためと考えるほどに武は楽観的ではない。
 こういうことは良くあったのだ。
 日によって頭痛が鎮まることも有れば、普段より酷くなることもある。そんな変化を繰り返していきながら、全体的には最悪の方向へと向かっていくことを、この一ヶ月間で武はきちんと認識していた。だから、それに対して過剰な希望などは持たない。
 せいぜいが今日一日はましになったぐらいの考えである。
 だからまともに動いて考えられる間に、その時間を有効に活用する事を決める。
 部屋に篭り、痛みに歯を食いしばっているだけの毎日には飽きていたので、気分転換を兼ねて基地内を散策することにした。
 馴染みの食堂から、グラウンド、207B分隊に所属していた時に与えられた部屋の前。
 そんな場所を、ゆっくりと昔のことを思い出しながら、歩いていく。
 それだけで幾らかは気が晴れる。
 激痛に苛まれていた精神も、そこでいくらかは癒された。
 そしてふと向かった戦術機の格納庫。そこで懐かしいモノを見つけて、武は立ち止まった。
「武御雷か。そういえば、……もうそんな時期だったな」
 悠陽によって冥夜へと送られてきた、紫のフォルムの第三世代戦術機は武にとってまぶしく映った。
 繰り返したループの中では、何度も愛用したことがある。それだけに、その姿を見れば郷愁が胸を打つ。
 近づいて触れてみたい衝動に駆られるのを、自制するのが難しいほどだった。
 だから触れられるほどの距離まで近づいて、その姿を眺めた。
 見上げた武御雷の姿は勇壮で、何故か武は楽しくなった。自分はぼろぼろだが、かつての相棒は毅然とした態度で地に足をつけている姿が誇らしかったのかもしれない。
 だから少しばかりの時間、その機体を眺め続けていた。
 すると、その途中に武と同じくその存在に気づいたのか、嬌声をあげて武御雷へと近づいてくる誰かの姿が見えた。物珍しかったのか、子供のようにはしゃぎながら武御雷へと手を触れようとする。
 その光景を見た瞬間に、武の手が動いていた。
「――待った。これは武御雷、それも紫だ。俺たちのような国連軍の衛士が触れていいものじゃない」
「えっ? は、はい、すみません」
 突然、手を掴まれたことに驚いたのか、小柄な訓練生が眼を見開いて武を見返してくる。
 その相手には見覚えがあった。珠瀬壬姫。207B分隊の仲間。
 胸の中が暖かくなることを感じながら、武は壬姫へと笑いかけた。
「まあ触りたくなる気持ちも分かるんだけどな。斯衛に見つかったら、叱責されるぐらいじゃすまないぞ。だから俺みたいに眺めるだけにしておけ」
「は、はい! ――それですみませんが大尉殿は?」
「ああ、悪かった。名乗るのが遅れた。先生、副指令付きの白銀武だ。階級は見てのとおり大尉になるが、別に敬語は使わなくていいからな」
「し、白銀!? それってもしかしてXM3の発案者の白銀大尉ですか!?」
 名前を聞いて驚いたのか、目を限界まで開きながら壬姫は敬礼の形を取った。
 その姿を見て武は苦笑を禁じえない。
「その白銀武であってるけど、敬語なんかいいって。俺、堅苦しいの苦手なんだよ」
「で、でも、私まだ、ただの訓練兵で――」
「はい。そこでストップ。なら上官命令だ。今すぐ敬語は止めろ。どうもそういうの落ち着かないんだよ、俺」
「どうしても敬語だと駄目なのですか?」
「うん。何か背中がかゆくなりそうだし」
「……はうあうあー」
 敬礼したままで、壬姫は困っているのか変な声を出す。その様子がまた懐かしくて、武は口元をほころばせた。
 見ていて面白いのは相変わらずだ。
 本気で困っている壬姫をもう少し見ていたいという欲求に駆られてしまう。
 だが、それも長くは続かないもので横合いから二人に声がかけられた。
「どうしたのだ、珠瀬。それにこちらの方は?」
「あ、御剣さん! こ、こここの人あのッ――!」
「どうしたというのだ。落ち着いて話せ。でなければ分からんぞ」
「この、この人あの白銀大尉で――」
「何ッ――!?」
 あわあわとうろたえる壬姫から白銀の名を聞いた瞬間に、冥夜も同じく敬礼を取る。
 びしっと完璧な姿勢で敬礼する冥夜の姿は、やはり大層凛々しいものだった。
 記憶の中の、どの冥夜の姿ともぶれることはない。
「失礼しました。第207衛士訓練部隊所属の御剣冥夜訓練兵です」
「そんなに畏まらなくてもいいから。そっちの子にも言ったけど、敬語使われるの嫌いなんだ」
「……は? ですが」
「いいからいいから。これは上官命令な。御剣冥夜訓練兵は俺に敬語を使わないこと。できるなら、フレンドリーにタケルと呼んでくれれば更にグッドだ」
「タケル、ですか……?」
「そう。リピートアフタミー、タケル」
「たっ、タケル」
 武の気安い態度につられてか、冥夜は迷った末にその言葉に従ってしまった。
 自分の思い通りになったのが嬉しいのか、武は腕を組んでからうんうんと頷く。
「そうそう。それでいい。代わりと言っちゃなんだけど、俺はお前のこと冥夜って呼ばせてもらうから。どうせ同い年ぐらいだろうし、仲良くやっていこうぜ」
「はあ」
「あ、また敬語。それやめてくれよ、冥夜」
「はあ……じゃなく、うん」
 普段は毅然とした冥夜であるが、それを上回る武のマイペースぶりに敗北したのか、すごく悩んでいる風ではあるものの、敬語をやめることには成功したようだ。この辺り、武は手馴れたものである。
「よし、一人片付いたからそっちもだ。――名前は?」
「あ、珠瀬、珠瀬壬姫です」
「そっか。ならタマだな。というわけで俺はこれからお前をタマということが決定した。その代わりに俺のことは、たけるさんって呼んでいいからな」
 そう言うと壬姫に近づいて、武はその頭をぐりぐりと撫でた。
 何故か逃げずに壬姫はされるがままに任せている。上官が相手であるからというにしては、どうも嬉しがっているような様子が見てとれた。
「た、たけるさんですか? それに私、なんだかネコみたいな呼び方じゃありませんか?」
「いいんだよ。タマだからな」
 武の言葉は、まるで返答になっていない。
 だがしかし、武が更に力を籠めて頭を撫でると、それが急所だったのか壬姫は黙って撫でられ続けるようになった。
「よーしよし良い子だぞ、タマ。もう武御雷に触ろうとしたらだめだからなー」
 気分はどこかの動物王国の主である。
 そのまま壬姫の頭から武御雷のことを忘れさせるために、不必要なぐらいに武はスキンシップに努めた。
 ちらりと視界の端に映った、斯衛の制服を着込んだ人物の姿が、その行動を促進したのかもしれない。
 自分の知人同士が争う姿など、見たくはない。
「ほらほら。ごーろごろー」
「……うう、はうあー」
 やられている壬姫としても上官にこんなことをされて、どんな顔をしていいのか悩み始めたのが見て取れる。
 武はそんな姿が途中で面白くなったのか、さらに野良猫にでもするように壬姫を可愛がりはじめた。
 冥夜は目を丸くして、その光景を眺めてしまう。
 が、途中で思うところあったのか立ち直り、おほんと露骨に咳払いした。
「大尉殿――、その、失礼ですが」
「タケル、な」
「……では、タケル。余りそういったことをやるのは、どうかと思うが。珠瀬も嫌がっている……ようには見えないが、軍紀を保つ意味でもまずいだろう」
 生真面目な冥夜らしい、規律に則った進言である。
 そんな言葉を聞いて、武は何が楽しかったのか口元をほころばせた。名前を気安く呼ばれたことが嬉しかったのかもしれない。
 それまで壬姫をいじくっていた手をぴたりと止める。
「言われてみれば、そうだな。――悪かったよ、タマ」
 ようやく解放された壬姫はぼうっとしていたが、それを横目に武は冥夜と向き合う。
「これでいいだろ、冥夜」
 軽く笑ってそう呼びかけると、冥夜は思案するように腕を組んだ。
「……ああ。だが、それにしてもそなたは、私の予想とは随分違った衛士だったのだな」
「予想とは違うって、どういう意味だ?」
「そなたの噂はかねてから聞いていた。――姿を見たのは今日が初めてだが、XM3の発案者であること、そのXM3を用いた模擬戦で歴戦の衛士の方々に完勝したことはよく知っている。だから、もっと、らしい感じのする者かと思っていたのだ」
 なんとも言い難そうに、冥夜は眉根を寄せた。
 その表情に、武は耐え切れず破顔した。
「悪かったな。俺なんてこんなもんだよ。何といっても、夕呼先生の部下だからな。常識的な人間だとは思わないほうがいい」
「そうだな、こうして話をしてみると、それがよく分かった。――ただ、何となくタケルはそのほうが似合っている気がする」
「だろう? 自分でも、この性格は気に入っているんだ」
 明け透けに武がそう笑えば、冥夜もまたつられて口元を緩めた。
 だがその途中、武の視線が一瞬だけ格納庫の出入り口付近へと向けられた。その直後に、ふと笑い声が止まる。
「どうしたのだ?」
「あー、せっかく冥夜やタマと知り合えて楽しかったんだけどな、用事があるの思い出した」
「そ、そうか」
「ああ、俺って実は多忙だったんだ。忘れてた」
 武はそこで一度だけ、感慨深げに武御雷の雄姿を眺めた。何かを思い出すように、武の双眸が細められていく。
 その姿を眺めた冥夜は、何か言葉を発しようと口を開いた。
 逡巡の末、武の横顔に言葉を向ける。
「……やはり、気になるか?」
「何がだよ」
「武御雷だ。こんなものが、国連軍の基地にあるなどとは、不思議な話だろう――」
 どこか冥夜の言葉には自嘲的な響きがあった。
 だが、その言葉を受けて武はゆっくりと首を横に振る。
「いいや、何も変わった話じゃないさ。皇族と言えども、家族を想う気持ちはあるってことだろう。たったそれだけのことだ」
「そなた、……やはり知っていたのか」
「まあ、な。俺にも少なからず情報は回ってくるから、色々と分かるんだ」
 武はそこで武御雷を眺めることを止めて、冥夜と向き合った。
 居心地が悪そうにしている冥夜へと、言葉を選ぶようにして告げる。
「確かに、紫の武御雷を一介の訓練兵にってのは問題あるかもしれないが、――それも俺からしてみれば共感はできる。送った側には、これぐらいしか許されなかったんだろう。立場ってものがある」
「……だが、このように身に過ぎた物になど私は乗るつもりは無い」
 喉元から搾り出すように、冥夜はつぶやいた。
「そうだな。確かに訓練兵が気まぐれに操れるような楽な機体でもない。それに冥夜の気持ちもあるんだろう。――だけどせめて、生真面目そうな冥夜には受け入れ難いかもしれないけど、お前のことを想っている相手がいるってことだけは受け止めてやれよ」
 武のその言葉に冥夜は黙り込んだ。
 初対面であるわけだから、あまり深い話ができるわけでもない。
 この辺が限度ではあるのだろう。武は話を切り替えることにした。
「ま、あれだ。俺も会ってすぐにずけずけと物を言いすぎたな。悪かった。――余りそのことを考えすぎないようにな」
「いや、いい。……そなたの言葉の意味も分かる」
「そうか。まあ一人で抱え込めないようなら、誰か知り合いや上官にでも相談してみるといい。なかなか頼りがいのある仲間もいるようだからな」
 そこで武は心配そうに冥夜を見つめている壬姫へと視線を移した。
 つられて冥夜もその姿を目にすれば、表情は暗いままだったがふっと微笑を漏らす。
 表情に落ちていた影が幾分、和らぐ。
「そうそう。良い女ってのは、そうして笑ってくれていたほうが、馬鹿な男としてはありがたい」
 元に戻りかけた雰囲気を大事にするように、武はそこでおどけて見せた。
 冥夜としてもその気遣いは理解できたのだろう、表情に明るさを浮かべて頷き返す。
 その姿を見てから、友人に向けるように柔らかく武は言葉を発した。
「うん、良い顔してるぜ。――それじゃあ、また会う時まで元気にやっていてくれよ、冥夜、タマ」
 武はそのまま二人に背を向けて、武御雷の傍から離れて行った。名残惜しい気持ちはあったが、そのままあそこにとどまり続けるわけにもいかない。先ほどより時間が経過するにつれて、視線による圧力を強めている相手がいたためだ。
 格納庫を出て、こちらの姿をうかがっていた集団へと武は接近する。
 冥夜達の目の届かぬ領域に入ったところで、途端に膨れ上がった冷たい敵意が武を歓迎した。
「どうも、こんにちは。斯衛の方々」
 武の行く先を塞ぐように立っているのは帝国軍の女性仕官が四人。
 皆、一様に武の台詞を聞いて表情に険を深めた。武としては挑発したつもりではなかったのだが、相手からすればそうは取れなかったらしい。――というより、現状では何を言っても敵意を持たれる結果しか迎えないのだろう。
 そう考えて、武は小さく息を吐いた。
 ばれないようにため息をついたつもりだったのだが、その呼吸の音を聞き届けたのか、赤い斯衛軍の制服を着込んだ月詠は眦を吊り上げた。だが、その表情の変化を見ていた武は、怒った顔も美人だな、などと間の抜けたことを考える。
「――白銀武、だな?」
「そうですが。何か御用でしょうか」
 何を聞かれるのかは分かっているし、相手の懸念を知っている武としては、先に質問に答えて驚かせるなどといった心惹かれる選択肢を選ぶこともできるのだが、いかんせんそれでは更に不信感を募らせる結果となるだろう。
 それで満たされるのは武の子供心ぐらいだ。
 ならばここでは可能な限り真摯に対応しておいたほうが良い。
 例え語れる情報に限度があるために、相手の疑念を払拭できないとしても。
 そう武が覚悟を終えた直後に、月詠は口火を切ってきた。
「単刀直入に聞く。――冥夜様に近づいた目的は何だ」
「……いきなり穏やかじゃないですね」
「とぼけないでもらおうか、白銀武。貴様が国連軍のデータベースを改竄して、その地位に収まったことは調べがついている」
 視線だけで肉体を切り裂けそうな苛烈な視線が、武を射竦める。
 月詠の言葉に応じて、背後の三人もまた武を包囲するように動いた。緊張感を存分にはらんだ空気が形成される。
 そんな中で武としては、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
 武の反応を、対応に苦慮しているためと受け取ったのか、月詠はさらに言葉を続けてくる。
「城内省の情報と照会した結果、工作は明白だ。――あそこまで入念に改竄を行っておいて、最後の詰めを誤ったな。それとも、さすがに城内省までは手が出せなかったのか?」
 普段は、この時間帯であれば一定の人通りはあるものだが、今に限って他の国連軍職員が姿を見せない。
 事前に何らかの工作が月詠達によって行われているのかもしれない。
 ただ事実がどうあれ、結果として武への包囲網はこの瞬間に完成した。質問に答えなければ、そして何か少しでも不審な行動を取れば組み敷かれそうな一触即発の状況が生まれる。
「さあ、聞かせてもらおうか。――死人が何故、ここにいる」
 畳み込むように続けられる言葉には、常人ならば知らず後退してしまうような凄味が備わっていた。
「何故ここにいるかと仰られましても。――軍務ですから、としか答えようがありませんが」
 だが、しかし、武からすれば月詠のプレッシャーは耐えられないものではない。
 数限りない死地を経験した武にとって、対BETAでない対人による包囲状況などはどのようなものであれ、脅威には値しないためだ。冷静に四人によって形成された包囲網の穴を確認しながら、どう返答すれば場がうまく収集できるかを思考する。
「あくまで白を切るか」
「白を切るも何も、それ以外に返答の仕様がありません」
「……言葉遊びのつもりか? 私は貴様が、この基地に潜り込んだ理由を聞いている」
 その言葉の直後に、四人による包囲網が狭まった。あと一歩でも誰かが踏み込めば、互いが互いの襟首をつかめる距離になる。
 それはすなわち武力行使が起こりえるということだ。
 武としてはそれは避けたい。――のだが、うまい言い訳が考え付かない。土台、正史では死人であるはずの自分がここにいることなど不自然でしかないのだ。せめて月詠達とは衝突したくないというのが武の真意ではあるのだが、状況が本当に悪い。
 平静な表情を保ちつつ良い案はないかと頭を悩ませても、大して状況を切り抜けられそうな名案は思い浮かばなかった。
「この基地に入った理由は、もちろんBETAの糞ッたれ共を倒してやるためですが」
「……ならば何故、冥夜様に近づいた」
「それについては偶然です。それ以上でも、それ以下でもありません」
「……こちらの質問に答えるつもりはない、ということか。ならば手法を変えるまでだ」
 と、そう月詠が言葉を発した瞬間に、それまで沈黙を保っていた三人が動いた。
 三方向から別々に、武を無力化するために、接近してくる。
 並の衛士ならば気づいた瞬間には既に取り押さえられていることだろう。ほぼ完璧な連携によって。
 だが、それも武には通用しなかった。
 既にこのパターンへの対応策は、包囲状況を観察した際に考えてある。
 右側より接近してきていた神代へと体を向けて、まずは一人を警戒させる。その直後に何も見ないままに、背後へと一見無造作に足を突き出す。ごふり、と足刀部が見えてはいないが戎の腹部へとめり込んだ感触が伝わる。
 見えていないはずの相手を正確に無力化した武の動きに、残る三人が一斉に驚愕の表情を浮かべた。
 その時点で残り三人。
 見るまでもなく一人を蹴り飛ばした武は、距離的に月詠から離れている、目の前の神代へと接近した。
 相手も身構えているが、まだ甘い。今の状態の武を止めるには、そもそも一人では無理があるのだ。
 交錯はほぼ一瞬。
 二つ目のフェイントに反応した神代の出足を払って宙に浮かせた後、武はあえてダメージが少ないように臀部を蹴り上げて進行方向から退け、そのまま前方へ跳躍した。
 隙間なく形成されていたはずの包囲網が、もろくも崩れ去った瞬間だった。
「止めましょう。こんな所で、人間同士が争うなんて馬鹿らしい」
 いまだ地面に倒れたままの戎。
 蹴り飛ばされたものの体勢を整えて無事に着地した神代。
 包囲を脱出する武に対応できなかった巴。
 そして武への視線をさらに強めた月詠を順番に見つめながら、武は敵意なく言葉を発した。
 だが、それを侮られたと取ったのか、巴が顔をゆがめて再び武に迫ろうとした。
 仕方なく武もまたため息をついて、応対しようと身構える。――が、その前に月詠が巴の動きを片手で制した。
「待て。――白銀武、聞きたいことがある」
「何でしょうか? この場を穏便に収められるなら、可能な限り答えます。もちろん、軍機に触れないことが条件ですが」
「そうか、ならば尋ねる」
 武の返答を確認してから、月詠はそれまで表情に浮かべていた敵意の中に幾分の困惑を含めて、口を開いた。
「国連の兵士であるはずの貴様が何故、……帝国側に伝わる技術である鬼道の技を使う」
 そう問われた直後に、一瞬だけ武は自制できずに目を見開いてしまった。
 驚きと、そしてある種の尊敬によって月詠の顔をまじまじと見つめてしまう。まさかあれだけの短い期間で、そのことに気が付くとは。短い交錯だけで相手がそのような事実に思い当たるなどとは露にも思わず、武は体に馴染んだ無現鬼道流の技術を用いて、肉薄してきた二人に対応した。
 しかしそれも、月の輪のように露骨な技を出したわけではない。足運びや体重移動のそれが無現鬼道流の技術であったというだけである。よほどの相手でなければ、その事実を察するどころか疑念に思うことさえできないだろう。
 だというのに月詠は気が付いた。
 それも間違いなく確信を持って。武としては驚くより他は無い。
「……この基地内で、無現鬼道流を修めている国連軍の兵士は冥夜様だけであるはずだ。それを何故、死人であるはずの貴様が」
 月詠の言葉に動揺したのか、三人もまた驚いた表情で武を凝視してくる。
 どうにか切り抜けようとしていた武からしてみれば、更なる疑惑がわいた形だ。喜ばしいものではない。
 事態を収拾しなければならないが、やはり妙案が浮かばない。
「ただの偶然でしょう。ここが日本である以上、帝国の武家の生まれであっても国連軍に入った酔狂な人間がいないわけではない。そういった相手から鬼道流が伝わったとしても不思議じゃありません」
「では、白銀武。お前は誰に手ほどきを受けた。その錬度、並の使い手ではあるまい」
「――死んだ仲間ですよ」
「その仲間の名は?」
 場を濁そうとした武であったが、思いのほか厳しい追及が迫る。
 煙に巻こうにも、目の前の月詠は中々楽に騙されてくれる玉ではない。生半可な受け答えでは逆に噛み付かれかねない。
 最早ここまでかと、強引に会話を打ち切ることまで、武は考えた。
 が、そこで外側から助けが現れた。
 月詠達と武がにらみ合う場所に、誰かが歩く足音が聞こえてきた。よく考えれば基地内で無人の場所など早々あるわけもなく、どのような場所であっても人の出入りは起きるものなのだ。どちらかと言えば、これまで人が来なかったことのほうが珍しいわけで。
 外部から近づいてきている、知りもしない誰かに武は感謝の念を抱いた。
 武以外の国連兵がいる状況で、月詠達が問題を起こすほど無能であるとは思えなかったためだ。
「今日のところはこれで引き下がるが、冥夜様に不埒な行いをしようとすれば我々が容赦をしないということを覚えておけ」
「肝に銘じておきますよ」
 予想通り、迅速にその場を離れて行く月詠達に胸をなでおろしながら、武は息を吐いた。
 少しばかり頭を悩ませる問題であったためか、今朝は酷くないように思えた頭痛が、ぶり返してくるような悪寒が走った。
 ずきんずきんと早まる脈動に応じて、脳みそが切り裂かれるような鈍くて鋭い厄介な痛みが襲い掛かってくる。
 その痛みを耐えるために壁に、背をよりかからせてから、武は目を瞑った。呼吸を落ち着ける。
 カツカツと規則的に地面をける軍人の足音がよく聞こえた。
 その足音の主こそが、月詠達を退散させてくれた恩人であるのだろう。
 足音の主が角を曲がり、武の視界に入ると思われる距離まで到達したところで、武は目を開いた。
 そして恩人の姿を視認する。
「何だ。――まりもちゃんじゃないですか」
「白銀大尉? こんな所で何を?」
 その恩人は、武にとって夕呼に並ぶ恩師である神宮司まりもだった。
 まりもには手が空いていない時に試作段階のXM3のデータ集めを頼んだこともあり、現時点でも武とは面識がある。
 それに今後も教官であるまりもが訓練兵にXM3に関する教習をする際の留意点を、発案者としてレクチャーする予定も組まれているために、207分隊の面々と違って顔を会わせる機会は多い。
「いや、ちょっと立ち眩みしたんで休憩してました。ただ、まりもちゃんの顔見たら一気に治りましたけど」
 にっと口元に笑みを浮かべてから、武は寄りかからせていた壁から背中を離した。
 そのまま、まりもの眼前まで移動する。
「またですか? 余り無理をされすぎないようにしてください。体調の管理も軍人の務めですから」
「ははは、面目ありません。――以後、気をつけます」
 条件反射というやつだろうか。まりもには散々にしごき抜かれた記憶があるために、何事か注意されるとすぐに平謝りしてしまう。――立場上は相手が軍曹で、自分が大尉であることなど、何の役にも立ちはしない。
 じと目で見られた瞬間に武の敗北は決まっているのである。
「何度も大尉のその言葉を聞いたような気がしますが――」
「いやいや、次こそは挽回してみせますよ。それに、えっと、そうだ、まりもちゃん。他人行儀はやめてくださいよ。大尉なんて淡白な呼び方じゃなくて、訓練兵に向けるような感じで厳しく白銀! か、生徒に向けるように優しく白銀君と呼んでくれるのが俺の希望なんですけど」
「その件についてはお断りしたはずです。上官である大尉を私がないがしろにするわけにはいきませんから」
「えー、いいじゃないですか」
「副指令の真似をしても駄目です」
 割と粘ってみても、まりもが武の言葉に頷くことは無い。こういった種類のことには、かなり頑固であるらしい。
 知らず口元から 「つれないなあ」という言葉が漏れると、まりもは疲れたようにため息を吐いた。
「はあ……、それで大尉はこんな所で油を売っていてもいいのでしょうか。確か先日までは分単位でスケジュールが詰まっていたはずだと記憶していますが」
「え? ああ、はい。あれも一段落つきましたから。今は夕呼先生しかやることがないので、俺は小休止中です。非常事態が起きない限りは楽なものですよ。――ところでまりもちゃんは何を?」
「私はこれからひよこ達とミーティングです。色々とまだ未熟な連中には、叩き込まなければならないことが多いですから」
 そう言ってから、まりもは優しく笑みを浮かべた。
 口調と裏腹に表情は、かつての高校教師であったまりもとそっくりだ。そのことが嬉しくて、武の口元は盛大に緩んだ。
「な、なんですか。そのニヤついた表情は」
「いや、まりもちゃんのそういう所が好きだなって。俺、平和になったら教師になったまりもちゃんの生徒になりたいです」
「なぁっ――!?」
 唐突な言葉に驚いたまりもがピタリと動きを止めるが、武としては変なことを言ったつもりはないので、そのままニヤニヤとまりもを眺めつつける。その視線による攻撃に耐えられなかったのか、まりもは硬直した体を再起動させて、慌てて顔を横に背けた。
 そして、そのまま小走りで武との距離を取る。
「あ、まりもちゃん」
「それではっ、訓練兵達が待っていますから、私はこれで失礼します!」
 そのまま体をくるりと反転させて、まりもは風のように撤退を始めた。
「あらら、行っちゃったか」
 たたたっと駆けながら離れて行くまりもの後姿を目にしながら、残念そうに武は呟いた。


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