当麻の街の、かつては留守の間であった部屋に復興軍、並びに再興軍の幹部達が顔を揃えていた。
部屋の入り口から向かって左側には、上座に近いほうから藤那、星華、亜衣、衣緒、志野、閑谷の順で並んでおり、入り口から向かって右側には、同じく上座に近いほうから伊万里、香蘭、紅玉、音羽、九峪、上乃の順で並んでいる。

天魔鏡による鑑定が行われた結果、藤那、星華の二名もまた火魅子の素質を持つ子女である事が正式に判明し、合計四名の火魅子候補が両軍併せれば存在する形となった。
そのため、確固とした指揮官に彼女達四人の誰か一人を据える事が出来ず、武人として戦場に出る事を強く望んでいた伊雅が亜衣と九峪の弁舌に言い負かされて渋々ながらも、合併軍の総司令官となる事を承諾し、現在、上座には伊雅が座している。


「――――それでは、ここに再興軍と復興軍が一同に集まった訳ですので、今後の方策を決めるための評定を始めてよろしいでしょうか?」


亜衣が一旦、場に存在する一同を見渡した後に最終的な確認のために伊雅に問う。
伊雅は、その視線を受けて厳かに頷く。


「有難うございます――――それでは、既に両軍の顔見せは終了しているわけですから早速、最初の議題に移りたいと思います。今後の我々、合併軍の当面の目標をどうするかという事ですが、何か御意見がありますでしょうか?」


伊雅の形式的な承認を受けた亜衣は、そのままに最初の議題を出す。
つまりは、これから合併軍はどうするべきかという事だ。


「まずは周辺の地盤を固めるべきだと思うのだが」


口火を切ったのは伊雅だ。
座したままに周囲を見渡しながら言葉を紡ぐ。


「いえ、伊雅様。ここは敵が反撃の準備をする前に可能な限り北上して街を攻略しておくべきかと」

「――――そうだな。私も亜衣に賛成です、伊雅様」


伊雅が口を閉じた瞬間に、間髪入れずに亜衣。
その意見に藤那もまた頷く。


「……そうかしら? 火向の地の要所を抑えておけば、後々、楽になるんじゃないかしら?」

「うむ、わしもそう思ったのだ」


次いで、少しばかり自信なさそうな様子で星華が口を挟む。
賛同者を得て、伊雅が勢いづきながらも頷く。


「いえ、後方からの襲撃の考えられない地域で貴重な時間を浪費してまで、周囲の平定に力を割くのは上策とは言えません。それよりも遥かに北上した場合の方が利点が大きいです」


だがしかし、ギロリッと二人を見据えながらも亜衣が即座に返答する。
その弁舌に星華と、伊雅の二人は目に見えて気圧される。


「亜衣、それはそうだが――――紅玉様はどのようにお考えですかな?」


劣勢を悟った伊雅が、議会の進行を静かに見守っていた紅玉へと尋ねる。
伊雅から話を振られ、周囲の視線を集めた紅玉は伊雅も、亜衣も見る事無く左側を向いて、


「雅比古さん、貴方は地形図に関してはどの程度の知識を持っていますか?」


音羽を挟んで、二つ隣に座る九峪へと尋ねた。
九峪は話し合いの中でただ何も口にせずに幹部達の表情を眺めていたのだが、紅玉の言葉に軽い笑みを浮かべて、


「地形図ですか――――まあ、九洲なら完全に頭に入っていると思いますよ」

「そうですか。それではお願いできますか」

「解りました。と、言っても昨日の内に書いておきましたから大丈夫です。持ってくるのを忘れてたんで、今から取ってきます」


九峪は復興軍、再興軍の誰一人気にする事無く立ち上がり、その場に背を向けて部屋から出て行った。
格上の相手さえも歯牙にかけない、傍若無人かつ気ままな態度で。


「なっ!? 伊雅様、あれは!?」


あまりに礼を欠いた九峪の態度に星華が伊雅に詰め寄る。
普通ならば床に座して皆に許可を得るなりしてから退室するべきであり、格式を重視する星華には信じられない行動であったのだろう。


「……腕は立ち、頭も切れるのだが、あの性格だけはどうにか――――」


伊雅は部屋の入り口を見つめながらも呟く。
ハアッ、とため息をはきつつも、こめかみを押さえたりしている。

元副王の疲れた様な態度に場が一瞬止まる。


「伊雅様、奴は――――」

「……どうも破天荒な男なのだが、確実に我らの勝利には必要な男でもあるから難しいのだ。解ってくれ、亜衣」


声を上げた亜衣が言い終わるよりも早くに伊雅。
聞くまでも無く話の内容は理解できていたのだろう。


「しかしですね――」

「どうも、お待たせしました」


尚も言い募ろうとする亜衣の言葉を遮る形で九峪が部屋へと戻ってくる。
その右腕に丸めた大きな木簡を持って。

そのまま九峪は自らの席に戻る事無く伊雅の前へと進み、それを広げた。


「……何だ、それは?」


伊雅の目の前で広げられた地形図を見て、九峪に問う亜衣。


「この辺り一帯の地形図です。細部に少しばかりズレがあるかもしれませんけど、この辺りを二次元的に理解するなら、九割九分その地形図で間違いないと思いますよ」


九峪は伊雅のいる場所から、自らの席へと戻りながらも亜衣に返答する。
亜衣の睨むような視線を気の抜けた口調であっさりと受け流す。


「地形図だと? ……これは――――雅比古、貴様これを何処で手に入れた?」


広げられている、小さな子供ならば寝そべる事すら可能でありそうな大きさの地形図も見て亜衣が、そして、再興軍の一同が次々と息を呑んだ。
恐ろしく精密に描かれた地形図は、九洲各地の拠点はもとより地形の起伏、性質、果ては存在する河川に至ってまで書かれており、地形図という概念を知らない者にさえ、それが何なのかを理解させる。


「手に入れたって、俺が書いただけですよ。昨日の戦闘が終わってから徹夜でずっとそれを書いていたんで、眠いんですよね、今」

「書いた、だと? ここまで緻密な地形図は耶麻台王家の文献にすら存在しない。それを、ただの個人が何故知っている? 雅比古、貴様は何者だ?」


常人ならば目にしただけで卒倒しかねない視線で九峪を貫きながら亜衣。
亜衣はその場にいる人間の中で最も地形図に関して知識の有る人間の一人であるが故に、この現実を簡単に受け入れる事などは不可能なのだ。


「いや、ただの年齢不詳、素性不明の旅人ですよ」

「馬鹿にしているのか!?」


へらへらと人を小馬鹿にした九峪の態度に遂に亜衣が声を荒げた。
刺すようなプレッシャーに両脇にいた星華と衣緒の体がビクンッと震える。


「だから、それ以上は秘密って事です。俺は秘密主義者なもので」

「貴様っ――――」


亜衣が立ち上がり、九峪に詰め寄ろうとするが、


「亜衣、その話はそこまでだ」


伊雅が横から亜衣を制止する。


「しかし、伊雅様!」

「既に話はつけてある。雅比古は自らの過去に関する事を決して語らない事を代価に、我々に力を貸している異国の旅人なのだ」

「ですが、その様な横暴が――――」

「二度は言わんぞ、亜衣。当麻の街での戦略を立てたのは雅比古。大陸から来た商人と渡りをつけたのも雅比古。そして、今ここで地形図という知識を提供しているのも雅比古なのだ。多少の事には目をつぶってでも我々が手離すわけにはいかないものばかりだ。お前ならば――――解るな?」

「…………解りました」


伊雅の諭すような言葉に、暫くして声を絞り出すように亜衣。
そのまま自らの席へと戻る。


「雅比古、お前もわざわざ亜衣を挑発するような真似をするな」

「いや、すみませんね。亜衣さんの質問に真面目に答えていたつもりだったんですけど。俺の故郷ではあれくらいの言い回しなら問題ないんですけどね。九洲とはどうも勝手が違うみたいで」


薄ら笑いを口に浮かべながらも、九峪は答える。
彼は、一つも直接的な侮辱の言葉を使わずに亜衣を煙に巻いている。
そのために、伊雅も強くは叱れない。

伊雅にとっては、実に頭が痛い存在である。


「……雅比古、お前は本当は解ってやっているんじゃないのか?」


疑わしげな視線で藤那が問う。
初めて会ったときに、自らを見事なまでに論破した男が言葉の意味を履き違えるなどとは考えられなかったし、何より九峪の表情が嫌味だと暗に主張しているようだったからだ。


「まさか、場を混乱させても良いことなんて無いですよ。俺が無作法だったようですみません」


問われれば、藤那を見つめ返して笑いながら潔白を主張する九峪。
その言葉には含むところは感じられない。
だが、理由も無く胡散臭い。

化け物か何かに騙されているようだ、と藤那は思った。


「……まあ、今はその言葉を信じよう。それとは別に今、思い出したのだが尋ねても良いか?」

「俺の過去に関係しない事柄ならば何でもどうぞ」


笑顔を張り付かせたままの九峪は、話を切り替えた藤那に何ら不自然な反応を見せる事は無い。


「お前が当麻の街での戦略を立案したんだな?」

「はい、一応は俺が」


藤那の言葉にただ九峪は頷き答える。


「そうか。ずっと気になっていたんだが、お前はどうやって再興軍が共闘するに相応しいと判断した? お前がただの伝令のみの任務で我々に接触してきたのなら解るのだが、どうもお前が作戦を考えた人間ならば、あの時のお前の行動はおかしいように思えて仕方がない」


眼光を細めて藤那が一息に言葉を言い切る。
名すら問う事無く共闘を提案した九峪の行動は異常だと、藤那だけは気付いたから。


「何がおかしいんですか?」

「何故お前は私達の素性に関して尋ねなかったのか、という事だ。共闘の話を持ちかけるに至ってお前は私達に何か一つでも尋ねたか? 兵数や練度、大まかな士気に関しては打ち合わせの時に尋ねてきたが、それも共闘を我々が承諾した後からだ。これはどういう事だ?」


瞬きすらせずに九峪の表情の細部の変化までを観察しながら藤那は続ける。

この時初めて、閑谷を除いた残りの再興軍の面々は九峪の行動が不可解だった事に気付いた。


「ああ、そんな事ですか――――」


だが、九峪はクスクスと面白そうに笑うだけ。
その態度が藤那の意識を逸らさせる。


「ほう、そんな事か。仮に我々が当麻の街を制圧して喜んでいるだけの山賊崩れだったらどうするつもりだった? 私の外套もただの偽物だったかもしれないぞ?」

「その程度の事は解って欲しいですね。火魅子となろうとしている方なら」


追求しようとする藤那に逆に九峪が問い返す。
暗に挑発するような言葉を添えて。


「……何だと?」

「だから、火魅子となる可能性のある方ならば、俺の浅慮程度なら見抜いて欲しいと思ったんですよ」


問い返した藤那に、今度はあからさまな挑発。
答えられなければ、火魅子には相応しくないとでも言われている気分になる言葉。

自尊心を傷つけられた藤那は、九峪が判断に至った理由を探しなおそうとするが目立った理由は思い浮かばない。
考える間に時間は過ぎていく。


「ま、そんな事は簡単ですよ」

「……何をもって判断した?」

「単純です。忍び込む間に見た兵士の状態から推測できただけです。野盗や山賊崩れでは民は笑えない。多くの兵が普通に笑っている時点で当麻の街を占領した人間が汚い私利私欲に走っていない、或いは自らの私欲を隠し通せるだけの頭の切れがある事が解ります。まあ、やや統率が上手くいっていなかったという事も考えられますがね」


滑らかな言葉が次々に九峪の言葉から流れ出す。
兵士の顔を見て、その兵を率いる者が性質を知る、一見、無茶な話ではあるが考えられない事も無い話だと、その場にいた多くの者が思った。


「更には、実際に立ち会ってみれば解ります。指揮官としての状況判断能力や武将としての戦闘能力も、同年代の人間と比較すれば遥かに優れていましたから。復興軍としては共闘を申し込むという選択しかない」


無難な回答。
無難な言葉で九峪は言葉を続ける。
柔らかいが、何処か引っかかる笑みを浮かべて。


「……名を聞かずともその程度の事は理解できていた、と?」

「はい。色々と場数を踏んでいるので、その程度はできなければ、逆に俺は生きてはいませんよ、藤那様」

「言ってくれるな」

「いえ、事実ですから。発想の着眼点は良かったですよ・・・・・・・・・・・・・・、藤那様」


その言葉を放つと同時に、九峪の唇の笑みが深くなる。

その瞬間に藤那は悟った。
彼女はまんまと九峪の策略に乗せられたのだと。


「……挑発はただの時間稼ぎか」


藤那が九峪に何故再興軍について調べなかったのかと尋ねた後の九峪は、最初にとぼけ、次に遠まわしな挑発につなげ、そして最後にあからさまな挑発で藤那の思考を撹乱した。
だがそれは、藤那の思考を嘲笑したわけではなく、九峪自身が粗のない回答を考えるための時間稼ぎに過ぎなかったのだと藤那は九峪の最後の言葉で理解した。
『発想の着眼点は良かった』という言葉は、一見、九峪の不審な行動を探し当てた藤那の観察力を褒めているようではあるが、実際のところは、藤那が九峪に思考するだけの十分な時間を与えてしまい最後の最後で詰めを怠ったと言っているのだ、と。


「挑発? 何の事ですか?」


そして、九峪に疑問を突きつけたその瞬間に答えを得れなかった以上は、後から藤那がどのように言葉を尽くそうとも、それは決して真実とはならない。
九峪が真実を真正面から語る気が無いと解っていたのならば、動揺したままに追い詰めてしまわなければならなかったのに、藤那は九峪の見かけだけの言葉に騙されて本筋を間違えてしまったわけだ。

その事を悟ると同時に、藤那は九峪を両軍の中で最も危険な存在であると強く認識した。
それこそ、ライバルである他の火魅子候補よりもあらゆる面で不確定。

嫌味を言うしか能が無い男はただの小物だが、嫌味を駆け引きにおいて利用できる男は狡猾である。藤那にとっては九峪の態度を打ち崩すための最高の切り札を、僅かな動揺も顔に浮かべる事無く受け流した九峪の咄嗟の状況判断能力は凄まじいの一言に尽きる。

この二人に攻防には、その場の殆どの人間が気付く事は無かったが。


「……いや、何でもない。未熟者が狸に化かされただけだ」

「何かの例えですか? 藤那様は冗談が好きなんですね」


これ以上の追求は無意味であると悟った藤那は言葉を打ち切り、九峪もまたそれに頷き合わせる。
しれっと軽い皮肉も忘れてはいないが。

ここに、評定における第一戦が終了した。