当麻の街が復興軍ならびに再興軍の合併軍に解放されてから二日と半日後。
 反乱軍が動き始めたと言う報告が入れられた狗根国の、九洲統治における最重要拠点である征西都督府に存在する執務室では、共に狗根国内で高い地位に属する二人の人物が顔をあわせていた。
 ――――否、『二人の人物が』という表現は適切ではないかもしれない。何故ならば、その二人が二人ともに、人であると断定できるほどに生易しい存在ではないためだ。
 一人は狗根国が左道士監、蛇渇。そしてもう一人は征西都督府筆頭補佐、天目。肉を失い、骨と皮が癒着してしまったような外見をした不気味な骸骨翁と、背に取り付けた羽装束の美しい、だがそれ以上に危険な艶やかさを身に纏った半裸の女。
 ともに人外。
 ともに規格外。
 倭国における最大勢力である狗根国の、限りなく頂上に近い位置まで登りつめた両の鬼才の持ち主達は、既に人と言う呼称が相応しいのかさえ判断がつかない。各々二人が不気味に、妖艶に口元を緩めるだけで、凡俗の者達は呼吸をすることさえも忘れるだろう。

「それで、何の用だ?」

 部屋の中で見つめ合って――――いや、視線をぶつけあっていた二人の内、口火を切ったのは天目だった。床机を前に座したまま、敵意を隠そうともせずに問いかける。

「当麻の、ま、街が陥とされた、そう、そうだな」

 そして蛇渇もまた声色の中に侮蔑の感情を含ませて本題を切り出す。
 互いが互いを毛嫌いしていることが、たった一度の言葉の交換で理解できる。それは、犬猿の仲という言葉ですら届かない程に苛烈な敵愾心の応酬だった。

「ふん、それがどうしたというのだ」
「どうした、など、などと言っている、暇はあるまい。貴様が仮にも筆頭補佐なの、なのだからな。これは、貴様の責任になるぞ」

 この二人の口論の原因はやはり、九洲の南西部で蜂起した耶麻台国の合併軍であるようだ。
 通常ならば当麻の街を落とされた責任のある天目の方が分が悪く思える。が、そこは仮にも天目。その程度の不利な要因は歯牙にもかけずに言葉を返す。

「脳味噌までも腐ったか、蛇渇。当麻の街程度、反乱者に制圧されたとしても問題など無い。地の利、天の利、人の利――利という利の全てがこちら側にあるのだからな」
「……それは、ただの、ただの負け惜しみにしか聞こえんぞ」
「負け惜しみ、だと? ふざけるな、ふざけるなよ蛇渇。貴様の冗談は解りにくいうえに詰まらないから救いようが無いな。集まった鼠どもが制圧した街を取り返すために割かなければならない労力と、各地に潜んだままの鼠どもを逐一駆除していくための労力。長い目で見ればどちらの方が小さくすむかすらも、お前は考えられないのか」
「ほう……当麻の、ま、街は撒き餌だと?」

 と、そこで初めて蛇渇の表情に変化が現れた。冷えた鋼鉄の様に堅い、蛇渇の骨と皮のみで構成された髑髏の仮面が僅かに揺れる。

「その通りだ。それどころか私は鼠どもを残らず駆除するためになら、もう一つや二つ街を奴らに貸してやってもいいとさえ思っている。その方が、最終的に私の仕事が減るからな」

 にやりと不敵に笑う天目。裏があると解る酷く狡猾な表情をしていても、それでも彼女は妖しく、艶かしい。余程の胆力を持ちえる者でなければ彼女の色香には抵抗することは難しいだろう。
 無論、それは一般人ならばの話であって、蛇渇はそのようなものに反応すら示さないが。

「かか、大王より任された街の、ひ、ひとつやふたつが、ど、どうでもいいと言ったか」

 逆に、天目の言葉を糾弾するような調子で会話を切り返す。その様は、隙さえあれば喉元に喰らいつこうとする正しく『蛇蝎』。不気味に笑いながらも、自らの体内に在る毒を敵に注入する機会を窺う狂った蛇。
 だが、天目は動じない。揺るがない。狼狽しない。ただ艶然と蛇渇の前に在り続ける。

「耳でも耄碌したか? それとも敢えて耄碌させたのか? ――――誰がどうでもいいなどと言った。私は貸してやってもいいと言ったのだ。最終的には我々、狗根国が取り返すことに変わりは無い」
「……与えた街を取りかえせなかった、なかったなら、どうする? 反乱分子どもを、ちょうし、調子付かせるだけの結果と、なったならば」
「ふん、たかだか雑兵の集まりに過ぎない反乱者連中に私が後れを取る道理などあるものか。見くびるのもいい加減にしてもらいたいな」

 喰らいつけば一瞬で毒を送り込み敵を葬る『蛇蝎』を前にしても髪の毛一本分も退くことのない彼女をどのように表現することができるだろうか。鷹か、豹か、虎か――――何であったとしても可愛らしい存在ではあるまい。
 天目の返答に蛇渇は返答せずに暫くの間、黙考し、

「……かか、言ってくれるな。は、吐いた唾は飲めんぞ、天目」

 念押しするように、言質を取るように確認の問いかけをした。

「ああ、そんなことなど知っている。解ったなら早く部屋から出て行け。いい加減、お前の干乾びた顔を見続けるのも限界だ」
「そう、そうだな。今回は、この程度で帰らせてもらうとしよう」

 心底うんざりした表情の天目の声に、蛇渇は初めて同意を示して頷いた。

「おい、誰か――――左道士監殿がお帰りだ。部屋の外までお送りしてやれ!」
「か、かか。供など不用だぞ」
「……勘違いするな。私の周囲でこそこそとうろつかれては厄介だから監視をつけるだけだ。貴様が私の部署から完全に外へ出たのかの確認のためにな」
「かははっ! 相変わらず。相変わらず言ってくれる!」

 本当に楽しそうに笑う蛇渇。が、逆に天目の眉間には皺が寄り始める。

「五月蝿い。その声で笑わずに早く出て行け。私はこの通り急がしいのだからな」
「くくっ、確かに。――――それでは失礼させてもらおう」

 天目に背を向けたままに蛇渇はそう言ってひとしきり笑った後、部屋の入り口に控えていた親衛隊の兵士に付き添われて、天目の視界から出て行った。
 部屋の中に残るのは天目ただ一人となった。同時に、蛇渇の前では余裕を持って高笑いを浮かべていたように見えた天目の唇が忌々しげに吊りあがる。そのままに天目は口を開き、

「ちっ、相変わらずふざけた死に損ないだ。私の最大の障害は、やはりあいつになるのか」と、天目は苛立たしげに部屋の出口を睨みつけ「だが、奴はまだ私を探っている段階。まだ確信は得ていないはず――――ならば、あの馬鹿を骨抜きにしておけば時間は間に合う、か」

 もう一度、唇を緩めて笑いなおした。それは何故か優雅な笑みだった。







「かかか――――あの女狐は何を考えているのか……」

 暗い暗い光の差し込まない廊下。都督府に隣接して設けられた北斗宮の廊下を蛇渇は歩いていた。笑いながら。楽しそうに笑いながら。

「女狐とは天目のことですか?」
「当然、当然よ。あれ以外に何者が狐を名乗れる」

 僅か後方を歩いていた男の問いに萎びた頭蓋を頷かせる蛇渇。
 後方にて彼に付き添うのは左道士、その名を鳴壬。血の気の全く感じられない不健康な青白い肌が目を引く男である。

「やはり、あの女は不穏な動きを見せているのですか?」
「いや、奴は何も、何も動きは見せておらんよ」
「……どういうことです? 現状で何も動きを見せていないのなら問題は無いのではありませんか?」

 蛇渇の前後の繋がらない意見を聞いた鳴壬は疑問の声をあげる。が、蛇渇は己のみ楽しそうに、常人には寒気しか感じられないように笑い、

「若い、若いな、鳴壬。あの女狐、あの儂を前にしてのみ動きを見せない天目が、何も腹の中で画策しておらぬわけがなかろう。恐らくは、恐らくはだが紫香楽は既に傀儡となっておるだろうよ。無論、証拠など一片も、それこそ一片も残っておらんだろうがな」
「それでは、天目は監視しておく必要が?」
「そうだな、十数日の間は反乱軍どもの相手が忙しかろうから、それ以降になれば再び。再び動きだすやもしれん。――――かかかっ、楽しみなものだ」

 笑みを暗く深める蛇渇。彼の笑い声が周囲の空間を衰弱させていくような錯覚を覚える。
 だが、鳴壬には蛇渇が笑みを深めた理由がまるで掴めない。

「……楽しみ、ですか?」
「その通り、その通りだ。天目、奴の存在は実に面白いからの」
「よからぬ事を企んでいる天目が面白いのですか?」

 まるで納得できないとばかりに鳴壬は問う。何ら表情を変えない蛇渇に向かって。

「今、この狗根国で儂に、左道士監であるこの儂に戦いを仕掛けようとする者がどれほどおる? 幾ばくもおらんのが現状よ。そして、その幾ばくかの中で儂を脅かすだけの力を持つ者に至っては皆無だった。しかし。しかしの。奴が、天目が現れた。奴は良い。実に面白い。奴は儂に敵意を持ち、儂の命を奪えるだけの力量が在る。これがどういうことだか解るか?」
「……すみませんが、解りかねます」

 蛇渇にしては珍しく紡がれた長い言葉より生まれた疑問に鳴壬は答えることができない。黙考の後に頭を下げる。

「かっ、まあ、仕方あるまいて。――――儂はな、儂は敵が欲しいのだ。儂の命を脅かせるほどに強い敵がな」蛇渇は、鳴壬が答えられなくて当然とばかりに言葉を発する。「そして捻じ伏せたいのだ、歯ごたえの在るそやつらをの。かつての戦乱の世では日々手に入っていた強者達の悲鳴が、命乞いの声が聞きたいのだ。もはや九洲を平定してより手に入らなかった甘美な恍惚を望んでるのよ」
「それでは、その敵として天目が相応しいと?」
「然り。あれほどまでに喰い甲斐のある女はおるまい。知恵が回り、腕が立ち、そして何より、何より狡猾。あれは必ず、国を裏切る。その時は、その時は儂があれと戦うのだ。くかかっ、まったくもって待ち遠しい」

 遂には蛇渇の声は哄笑とも呼べるほどに大きくなる。狭苦しい廊下にて蛇渇の声が反響した。

「それでは、我々はこれからどうするのですか?」
「そうさ、そうさの。あれが動き出すのを待つしか無かろうよ。それが儂の望みでもあるのだからな。そもそも、女狐程度にたぶらかされる凡俗は、その程度の俗物は大王になどなれようはずも無いから捨て置いて、な」と、そこでクツクツと小さく笑った後に蛇渇は、ふと顔を上げて、「……うん? ――――かかかっ! そうか、その手があったか!」
「…………どうしたのですか?」

 狂ったように笑い始めた蛇渇。さしもの鳴壬も背に冷たいモノを感じ、蛇渇の傍から一歩後ろへと後退した。

「魔人、魔人を使うぞ。本土より、連れて来ていたあれを使えば、天目の負担も軽くなるだろうて。奴には、儂の贄となる奴には陰でこそこそと動き回ってもらわんとならんからの」
「しかし、魔人を使えば天目も黙ってはいないかと」
「そうさの。だが、我らが使ったことに、しなければよいだけの話。あれだ、当麻の街に派遣しておった者がおったはずよな?」

 確認するように蛇渇は鳴壬を見据える。その瞳の色は冥く、暗い。

「深川のことですか」
「そう、そやつだ。責任などそやつに、擦り付けてしまえば、よい。無能は無能なりに、働いてもらわんといかんからの」
「擦り付ける? ……反乱者に敗れて逆上した深川が魔人を使役したとすれば良いのですか?」
「そう、それでよかろう。左道士は、左道士監である儂、この儂にしか裁けんからの。既に死んでいたのなら僥倖。仮に、仮に生きていたとして、ここに姿を現したならば、殺してしまえばよい」

 くくっ、と愉しそうに笑う蛇渇。

「解りました。それでは、そのように手配しておきます」
「連れ出す魔人は、お前が、お前が選んでおけ」
「解りました――――それでは私は早速にでも」

 そう言って一礼した後に、鳴壬は蛇渇とは反対方向へと歩いていった。

「ふくくっ、かははははっ、カハハハハハハハハッ―――――!」

 狂人と言う表現すら生温く思えるほどに、蛇渇は口元を広げて笑い続けた。
 その笑みは、九峪雅比古の笑みと対極のようでありながらも、どこか根底の部分が似通っているようにも思えた。何かに対して敵対するような嘲笑が、復讐者の姿を、しらず連想させたから。







「あちゃ、それにしても、もう当麻の街が落とされてるなんてね。予想外だよ」
「どうするんですか、忌瀬さん。耶麻台国側の手伝いをして、あっちの軍部に潜り込むとか言っていたのに、もう街が落とされてるんじゃ何もできないじゃないですか。打つ手なしなんて笑い話にもなりませんよ」

 当麻の街より北方に位置する美禰の街。その街中を二人の女がぶらぶらと歩きながらも会話していた。いや、女一人、少女一人といったほうが正確だろうか。
 漂泊者の服装をした女、忌瀬と、狩猟者の服装をした少女、真姉胡の二人組。

「うるさいね、真姉胡は。あんな計画、最初から上手くいくなんて考えちゃいないよ。方法なんて幾らでもあるんだから、ガタガタ言ってるんじゃない」
「……だけど早く潜入しておかないと天目様に酷い目に遭わされちゃいますよ。絶対に。ああ、私、何でこんな任務になったんだろう」
「そんなのあたしが知るもんか。ともかく少しは黙ってな」
「はい。けど、本当にこれからどうしますか?」

 小さい体でコロコロと大きめのリアクションを取る真姉胡を、めんどくさそうな表情をして黙らせる忌瀬。意外にも噛み合っていないようで噛み合っている、でこぼこの二人組みだ。

「そうさね――――こっちから動いても怪しまれるだけだろうから、取り敢えず待ってみるのが上策って感じなんだろうけど…………ああ、もう良いや。この街の周辺に居座っておくよ。あちらさんが馬鹿の集まりじゃないなら、その内にこの街を手に入れるだろうから、それまでに色々と準備をしとくよ」
「へ? 準備って何ですか?」

 またまた首を傾げて真姉胡が問う。
 その声を聞いた忌瀬は、にひひっと笑って、

「そりゃあ、色々だよ。取り敢えず私に付いてきな」

 真姉胡に背を向けて、どこかへと歩き始めた。