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「狗根国は紛れも無く強い。その事実を正確に認識出来ないままにあの国に勝負を挑んで、無様にも生き恥をさらした馬鹿に残ったのは左腕の欠けたこんな体だけ。くだらない話を言い合う友も、愛を語る相手も、護りたかったモノ全てが手から離れていきましたよ――――本当に、何一つ残らなかった」


 組み敷いた亜衣の束縛を解く事無く、九峪は自身の肩口と通す腕の無いために揺れる服の袖を見つめ語った。唇は笑みの形を作ろうと歪んでいるが、笑みというには何かが明らかに欠落した表情。その何かを誰も詳細に知る事は出来ないが、漠然となら想像出来た――それは温かさといった類のモノなのだろうと。
 何処か暗い穴の底に落ちていくような言葉を聞いて、少しばかりの間、九峪と生活を共にした者達は九峪の時折覗かせる狂気の理由を知り、九峪と出会って間もない者達は戦争が生み出す歪みの一端を否応無く感じた。


「……お前の目的は復讐か、雅比古」


 九峪の常軌を逸した行動に含まれた、精神の歪みという名の蛇が自身の体を一心に這い回り恐怖させようとする中で、怯えに似たモノを感じて若干および腰になりながらも藤那は九峪の言葉の真意を尋ねた。
 彼女は気高くも声だけは震わせなかったが、そこに意味は無い。火魅子を目指す者は自らの感情の揺らぎを外面へと出す事は許されないのだから。例え、声を震わせずとも体を震わせればそれは無意味なのだ。
 無論、命のやり取りである殺し合いに対する経験の少ない今の藤那に完璧さを求めるのは酷というものだが。


「ああ、その通りですよ。俺は耶麻台国の事なんてどうでもいい。ただ狗根国を滅ぼしたいんです」


 そして聞こえてきた返答。異国の人間である九峪が耶麻台国に力を貸す理由が復讐であると聞き、志野を除いた殆どの皆が納得した。軽薄で、智に富み、比類なき武を修めた狂人が、客観的に考えて勝利する可能性の低い陣営に何の理由も無いままに加勢するはずがないのだから。過去を今まで語る事の無かった九峪が初めて語った自身の過去は、ある程度の人間の疑問を氷解させる事となった。
 戦う理由は復讐。邪馬台国の事などに興味は無い――そんな悲しい言葉。
 伊雅はその言葉に九峪を御する活路を見出し、伊万里はかつて見た九峪の泣き顔に限りなく近い笑い顔を思い出し心を痛めた。
 紅玉は生涯の伴侶を失ったかつての自身を思い出し、藤那は内心で狼狽しながらも顔を思い出すことすら叶わぬ父の姿を一瞬だけ重ねた。
 志野は自身がいきついてしまうところだった闇を痛感し、音羽は唇を歪めた九峪が不器用にでも笑おうとしているように思え、ただ悲しかった。
 上乃はこれこそが九峪の本性なのだと思い、香蘭はこれもまた九峪の一部なのだろうと思った。
 星華は先の九峪の言葉を返す手段を模索し、衣緒は九峪の声に秘められた悲しさを悟りつつも姉をいつでも助けれるように身構えた。
 閑谷は九峪の言葉から実情を察するには余りに幼いがために深部を識る事は適わず、組み敷かれた亜衣は二度と醜態は晒さないと、自身に怒りつつも誓った。


「だからこそ、合併軍の現状は納得がいかないんです。判断のつかない火魅子候補に冷静さを失う参謀、脆弱な武将達。このままでは絶対に再興軍は、九洲から一兵も残らずに駆逐されます」


 そして九峪は、自身が善意の行動から耶麻台国に力を貸しているのではないと公言する事が出来て安堵した。
 彼は誰かに優しくされたくなどは無かった。九峪だけが知る過去で、復興したはずの耶麻台国が滅んだのは間違いなく自身が原因だと思っていたが故に、彼はかつての仲間達から護られたくは無かったのだ。
 幸か不幸か戦に聡い九峪は、軍内の幹部がいがみ合う事の愚かしさを知っていた。どう考えても当たり障りの無い程度に幹部連中との付き合いは良くしておいた方が良い。だが、それでも九峪はこれだけは譲れなかった。故に、ならばと彼は思ったのだ。せめて自らが軍の規律を乱さざるを得ないのならば、それが耶麻台国にとって良い方向に影響するように動こうと。
 それは簡潔に言えば自らが嫌われ者になる事を意味している。未だ合併して日の浅い再興軍と復興軍の両軍の幹部の意思の疎通は上手くいっているとはお世辞にも言いがたい。そんな彼らの前に共通の敵と呼べるものが現れれば、それだけである程度の結束は固まる。共通の敵とは復興軍出身、再興軍出身に関わらず斜に構えて接する者であり、現在の九峪。だからこその罵倒。だからこその亜衣への行動。
 九峪は結局は法螺吹きでしかなかった自身を嘲笑いながらも、喜んで自らを汚れ役という名の両軍の楔としようと決めていた。


「そう、俺に無用心にも近寄ってきてこうなった亜衣さんの様に」


 故に九峪は最早、亜衣を挑発の材料として使い。それが終わったからには組み敷いた彼女の拘束を解いて自身の座するべき下座へと戻り始めた。簡単な挑発を口にする事も忘れずに。否、その挑発こそが目的であるのか。


「……納得がいかないですって?」


 無論、九峪の事を知るはずの無い者達が九峪の内心に気付けるはずが無く、星華が最初に九峪の言葉に噛み付く。
 その反応に九峪は誰に解る事もない程度、微かに口元を緩めた。そう、お前達はそれで良いのだと思いながら。


「ええ、納得がいきませんね、頭の回転が遅すぎる。狗根国は六百という数の兵士を僅か数日で当麻の街まで進軍させた。これはつまり、六百という数の兵士が当麻の街の周辺に潜んでいたという事になる。それだけの人数の兵士が何処かにいたのならば、真面目に時間をかけて調べれば、その情報は得られたはずなんですよ、星華様」


 そして九峪は再び意識を会議へと集中させた。九峪は彼の発言が今後の合併軍の行方を左右する事を理解していたし、それが幹部連中の生死にも直結する事を知っていたから。だからこそ、決して手を抜くつもりは無かった。
 随分と一方通行で歪であるが、それは間違いなく親愛の情からなる仲間意識。
 

「それは――――」


 事実であるがために、何か反論しようとしても上手い言葉を思いつくことが出来ないのか言葉に詰まる星華。だが、九峪はその様子を見ながらも言葉を緩めずに、


「まあ、今回に限ってはそれでも仕方が無い面もあります。戦の初心者の集まりに一から十まで全てを望むつもりはありません。それは愚かな事ですからね。だけど、そこからも何も出来ないのだったら話は変わってきます」


 止まらず、緩めず、澱まずに紡がれていく言葉はたった一時で場を支配する。この男の言葉は敵意が含まれていようとも、知らず人を惹きつけるのだ。それは九峪が生来に持ち合わせていた資質であるのか、それとも過去に耶麻台国の神の遣いという役職についていたために得られた後天的な資質であるのかは解らない。だが、それでも彼が場を動かしているという事は疑うべくも無い。
 誰一人、口を開く事も無く九峪を見つめている。先ほどまで組み敷かれ怒りに震えていたはずの亜衣でさえも、何かを感じて身動きすら出来ないのだから。


「六百という数の兵士を隠しきれる場所は、当麻の街の周辺に数えるほどしかありません。美禰、去飛、児湯の街の三つだけ。つまりは兵士を数単位に分けて狗根国側は三つの街に配置していたという事になります」


 九峪は最初に狗根国兵士達がいた場所を推察した。
 軍という存在は恐ろしく複雑な集団である。同じく軍を構成する兵士という存在も複雑であり、故に兵士を維持できる場所は限られる。だからこそ地理的に考えれば兵士達が隠れていたと考えられる場所は美禰、去飛、児湯の街の三つしかない。これは、ある程度の戦の経験が有る者ならば当然の思考である。何度もその事実に悩まされた九峪にとっては、多く語る必要性も無い程に簡単な事実。
 だが、その事に対して疑問を覚えた者もいたらしく、


「……幾らなんでもそう簡単に、狗根国は街の中に潜んでいたと断定できるとは思えないんですけど」


 おずおずと音羽が控えめにも九峪の言葉に口を挟んだ。
 九峪はたった少しの説明だけで、狗根国は美禰、去飛、児湯の三つの街の中に潜伏していたと断言した。これが音羽にとっては性急な結論に思えたのだろう。


「じゃあ、聞きますが当麻の街の周辺に他に隠れる場所があったとでも思っているんですか?」


 だが、無論、九峪も確固とした過去の経験と元来備わっていた洞察力から推測したのであって、酔狂な思いつきで断言したわけではない。だからこそ逆に音羽に問い返す。


「それは……人里離れた山の中に隠れていたとか……」


 少しばかり思案した表情の音羽が、皆の視線が自身に集まっている事に恐縮しながらも言葉を返した。


「それは有り得ないですね。兵士という存在は移動させるだけでも甚大な出費が必要となります。それを、いつ蜂起するか解らない相手を罠に嵌めるためだけに、街から離れた場所に潜ませておく事ほどくだらない策はない。街の中にいたのならまだしも、外に潜んでいたのな ら食料を入手や人の目を避けることが決定的に難しくなります。だから、狗根国の兵士がいた場所は街か、或いは近くの砦だとしか考えら れません」


 九峪は間髪いれずに音羽の考えを切って捨てる。理路整然とした言葉に誰も反論する事は出来ない。


「……それで、狗根国兵六百が美禰、去飛、児湯の街に隠れていたからどうだと言うのだ?」


 一旦、皆に理解するだけの時間を与えるためか言葉を区切った九峪に対して伊雅が口を開く。それは誰にとっても当然の質問だった。そ の場にいた九峪を除いて。狗根国兵のいた場所が解っただけでは何にもならないのだから。
 だが、九峪はその言葉を聞いて呆れたような感情を声ににじませて、


「だからこそ、合併軍は今ならば勝利出来るんですよ。これほど見事にこちらを罠に嵌めようとした敵が、六百という数の兵士をそのまま 各街に投入するはずがないんです。馬鹿の一つ覚えに六百という兵士を堂々と投入すれば情報は漏れるものですからね。これもまた断言で きます、この作戦を考えた狗根国側の武将は情報が漏れにくくなるような偽装工作を行っているはずです」

「偽装工作、だと?」

「はい。そして、偽装工作として考えられる方法は一つだけ。恐らく、全体として詰めている兵士の数は余り上下させずに、狗根国側は今 回の作戦のための兵士を秘密裏に配置してきたという事です。つまりは元々、街に詰めていた兵士達を入れ替えらせたんでしょう。最低限 に必要な人員だけは残したままで。それならば特に表立って疑問に思う者は少ないはずです」


 九峪は脳裏で、現在の狗根国を率いているだろう人物の事を思い出しながらも言った。天目という女はそんな智謀を持った人間だったと 懐かしみながら。
 まず、兵士を隠れさせられる場所は美禰、去飛、児湯の街の三つしかない。そして、耶麻台国勢力の人間を罠に嵌めようとしている事が 気取られないためには、兵士の配置を水面下で行う必要がある。日々、少しずつその意を汲ませた兵士を増員、並びに元々、街に詰めてい た兵士に命令を徹底させることで、その作戦を可能な段階まで準備していったのだろうと九峪は考えていた。
 それが事実ならば何とも荒唐無稽な話ではあるが、九峪はそれが限りなく事実に近い事を悟ってもいた。そもそも、一つの街を撒き餌と して敵を吊り上げるなどという発想自体が常軌を逸しているのだから、自然とそんな考えを実現するために取るべき行動は限られてしまう。


「それは……いや、確かに――――」


 伊雅もまた最初は眉根を寄せて考えていたようだが、少しずつ合点がいっていったのか頷く。
 伊雅の内心では、途方も無い策を考え付いた敵への更なる警戒心と、その策を見抜いた九峪の底知れない洞察力に対する驚嘆が織り交ざっていた。


「そして、そのために今の美禰、去飛、児湯の街の三つの街の守備力は格段に落ちていると推測できます。恐らくは、六百もの兵士が逆に反乱軍に全滅させられるとは考えていなかったからでしょうから、あちらが水面下で兵員の増強をしていた事や、今回の作戦の準備をしていたことが今はこちらの武器になります。まず間違いなく、国都からの兵士の増員の無い今なら打って出ればこちらは三つの街を手に入れることが出来るでしょうね」


 そして語り終えられた九峪の考え。
 数刻前までは絵空事でしかなかったはずの当麻の街の周囲にある三つの街を陥落させるという九峪の発言は、既にその場にいた者達の脳裏に現実的に可能な作戦の一つとして刻み込まれようとしていた。
 

「……確かに、敵側の兵力が減少している可能性は高いでしょう。ですが、それだけでは街を陥落させられるという保障にはならないと思いますが?」


 だが、勿論ではあるが全ての人間が九峪の考えに何の疑いも持たなかったわけではない。志野が探るように九峪の瞳を見据えて問うた。
 その場では他に、黙考するような表情で二人を眺めている紅玉などもまた、九峪の考えが完璧ではない事を悟っているのだろう。亜衣も何かを言いたそうな素振りを見せているが、先に志野が口を開いたために何も語ろうとする様子は無い。


「保証が無い――か、何処までも甘い考えだ。そんな考えは早く捨てた方がいい。九洲の紛れも無い支配者である狗根国に勝負を挑んだ時点で、俺たちに安全の保障なんてモノは無い。あるのは、どちらの選択が生き延びる事が出来る可能性が高いかという事実だけだ。違うか?」


 志野に向かって口調を対等な状態にして九峪が言葉を返す。その言葉の中には、生き死にというモノを強く感じさせる響きがあった。故にその場にいた多くの者が思った、九峪はこの場所にいる誰よりも血と屍体を見続けてきたのだと。


「私達は勝利するより他に無いという事ですか?」


 ゾッとする様な底冷えする声に背筋を舌で舐められるような寒気を感じ、次いで、初めて九峪と出会った時に九峪が浮かべた温かい笑顔を思い出した伊万里は自然と口を開いていた。別に確たる戦闘方針を彼女は考えていたわけではなかったが、それでも気がつけば九峪に問いかけていたのだ。
 何か考えでもあるのかと嫌味たらしく九峪に逆に質問を返されれば、自分は何も答えられないだろう――――伊万里はそう思ったはずなのに、それでも自分が知らぬ間に問うた事に内心で驚いた。
 それは、ただの好奇心からの質問なのか、或いは別の理由なのかすら判断出来なかった。一瞬、彼女の脳裏に自分は九峪と会話をしたかっただけなのではないのだろうか、という疑問が浮かび上がったが、伊万里は自身から湧きあがった疑問を一笑に付した。


「ああ、その通りだ。火魅子候補様。可能性が高い方に賭け続ける道しか俺たちには残っていないんだよ。そして解り易いように言えば、取れる方法が現在はこれ一つしかない以上は、こちらに選択権は無い。その方針しか選びようが無いんだ。他にもう一つ、滅びるという選択肢を入れてもいいなら、また別だが」


 そんな彼女の葛藤になど気付くはずも無く、九峪は問いかけに棘を含ませて返答した。あからさまな負の感情が篭められている様に思える九峪の言葉ではあるが、伊万里は最早それに対して何の嫌悪感も抱かない自身がいることにだけは気付けた。
 少しばかりの逡巡の後、彼女はそれを慣れなのだろうと結論付けた。


「或いは他に、この場所にいる人間で今後の方針を打ち出せる人間がいますか?」


 既に伊万里を視界より外した九峪は他の者も見つめながら最終的な確認のための問いかけをした。
 悔しそうな顔をする者はあっても、誰一人それ以上の案は思いつきそうには無かった。


「なら、これから今後の詰めの話をしましょう。良いですか、伊雅さん?」

「――まあ、それで構わんだろう」


 伊雅の頷きをもって、九峪を主導とした作戦会議が続行された。