解放された当麻の街において最初に行われたのは兵員の募集。復興軍、再興軍を合わせても四百に届かなかった兵力を底上げすることが緊急の課題だった。兵が揃わなければ戦場に立つことも出来ないためだ。
 だが、同時に兵力の減少した近隣の街に対応策を練るだけの暇を与えないうちに攻略していくことも重要だった。
 そのために復興軍はまず早急に藤那率いる機動力に優れた騎馬隊、並びに軽装歩兵隊その数三百五十を編成して美禰の街へと攻略に向かわせた。最初の攻略対象として美禰の街を選んだ理由はただ一つ。存在する三つの街の中で最も奇襲がかけやすい街だったからだ。
 またこの美禰の街の攻略にあたっては、当麻の街で部隊の編成に時間がとられている間に美禰の街へとあらかじめ総数六名ではあるが精鋭の工作部隊を送り込み城郭の防衛機能を麻痺させておくという工作がなされていた。そのためか藤那率いる部隊は難なく街の中へと侵入することが可能となった。
 結果、美禰の街攻略の作戦は一日ほど前に成功を収めて終了した。
 そして、藤那の部隊が出発した当麻の街であるが、ここでも同時進行で作戦が進行していた。
 具体的には、先に街を発った藤那率いる部隊に続いて、当麻の街へと残った伊万里、星華の両火魅子候補を部隊長として二つの部隊を編成し、その二部隊を表街道に沿って進軍させ児湯の街を攻略する作戦だ。
 つまりこの作戦は美禰の街を確保して狗根国兵の後方への逃げ場をなくした状態から、じわじわと当麻の街と美禰の街の間に存在する児湯、去飛の街を攻略していこうとするものである。
 比較的、藤那の部隊の場合と比べると編成に時間的猶予のあった二部隊には多くの人間が兵士として集まり、その結果、二部隊を合計しての兵数は九百強程度までにのぼることとなった。そのため公正を期すために伊万里隊には四百、星華隊にも四百の兵数が、そして残った百強が伊雅の親衛隊として割り振られることとなった。
 それが半日前までの復興軍。
 そして今。
 空から眺めれば、それは砂糖に群がる蟻のように。
 地上から見つめれば、意思を持った確固たる軍隊として。
 伊雅を旗頭とした星華、伊万里の混成軍は児湯の街周辺で陣を作り野営を行っていた。街を包囲し、攻城戦の準備をしているわけではない。既にその必要は無くなっていた。伊雅達が兵力を用いて街中に押し入ろうとする前に決着はついてしまった。
 武装した総計千にも届こうかとする伊雅達の部隊が児湯の街へと接近すると、一目散に駐留していた狗根国兵達は逃げ出してしまっていたのだ。

「何か、怖いくらいに順調ね」

 千人近い兵は到底児湯の街には入りきらないために殆どの兵が街の周辺で野営をしているのだが、その兵士達の状況を視察しながら星華が言った。少しばかりの抵抗があるかと思われていた児湯の街へと到着して、一つの戦闘も無かったことに拍子抜けでもしているのだろうか。

「偽装工作は成功、と言ったところでしょう。――恐らくは藤那様、香蘭様側の作戦が成功したことも要因としては大きいのでしょうが」

 星華のわずか右後方を、つかず離れずの距離で付き従いながら亜衣が答える。
 この児湯の街の攻略に当たっては一つの裏工作がなされていた。まあ裏工作とは言っても単純なもので、間諜を街に放って復興軍の勢いや兵力を過剰に宣伝させただけというものである。
 一般的な状態でこのような工作活動は、せいぜいが敵の士気を下げるだけであって劇的なまでの効果を上げることはない。
 だが今回は違った。その流された噂に敵が萎縮してしまい逃走するという事態になり、結果、復興軍は戦うことなく児湯の街を手に入れることとなったのだ。
 恐らくこれには児湯の街の置かれた状況が関係していたのだろう。
 多数の兵力を投入して、ほぼ確実に成功すると思われていた当麻の街周辺での耶麻台国残党の討伐という、児湯の街の狗根国兵にとっては失敗する余地の窺えない戦いがまさかの失敗。それにより浮き足立った状況で街中では火のついたように“今度の反乱を率いているのは火魅子だ”といった噂や“蜂起した軍の兵数は三千を超えた”といった狗根国兵にとっては信じたくないような噂が堰を切ったかのように流れ始め、鎮火させようとも鎮火させようとも燻ぶり続ける。
 そんな中で児湯の街の狗根国兵の下へと届いたのが、仲間である美禰の街の狗根国兵による「美禰の街が落とされた」という報告。ほうほうの体で逃げ出してきたことが解る憔悴しきった顔で報告をする仲間を見た者達が、どれ程の精神的な重責を受けたのか想像するに難くない。
 一般に情報操作のために意図的に流される情報、つまりデマは、社会情勢の緊迫ぶりに比例して広がる速度が上がっていくと言われる。そしてその言葉の通り、児湯の街の周辺の社会的情勢は極めて乱れていた。つまりデマを流す土台としては申し分の無さすぎる環境が整えられていたのだ。
 ゆえにその状態でつけられた火は、種火であっても森を燃やし尽くす業火となる。
 狗根国兵の中ではいよいよもって疑心暗鬼が広がり、遂には収拾のつかない段階まで到達してしまったのだろう。勝ち目なしと判断した狗根国兵達は街を放棄して、この地域を包囲されてしまう前に川辺城なり都督府なり、生き残ることができる場所へと逃げ出したというわけだ。

「これなら去飛も、そこまで苦戦はしないで良さそうね」
「確かにそうですね。このままの勢いを保持することができたなら、少なくとも当麻の街での戦闘よりは格段に楽になるはずです――ですが星華様、これからもこの調子で戦が続くとはお思いにならないように」

 やや気の抜けたような言葉を言った星華に、亜衣が遠眼鏡を中指で押し上げながら一言。
 どれほど優勢な場合であっても、戦場では油断すれば待つのは死だけであるということを主君に伝えようとしているのだろう。

「解っています。今までの敵は狗根国の兵士達の中でも、本国の防衛にもあてられないような雑兵。そういうことでしょう?」
「はい、その通りです」

 為政者たる風格を漂わせた背筋を伸ばした姿勢で二人はある方向へと向けて歩き続ける。







「何故だ、何故だっ!」

 去飛の街の留守は混乱していた。
 三日ほど前に報告が入った当麻の街が落とされたという知らせに続いて、続々と耳に入ってくる自軍にとっては不利な状況。狗根国大王より任されたはずの街の中で絶えることのない耶麻台国復活の噂。去飛の街の北に位置する美禰の街の狗根国軍が反乱軍の強襲を受けて壊滅したという事実。
 そして――つい先ほどに届いた、児湯の街がまったく抵抗も見せないままに陥落したという報告。
 彼にとっては耳を防いでしまいたくなるほどに劣悪な事実であり、それは同時に彼自身の今後の身の安全が保障されないという事態を意味していた。
 長らく目だった反抗もない安穏とした日々に浸かってきたという過去が彼の混乱に更なる拍車をかけていく。

「それにしても、どうして児湯の街の奴らは半日たりとも敵の足止めをできなかったのだ!」
「……報告によると児湯の街に駐留していた我が軍は、反乱軍との戦闘に突入する前に街を脱出した模様です」
「大王の信頼により街を任されておきながら逃げ出すとは。何たる不敬!」

 そしてもう一つ。彼にとっては許せないものがもう一つあった。
 それは同じく火向の地における街を一つ、大王より任されているにも関わらず児湯の街を放置して逃げ出したという、児湯の街の留守。その存在が我慢ならなかった。
 大王にひどく傾倒している典型的な狗根国役人であるがゆえに、例え死しても任地は守らなければならない。彼はそう考えている。だが児湯の街の留守は敵勢を発見するやいなや、一目散に姿を隠してしまった。それが手酷い裏切りに思えて仕方ない。

「――この戦いに生き延びたなら、奴らの反国行動は然るべき場所に報告しなければならんな」

 贅を凝らした造りの床机に座った体勢で、去飛の街の留守は呟く。
 艶やかで豪華な造りの留守の間の中で、深刻な表情をつくる彼の表情は浮いていた。

「……反乱軍を迎撃するおつもりですか?」

 悲壮感を隠そうともせずに、留守の前にいる去飛の街の守備隊長は言った。
 軍人でありながらも長らく鍛錬を積んでいないためだろう、その腕は留守よりもたるんでいた。そして街の住人とは対照的にふっくらとした頬が、今では血色も悪く白くなっている。

「無論だ」
「ですが、報告によると敵の総兵力は千を超えます。先の作戦で兵の数が減少している街の守備隊の総兵力は、例え九洲出身の兵を合わせたとしても二百に届きません。戦力としては少なくとも五倍以上にこちらが不利。打って出たとしても勝利は望めません」
「それくらいならば軍人でない私でも解る。――策など一つだ。篭城戦に持ち込むぞ」

 留守は焦りを表情にみせながらも、それでも断固として頷いた。

「……既に兵力差は最低でも五倍。敵に三倍以上の兵力があった場合には篭城戦へと持ち込んでも、守備隊の兵力では恐らくもちません」
「それをもたせるのがお前の仕事だろう。これまで余程この街で幅を利かせていたことを見逃してやっていたのだ、この機会ぐらいは命を捨てろ」

 豚のように震えて青くなる眼前の男を見ながらも留守は言った。

「しかしっ――」
「騒ぐな。奴らが動き始めてより既に三日。恐らくはあと三日程度しのげば都督府より援軍が来る。上の天目様は派手な身なりをしていても恐ろしく才覚のあるお方だ。六日あれば必ず動く」

 留守は都督府が彼らを守るために援軍を使わせると信じていた。

「……三日、ですか」
「そうだ、三日だ」
「……しかし、兵力差は――」
「ええいっ、先ほどからしかししかしとばかり囀りおって! ――あらかじめ言っておくが、お前には戦う以外に選択肢はないぞ。軍人なのだからな。当たり前だろう」

 愛国心に溢れる留守は苛立った。どうして目の前の人間が、大王に街を任されているという重大な使命の遂行を躊躇うのかが理解できない。
 彼は敵に街を明け渡すぐらいならば死ぬつもりだった。

「それに兵力がどうだとごねてばかりいるが頭を使ってよく考えろ。幾ら蜂起したとはいっても烏合の衆。身を守る装備も、我々を攻撃するだけの武器も満足に用意できているわけがないだろう。先の帖佐様の頃より現在の天目様に至るまで、九洲における武具の運搬には細心の注意が払われ続けてきたのだからな。倭国で耶麻台国の残党どもに手を貸そうとする商人などいるはずがない」
「そ、それは、確かに」
「そうだろう。ならば敵は碌に武装もしていない人間が千程度ということになる。それならば兵力差が五倍などということはあり得ん。せいぜいが、お前の言った三倍以内に収まる。違うか?」

 軍人が己の武器である剣を振るうように、留守は己の武器である弁舌の回転を駆使して気乗りのしていない様子の守備隊長を説得する。できるだけ士気は上げておくにこしたことはない。例えこの地で死しても、可能な限り敵の戦力は削っておくべきだと頭の中では考えている。

「いえ、……そう、ですね」
「そのくらいならすぐに考えつけ。そして理解したのなら行動に移れ。時間が無い。大王より任されているこの街を暴徒どもにくれてやるわけにはいかん」
「了解しました」

 散々気弱な事を言っておきながら、最後だけは軍人らしく取り繕って守備隊長の男は言った。
 たるんだ腹で守備隊長の職に在るのはその腹芸が原因であるのだろうか。そう留守は悩んだ。そしてため息をつく。

「はあ――ん? 何をしている。さっさと行かんか」

 暗すぎる先行きに一瞬だけ顔を俯けた留守が顔を上げると、そこには背を向けて退出しようとしていたはずの守備隊長の男が立っていた。固まっているように動かない。まるで怯えた豚のようだった。
 だから彼は当然のように叱責を飛ばそうとして、

「おい、まだ怒鳴られたりんのか! ――なっ!?」

 その声を驚愕に染めた。
 いつの間にか守備隊長の立つ場所の向こう側、彼の視線の先には今まで全く気配の感じられなかった痩身の美しい男が立っていた。口元を薄っすらと歪めて笑う、病的なまでに白い肌をした男が。
 男は儀礼用の式服らしきものを着込んでいて、留守はどこかでその男を見たことがあったような気がした。左道士のように見えたが、一般的な左道士とは異なる服装。

「あなたは、この街の留守としての責務を忘れてはいないようですね。安心しました」

 聞こえてきた声はひどく禍々しい。
 痩身の男が口を開くと、部屋の中に拭いきれないような血臭が充満したような錯覚を留守は覚えた。腐った死体の放つ腐乱臭ではなく、新鮮な血液がもつ錆びた鉄の匂い。
 留守の胃液がほとんど反射的に逆流しかける。

「……お前は、誰だ?」
「ああ、名乗るのが遅れましたね。私は蛇渇様の命を受けてこの街まで来た左道士。名は深川。――狗根国に忠誠厚いあなた方に勝策を授けにきました」

 痩身の男、深川は口の両端を切り裂かれたかのように歪んだ笑みを作りながら言った。
 その言葉を聞いた瞬間に留守は、どこかから獣の雄叫びが響いてきたような気がした。反射的に鳥肌が立つ。
 だが、そんな留守のことなど気にもかけずに深川は留守の前へと歩きながら近づいてくる。その禍々しい気迫に押されたのか、今の今まで凍ったように動かなかった守備隊長のは「――ひっ」と小さく呻きながら身を避けて深川に道を譲った。
 深川が留守の前へと到着する。

「反乱軍を前にしても逃げ出さないだけの忠誠心。私が力を貸すには申し分ない」

 深川はそこで一度、自分の指先を舐めた。ぺろりと蛇のように細い舌先で自らの指を這いまわすように舐め上げる。――その白い指先は、何故か、赤黒い血に汚れていた。
 その時に至って、初めて留守は深川と名乗った痩身の男の服が血痕が飛び散っていることに気がついた。

「――その血は?」
「ああ、これは児湯の街の者達の血です。この街へと来る途中で、恐れ多くも大王より任された街を放り捨てて逃げ出そうとした輩を見つけましたので」

 殺した、とまでは深川は言わなかった。だが、そんな言葉まで聞かなくとも留守は児湯の街の狗根国人の末路を悟った。深川の事務的で底冷えのする声と、血を笑いながら舐め上げるという狂気じみた行動が強引に理解させた。
 同じ部屋にあった守備隊の隊長はその光景を見た瞬間に、腰を抜かしたのか無様に音を立てて尻から倒れた。

「そう、か。……それで勝策、とは?」

 留守もまた生理的な嫌悪感に従って気絶してしまいたかった。が、留守としての責任感がそれを許さなかった。
 だから、声をかすれさせながらも必要な事を問う。

「それは勿論、我が国で最強の武力――」

 そんな留守の心情を理解していないのか、それとも理解しながら無視しているのか、あるいは理解していていたぶっているのか。そのどれかは解らなかったが、深川と名乗った男は冷たい色気を感じさせる笑みを浮かべながら口を開いた。

「――魔人、を」

 その言葉を聞いた直後に、留守は空耳ではなく、獣に似た獣ではない化け物の雄叫びを確かに耳にした。
 空が割れるかのような轟音だった。