耶麻台国の隠れ里の離れにある森。

そこに二人の男と女が立っていた。

一人は蒼い衣服に身を包んだ隻腕の青年、九峪。
もう一人は強い意思を秘めた瞳が印象的な女性、伊万里だ。


「それで、こんな場所に呼び出して何の用なんだ?」


右腕を横に広げて、いつもの軽薄な笑みを浮かべた九峪。


「……私なりにあの後、色々と考えてみたんだ」

「へえ」


伊万里の言葉に、九峪は値踏みする様な視線を彼女に向ける。


「取り敢えず、私は火魅子候補としてやっていこうと思っている」

「きっと途方も無く辛いぞ?」

「解っている。けど、大丈夫だとも思っている。上乃も仁清も私の手伝いをしてくれると言ってくれた」

「前線で戦うだけじゃないんだ、街の中でも休む暇も無いかもしれないぞ?」


九峪は伊万里の決意を鈍らせるような言葉を投げかける。

しかし、伊万里は、


「それも解っている。私は山人として育ったから礼儀作法なんて知らないし、まして国の運営なんて出来はしないだろう」

「なら、どうして?」

「それでも私にはやれる事はある。知識が足りないのなら学べばいい、力が足りないのなら鍛えればいい。私には誰かを守れる可能性があるのだから」


動揺する事無く、気圧される事無く、躊躇する事無く伊万里は九峪に言葉を返す。
その瞳に先日までの迷いは見えない。


「物事はそう簡単には進みはしない……解っているのか?」


普段、軽薄に笑う九峪は、時折のぞかせる深く沈んだ笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
その言葉はただ純粋に重い。

漠然と、伊万里は現実の残酷さを知っているからこその重さだと思った。


「そうかもしれない。いつか私も挫けるかもしれない――」


言葉をそこで一度区切る伊万里。

会話が途切れた事を不審に思った九峪は伊万里を見つめる。

伊万里は九峪のこげ茶色の瞳を見つめ返した。


「――だけど挫けたら、あなたが逃げるのを手伝ってくれるのだろう?なら、それまではやってみる」


伊万里はその時初めて九峪に向かって微笑んだ。


「――なっ!」

「昨日、私にあなたは言っただろう。逃げるのならば手助けする、と」

「確かにそれは言ったが、あれは……」

「言った事をひるがえすのか?」


挑発的な伊万里。
昨日とは逆の構図になっている。


「……確かに手伝いはするが、そこまで俺を信用していいのか?俺は素性も知れない旅人だぞ」

「それでも、あなたが私を助けてくれた事実は変わらない」

「俺は嫌味な男だ。これからもあんたの苦しめる。一昨日や、昨日のように、な」


自嘲的に笑う九峪。
その瞳が見つめるのは過去か。


「確かに最初はそう思った。けれど、違う」

「何も違わないさ」


恐れるかのように伊万里の言葉を否定する九峪。


「あなたは私がこれから直面するだろう事態を私に教えていたんだ。酷く嫌味に、あなた自身に私の憎悪が向くように」


伊万里の言葉に九峪は沈黙した。

だからこそ伊万里は自らの推測が当たっていると確信した。
九峪の行動に一定の法則性が存在することに伊万里は気付いていた。
酷く嫌味な行動でありながらも、常に九峪は伊万里に決断するための材料を提供し続けてきた。

いや、彼女が本心を自覚できるように、敢えて嫌味であるのかもしれない。
伊万里はそうも考えていた。


「そして、一つ不可思議なことがある。何故あなたは私が火魅子の素質を持っていることが解ったんだ?」


沈黙した九峪の口が開かれることはない。

それは伊万里が気付いた二つ目の疑問点。
火魅子の素質を持つ子女である伊万里の発見という余りにも大きすぎる事柄に気を取られていて、誰もまだ疑問を抱くには至っていないが、九峪は間違いなく伊万里が王族であることを知っていた。
そして、九峪はその事実を知っていたからこそ、伊万里に狗根国と戦うか否かを決断させようとし続けてきたのだと、伊万里はそこまで考えていた。

そうでなければ九峪の不可解な行動の理由は説明できないから。
いや、そう考えると九峪の行動が理解できるから。

伊万里は昨夜、余りにも辛すぎて仕方なく笑っているような笑みを浮かべた九峪の姿を思い出していた。
ただ軽薄なだけの男ならばあの笑みを浮かべる事はない。
あれは真に絶望してしまった者だからこそ造りだせる、とても悲しい笑みだから。


「私に王族の血が流れている事を教えたのはあなただ。ならば全てを話すべきじゃないか」


真直ぐな伊万里の視線。

九峪はその視線から逃げるかのように、空を見上げた。



誰も何も語らない。

月が雲に隠れ――そして再びその姿を現す。

二人だけのその場所に存在するのは静寂。

ただ木々のざわめきのみが聞こえる。



このまま、ただ緩やかな時が流れ続けると思われたが、


「……この九洲が平和になったら全て話そう」


九峪は絞り出すように、ただそれだけの言葉を発した。


「……解った」


納得はできなかったが伊万里は頷いた。
今の九峪の姿が昨日の自分よりも危うく思えたからだ。

そして彼女は心の中で付け加えた『今のところは』と。


伊万里の話は終わった。
だから、彼女はその場所を離れようとしていたのだが、


「こんな場所にいたのですか」


二人に向かってハスキーな声が聞こえてくる。
そして数瞬後、音もなく黒装束に身を包んだ女性の姿が現れた。
清瑞である。


「伊万里様、伊雅様がお呼びです。何事かがあったようですのでお急ぎください」


伊万里が火魅子の素質を持つことが解ってから、清瑞は彼女を王族として扱っている。
そのため、最初とは口調が違う。


「雅比古、貴様も一応来い。伊雅様がお呼びだからな」

「ああ、解った」


最初の出会いが戦闘で、しかも九峪に追い詰められたためか、清瑞は九峪に対してどこか冷たい。
いや、正確にはライバル視している。

よって、本来の突き放した口調で話しかける。


「……話は終わっただろう。行こう」

「ああ」


九峪の言葉に伊万里は頷き、走り出した。




















「……当麻の街が制圧された?」

「うむ。当麻の街を制圧した者達は『耶麻台国再興軍』を名乗っている。確証は無いが火魅子の資質を持つ子女がその集団を率いているという情報もある」


問い返す九峪に向かって伊雅。

耶麻台国の隠れ里の伊雅の部屋で、伊雅、伊万里、音羽、清瑞、上乃、九峪の合計六名が何かしらを話している。


「それで我々もその再興軍とやらに合流しようとしていたのだが、不味い事が起きてな」

「不味い事ですか?」


腕を組み唸る伊雅に対して伊万里。


「ええ、そうです伊万里様。その再興軍の討伐に向かって狗根国兵が五百強、当麻の街に向かって近づいているのです」


伊雅の言葉を聞きながら九峪は歴史が自らの存在によって大きく変わりつつある事を感じた。


「蝶が羽ばたき嵐が生まれる……バタフライ効果か……それとも宇宙分岐……」

「む?雅比古、何か言ったか?」

「……いえ、なんでもないですよ」


伊雅の声に、思考を打ち切り九峪。


「伊雅さん、当麻の街が落とされたのは何時ですか?」

「丁度、一昨日の事だ」

「……それはおかしい。対応が早すぎる」


顎に手を当てて考え込む九峪。


「私もそれを考えていたのだ」


伊雅もまた九峪の言葉に頷く。


「つまりは、狗根国は蜂起の情報を知っていた?」

「む……その可能性も捨てられんな」


何か思いついたのか顔を上げての九峪の言葉に伊雅も唸りながら答える。


「だとすれば、無闇に捜索してもらちがあかないから、敢えて誘い出す状況を作った可能性もありますね」

「それならば、この状況に納得もいくな」


他の四人を置いていき、二人だけで会話を続ける伊雅と九峪。

たまらず上乃が、


「雅比古も、伊雅様も何を言ってるのか解んないんだけど?」


四人を代表して声を上げる。


「ああ、悪かったな。つまりは狗根国の対応が早すぎるんだよ。軍は簡単には動かせない。何かが起こったら、わざわざ軍のお偉いさんの所まで行って、命令を聞いてからでないと軍隊は動かないんだ。それなのに、今回当麻の街に近づいている集団は僅か二日で行動を開始している。この対応の早さは、事態が起こってから命令を聞いて軍隊が行動したわけじゃない事を示している」

「ええっと、つまりは狗根国は再興軍が蜂起する情報を手に入れていた可能性が高いという事ですか?」


九峪の一息の説明に、ぎりぎりついていった音羽が控えめながら尋ねる。


「ああ。それか、わざと蜂起し易い状況を作って、獲物が罠にかかるのを待っていたのか。そのどちらかだな」


九峪は言葉を選んで、解り易く四人に説明する。

その手馴れた話し方を横から観察していた伊雅は、九峪が軍隊に所属していた過去があると確信していた。
元副王の肩書きは決して伊達や酔狂ではない。


「それで我々も事態の対応を決めるべきだと思って、今回の集まりを開いたわけです、伊万里様」


九峪の言葉に理解を示していた伊万里に向かって伊雅。


「私達はどうするべきですか?」


伊雅に問い返す伊万里。
未だ戦術に対して見識の深くない事を自覚していた彼女は、大規模な戦の経験者である伊雅の判断を仰ぐことが得策だと理解していた。
自主的ではないように思えるが、詰まらない意地や誇りにとらわれている者ではできない判断だ。

自らができる事を正確に理解している事は、人の上に立つ者に必要な資質だと言える。


「私としては、再興軍を率いているのが女王候補ならば我々も加勢するべきかと」


伊雅は伊万里の判断を内心喜びつつも、顔は平静を装い続ける。


が、


「いや、伊雅さん。ここは出るべきじゃないです」


横から真剣な表情で九峪。


「どういう事だ?」

「ここで、隠れ里の人間が再興軍に加わっても死人の数が増えるだけです」

「ならば、見殺しにしろと?」


瞳孔を細めて伊雅。
見殺しにするという言葉を口に出した時に、僅かに彼の口調が荒げた。


「この場合、加勢しないことは見殺しすることにはなりません。そもそも狗根国兵とこちら側の兵士では武装、練度、そのどちらもが負けていますからね」

「しかし、彼らは九洲のために立ち上がっているのだぞ」

「だからこそ、です。九洲を救うために立ち上がった彼らを助けるために、隠れ里の人間まで死んでしまえば、それこそ誰も戦える者がいなくなる」


また議論の中心となる伊雅と九峪。

白熱した議論に他の四人は口を挟む事ができない。


「しかしだな――」

「言い方が悪かったですね。隠れ里の人間が今、当麻の街に加勢すれば間違いなく負けます」


尚も言い募る伊雅に対して九峪は淡々と告げる。

正論であるだけに伊雅は歯噛みしながらその言葉を聞いていた。


「だけど、この場所で息を潜めていれば勝てる可能性があります」

「何だとっ!」


再興軍を見殺しにしろと諭されているのだと思っていた伊雅は、九峪の言葉に驚く。


「……その話、本当だろうな?」

「加勢するよりも、よっぽど勝算はあります。まずは――――」


伊雅と二人で更に細かく話を詰めていく九峪。

話が進むに連れて伊雅の顔が驚愕に染まる。


「……確かに――それならば勝てるな」

「ええ、五分五分ですけどね」


信じられない者を見る目で伊雅は九峪を見つめる。
九峪は軽薄に笑いそれに答える。


「ならば、雅比古お前は?」

「まずはあちら側の、首脳陣を見極めます。彼らが作戦を遂行できないようならば、そこで諦めて下さいよ」

「それならば――うむ、約束しよう」

「伊雅さんは、三日間で可能な限り人員を集めてください」

「水面下で、か。骨が折れるな」

「まだ、十分若いですよ」

「嬉しい事を言ってくれる。よし、清瑞。お前は当麻の街に雅比古と共に向かえ」


九峪と笑いあっていた伊雅から突然の言葉。


「この男とですか?」


嫌そうな声で清瑞。


「別に俺は付き添いはいりませんよ。逆に彼女は足手まといになるかもしれない」

「なっ!私が足手まといだと!?」

「ああ、だから里で情報でも集めていてくれ」


九峪の伝家の宝刀である挑発が飛び出す。

ライバル視している男からのその言葉に黙っていられる清瑞ではない。


「解りました、伊雅様。その任務お引き受けします」

「そうか、頼んだぞ」


伊雅は彼を見つめる清瑞と、その後ろで悪戯が成功したように笑う九峪を見つめながら返答した。
内心では少し苦笑している。


「私は何をすれば?」


身を乗り出して伊万里。


「ふむ、雅比古?」

「これからの事を考えると、伊雅さんの仕事を見てもらっていたほうがいいでしょうね」

「そうか、そうだな。いいですかな、伊万里様?」


対応を九峪に尋ねる伊雅。
彼にとって九峪は信頼するに足りる人物となっているのだろう。


「解りました」


頷く伊万里。


「それじゃあ、俺は直ぐにでも行ってきます」


立ち上がり、部屋を出て行く九峪。
無論、清瑞も影の如く彼に続く。


会話の流れについていけなかった音羽と上乃は、


「雅比古さん、意外と博識なんですね」

「そうですねー。変な格好なのに、中身は凄いんだー」


話しながら、九峪と清瑞を見送った。