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 つい先ほど九峪が吹き飛ばした魔人を観察しながら、亜衣は頭の中で目まぐるしく思考を巡らせていた。
 魔人の相手は九峪がする。それはいい。
 亜衣から見ても、魔人という脅威に対抗するためには、その方法以外ないことは理解できた。
 だが、問題は魔人よりも、その襲撃により列を崩しに崩された復興軍にあった。
 これから僅かな時間が経過すれば、この好機を逃すまいと打って出てきた留守たちの勢力と、復興軍がぶつかることは必至だ。
 魔人という強力な味方の援護により勢いに乗る狗根国兵と、その魔人により一種の恐慌状態に陥った復興軍兵が戦えば、勝ち目は薄い。早急に何らかの策を講じなければ、負けることは確実だろう。
 元より練度が違う相手に士気まで劣ってしまえば勝てる道理がない。
 ならば軍師たる自分がどうにかして、打開策を見つけなければならない。
 そう決意して考え込んでいる亜衣に向かって、九峪が顔を向けることも無く声をかけてきた。

「どう出るつもりですか? 魔人の相手は俺がするにしても、奴らはもう街を出ていた」
「……もう少し時間と兵に余裕があれば野伏せりにでもかけたいところだが、この状況では無理だろうな」
「確かに。この混乱した状態なら、逆に察知されて個別撃破される可能性の方が高い」

 九峪は威風堂々とした態度で魔人と向き合っていたが、その声はやや堅かった。
 評定の際の亜衣を試すような声とは、決定的に異なる。
 感覚的に亜衣は、九峪もまた狗根国兵に対抗するための目立った策を考え付いていないのだと悟った。
 せめて自軍の兵の士気を下げないために表面的に九峪は不安の色を出さないようにしているが、内心では亜衣と同じ結論を得ているのだろうと。
 釣り野伏せりは、兵の進撃速度に等質性が高く、隠密性に優れた歩兵集団があって成功する戦術である。
 そのため復興軍の兵士のように、いまだ熟練していない者達が成功させようとするならば、前もっての周到な用意が必要になる。兵の配置から予備兵力の投入時期の確認などの細かい指示がかかせない戦術なのだ。
 いかに先の狗根国との戦を生き延びた忠臣の多い伊雅達の部隊が伊万里、星華隊の後ろに控えていると言っても、無理がある。
 今から一朝一夕に、全体に指示を行き渡らせれるとは思えない。
 そして野伏せりに失敗して、敵に狙いを悟られてしまえば、兵力の分散がネックとなり、逆に仕掛けた側が大打撃を受ける。
 そうなれば伊万里、星華隊は壊滅したとておかしくはない。
 最早ここまで魔人に隊を滅茶苦茶にされてしまった状況では、策などない正面からの真っ向勝負ぐらいしかできはしない。
 ――純粋に、状況が悪すぎるのだ。
 そう亜衣が判断した時点で、先ほど吹き飛ばされた魔人が立ち上がって、九峪を睨みつけた。
 既に憎悪の対象は九峪へと移ったらしい。充血して赤くたぎる目を見れば、それぐらいは理解できる。
 時間はまるで無かった。
 早く魔人を引き連れてこの場所から九峪が離れなければ、部隊の立て直しが更に遅れるのは間違いない。
 ならばそのことぐらいは理解している九峪は、早々にこの場所から、復興軍には迷惑のかからない場所に戦場を移すだろう。
 長々と、亜衣とこれからの方策について話し合う余裕など、九峪には存在しない。
 ならば――、亜衣はこれから一人で隊列から士気まで乱されきった部隊を戦闘ができる状態にまで回復させなければならないのだ。それは中々に、亜衣がこれまで経験した苦境の中でも厳しいものであった。
 そして、そんな時に後方から亜衣の良く知った兵士が声をかけてきた

「亜衣様、第二軍のいる方角から狼煙が。どうやら応援に来て頂けるようです」
「……そうか、ならば次は兵をいつでも指示できる状態に戻しておけ。そうしなければ、話にならん。それと余力が余っている者を飛ばして偵察に回せ。敵の進軍状況を知りたい」

 報告を聞いて、右手の空を眺めれば、高々と快晴の空に狼煙が上がっていた。
 それは第一軍と街を挟むように展開した第二軍が上げたものに間違いないだろう。
 狼煙は乾燥させた松や杉の葉に狼の糞などを混ぜたものを燃やすことで上げるが、復興軍はその狼煙の原料の中に特殊な染料を混ぜている。そのため仲間からの連絡かどうかは一目見れば分かる。
 狼煙の上げ方や色から判断すると 「応援に回る」というメッセージ。
 ならば、そこまで時間をかけることなく、応援はやってくるだろう。
 特にこういった状況では、藤那が率いる騎馬隊は真価を発揮する。歩兵よりも格段に素早く移動できる騎馬隊は、一分一秒が勝敗を分けるこのような状況でこそ輝くのだ。
 だが、それを考慮に入れたとしても状況が厳しいことは変わらなかった。
 恐らく亜衣の目算では、騎馬隊がここにやってくるよりも、狗根国兵がこちらに向かってくる時間のほうが早い。
 加えて、こちらのほうが問題なのだが、騎馬隊とこの場所にいる復興軍の兵士を合わせても、狗根国部隊に勝てるかと言ったら微妙なラインだ。まず星華隊の虎の子である方術士達が、皆、一様に疲労している。特に最も力の強い術を放てる星華に至っては、気絶してしまい行動不能になっている状況だ。
 これは隊としての戦力が半減しているようなものだ。
 魔人との戦闘で援護に当たっていた伊万里隊の面子はそこまで被害はないが、そもそも伊万里隊は発足されたばかりで、特にこれといった強みを持たない。山地での戦闘に慣れた山人や狩人が多いと言ったぐらいで、もともと大層な戦力ではない。
 強いて言えば、伊万里隊で使えそうなのは隊を率いる伊万里に、その側近である上乃と仁清ぐらいだが、三人ともに疲労の色は濃い。ならばやはり隊として全力を出せるとは思えない。
 せめて狗根国部隊と衝突したとしても、藤那、紅玉隊が後方から挟撃するための時間を稼げるぐらいに、ここにいる兵士達が余力を残しているのならば良かったのだが、それも望めない。
 こうして今、ぐるりと首を回して復興軍の兵士達を観察してみれば、誰もが消耗しているように見えた。
 ほとんどの者達が魔人などを目にすることは初めてだろうから、無理もない反応ではある。
 だが、それが理解できたとしても口惜しい。
 そこまで考えた所で、眼前にいた九峪が手綱を操って素早く馬を駆けさせた。
 多くの兵士がいる場所とは、逆の方向、魔人と戦闘を行っても巻き添えがでない場所へと進んでいく。
 魔人が立ち上がり、九峪へと牙を振るうために悪鬼のような形相で接近してきたためだ。
 最早こうなっては、九峪は魔人の相手に集中するより他はない。
 他の兵士達の面倒など見れるはずもない。

(……死んでくれるなよ。まだ私はお前と決着をつけていない)

 個人的に九峪と仲が良いなどとはお世辞にも言えない亜衣であったが、この時ばかりは九峪の無事を祈った。
 部下でもない人間に第一軍の尻拭いをさせている後ろめたさがあったし、何よりも復興軍の中で同じ軍師としての立ち位置にある九峪とは、智謀を練って床机の上で勝負を付けてみたかった。
 このような策も練れない戦いで、相手を死地に追いやるような形で終わってしまっては、納得できようはずもない。
 衝動的に亜衣はまた歯噛みした。
 そして、魔人を引き連れてこの場所を離れていく九峪を見た。
 熟練した馬術で魔人の攻撃を避ける九峪の姿は急速に小さくなっていく。
 やがて見えなくなり、亜衣の視界から消えてしまうだろう。
 そんなことを一瞬だけ考えた後、これから押し寄せる狗根国兵に抵抗するために、配下の兵を亜衣はまとめ直そうとし、――そして遠くからの声を聞いた。

「――亜衣! こいつを敵にぶつける! 合わせろ!」

 瞬間。亜衣の視線と九峪の視線が交わった。
 普段の軽薄な口調をかなぐり捨てて、亜衣に対する敬称も忘れ、九峪は必死の形相で叫んでいた。
 魔人の攻撃を避けながらこちらに声を発することの危険性は大きい。
 だというのに、九峪が危険を冒してまでこちらへ言葉を発したのは何故か。
 ――合わせろ。
 ――敵にぶつける。
 最初は九峪の言葉の意味が理解できなかった亜衣だったが、その言葉を内心で吟味しなおしてその意図に気がついた。
 顔を跳ね上げ、九峪へと向けて大声で言葉を返す。

「分かった! こちらも立て直したらすぐに向かう! それまで可能ならばもたせろ!」

 亜衣の返答を聞いた瞬間に、即座に九峪は距離を保っていた魔人に背を向けて、一気に距離を離しにかかった。
 純粋な速度だけならば馬よりも魔人のほうが速いが、地形的な障害や方術による妨害によって、九峪は巧妙に魔人を引き付けつつも、その距離を開かせていく。すぐにその姿は亜衣達から見えなくなった。

「亜衣さん、今の言葉はどういう意味が――」

 九峪の姿が見えなくなって直ぐに、亜衣の元へと伊万里が近づいてきた。
 瞬間的な、たったあれだけの短い会話で意図を悟れと言うのは、これまで山人として暮らしていた伊万里に望むのは酷なのだろう。それは亜衣とて分かっていた。
 が、それよりも亜衣の理解が正しかったならば、ことは急がなければならない。
 悠長に九峪の描いた絵を説明する時間は正直に言って無かった。
 今は何よりも急がなければならない。

「詳しい説明は後でします。今は極力早く、部隊を編成しなおしてください。――ここでどれだけ時間を短縮できるかによって、恐らくこの戦闘の勝敗が決します」

 亜衣のその言葉に、少しだけ逡巡して見せた伊万里だったが、やがて頷くと背を翻して自分の隊をまとめ上げに向かった。
 その背中を眺めた亜衣は一瞬だけ、伊万里が星華の立場を脅かす火魅子候補になり得ると考えた。
 が、すぐにその考えを振り払って、自らもまた星華隊に指示へと急いだ。


   /


(――星華達に軽くない怪我を負わされているはずなのに、よく動くッ!)

 先ほど、紅玉隊に随伴していた時に出会った魔人とは雰囲気の違う、細く鋭い剃刀のような魔人。
 その追撃を避けながら、九峪は内心で毒づいた。
 魔人と戦うたびに思うことは、その驚異的な生命力の厄介さだ。
 明らかに魔人は、人ならば致命傷になり得るほどの傷を負っているにも関わらず、それを苦にしてしない。
 皮膚を焼け爛れさせるほどの怪我を負ってこちらを追いかけている魔人よりも、無傷の馬のほうが体力が尽きかけているのだから、そのでたらめさは良く窺える。
 しかも、九峪が騎乗するのは藤那より借り受けた、走力、体力ともに優れている駿馬だ。
 それが走りあいで潰されかけているのだから、その反則加減に九峪から愚痴もこぼれようというものである。

(もう長くないだろうな。……もって、後少しってところか)

 そして九峪は後方に牽制の方術を放ちながら、騎乗している馬の状態を確かめた。
 これまで長い距離を走らせ、更には魔人とまで向き合わせたのだ。
 状態は酷く悪い。現在はかろうじて走り続けることができているが、やがて限界を迎えるだろうことは疑う余地がない。
 そうなれば、九峪は己の足で魔人と戦う事になる。それは不味い。
 現在九峪が頭の中で描いている次の手には、まだこの馬が必要だ。
 だからこそ九峪としては、何としても後一仕事終えるまでは我慢してもらいたかった。
 それができなければ、復興軍が競り負ける危険性が格段に跳ね上がるのだから。

(そろそろ限界だろうな。――動くべきか。……時間は可能な限り稼いだ。亜衣もこちらの意図は掴んでくれたはずだ。準備はできているはずだと、信じたい)

 そして何とか魔人を翻弄しながら、九峪はそう判断した。
 これから行おうとしていることは、とっさの思いつきでしかない。
 魔人の襲来により士気を削られた復興軍を、何とか戦える状況に持っていくために、魔人を相手にしながら考えた案。
 それはお世辞にも良く練られた作戦などと評価することはできない。
 実行に移そうとしている九峪からしても、三度やって一度成功するかどうかも疑わしい。
 その程度の雑な、穴の開いた作戦でしかない。
 ――だが、現状ではこれ以上のものを九峪は考え付かなかった。
 そして、恐らくあの場所にいた亜衣もまた目立った方策を考えることはできていなかったのだろう。
 魔人と相対しながら、復興軍の兵士たちに何ら特別な指示を飛ばしていない様子からも、そのことは推測できた。
 だから九峪としては、敗色が濃い状況で何もせずに敗れるよりも、僅かであっても勝ち目が出るならとこの行動に打って出ることにしたのだ。
 その行動の原案となったのは、まだ九洲に来るより以前の過去の記憶。
 中学生の九峪が好きだったゲームソフトの中に、戦闘機を操って敵を撃墜していくシューティングゲームがあった。
 そのゲームでは与えられたミッションをクリアしていく本編と、本編とは無関係な友人との対戦プレイが存在していた。あの当時、毎日のように日魅子とつるんでいた九峪が一人だけでゲームをできるはずもなく、やるとなれば常にお互いに戦闘機を操っての対戦プレイだった。
 日魅子の戦い方は単純で、最も強いと言われていた戦闘機を選び、火力に任せて九峪を倒そうとしていた。日魅子はゲームに詳しかったわけではなかったので、ボタンを連打するだけでいいその戦い方ならどうにかなったのだろう。
 そして対する九峪は、敢えて弱いと言われていた戦闘機を選び、不利な状況から日魅子を負かそうとしていた。
 火力も無く、紙のように薄っぺらい装甲の九峪が選んだ戦闘機では、持ち前の戦力だけで戦えば勝ち目は薄い。
 そこで九峪が日魅子に勝つために選んだ策が、相手の火力を利用するというものだった。
 対象となったのは日魅子がろくに考えもせずに連射する、追跡機能のあるホーミングミサイル。
 それを背負って逃げ回り、日魅子が調子付いて止めをさそうと接近してきたところを、うまく交錯するように仕向けてミサイルを日魅子が操る機体へとぶつける。タイミングの取り方が難しい作戦ではあったが、決まった時の勝率は凄まじいものがあった。
 そして、九峪が今からやろうとしていることは、それの九洲版だ。
 九峪という機動力だけはあるユニットが、魔人という破壊力に優れたミサイルを背負って、敵である狗根国の部隊と交錯する。
 真正面からぶつかる必要はない。ただ魔人の進行方向に、狗根国兵さえ配置できたならいい。
 狗根国側の勢力として数えられる魔人だが、彼らは人を仲間などとは考えていない。
 進む邪魔となるならば、狗根国、復興軍の是非を問わずに薙ぎ払うだろう。
 そして、それにより打撃を多少なりとも与えることができれば、戦況は再び分からなくなる。
 この作戦は狗根国部隊と交錯する直前に、九峪自身が魔人と狗根国部隊に挟み撃ちにされる危険性を孕んでいるが、それでも復興軍が勝つことができる可能性を高めることができるのなら、やる価値がある。
 九峪は片手で握る手綱を強く握った。
 馬首を右へと切って、進行方向を急激に変更する。後を追ってきていた魔人は突然の進路変更についていけずに、大きく外回りすることになり距離が離れた。だが完全に振り切ったわけでもなく、無尽蔵の体力を発揮して、再び追いすがってくる。
 
「……残りはこの直線だけだ。それまでは倒れてくれるなよッ!」

 明らかに体調を崩している馬の状態を気にしながらも、九峪は速度を緩めることはできなかった。
 既にもう、九峪は狗根国兵の集団を視認できる距離にまで到達していたためだ。
 亜衣達が準備を整えるだけの時間を稼ぐために、九峪は大きく迂回して狗根国部隊の後方へと出るように馬を走らせてきた。そして今、予定通りに現在の九峪の進行方向には、縦隊を組んだ部隊の姿が見える。
 ここで速度を落とせば、狗根国の弓による良い的となってしまう。
 九峪が現れてより、ほどなくして狗根国部隊は九峪の存在に気がついた。
 進行方向の真逆から現れた九峪を見つけると、進軍を止めて、直ぐに陣形を組み替える。指揮を取っていると思われる隊長格の男を後方へ下げると同時に、弓を構えた兵士たちが一斉に九峪へと狙いをつけて矢を放ってきた。
 九峪はその一斉射を、常のように方術を放つことで薙ぎ払う。
 ただし、今回は九峪よりもむしろ、走っている馬を守る事を優先したために、打ち漏らしが出た。
 物を掴むことのできない左腕に一本、矢が突き刺さる。
 体を貫通する衝撃にやや遅れて、鋭い痛みが広がった。
 その痛みを歯を噛むことだけで耐えて、九峪はさらに馬の速度を上げさせた。ここで息絶えてくれたとしても構わないとばかりに、ぼろぼろの状態であっても更に加速させる。
 そんな九峪には狗根国部隊の第二射が迫った。最初の一斉射でたかだか単騎を打ち落とせなかったことで動揺が生じたのか、今回の矢の雨には穴がある。迷わずそこへと逃げ込むことで攻撃を回避すれば、九峪と狗根国部隊の距離は目と鼻の先になった。
 すぐ眼前に槍衾を構えて、突撃してくる九峪を突き殺そうとする前衛の姿が見えてくる。
 隙間無く密集して、騎乗する九峪へと槍を向けてくる隊列は復興軍よりも見事なものだった。
 この集団と復興軍が正面からぶつかれば、間違いなく復興軍が負けるだろうと判断できるほどには。

(――だが、その練度が今回は仇になる!)

 その整然とした密集陣形を見た九峪は喜びに口元を緩めた。
 九峪の存在に注目しているためか、いまだ狗根国側は後方から追いすがってくる魔人には目立った対応を見せていない。
 そして、この距離まで来れたのならば、九峪にはどろどろの混戦へと持ち込める自信があった。
 そのまま放たれた矢のような勢いで、狗根国の部隊へと突っ込んでいく。
 単騎で中央を突破しようとするかのような九峪の所業に、狗根国の兵士が侮られたと思ったのか怒りの声を上げた。

「たかだか反乱軍ごときが単騎で我々に挑むつもりか!」

 声に呼応するように、狗根国部隊の槍衾は密集し、強固な壁となり九峪の前へと立ち塞がる。
 それは歴戦の九峪であっても、簡単には打ち破り方の思い浮かばないほどの完璧な陣形だった。
 だが、それだけに、その陣形をこれから壊せるのかと思うと九峪は安心した。
 少なくともこれで復興軍の脅威は格段に減少するはずだと。
 そこで九峪は、それまで直進していた馬の軌道を、わずかに横へとずらした。
 それだけで九峪と狗根国部隊が正面から激突することはなくなる。
 九峪はそのまま構えられた槍衾と交錯することなく、部隊の側面へと回りこむことになった。

「臆して逃げたか! その派手な服もただの飾りのようだな!」

 九峪が逃げたと勘違いする狗根国兵の嘲りを聞いて、九峪はそこで初めて後ろを振り返った。
 これまでは厄介だったが、この瞬間だけは待ち望んでいた存在がいることを確認すると、笑わずにはいられなくなる。

「――そうだよ。だからお前らは後ろのそいつに力を見せ付けてやってくれ!」

 そこには、魔人がいた。
 圧倒的な存在感を持って、赤く目をたぎらせた魔人は、迷うことなく九峪を狙い追いかけてきている。
 そして九峪と魔人という二つの点を結んでできる線上には、幾人かの狗根国兵が存在していた。
 だが、それだけでは足りない。
 魔人にはもっと多くの狗根国兵を蹴散らしてもらわなければならない。
 だから九峪はさらに馬を走らせて、魔人と九峪の間に更に多くの狗根国兵が入り込むような位置に移動した。
 理想としては隊列の最後方までたどり着いて、部隊全てを魔人の進行を妨げる位置に置きたいのだが、そう簡単にいきそうもない。そんなことをする時間的な余裕も無い。
 やがて九峪の存在に気づくことよりやや遅れて、狗根国兵達も迫り来る魔人の存在に気がつき始めた。
 明らかに人とは違う重圧を放つその存在感に狗根国兵達が浮き足立ち始める。
 密集して形成されていた見事な槍衾も乱れ、整然と並んでいた兵士一人一人が狼狽し、隊列が崩れていった。
 隊長格の兵士もまた、そこで九峪によって最悪の存在にぶつけられようとしている状況に気がついたのだろう。
 とっさの判断か、密集陣形の解散を命じるために叫んだ。

「魔人が来ているぞ! 巻き込まれるな! 道を開けろ!」
「――させるかッ!」

 周囲に散開しようとした狗根国兵の動きを受けて、即座に九峪もまた次の手を打った。
 先ほどから指示を出している隊長格の男の周辺だけは人の数が多い。
 そのため、そこだけに狙いをつけて、魔人を誘導する。
 重装歩兵からなる狗根国兵士よりも、明らかに九峪の方が早い。
 狗根国の兵士たちが魔人の進行方向より撤退しようとしても、そこから更に九峪は移動して、狗根国兵達を魔人との線上に置く。それを続ける限り、決して狗根国兵士たちは、魔人より逃げることはできない。
 そして九峪の予想通りに、魔人は狗根国兵士など見向きもせずに、九峪へと突進してきた。

「ひいッ――」

 眼前に魔人が迫ってきた恐怖からか狗根国兵が槍を構えて、魔人を押し返そうとする。
 だが、魔人はたいした反応も見せずに無造作に腕を振るった。ただ、それだけ。
 それだけで、先ほどまで見事な槍衾を形成していた兵士が絶命する。
 そして、その光景は二度、三度と続いた。――その時点で、完全に狗根国部隊の隊列が真っ二つに割れる。

「散れ、散れ! 敵は一人、それに魔人に狙われている! 対応せずともいずれ死ぬのだ! それよりもまずはこちらの被害を出さないことを考えろ!」

 混乱する狗根国兵士達の中でただ一人、隊長格の男だけが冷静に指示を飛ばしていた。
 それ以外の兵士たちは皆、大なり小なり恐怖からか動きが鈍っている。
 援軍であるはずの、決して敵には回らないはずの魔人に殺されかけているという状況が、兵士たちの動きを凍りつかせているのだろう。これだけでもかなりの士気を削ることが出来たと判断した九峪は、そこで上半身を捻ってから、ただ一人部隊の損害を減らそうと奮闘している隊長格の男へと狙いをつけて、方術を放った。
 だが、それは狙いの付けにくい揺れる馬上から放ったためか、僅かにずれて傍に控えていた男に直撃するだけの結果となった。
 隊長格の男は、無傷。しかも、すぐに事態に気がついて兵士たちに九峪への対処を呼びかける。

「全隊! あの方術士からの攻撃にも注意しろ! 反撃はせずとも良い! 魔人と、奴の攻撃を受けないことだけを考えろ!」

 その声でいくらかの落ち着きを取り戻したのか、狗根国兵士達の動きに冷静さが戻る。
 九峪は舌打ちしながら、自分が決定的な好機を逃したことを悟った。
 後の事は、亜衣達に、復興軍の兵士たちに託すより他に道はない。
 このままこの場所に留まれば、落ち着きを取り戻した狗根国兵達が魔人より離れて再び隊列を建て直し、魔人に追われる九峪へと攻撃を加えてくるだろう。そうなれば、恐らく九峪とて生き残ることはできない。
 ならばいち早くこの場所から脱出することこそ吉だ。
 九峪は息が切れて、動きが目に見えて落ちている馬を強引に走らせて、一気に戦闘地帯からの離脱を図った。
 後を追うように、魔人も邪魔になる兵士たちを吹き飛ばしながら、九峪へと肉薄してくる。
 速さが明らかに落ちた馬では最早、魔人から逃げ切ることはできないようだった。
 それでも可能な限り、隊列を立て直そうともがく狗根国兵士たちから距離を取っていく。

(削れたのは一割強か……。厳しいところだな)

 狗根国兵士達の被害状況を目視した九峪はそう考えた。
 一応、援護のためにもう一度、兵士たちに向けて方術を放つが、それは盾によって防がれる。
 木製の盾を破壊こそしたが、防いだ兵士は軽傷しか負っていない。
 距離が離れすぎてしまったために、守りに入っている兵士にこの距離からの方術を撃つことは無意味だ。

(俺ができることは、ここまでか。――何があろうと、生き残ってくれよッ)

 馬を走らせながら、そこで九峪は復興軍がいるだろう山の中腹付近に視線を向けた。
 一度は死なせてしまった仲間達の無事を願いながら。


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