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「……酷い目に遭った。…………何とか言いくるめられたから良かったが」
「自業自得としか俺は言えませんがね」

 先ほどの会話から一時程の時間が経過した後、城内の廊下を亜衣と九峪の二人が並んで歩いていた。羽江の部屋へと向かう前よりも亜衣は疲れているように見える。

「うるさい。本を正せば、お前が羽江の部屋にいたことが原因だ」
「はっ、面白い意見ですね。それ」

 しかし、どうであろうとも九峪は嫌味を止めようとはしない。実に人の神経を逆撫でる言動をとって亜衣を挑発する。

「ちっ――――そういえば、お前には仕事があったはずだろう。それはどうした」
「そんなのとっくの昔に終わってますよ。伊雅さんにも提出済みです」
「何だと? あれは生半可な量では無かったはずだぞ。それを私よりも早く終わらせただと?」

 露骨に舌打ちなどをしていた亜衣だったが、九峪の返答を耳にした瞬間に驚いたように目を見開かせた。
 それもそのはず、彼女は九峪に仕事を与えた当人である。故に、その割り当てた雑務の処理にどれほどの労力が必要となるかを誰よりも知っている。
 亜衣は九峪と自身との間にある様々な確執から、亜衣に次ぐ量の仕事を九峪に割り当てていた。確執があっていてさえもなお、自身に最も多量の仕事を課すところは実に亜衣らしいのではあるが、それでも九峪に割り当てられた仕事は多少の知識のある人間では一月の時間をかけても終わらせられないような量である。今後、評定の最中にふざけた嫌味など言えなくなるように疲れさせておこうと思って、亜衣が当初の予定よりも多めに割り当てていたわけだ。
 だが、結果として九峪はそれを難なくクリアしていた。それが亜衣の心に驚きを与える。目の前の男は何者だ、と。
 まあ、九峪からしてみれば一度やったことのある仕事であるわけだから、たいして時間もかけずに終わらせられただけ。つまり、解答を知っているテストを終わらせただけの出来レースのようなものなのだが、亜衣がその可能性を考慮できるはずがない。当たり前の話ではあるが。

「これでも結構、机の上での仕事は得意なもので。―――時間が余ったから他の仕事をやろうかとも思っていたんですけど、皆さんの仕事が終わっていなかったからそちらの報告を待つまでは動けなかったんですよ。それで、暇があるから噂の機工師の実力を見極めておこうとしたら羽江ちゃんに捕まってしまったわけです」
「……手を抜いたわけではないだろうな?」
「まさか。気になるなら自分で調べてみてくださいよ。亜衣さんが自分の仕事を終わらせてからね」

 はっ、と嘲笑うかのように九峪。普段ならば、このような言葉を受ければ亜衣はたちどころに九峪に噛み付くところだ。
 だが、今回ばかりは違った。
 驚きも大きすぎれば不信感へと変わる。亜衣は歩みを止めて、体を九峪へと向けた。

「雅比古」
「何ですか?」

 神妙な面持ちとなった亜衣の言葉を、やはり九峪は柳のように受け流す。

「お前はカラクリに関しても多少の知識は持っていると言っていたな」
「そうですけど。それが?」
「そして、政務関係の知識もあるわけだな」
「まあ、そうですね」

 問いかけの一言、一言に九峪は頷く。

「そして、あの地形図に関する知識。更には戦術についての知識もある」
「いや、意外とあるものですね」
「真面目な話だ。茶化すな」

 眉間に皺を寄せつつも九峪を睨むように見据える亜衣。

「――――お前は、いったい何者だ?」
「さあ? それに関しては答えないという事で話がついているはずですけど?」
「そうだな。そういう話だったな」

 問いかけをはぐらかされても、その答えを予想していたのだろう。亜衣は静かに頷いた。

「覚えていてもらえたなら嬉しいですね。てっきり、忘れられていたのかと思いましたよ」
「ああ。覚えてはいたさ。ただの私なりの確認だ。――――それで、私にも予想というか、お前の正体に関する考えがあるんだが聞いてくれるか?」

 不意に、流れが変わった。
 亜衣の眼鏡の下に潜んだ瞳孔が急激に細まる。若い、年頃の女性に対する例えとしては不適切ではあるが、それでも敢えて例えるならば戦う事を決めた蛇のような視線。
 この時初めて、それまでは九峪との言葉での攻防において攻め続けられるだけだった亜衣が自分から攻勢に転じた。仕掛けたのだ。
 その事を会話の節々から悟ったのだろう九峪の視線もまた鋭くなった。余裕の表れか、或いはそれが彼のスタイルであるのか、唇に笑みの形だけはつくられたままに。

「ええ、いいですよ」
「そうか。まず最初にだが、お前は文字に関する知識がある。このことからお前がただの九洲の民であるという可能性は在り得ない」

 一般的な九洲の民の大半が文字に関する知識などは無い。九洲における識字率はそこまでは高くないのだ。まあ、そんなことは二人共、当然のごとく知識として知っている。

「それはそうでしょうね。俺はこの国の人間ではないと言ってきたはずですから」
「その通りだ。次にだが、お前は戦術に関する知識を持っている。つまり、軍関係の役職に関わりがあったという可能性が考えられるだが、これについてはどうだ?」

 何故か仕掛けるごとに表情から疲労の色が隠されていく亜衣。可能性は低いが疲労が消えていっているのかもしれない。傍から見ればだが、彼女はこの手の論戦が好きそうな印象がある。
 実に軽い口調で九峪に話題を振る。

「さあ? 本を読んでいたら知識が勝手に入ってきたのかもしれませんよ。或いは、もとから俺に戦術方面の才能があったのかも知れない。俺が軍隊と関係があったなんて確証を得るには、その推論は弱すぎますね」

 だが、その推測は即座に否定される。当然だ、黒が黒であると判断させるだけの確証がどこにもないのだから。消去法では答えを絞る事はできても、断定することはできないのだから。

「確かにそうだな。認めよう、雅比古」

 そして、その事を自分でも認めているのか、亜衣はあっさりと引き下がった。

「なら、良いんですけど」
「ああ、悪かったな。――――では、次だ。行政関係の知識すらお前は持っている。このことからも、お前は過去にそういった役職と関係があったと考えるのが妥当ではある。だが、やはり証拠としては弱すぎる。断言は出来ない」
「ですね」
「カラクリに関する知識も同様だな。そもそも羽江自体、独学のようなものだから論証になどなりえない。カラクリというやつは、才能のみが結果を左右する領域の学問から生まれた産物と言えるだろうしな」
「へえ、あれだけの知識をあの年で、しかも独学ですか。末恐ろしいものですね」

 とんとん、と。テンポ良く二人の会話は続いていく。その様子は打てば響くといったところか。無論、表向きはであるが。

「ああ、あれは天才だ。それだけに凡人の領域を出ない私には理解出来ない部分もある。先ほどのお前達の会話のようにな」
「いや、あれだって少し齧れば誰だってさわりくらいなら理解できる学問ですよ。それに亜衣さんだって普通の人達よりも充分に賢いでしょう。謙遜ですか?」
「まさか。事実、お前があれだけの量の仕事を私よりも早く終わらせていたのだから、行政の処理能力では私の方が劣っているのだろうさ」

 九峪の、のらりくらりとした言葉に対して淡々と答えていく亜衣。
 お互いにやっているのは、はぐらかしもはぐらかし。探り合いも探り合いだ。
 今の亜衣は、当初の九峪の挑発に簡単にのってしまっていた彼女とは違う。どうやら、ある程度の九峪への対応策を既に亜衣は身に着けたようだった。元々、彼女の学習能力は高いのだから考えられない事態ではない。
 いや、むしろ今まで九峪が亜衣を相手に優位に立てていたのは、過去の知識というアドバンテージがあったからにすぎないのだろう。純粋な弁舌でならば九峪と亜衣は互角――――いや、亜衣の方に分がある。

「へえ、らしくない言葉ですね」
「だがな。そんな私でもお前を出し抜けそうなんだよ、雅比古。お前は地形図に関する知識を持っていたな。正確で、繊細な地形図をお前は知っていた」

 そして、そのことを証明するかのように回りくどくも徐々に言質を取っていく亜衣。
 九峪の軽い挑発は完全に無視して敢えて会話を噛み合わせない。自身の思い描くとおりに会話を進展させていく。
 やや強引な手法ではあるが、同時に効果的でもある。

「ええ。そうですよ」
「ならば、お前はその知識をどこで手に入れた?」
「さあ、どこなんでしょうね」
「答えはしない、か。当然だな。答えられるはずなどは無いはずだからな」

 唇の端を緩めて、亜衣がゆっくりと笑った。まるで外堀は全て埋め終えたとでも語るかのような表情。

「……どういうことです?」

 相手の考えが読めなかったのか、やや不審そうに九峪が問い返す。

「私はな。小さい頃から耶麻台国に関するほぼ全ての書物を見てきた。それこそ数にして何百、あるいは千に届いているかもしれない」

 しかし、亜衣は九峪の問いかけを更に無視して言葉を続ける。

「解るか? 私は耶麻台国にあった書物の全てを読み伏せてきたのだ。宗像の家系は耶麻台国でも重要な文官の家系だからな。およそ私が知らないこの国に関する知識は無い」
「へえ、流石は亜衣さんだ。他の誰が言っても妄言にしかなりませんけど、あなたが言うと説得力がありますね」
「そして、その私が耶麻台国の地形に関する知識など持っていなかった。これがどういう事か解るか?」
「さあ、解りませんね」
「つまり、だ。お前が地形図の知識を仕入れた先は耶麻台国ではない、ということだ。ここではない隠れ里にいる、過去に邪馬台国で文官をしていた両親にも遣いを送って尋ねてみたが、耶麻台国に地形図という概念は無いという返答だった」

 きっぱりと自身の言葉を断言する亜衣。
 その発言を聞いて九峪は、ひゅうっ、と短く口笛を吹いて喝采を送っていた。

「へえ。親にまで確認を取っていたんですか。凄いですね、亜衣さんは」
「まあ、話が面白くなってくるのはここからだ。――――本題なんだが、お前の地形図に関する情報の入手方法はどういったものなのか、ということだ。個人で調べられるはずなどはない。そもそも二十かそこらの年齢のお前が、生まれた時からこの九洲の地形を調べ始めていたとしても終わらせられる作業ではない。莫大な人手と資金が無ければ、この九洲を隈なく調べ終えることなど不可能だからな」

 と、そこで一度、亜衣は言葉を区切る。

「つまりお前は、元からどこかに存在していた地形図の情報を何らかの手段で入手したことになる。これは確実だ。――――ならば、一体どんな国が九洲の地形図などというものを持っているのかということが焦点となってくる。まず、大陸という可能性はありえない。香蘭様から聞いた話だが、現在あの国は各地で内乱の兆しが見え始めているらしいからな。倭などに目を向ける余裕などは無い。では雅比古、他に九洲の地形に関する情報を所持している国は何処だと思う?」

 九峪に向かって問いかける亜衣。徐々に語調が上がっていく。

「答えない、か。まあ、いい。では私が答えよう。現状で九洲の地形に関する地形図の情報を持っている国はただ一つだよ。それは狗根国だ。あの国ならば、ほぼ確実に地形図程度の情報ならば、九洲を占領させた時点で手に入れているだろうさ」

 そして、確信を声に伴わせながら亜衣は言い切った。
 何故ならば彼女は心底にそうであると信じていたから。理論的に考えていけば、滅びた出面が九洲の地形など知るはずなど無く、狗根国に攻め込まれている泗国が九洲の地形を調べる余裕などあるはずもなく、そもそも九洲に住んでいた耶麻台国の文官たちですら把握していない地形図という知識であるのだから、おのずと知識の漏れた場所は限られてしまうわけだ。
 倭国にあって、出面でも泗国でも耶麻台国でも無い国――――そんなものは狗根国以外にあるわけがない、と。

「――――雅比古、お前は狗根国と関わりを持っているな?」

 長い長い前置きを持って、ようやくにも亜衣が本題を切り出した。それは九峪が狗根国と関わりを持っているという推測。
 九峪が過去を遡ったことを知る者からすれば荒唐無稽な推測ではあるのだが、そもそも相手の正体を探るにあたって過去を遡りやってきたなどという可能性を考慮する者はいない。逆行などという行為は常識外の事態であるのだから。
 つまり九峪が知っていた情報などから総合的に九峪の正体を考えていけば、九峪と狗根国には何らかの関係があるという推測が最も理に適ったものになってしまうのだ。無論、確証となり得るほどに強い論拠であるわけでもないが、それを否定できるほどの情報を九峪が公表していないからには、聞く者によっては亜衣の言葉を真実ととる者も出てくるだろう。
 九峪は目の前の亜衣が傑物であることを改めて思い知った。同時に、自分は子供の頃から当たり前の存在として地図というモノに接してきたために、九洲においてその知識の入手経路が限られていることにまで考えが至っていなかったのだ、とも。
 万全を期していたつもりであったにも関わらず露呈した綻び。
 九峪は、九洲における神の遣いという肩書きの強さを再確認した。そして、自らがソレを名乗れないことによる不利益はこれからも増えるだろうと認識を訂正した。

「どうした、何故答えない? 答えられないのか?」

 返答をしない九峪に、畳み掛けるように言葉を投げつける亜衣。
 亜衣の問いに答えなければ疑惑が深まる。が、九峪はその問いかけに答える意思などあるはずもない。できるはずなどない。

「くっ、ははっ、いや本当に頭が切れる――――」

 本心から、心の底から賞賛の意思を込めて九峪は軽く笑った。目の前に立つ相手はやはり亜衣であるわけだと喜びにも似た感情を得ながら。浮かべた笑顔に険は無い。久しぶりに本気で笑ったような気がしていた。

「……どういうことだ?」

 人は疚しい嘘を追求されれば、狼狽するか、嘘を取り繕おうとする。しかし九峪は笑った。それも普段浮かべる軽薄な笑みではなく、まるで年相応な青年らしい笑みを。
 まったく予想していなかった事態であったために、亜衣の気が一瞬だけ緩んだ。同じ顔でも笑い方一つでこれほどまでに印象が変わるものかという驚きが、彼女の思考を一時的に鈍らせたのだ。

「いや、すみません。気でも触れたみたいです。忘れてください」

 軽く呆けたような亜衣を見た九峪は、気を引き締めなおしたのか普段の軽薄な表情を浮かび上がらせて答えた。本当に少しの間だけ再び現れた、九峪らしい笑みは消えてしまう。
 何故か亜衣は寂寥感に似た感情を胸に抱いた。

「――それで、ですけど。やっぱり俺は何も答えはしませんよ。俺には俺の目的がありますからね」

 亜衣が言葉を途切れさせている間に、今度は九峪が会話を切り出す。
 反射的に拙い、と亜衣は思ったが既に遅かった。長い前置きの末に握った会話の主導権は九峪に握り返されてしまっていた。

「ほう、私の疑惑には答えることができないというわけか?」

 改めて亜衣は会話の流れを引き寄せようとするが、

「ええ。疑惑は所詮疑惑に過ぎませんからね。これでも合併軍の作戦行動の全てに俺は関わってきた自信があります。その俺を疑惑程度で追放できるほどに、この軍の幹部達は愚かでは無いでしょう。まあ、亜衣さんが自分の考えを周囲に言いふらせば俺の評判を落とすことぐらいならできるでしょうけど、そんなことは俺にとっては痛くもかゆくも無い。俺はただ、狗根国と戦えればそれで良いんですから」

 やはり、九峪の言葉を覆せそうにはない。くっ、と亜衣は小さく歯噛みをすることしかできなかった。
 正論を疑惑では破れない。一定以上の武勲がある者を疑わしいからという理由だけで裁けるはずなどはないのだ。しかも、九峪が過去を話さないということは合併軍の司令官である伊雅の承認すらも得ているのだから。
 仮に九峪を追い詰めようと思うならば何らかの確実な証拠が必要となってくる。故にどれほど説得力のある推論でも、証拠が無い以上は路傍の石程度の価値すら持たない。
 結論としては、亜衣の洞察力は確かに舌を巻くほどのものではあるのだが、みすみすそれに屈する九峪というわけではなかったということか。

「……ちっ、相変わらず食えない男だな。貴様は」
「どういたしまして。だけど、その推論は面白いんじゃないですか? 周りの人たちにも教えてあげたらどうです?」
「侮るなよ、雅比古。決定的な証拠が無い今のままでは、軍内に不必要な波風を立てるだけで
終わってしまうことぐらい理解している。だから今の状況では私は行動は起こさない」

 自らの劣勢を悟ったのか亜衣は、毒づきながらも退く事を選択した。
 だが、

「――――だがな、覚えておけ。お前が不審な行動など取れないように、私はお前の監視を怠らない。仮に軍に不利益を与えるようなことでもしてみろ。その時は、私が直々にお前を裁いてやるからな」

 釘を刺しておくことも忘れはしない。
 敵味方、その全ての情勢を判断しなければならない軍師という職にあるものは冷酷なくらい冷静に全てを判断しなければならない。その彼女にとって九峪という不明瞭な存在はほとんど理解出来ない。金にも、地位にも、名誉にも、異性にも、何に一つとしてなびかない仲間という存在はひどく扱いにくい。
 故に、その行動を制限しようとしての今回の話題を振ったわけだが、それすらも九峪に避けられてしまったために、彼女の流儀ではない釘刺ししかできなかったわけだ。

「ええ、覚えておきます。それじゃあ、これで」

 その亜衣の心情を漠然と悟ったのか頷いた後に九峪は、亜衣の進行方向とは別の場所へと歩き始めた。時間にしてはほんのわずか、城内の廊下で起こった口論はその瞬間に終わりを告げた。