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 何度もループを繰り返せば、人間関係の一つや二つは変わってしまうことはざらにある。
 恋人がただの友人に、友人が許すことのできない敵へ。
 一度のループでは憎しみを込めて切り捨てた敵が、ある時は仲間になったこともあった。
 スタート地点は同じであっても、それから取る行動一つで未来は変わる。
 何気ない行動の一つ一つが知らぬところへ影響して、導き出す結果を変えていくのだ。
 だから、昨日の友が敵になる。そんなことは何度も経験してきた。
 だがしかし、未来がほんの僅かな選択の結果によって激しく変化していくループの中でも、ほぼ全ての場合において仲間であり続けた存在があった。それは207小隊の面々であり社霞であり、A-01の隊員達であり、教官であったまりもであり、――そしてこれから会うことになる相手だった。
 香月夕呼。武のループは常に彼女と出会うことによって始まる。
 そして夕呼と出会って初めて、武はBETAから人類を救うという目的に近づくことが出来るのだ。
 何万回とループを繰り返すことで、その経験を蓄積した結果、今の武は並の衛士など及びもつかない技量を持っている。
 だがしかし、何度武がループを繰り返そうとも夕呼にはなれない。
 人類の大逆転劇という舞台において、オリジナルハイヴを破壊する衛士の配役を得ることはできても、武が作戦の演出を行うことはできないのだ。
 人類において、その役目を完遂することができるのはただ一人しかいない。
 00ユニットの作成。スサノオの実用化。
 およそ不可能と思われる問題を、何度も壁にぶつかりながらも、最終的には解決してきた横浜基地の副指令。
 武は頭をミキサーにかけられるような耐え難い痛みに苦しみながらも、その人物の到着を待っていた。
 そして常のように、彼の人はやって来た。
 全く知らない、だが知ってはいけない知識を持った武を値踏みするかのような視線を向けながら。
「――貴方が、白銀武?」
 それは一体何度目の、香月夕呼との邂逅であるのか。
 そのことを考えると武の口元にはわずかな笑みが漏れ、それをもって最後のループは始まった。


   /


 ある日を境にして、横浜基地は変わり始めた。
 その明確な理由を基地に所属する者達は知らない。
 だがしかし、基地内が変化していることは誰もが感じ取ることが出来た。
 その変化を呼び込んだ最たるものは、それまで戦術機開発には関わってこなかった副指令、香月夕呼が突然開発したとされる新型OS“XM3”の出現。
 ならびに“XM3”を搭載した撃震にて、出撃回数二十回以上のエース達から編成される中隊を単機で打ち破り、新型OSの優位性を燦然と示した衛士、白銀武。
 XM3に搭載された高性能CPUは、既存の概念を覆す戦術機へのコマンド入力を可能とし、操作の可能性を大いに上昇させた。それは操作技能の修得難易度を跳ね上げることにも繋がったが、衛士の生存率を格段に上昇させることもまた事実だった。
 そのことを、白銀武の神業のような機動制御を見た時に、基地内の多くの衛士は思ったものだった。
 そして少し前にようやく総戦技評価演習をクリアすることができた御剣冥夜もまた、新型OSの有用性を再確認していた。
 XM3には遊びが少ない。操作は困難を極める。だが、座学ではそれまで不可能と教えられてきたような動作を苦も無く行うことが可能になった。――それは言ってみれば技術の革命だ。
 OSに慣れれば慣れるほどに、その有用性を実感することができる。
「だが、そのたびにあの機動の遠さを知ることにもなるが」
「……御剣、何か言った?」
「いや、何でもない。ただの独り言だ」
 冥夜を含む第207衛士訓練部隊出身のメンバーは現在、先日の白銀武とエース中隊が模擬戦闘を行った際の映像を眺めていた。
 画面の中で模擬戦闘を行っている十三名は、基地内で最も技量が高いと思われていたエース十二名と、そしてこれまでは無名であったものの、XM3の発案者であり、現在唯一XM3の性能を限界まで引き出すことができると言われている男である。技量の高い者たちの機動は見るだけでも参考になるが、この十三名は別格だった。
 そしてその中でも異彩を放つ白銀武の機動は、その一挙一動が、戦術機適正検査を受けてまだ数日も経っていない面々の糧となった。余りに次元の高すぎる機動であるために理解することができない部分の方が多いものの、それでもおぼろげながら理解できる機動の一つ一つが生きた教本となる。
「それにしても、白銀大尉って何者なんでしょうね。これだけの腕を持っているのに、今まで無名だったなんて信じられないわ」
「確かにな。例えXM3を搭載していたとしても、単機で中隊を相手にするとなれば余程の技量が必要だ。それも最終的には、被害は軽くなかったにしても勝ってしまったのだからな。間違いなく横浜基地、いや極東ですらトップレベルの衛士であるはずだ。それにも関わらず存在を知られていなかったということは、副指令にとって余程の切り札であったと見るべきか」
「神宮司教官が言ってたけど、これで僕達と同い年っていうんだから反則だよね〜」
 順に千鶴、冥夜、美琴が画面に映し出された、ただ一機の撃震がエース達を翻弄する映像を眺めながら呟く。
 これまでの戦術機機動の常識を破壊するかのように、三次元的な起動で白銀機は縦横無尽に模擬戦場を移動している。
 そして歴戦の勇士たちを手玉に取っているのだ。
 例え数百のBETAが攻めてきたとしても、難なく撃破できる精鋭たちを圧倒する撃震の存在など、その目で見なければ誰もが信じることはできない。実際、新型OSを搭載しただけの撃震にエース中隊が敗れた時には、基地中の衛士が我が目を疑ったものだった。
 その常識破りな結果を笑いながら見ていたのはXM3の開発者である香月夕呼一人ぐらいであるだろう。
「だけど、私たちも頑張って白銀大尉に近づけるようにしないといけないよね。せっかく私達の代からはXM3の搭載された戦術機に乗ることを前提としたカリキュラムを組んでもらってるんだから」
「珠瀬の言うとおりだな。この白銀大尉の機動はまだ望みが過ぎるとしても、一刻も早く我々は戦場に立てるようにならなければいけない」
 決意を言葉にした冥夜の視線は、やはり映像の中、模擬戦場を駆ける撃震へと向いていた。
 機動させるのは、横浜基地に突如として現れた謎の大尉。
 自分たちと変わらぬ年齢。だがしかし、大きく隔たる実力。
 多忙なXM3の発案者兼テストパイロットと一介の訓練兵が言葉を交わせるわけもなく、冥夜達は白銀武と面識はない。だが、それでも冥夜達の中で白銀武という名前は、その機動の凄まじさから目指すべき目標として深く刻み込まれたのだった。


   /


「こんちはー、入りますよ」
「あんたね、……部屋に入ってから確認するのってどうなのよ」
「まあまあ、いいじゃないですか。俺と先生の仲なんですから。――それよりもXM3の調整もう一度お願いしても良いですか? ちょっと違和感があって」
 部屋の中で回想に耽っていた夕呼を現実に呼び起こしたのは、他ならぬ回想の中心となっていた武だった。
 もはや自室のような気軽さで副指令である夕呼の部屋と入ってくると、簡単に難題を頼み込んでくる。
「白銀、またなの? あたし、この前から何度も同じことさせられてるような気がするんだけど」
「ええ。本当に小さな問題でしかないんですけど、その差がハイヴ侵攻の時にでかく圧し掛かってくるんです。俺がこの前やったヴォールク・データのシミュレーション見ましたよね? あれじゃまずいんですよ」
「……鼻唄歌いながら単機でデータの最深部まで到達しておいて、まだ足りないってわけ?」
「はい。ただのハイヴ攻略するなら、あれでもどうにか騙し騙し使えそうなんですけどね。あくまで究極的な目標はオリジナルハイヴですから。あれを落とすためには、万全を期さないといけません」
 武は軽い口調でさらりと、今まで誰も成し遂げていないことを口にする。
 その様子は事情を知っている夕呼であっても少しばかりの驚きを禁じることはできない。
 だが最近はようやく慣れてきた。夕呼は感情の変化を悟られないように無表情を装って、武へと言葉を返す。
「……そうは言われてもね。あたしにだって色々あるから今から取り掛かるってわけにもいかないわよ。この前、白銀が言ったXM3をダシにしてオルタネイティブ反対派の動きを牽制するのとか、クーデターの動きを探っておくとか、凡人なら過労死しそうなオーバーワーク続けてるんだから」
「ああ、やっぱりそれ長引いてるんですか。なら、そっち優先してください。XM3の調整はハイヴ攻略までに完了してくれればいいんで。今はなるだけ外とパイプ作っておいてもらわないと」
「あんたねえ、あっさり引くってことは無理だって分かってて提案してるわね? そういうのやめなさい。ただでさえこっちは最近疲れてるんだから」
「ははは、すみません。ただ、もしかしたら夕呼先生ならできててもおかしくないなっては思ってたんですよ。ほら、先生って色々と常識外れじゃないですか」
「……もしかして、盛大に喧嘩売ってる?」
 打てど叩けどマイペースを貫く武の態度に、我慢できなくなって夕呼はため息をついた。
 初めて会った頃から、こうなのだ。どうやら武は夕呼のことを熟知しているらしく、本当に逆鱗に触れるようなことは全くしないくせに、冗談ですむ範囲では度々夕呼をからかうという悪癖があった。
 これがただの小僧ならば、夕呼とて舌戦で軽々と返り討ちにしてやるところなのだが、更に面倒なことに見た目は青年でも武の中身は意外と強かであることも問題だった。
 本人曰く、ループを繰り返した幾つもの自分が統合されている存在であるので、経験は無駄に積んでいるらしい。
 一度、言い負かそうと躍起になった夕呼は手痛い敗北を迎えた記憶がある。
 そのため以降は、からかわれても反応しないようにするしかなくなっているのが実情だった。非常に口惜しいことに。
「まさか。何で俺がそんなことを。――それよりも、疲れてるならあまり無理はしないでくださいね。先生、打たれ強いから我慢しすぎる人ですから。本当に無理だと思ったら、休んでください」
 そして時々、へらへらとした表情を真摯に豹変させて、夕呼の身を気づかってくるのだから、扱いにくいことこの上ない。
「ああもう、はいはい分かったから、もう用無いなら部屋から出て行きなさい。さっきも言ったけど、あたしだって暇なわけじゃないんだから。あんたのお守りばっかりしてるわけにはいかないのよ。分かる?」
「お守りって、手厳しいなあ。まあ、それだけ言えるようなら本当に元気そうですね。――それなら俺はこれで退散させてもらいますよ。何か問題があったらすぐ呼んでください」
「今は戦術機馬鹿のあんたが手伝えそうなことなんて残ってないから、そんなこと考えなくていいわよ。次にあんたが起きるって言ってるクーデターにでも備えてればいいわ。いっそのこと、今までのループで大抵は一緒だったっていう207B分隊とでも交友を深めてくれば? あの子達のためなんでしょう。あんたっていう白銀武の統合体が鑑純夏と一緒の道を行かなかったのは」
 夕呼は武の戦う理由を聞いている。
 元いた世界での知り合い、そしてこちら側の世界をループした際にできた知り合い。それらの相手を守りたいのだと武は言っていた。そして明確に言葉にされたわけではないが、その中でも207B分隊に格別の執着を武が持っていることに夕呼は気づいていた。
 だが、その言葉に武は首を横に振った。
「それは止めておきます。俺にはどうも、時間があんまりないみたいですから」
「……まだ悪化は止まらないわけ?」
「ええ。残念ですけど。最近なんて平常時の脈拍が150超えちゃってて。多分、先生が予想したとおり一つの体にループした幾つもの白銀武っていう意識が詰め込まれてる後遺症なんでしょうね。時間とともに体が壊れていくことが止められない。――だから切り詰められることは、切り詰めておかないと。薬飲んで眠っている間なら、そこまで体に負荷もかからないってことだけは分かってますし」
 武は何でもないことのようにそう言った。
 だが、その言葉の内容が軽くないことを夕呼は理解していた。
 何と応じればいいものか考えあぐねてしまう。
 そう、武の体は今この時も徐々に壊れているのだ。
 始まりは夕呼と武が出会ってから数日。最近は頭痛が酷いという武の言葉からだった。
 少し心配になって夕呼が各種バイタルデータを医務室で取らせてみたものの、以前のBETAとの戦闘で受けた負傷を除けば、結果は完全な健康体。その時はただ意気込みすぎているだけだろうということで、夕呼はその頭痛はすぐに収まるだろうと考えていた。
 だが、結果は違った。
 日を追うごとに武の頭痛は悪化していったのだ。
 そしてある時、強すぎる痛みに耐えかねた武は倒れた。XM3のテストパイロットとして、徹夜でデータを積み重ね終わってから、部屋へと帰る時の出来事だった。今までのループの中でそのような頭痛を持ったことや、あるいは重大な病気にかかったことなど武はない。
 それなのにどうして今回、そのような原因に陥ったのか。
 不思議に思った夕呼が、武の健康状態を今度は念入りに調査していく最中で、それは判明した。
 身体的には武はほぼ問題がない。ただ一点を除いて。
 だがしかし、綿密な診断の末に判明したただ一つの結果が問題だった。
 武の脳の活動状態を調べてみたところ、常人の何十倍というあり得ない水準で活動していることがデータとして得られたのだ。診断結果を示す画面、常人なら活動していても青く表示されるはずの脳が、武の場合は燃える様に赤く染まっていた。
 それは取りも直さず、常人の何十倍という速度で武の脳は劣化しているという事実を意味している。
 考えられる原因は一つだった。
 夕呼の目の前にいる武は因果導体として解放された後に、鑑純夏と共に行くことを望まず、BETAに蹂躙される世界の知人を、友人を、そして恋人を守ろうと思った白銀武達の統合体である。そして、そんな多数の意識が、一つの脳の中に収まっているのだ。
 簡単に言えば、生身の肉体で量子電導脳の真似事をしているような状態だともいえる。
 ただ一つの脳が、並行して存在する多数の意識から発せられる命令を処理しなければならない。
 その過負荷は想像するだに恐ろしいものがあった。
 そしてその激しさを示すかのように、武には異常な兆候がそれからも続発していった。止むことの無い頭痛。早まり続ける胸の鼓動。散発的に生じる鼻血や吐血。その体が限界に近づいているのは誰の目から見ても明らかだった。
 今では薬なしには満足に行動することすら難しい。
「そう。……あんたがあいつらと会わなくていいっていうんなら、それでもいいわ」
「はい。そういうことにしておいてください。まあ話したくないと言えば嘘になりますけどね。それよりも、あいつらを守ることのほうが重要ですし。――それにこうして夕呼先生とはほぼ毎日会えてますから、目の保養はそれで十分です」
 武はそこで、痛みを感じさせない表情で夕呼に笑いかけた。
 それは初めて会った時から変わらない、親しみの感じられる笑み。
 何故かそれがいたたまれなくなって、夕呼は顔を逸らした。
「馬鹿言ってるんじゃないわよ。……それよりも渡した薬を絶対に飲みすぎないこと。分かってるわね? あれは命を縮める毒でもあるんだから」
「分かってますよ、先生。俺だって無駄死にしたいわけじゃありません」
「あと、本当に体が駄目になったら報告しなさい。戦術機を動かせなくなったあんたを作戦に参加させるなんて博打はできないわ」
「それも分かってます。シミュレーターでの結果が悪くなったら俺はすぐに首なんでしょう? いつ倒れるか分からない男にハイヴ攻略を任せるわけにはいきませんからね。――ただ俺だって、石にかじりついてでも倒れるつもりはありませんけど。実際に、これまでシミュレーターだけは悪くなったことはないですよね?」
「まあね。……だから駄目になったら伝えるってことであたしも妥協してあげてるのよ」
 夕呼はそこでもう一度、武の顔を見据えた。そうして見れば、ただの健康な青年にしか見ることができない。誰一人として、その先が長くないことには気づけないだろう。それだけの隠蔽をするために武はどれほどの忍耐を強いられているのか。
 自分の変調の原因を知ってから、武は痛みに顔をしかめることをやめた。
 体が徐々に悪くなっていることは明らかなのに、霞がリーディングを行えば涙をこぼすほどの痛みに蝕まれているはずなのに、自分が長くないことを悟った武は最初に会った時のように陽気に振舞うようになった。
 そして、それからは本当に必要な時にだけ夕呼の前へと姿を現すようになったのだ。
 207B分隊への入隊は当然、取りやめられた。
 XM3のテストパイロットとしての活動。武が動く必要がある重大な事件。そしてハイヴ攻略作戦。
 ただそれだけの活動は行えるように、じっと壊れていく体を休め続けている。
「そうでしたね。それに関しても本当に感謝しています。最近はどんどん戦術機の機動だけは我ながら神がかってきていますから、この調子なら余裕でハイヴ攻略メンバーには選ばれるはずですし」
「大した自信ね」
「まあ、これぐらいは許してください。大口叩けるだけの結果は出してるつもりですから」
 誇張や虚勢ではなく、武はあっさりとそう言葉を口にした。
 その言葉に嘘偽りは一片も含まれていない。
 死に瀕する危険を得た代償なのか、実際に武の能力は日毎に研ぎ澄まされていた。
 シミュレーターで仮想ハイヴ攻略を行うたびに、その異常性が際立っていく。数多の意識が存在するために限界を突破して高められた脳の活動が、白銀武という衛士を人を超えた化け物へと変貌させた。
 常人の何十倍と言う水準で活動する脳は、あらゆる情報を瞬時に判断する。
 武は症状が悪化するたびに、衛士としての能力を向上させていった。
 まだこちらに来たばかりの頃は機体を中被させて辛勝していたエース中隊と、それから約一ヶ月が経った三日前に非公式に再戦をさせれば、今度はほとんど傷さえ負わずにエース達を叩きのめしてしまった。それも、今度は同じ条件で、相手にもXM3が搭載されていたにも関わらずだ。
 同じくA-01と非公式にシミュレーションで戦闘させてみても、やはり武の駆る撃震は多数の不知火を相手にしても止まることはなかった。頭痛が深まるたびに、時間が遅くなるとは武の言葉だが、もはや見ている光景が人とは違うものに変わっているらしい。
 同じOSを搭載した第三世代機であっても、今の武を前にすればなす術も無く敗れることになるのだ。
 まさに命を燃やすという言葉に相応しいほどの、苛烈な戦術機機動だった。
 そしていつしか、シミュレーション下で何千何万というBETAに囲まれた状況であっても、ほぼ無傷で目標地点までたどり着ける存在へと武は化してしまった。夕呼の計算では、もはや他の衛士などいなくともフェイズ4以下のハイヴならば、ハイヴ坑内に侵入さえできれば、武一機で攻略できるというシミュレーション結果まででてしまった。
 それがどこまで異常であるかは、説明するまでもないだろう。
 そして、その異常なまでの衛士としての能力があるからこそ、夕呼は武を病院へと叩き込むことができないでいるのだ。
 教え子だと名乗り、自分を信頼している相手の死期を早めるような決定は、夕呼にとっても幾らかの罪悪感を抱かざるを得ないものだった。だがしかし、だからと言ってそれだけの逸材を遊ばせておくようなことは断じてできない。
 理論と倫理ならば夕呼は常に理論を選択する。
 それは今までもこれからも変わることの無い普遍の真理だ。
 そしてだからこそ、夕呼は武の顔を正面から覗き込む時に、一抹のやるせなさを覚えずにもいられないのだ。
「そうね。分かったわ。――ハイヴを攻略するためのお膳立てはしてあげるから、誰とも会う気がないなら今は休んでおきなさい」
 だから、それぐらいの言葉しか口にすることができない。


   /


 夕呼の部屋を退室してから、武は真っ先に自室へと向かった。
 最早その表情を取り繕うのが限界だったためだ。
 あれで夕呼は冷徹なくせに優しいなどという相反する性質を持っているために、武が苦しんだ表情を見せれば少なからず心配はするだろう。それを避けたかった。武は自分が誰かの負担になることだけはゴメンだった。
 何度もループを経験して、何度も仲間達に助けられた。その記憶を今の武は全て持っている。
 207B分隊のメンバーを筆頭に、多くの人間の命を犠牲にして武は生き残ってきた。
 もちろん武も何度も死んだのだが、それは擬似的な死でしかない。
 因果導体としてやり直しができた以上は、それは死ではないのだ。
 つまり仲間達を何度も死なせておいて、自分はただの一度も死んでいない。武はそう考えていた。
 だからこそ今回、先が長くない自分は、最後のループではその清算をするべきだとも。
「くそっ……、経口薬じゃもう足りなくなってきたな」
 自室に入ってから顔を盛大にしかめると、武は迷わずアンプルと注射器を手に取った。
 それは夕呼が手配してくれた、強力な鎮痛作用を持つ麻薬の一種だ。
 体の内側をぼろぼろにするが、それと同時に嘘のように痛みを消してくれる。
 末期癌患者に用いられるそれでなければ、武の痛みはかきけせないほど強いものへと変わっていた。
 躊躇なく手馴れた動作で血管に注射することで、脳の中身をミキサーにかけるような激しい痛みが消えてくれる。
 そこでようやく武は、肩から力を抜いて息を吐くことができた。
 痛みは露骨に精神を削り取っていく。
 気がつけば武の体は刻一刻と限界に近づいていた。
「ははっ、こうなってみるとよく分かる。純夏が俺からループの度に記憶を奪っていたのは、嫉妬だけが原因じゃなくて、脳味噌が飽和して壊れてしまわないためだったのか」
 引き潮のように消えていく痛みを実感しながら、武は手の平で抑えて笑った。
 その笑みはぎこちなく、額には脂汗が浮いている。
 先ほどまで感じていた痛みがどれほどのものであったのか、想像するのは難しくない。
「だけど……、これだって悪いことばかりじゃない。今の俺には、BETAが止まって見える」
 武は呟きながら笑いを強めた。
 痛みに引きつった表情を、さらにニイッと深める。
 反芻するのは、最近手に入れた不思議な感覚。頭の中に複数の自分が並行して存在し、それが入手した情報を分割して高速で処理していくような高揚感。頭痛が深まるたびにソレを自覚し、ソレを自在に操れるようになっていく。
 脳を壊していくという代償で得られた武の能力。
 それさえあれば、例え純夏がいないためXG-70bを使用することができない現状であっても、オリジナルハイヴを攻略することすらも――。
 そんなことを考えることで、痛みに折れそうになる自身を、武は鼓舞した。
「何にしても、俺にはもう時間が無いんだ。――今日も早く寝ないと」
 武は無駄な思考をそこでカットして、愛用している睡眠薬を口に含んだ。
 今日もこうして武の一日が終わる。


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