当麻の街、城内のとある一室では一人の少女が、一見しただけでは何の道具であるのか解らないような機具を分解したり、あるいは組み立てていた。少女はかなり集中しているようで、頬などを真っ黒に汚していたが、そんなことさえも気にせずに黙々と手を動かしていた。
木でできた翼のようなもの。
青銅を用いて作られていると思われる楔形の部品。
そして、なめし革を一定の形に切り取って細い木の骨格に貼り付けているもの。
そのどれもが常人からすれば何の役割を持っているのかを知ることが出来ない、理解不能なガラクタであるように思えるだろう。だが、それは違う。
およそ十代前半程度の年齢にしか見えない幼い彼女は、その容貌に反して一流と呼んでも差し支えの無い機工師であるのだ。
彼女の名前は羽江。
亜衣、衣緒の両名を姉に持つ宗像三姉妹の三女である。
「あ〜して、こ〜して、そ〜なったら――――って、あれ? これじゃあ揚力が得られるのはいいけど骨格自体が安定しないよねぇ。じゃあ、こうかな?」
ふんふんと鼻歌でも口ずさみながらご機嫌で彼女は傍らの木簡に書かれた図面と手元の部品を見比べながらも、手を動かして機具を作ろうとしている。
翼のようなものがあることから、それは恐らくは飛空挺であるのだろう。
やけに抽象的な独り言が多いが、頭の中ではきちんと理論づいて考えられているらしく、指の動きは正確だ。恐らく彼女は典型的な天才肌タイプの人間であると考えられる。
「って、これもダメかあ。じゃあじゃあ、ど〜すればいいんだろ?」
先ほどまでのにこやかな表情を直ぐに曇らせて、今度はしかめっ面をつくりながら図面を見つめて唸る羽江。何やら問題が起きたらしい。
その表情だけで何が起こっているのかの大半が理解できそうな感情表現豊かな少女だ。
「あ〜、だめだめだめだ〜。これじゃあどうしようもないよ〜」
むう、と腕を組んで唸り続ける羽江であるが解決策が思い浮かばないらしい。ぶすぅ、とぶーたれた顔で一心不乱に図面を眺め続けている。しかし、眺める角度を変えたり腕の組み方を変えてもどうにも良い案が思い浮かばないようだ。
そうこうしている間に、一刻、二刻と時間が流れていくが彼女は全く動かない。
凄まじいほどの集中力である。
往々にして天才とはそうであるように、彼女は何かに没頭している間は正しく寝食を忘れてしまうという性質を持っている。腕を組み続けて二刻も唸り続ける等、並の大人でもできはしないだろう。まあ、やりたくもないだろうが。
そして更に一時。
明るかった部屋の外もいつのまにか暗くなってしまっていた時間。
その時に至ってようやく羽江の部屋に変化が訪れた。
とんとん、と何故か彼女の部屋の扉を叩く音がしたのだ。
「悪いんだが、時間は空いているか?」
聞こえてきたのは若い男の声。その声の持ち主は九峪だった。どうやら羽江に用事があるらしい。
だが、集中している羽江は声に気がつかずに、うーんうーんと悩んだままだ。
「勝手に入るぞ」
暫く、部屋の外で返事を待っていたらしい九峪だったが、一向に返事が無かったために、言葉どおりに勝手に部屋の中へと入ってきた。しかし、それでも羽江は気がつかない。
「こんな形じゃ突風が来たときにどうしようもないのに〜〜。どうして何も思いつけないのかなぁ」
すたすたと部屋の中を堂々と歩いてくる九峪の存在など気にもかけずにぶつぶつと呟く。
ついには、九峪が羽江の横に立っても何の反応も示さなかった。
「あれ? そういえば楔が一個足りないような……」
その様子を見た九峪は、本当に呆れたように、はあっとため息をついて、
「そこの主翼の横に落ちてるだろう」
ぽんっと羽江の肩を叩いて楔の落ちている場所を教えた。
「あれあれ? 兄ちゃん誰なのかな? ここ私の部屋なんだけど、そのこと知ってる?」
目をぱちぱちと開閉させて、驚いたように九峪の姿をまじまじと見据えた。どうやら、ことここに至って初めて、九峪の存在に気がついたようだ。
「知ってるさ。俺は雅比古って言うんだが、あんたに用事があってここに来たんだからな。何度か外から呼びかけたんだが返事が無かったから勝手に入らせてもらったわけだ」
「へえ、そうなんだ。うん。それじゃあ問題ないね」
と、そう言って頷いた後に再び羽江は意識を飛空挺へと集中させた。彼女の中では九峪との会話は既に終了してしまっているようだ。
「おいおい、話は聞いてくれ。言っただろう? 俺はあんたに用事があるんだよ」
そのまま無視されてはたまらないと、もう一度九峪は羽江の肩を叩く。
「あのね、兄ちゃん。私はこれでも忙しいんだよ? みんなのために飛空挺を改良しないといけないんだからさぁ。時間あんまり無いんだ」
「そいつは解っている。ただこっちも色々と都合があってな」
「けどね――――」
眉根を寄せて煩わしそうにしている羽江が何か口を開こうとしたが、それよりも早く
「それに頼みごとを聞いてくれたら、そっちの飛空挺造りもある程度なら手伝えるぞ。大方、機体の安定性の向上について悩んでいるんだろう?」
「へっ? 何で解ったの? もしかしてもしかして、兄ちゃん結構詳しかったりする?」
自分の悩みを言い当てられたことに大層驚いたのか、大きな目を更に大きく見開いて羽江。
しかし、彼女は気付いていない。つい先ほど『こんな形じゃ突風が来たときにどうしようもないのに〜〜』と、自分で悩み事を九峪の傍で口走っていたことに。ただただ驚いているばかりである。
天才肌のなのに何処か彼女は抜けている。
「まあ俺は本職ってわけじゃないけど、凄い奴が昔、知り合いにいたからな。――――それと俺の名前は雅比古だ。あんたの兄ちゃんじゃない」
一度だけ、自身の呼び名を訂正させるときだけ九峪の視線が強まった。そのことに彼自身は気付いているだろうか。
「ふ〜ん、雅比古かぁ。あ、そういえば亜衣姉ちゃんがすっごく嫌味な雅比古って奴がいるって言ってたけど、そうなの?」
九峪の視線に気付いてないのか気にしていないのか、ともかく羽江は思いつくがままに言葉を口にしていく。
「多分、俺だな。自信はある。それで頼みごとは引き受けてもらえるか?」
「変な自信だね。――それで頼みごとって何? できることとできないことがあるから内容聞かないと判断つかないよ?」
割と、さばさばとした口調で首を傾げる羽江。目の前の男が姉にとって嫌味な人間であると知っていても、彼女はそんなことは気にしないらしい。
恐らく、彼女にとって重要なのは興味を惹かれるか否かの一点のみなのだろう。
「ああ。頼みなんだが――――」
「まったく、忙しすぎるな。早く文官も育て始めないと、再興軍は崩壊してしまう……」
深刻な表情で亜衣は城内を早歩きで移動していた。何せ、彼女にはやらなければならないことが山のようにあったからだ。
それというのも、最近になって組織された再興軍には武将としては優れている人間はある程度の数が揃っていたのだが、作戦や用兵その他の計画を指導できる参謀役や政務官といった文官の数が圧倒的に不足していたためだ。
首脳陣の面子も例に漏れず、四人いる火魅子候補の中で半数はずぶの素人であるし、彼女の主である星華もまた一人で全てを任せられるほどの執務処理能力は、残念ながら無い。
唯一の救いといっていいのか不明だが、藤那くらいならば行政関係の仕事を処理できるのだが、そもそも彼女だけでは足りはしない。焼け石に水だ。
現に、藤那は殺人的な量の仕事を引き受けているが、それでも亜衣の負担は減りはしないのだ。むしろ時間が経つにつれて借金となり増えていっている。耶麻台国の書類仕事は火の車だった。
それもどうして、亜衣、藤那の他に文官側の仕事をこなせる再興軍の幹部としては伊雅、紅玉、九峪の三名しかいない。その三名も藤那と同程度の仕事ならば引き受けているので、更なる仕事を頼むことなどはできそうにもない。どうにもこうにも、再興軍は人材不足であった。
「次は――――羽江の飛空挺か」
疲労のためか表情を徐々に険しくしていきながらも、廊下を曲がって羽江の部屋へと亜衣は歩いていく。
彼女の全身が纏っている追い詰められた獣のような雰囲気を本能的に察したのか、擦れ違う兵士達は皆、彼女の姿を見かけると背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取り始める。
どうやら彼女は限界が近いようだ。
「羽江、入るぞ」
どんよりと曇らせた瞼の下を隠しもせずに亜衣は羽江の部屋へと入っていった。
そして、
「なっ――――!?」
いきなり驚愕した。
「いや、そうじゃない。主翼一本だとしたらどうしても安定性は望めなくなるからな。突発的な横風にも対応しようとするなら水平尾翼が絶対に必要になってくる。できれば垂直尾翼も欲しいな」
「ええっと、それだけじゃあダメなんじゃないかなぁ? だって二点で揚力を得られたとしても安定性には大差ないよ?」
「そうだな、だから尾翼に可動域のある別の板をとりつけないといけないわけだ」
「ええっと? …………あぁ、あ〜! へぇ〜! そっかそっかそっか! 空気抵抗を飛行中に変えられるようにすればいいんだ!」
「ああ、言わなくても解るとは思うが、間違っても主翼はいじるなよ。後々怖いからな」
「うん、解ってるよ。複雑な仕掛けがあるから危険度が小さくなるように尾翼でってことだよね?」
「そういうことだ」
「じゃあさじゃあさじゃあさ――――」
何故なら、彼女の妹と宿敵が仲良くなっているようにみえたからだ。しかも、実の姉である亜衣でさえも理解できない羽江の意味不明な言語に九峪がついていっていたために、空いた口がふさがらないような状態になる。
「……まだ何かあるのか? 俺としてはそろそろ帰りたいんだが。」
「まだダメだよぉ。勝手に帰ったら言われたモノは絶対に作らないからね〜」
「はあ……解った。それで次は何だ?」
「あのねあのねあのね、遅い風は圧力が高くて、速い風が圧力が低いんだよね? それならさぁ――――」
いや、正確には羽江が一方的に九峪に懐いているだけのようだと亜衣は情報を訂正した。頭痛がするようだった。
しかし彼女は気を取り直して、大きく深呼吸をして、
「おい、何をやっている!」
部屋の中央で話を続ける二人に向かって怒鳴りつけた。
「あ、亜衣姉ちゃんだ。やっほ〜」
「どうも、ご機嫌斜めみたいですね亜衣さん」
亜衣の叫びに対して、羽江はテンションが上がっているのかニコニコした笑顔で手を振って答え、九峪は彼にしては珍しく疲れたように軽くため息をつきながらも嫌味を放ってきた。
「何をしているんだ、お前達」
「何って、ただ亜衣さんの妹さんの質問に答えていただけですよ。どうやら俺が知ってる事に興味あったみたいなんで」
右手だけで襟元を正しながら九峪。
その態度に疚しい箇所など見当たらない。
「本当か、羽江?」
「うん。本当だよ。それにしてもね、亜衣姉ちゃん。聞いてよ。凄いんだよ? あのね、雅比古兄ちゃんってば凄いんだから。もうね、なんていうかビックリ仰天って感じでさぁ。聞くこと聞くこと面白くって、もうず〜〜〜〜っと話し込んでるんだけど全然、話の種が無くならないんだ。大気圧とか揚力とかの話なんだけどさぁ――――あ、そうだ。亜衣姉ちゃんはそのあたり解んないよね? 説明してあげよっか? うん、してあげるね。空気は軽くて重さなんて無いように思えるけど実際には違っていてきちんと空気自体も重さを持っていてその空気が持っている重さのことを――――」
「ああ。解ったから取り敢えず静まれ羽江」
がしりっ、と素手で羽江の頭を握り締めて亜衣は言った。
「え〜〜? どうして止めるの? いいところだったのにさぁ」
ずり落ちそうになった眼鏡を指で押し上げながら羽江の言葉を遮った亜衣に対して、途端に羽江はぶーたれた顔で不満を言い始める。
もう亜衣には何が何だか解らなかった。ふと、横を見てみると九峪も似たような表情をしていた。
「雅比古。どういうことか手短に説明しろ」
自分の妹は当てにならないと思ったのか、手短にという単語を強調しながら九峪に問いかける亜衣。
「人づてに再興軍には腕のいい機工師がいると聞いたんで、そのカラクリがどれ程のものなのか、つまりは戦闘に活用できる程のものなのかを調べるためにここに来てみたんですよ。だけど、どうしてか羽江ちゃんに捕まってしまって、かれこれ二刻ぐらいはここで話を強要されています。亜衣さんの妹さんなんですよね? 大した妹さんだ」
九峪は軽薄そうな顔のままに、大した妹、の部分にアクセントをつけて言葉を返した。
言われた亜衣は、ぐっ、と言葉に詰まる。
だが、
しばらくして何かに気がついたのか顔を上げて、
「おい待て――――う、羽江と二人で! 二刻も! この部屋で一緒だったのか!?」
どうやら彼女は妹贔屓な一面があるらしい。顔を憎悪に歪ませて九峪を睨みつける。
それは、余りの苛烈さに九峪が一歩後方へ退きそうになるほどの視線だった。この時、初めて亜衣は九峪を圧倒した。
「まさかとは思うが、何かふざけた真似などしていないだろうなっ?」
人の体すら貫けそうなプレッシャーを視線として放ちながら亜衣は問いかける。どうやら、九峪に童女趣味でもあるのではないかと勘繰っているらしい。
基本的に亜衣の九峪に対する心象は最悪だ。その亜衣の主観ではピラミッドの最底辺に位置づけている劣悪な男が、純真(?)な自分の妹と長時間一緒の部屋にいたことに憤りを感じたのだろう。
まあ、家族を大切にする傾向のある人間ならばそのようなことを心配する事は当然ではあるが、やや過剰すぎる嫌いがあるように思える。それが亜衣の特性なのだろうが。
「冗談じゃないですよ。俺はこれでも趣味は正常だ。子供に手を出しても面白くない」
「本当か? 童女趣味でもあるんじゃないのかっ!?」
「言いがかりは止めてくださいよ。そもそも俺は最低でも、俺の胸の高さにまで背が届かない子は守備範囲外なんですから。羽江ちゃんみたいに俺の腰ぐらいまでしか身長が無い子じゃ、金を貰ったとしてもその気になれない」
「そ――その気になるだとぉ!?」
冷静に答えようと努める九峪とは対照的に、どんどんと亜衣はヒートアップしていく。殆ど眠らずに雑務を続けていたために判断能力が鈍っているのかもしれない。
九峪はあからさまにげんなりとした表情を作った。
「なあ、羽江。どうにか言ってやってくれ」
「おい、妹を呼び捨てにするな! それで、どうなんだ羽江っ?」
と、そこで議論の焦点が羽江へと急に向いた。
話を振られた羽江は、亜衣の視線を真正面から見据えて
「ず〜〜っと話をしていただけだよ」
邪気の無い瞳で答える。
「そ、そうか……よかった」
「ほら、そういうことだから離れてください」
「む、そうだな。悪かったな、雅比古」
羽江の言葉を聞いてやっと落ち着いたのか亜衣は、九峪に詰め寄るのを止めた。
だが、事態はこれだけでは終わらなかった。
「ねえねえ、亜衣姉ちゃん」
「うん? どうした?」
「童女趣味って何のこと? それと、その気になるっていうのもどういうことなの?」
羽江はしっかりと二人の言葉を記憶していたのだ。