剣を振るい、目の前の敵を殺す。
最後に残っていた狗根国兵は動かなくなり、やがて地面が赤く染め上げられる。
漂うのは錆びた鉄に似た血の匂い。
周囲では時を見計らったかの様に一斉に勝ち鬨の声が上がり始めた。
戦いは無事に終わった事を理解する。
「……志野、行こう」
小さな体を血に濡らしたまま、気にした様子も無く振り返り珠洲が言う。
人形の様に可愛らしい彼女の表情は怯える事も笑うことも無く、ただ凍っている。
珠洲は既に人の死に恐怖する事も無く、また、人を殺める事にも躊躇わない。
狗根国の支配を一方的に受ける事で、乱れ、混迷した世の中で、更に深く暗い復讐という道を歩むと決めた時から覚悟は出来ていたはずだった。
この身がどれ程の血で汚れようとも必ず座長を殺した相手を生かしてはおかない、と。
けれど、私の読みが甘かったのだろう、この事態は予想していなかった。
たった一人の家族である私は予想しなければならなかったというのに。
――――珠洲が心の底から笑わなくなった
昔、初めて出会った頃の珠洲はこぼれる様な笑顔で私を見つめていた。
ただ一緒にいるだけで心が休まる無邪気な笑みを浮かべて私の周囲をいつも付いて回っていた。
確かに最初は戸惑ったけれど、いつしかその状態にも慣れ、珠洲にとって姉であり、母であろうとする自分がいる事に気付いた。
私達はいつも、何があろうとも二人一緒だった。
そんな私達の生活に転機が訪れたのは、当時の山賊と大差ない様なごろつきの集まりだった一座の座長が、ある程度成長した私に乱暴を働こうとした時。
怯え、恐怖する私の姿を見た瞬間に珠洲はその座長を殺した。
可憐な笑顔が眩しかった珠洲が、だ。
恐らく珠洲は、一種の恐慌状態に陥ったのだろう。
私は助かったのだけれど、そのために私達は一座から逃げなければならなくなった。
今思えば、この時に珠洲の心に亀裂は生じ始めていたのかもしれない。
二度目の転機は、私達の命の恩人である志都呂さんとの出会い。
大人、ひいては人間不信になりかかっていた私達を、あの人は暖かく、そして何よりも優しく癒した。
明日も生きていられるのか解らない不安定な生活に追い詰められ、笑う余裕すら無かった珠洲の顔には再び笑顔が浮かぶようになり、随分と嬉しかった事を今でも覚えている。
平穏という名の幸せが戻ってくるのだと信じていた。
だが、あの人は殺された。
ただ汚らわしい我欲を満たすためだけに命を奪われたのだ。
湧き上がる憎悪と怒りに駆られた私は復讐という道を選び、そんな私に珠洲は付いて行くと言い張った。
私は彼女の言葉にただ頷いた。
思えば、ただ道を共にする相手が欲しかったのかもしれない。
一人では達成する事が出来ないと考えたから、珠洲を利用したと言う疑念が消えない。
未だ幼かった、精神と言うものが確立されていない珠洲に血塗られた道を進ませれば、その最果てには何があるのか、彼女の心がどうなるかは少しでも考えたのならば解ったはずだというのに。
幼い心は周囲の人間を見つめながら育つ。
決して諦めない者を見つめた子供は強く育ち、惰弱な者を見つめた子供は怠惰に育つ。
ならば、他人とは関わろうとせず、無感動に生きようとする珠洲は誰の影響を受けたのだろうか。
懐かしい、花のように笑う珠洲の笑顔を奪ったのは誰だろうか。
――――決まっている、それは全て私だ。
珠洲は子供ながらに聡かった。
顔に自然な笑顔を浮かべながらも、私が心の中では憎悪と激情に囚われていた事を見抜いていたのだ。
無感動に他者を避ける珠洲の姿は間違いなく私が心の奥底に隠している精神の一面を映し出している。
何よりも大切な珠洲の笑顔を奪ったのが私だなんて、何と言う皮肉だろうか。
だが、それでも止まれるはずが無い。
転がり落ちた岩は元の場所へは戻れない。
谷底に激突して砕けるまでは何も、その進行を止める事が出来ないのだ。
だから――――
「ええ、藤那様の場所まで戻りましょう、珠洲」
――――私は見抜かれていると解っていても仮面を被るしかない。
せめて、形だけでも取り繕えていると信じて。
「――――復興軍との評定までは時間があったと思いますが?」
当麻の街の一室、現在は藤那によって使用されている部屋に呼び出された志野が目の前で座したままの藤那に問う。
当麻の街での戦闘に勝利を収めた両軍は、一先ず合同の評定を開くという事で一致し、現在、再興軍の面々は復興軍の面子が隠れ里に一旦戻ってから、準備を整えて帰還してくるのを待っている。
「……それがな、お前にとっては悪い事が解った」
志野の問いに、苦虫を噛み潰したような、彼女らしからぬ表情で藤那。
「悪い事、ですか?」
再興軍に手を貸すのは、当麻の街での戦いのみ。
そう決めていた志野は仇の姿を探し出すために街を出ようと考えている最中での呼び出しに、僅かながら不快感を覚えながらも、それを顔に出す事は無く問い返した。
「ああ、実はな――――」
歯切れ悪く、藤那は一度言葉を途切れさせた後に、
「――――捕らえた狗根国兵を尋問したところ、今回の敵を率いていた奴の名前が解った。名前は多李敷。お前が探している恩人の仇だ」
再び口を開き、今度は澱む事無く言い切った。
「……今、何と」
「お前の復讐の対象が、我々に敗れた敵の総大将だ」
呆けた様な志野の言葉に、藤那が同じ言葉を繰り返す。
はっきりとした口調だが、どこか藤那の表情は暗い。
志野の内心を推し量っているのだろう。
「それで……多李敷は何処に?」
驚愕に表情を歪ませながらも、志野は一心に問い返す。
だが、
「――――奴は死んだ。お前も見ただろう、業火に包まれた森を。復興軍の策に嵌まった奴は森を墓標として果てたのだろうな」
自らが残酷だと知りつつも、藤那は真実を告げた。
ただ、全てを投げ打って果たそうとした復讐を自らの手で終わらせる事が出来なかった志野を思いながらも。
「そ、そんな……」
藤那が知る限りでは、崩れる事など無かった志野の表情が虚空を見つめて揺れる。
ただ、藤那は世界は残酷であると感じた。
「真実だ。お前の敵は消えた」
それでも、嘘を教えるわけにもいかない。
故に藤那は彼女の心に鋭い現実を打ち込む。
その言葉をもって志野は沈黙した。
現実には短期間でありながらも、当事者にとっては恐ろしく長く感じられる時間が流れ、
「お前達はこれからどうする? もしも希望するのなら――――」
藤那がいつまでも黙っているわけにはいかずに口を開きかけたのだが、
「……多李敷を殺した方のお名前を教えてもらえますか?」
冷たい声音に、冷たい表情を添えて志野が口を開いた。
「――名を聞いて何をするつもりだ?」
その一種異様な迫力に気圧されながらも藤那は問い返した。
有り得ないとは思ったが、それでも志野が名前を教えた相手を殺してしまう様な寒気を覚えたためだ。
「別に、その方を殺そうなどとは考えてはいません。ただ奴の多李敷の最期がどの様なものであったかを知りたかっただけです」
心の底を読んだかの様な志野の台詞に藤那は息を呑んだ。
表情にも、口調にも、態度にも滲ませたつもりは無かったにも関わらず、自らの内心を探り当てた志野の洞察力に藤那は戦慄する。
「……その言葉、嘘じゃ無いな?」
「ええ。無関係な方に迷惑をかける程に堕ちてはいません」
にっこりと、先ほどまでの狼狽ぶりを微塵も感じさせる事無く志野。
余りにも早すぎる精神的な回復に、逆に違和感を覚えつつも藤那は彼女の言葉を信じ、
「……雅比古。あの時に来た再興軍からの使者だ。それとお前は知らないだろうが、私と同じ火魅子の資質を持つ子女、香蘭殿があの火計を行ったそうだ」
「ありがとうございます。それでは」
藤那の言葉を聞き終えるや否や、志野はきびすを返して部屋を出て行く。
普段の彼女のように、藤那に一礼して退室するわけでもなく、その了承も得ずに即座に背を向けた様子からは、彼女の内心での混乱振りが伺える。
「再興軍と、復興軍にとって大事な時期に荒波を立てないでいてくれよ」
その背を見つめながらも藤那は呟いた。
「あちらが雅比古様の部屋になります」
「どうも」
九峪は、再興軍の兵士に案内を受けながらも、与えられた自らの部屋へと向かっていた。
「……ああ、ここで十分だ。部屋がもう見えてるからな」
ふと、兵士に前を歩かせていた九峪だったが、その兵士の肩を掴み動きを止めさせた。
「しかし――――」
「今は時間が無いんだ。こんな誰にでも出来る事に時間を割かないほうが良い。そうだろう?」
自らの仕事を取られた形になる兵士は反論しようとするが、九峪に柔らかく諭される。
目上の者にそう言われてしまえば、流石に兵士も反論する事は出来ない。
「……解りました。それでは」
一礼し、背を翻して中年の兵士は背を向けて次の仕事をこなしに去っていった。
「――――徹夜で疲れているにも関わらず、か」
兵士の姿が消えたのを確認した九峪は彼方へと向けて小さく呟いた。
案内されていた九峪の部屋へと続いて視線を移す。
「復興軍で真っ先に俺を狙うとは良い度胸だ。二番目に悪いクジを引いたぞ、確実にな」
獰猛な笑みを浮かべて、今度は先ほどの呟きとは違い太い声で九峪が言葉を放つ。
途端、周囲の気温が一気に下がるほどの殺気が辺りに充満する。
仮に先ほどの案内をしていた兵士がいたならば、即座に腰を抜かしていただろう極限の冷気。
「……やはり見破られますか」
九峪の言葉に、九峪が案内された部屋の中から一人の影が現れた。
待ち伏せていたのだろう、露出の多い服を身に纏った若い女性、志野が。
「うん? あんたは?」
予想外の人間が現れるという事態に、僅かながら首を捻り殺気を打ち消す九峪。
九峪は自らを見つめる殺気に似た何かを感じたために、敵の暗殺者が忍び込んでいるのかと考えていたのだが、志野の姿を見て思い直した。
「復興軍の雅比古さんですね? 私は志野と言います。先日、再興軍の会議の最中にお会いしましたけれど、覚えていらっしゃるでしょうか?」
「あんたが一番あの六人の中では危険だったからな。何度も仕掛けられかければ流石に覚える。それで、その再興軍の幹部が俺の部屋になる場所で何をしているんだ?」
「雅比古さんに少しばかり話があります。大丈夫でしょうか?」
「話、ね。まあ、廊下で立ち話もなんだから部屋の中で頼む。色々と準備を押し付けられていて、簡単に言えば寝不足なんだ」
面倒そうに右肩をグルグルと回し、志野の下へと近づきながらも九峪。
疲れていると言いながらもその足取りは揺ぎ無く、疲労の色など感じられない。
「ありがとうございます」
志野は九峪の言葉に背を返して、部屋の中へと入っていく。
「どこでも良い。勝手に座ってくれ」
何も無い部屋の中央で佇む志野に向かって、出口に近い場所で胡坐をかきながら九峪。
「解りました」
その言葉に従い、志野は足を綺麗に揃えてその場に座した。
視線を片時も九峪から外す事無く。
「――――それで、だ。話ってのは何だ? これから半刻もすれば両軍の次の作戦目標を決める評定が始まるけど、それまでには終わるんだろうな?」
志野の視線を感じながらも、九峪は気を抜いた様子で尋ねる。
「ええ。本当に少し話を聞くだけです」
「なら早く話を頼む。これでも多忙な身なんでね」
「そうですね、それでは早速。貴方は多李敷という人物をご存知ですか?」
志野からの視線がその言葉で更に強くなる。
九峪はこの時初めて、志野が殺気を放っていたのではなく、彼女の内側で渦巻いていた憎悪に似た何かが外側に漏れているだけなのだと気付いた。
恐らくは志野自身もその事には気付いていないのだろうとも重ねて推測する。
無論、九峪はそれを顔に出す事は無いが。
「知らないな。そいつがどうした?」
「貴方が昨夜、森ごと焼き払って打ち倒した狗根国部隊を率いていた男が多李敷です」
「――――だから? 先に結論を言ってくれ」
遠回りな志野の会話を急かしながら九峪。
「すみません、どうも動転している様で――――では、聞きます。多李敷の最期を貴方は見ましたか?」
やりきれない様な表情で、だがそれでも視線を逸らさずに志野は言葉をはっきりと続ける。
九峪でもその正確な内心は読むことが出来ない。
漠然と、感情を隠すのが上手いという志野の精神的な聡さも考え物だと九峪は思った。
「ああ、見た。いや違うな。あいつを殺したのは俺だ。大多数は炎で焼き殺したが、森から脱出してきた人間は全て俺が手にかけた。森の周囲を包囲していた人間を殺したのは香蘭だがな」
「そうですか……それでは多李敷は確かに死んだのですね。できれば詳細を教えて頂けないでしょうか?」
ギチリッと歯噛みする音が志野の口元から一瞬だけ聞こえてくる。
何に耐えているのか、九峪はその動作で理解したが敢えて何も言わなかった。
「そうだな、特にどうという戦いでも無かったな。あの程度の相手なら一撃で事足りた。多分、痛みを理解するだけの暇も与えずに殺せただろうな」
だから、ただ淡々と事実のみを語る。
それ以外に九峪が出来る事は無いし、それ以外はやるべきではないと思ったからだ。
「……そうですか」
志野は俯き、表情を九峪の視線から隠す。
「それで、何でそんな事を聞いたんだ?」
「……私の恩人の仇だったのです」
ぽつぽつと床を見つめたまま志野が語る。
依然、九峪でさえも正確な思考など読めない声色。
「復讐、か――――」
復讐。
九峪を支える幾つかの思いの中で、最も重く最も醜い感情。
だが、決して譲れない感情。
自身もまた復讐者であるために志野が落胆している事は手に取るように九峪は解った。
だが、どれ程までにその落胆が深いのかは九峪では推し量れない。
復讐を他者に成された場合など考えたくも無かったから。
それでも九峪は多李敷を殺した事を今さらになって後悔などもしないが。
生かせば仲間が死ぬ危険性がある以上は、誰かの心を傷つけようとも確実に息の根を止める。
それこそが、現在の九峪の不動の信念。
最初に九洲にやって来た頃とは真逆ながら、根底にあるのは仲間への想いという点で同義の自戒。
「……はい」
弱弱しく、酷く儚げな声で志野は頷く。
心の整理をつけるのに時間が必要なのだろう、九峪はそう思った。
だが、
「酷だとは解っているが、自分の中で決着はつけろよ――――」
それでも九峪は自らが言わねばならない事を理解していた。
だから口を開く。
「――――あんたの敵は死んだ。あんたの復讐も同時に死んだ」
九峪の言葉に僅かながら志野の肩が揺れる。
残酷すぎる言葉であり、何よりも仇を奪った者からのその言葉は癇に障る。
「仇が死んだ以上は切り替えろ」
「……貴方がそれを言いますか」
絞り集めたかの様にか細い声で志野が答える。
肩の震えもまた大きくなる。
「ああ。せめて奪ったからこそ言わなくちゃいけないからな。だから、もう一度言う。全てを初めから切り替えろ。その手で仇を討てなくても前を向け。抜け出せなくなるぞ」
「――――勝手な事をっ!」
顔を上げて志野が九峪を睨みつける。
瞳に浮かぶのは涙であるが、心に浮かぶのは如何ほどの激情か。
「……復讐を果たしたとしても、死んだ人間は戻ってこない。あんたは知っているだろう?」
「復讐を求めた私に今さら奇麗事ですか!? あの人が戻ってこれなくても止まれるわけがないっ!」
ふと視線を外して天井を見上げ呟かれた九峪の言葉に、志野は声を荒げて答える。
抑え、溜め続けていたものが一気に爆発したのだろうが、それもまた無理も無い。
彼女は復讐だけを目標に生きてきたのだから。
「そうだな。そんな事は俺だって百も承知だ。無益だから復讐を止めろと絶対に言わないし、誰にもそれを言わせるつもりは無い――――」
自嘲的に笑いながら九峪。
彼は話しながらも脳裏に、血塗られ、動かなくなった仲間の姿を浮かべた。
仲間を失い、憎悪と悲哀と激情と困惑が渦を巻いて心を押し潰そうとする中、九峪が精神を保つためには復讐を求めなければならなかった。
志野は誰よりも九峪に近い存在だからこそ、彼女もまたそうであったのだろうと理解する。
そんな九峪の言葉を聞いて志野は僅かに動きを止めた。
「――――だけどな、全てが終わった今、あんたが復讐に囚われたままである事は無益なんだよ」
「何故です……」
「……解っているんだろう? 死んだ大切な人間は戻る事無く、死んだ仇もまた戻る事は無い。戻らない存在に心奪われれば、あんたの心もまた戻らなくなるのが道理。あんたが胸に抱えているものは、やがてあんた自身を飲み込む業火へと間違いなく変わるぞ」
「……解っていても、区切りなんてつけられるわけが――――」
淡々と語る九峪の言葉に、志野が言葉を返そうとするが、言い終わるよりも早くに、
「つける、つけないの話を俺はしていない。強引にでもつけろと言っているんだ」
九峪が語調を強めて志野を再び見据える。
貫く様な鋭い視線は、志野の両の瞳を、そしてその奥にあるモノも捉えている。
「…………この感情が、良く知りもしない貴方に言われてどうにか出来る程度のものだと思いますか?」
「俺が誰だかは関係ない。あんたが見つめなければいけないのは、自身と自身に関係する者だけだ。くどい様だが、あんたが全てを見るまでは何度でも言うぞ。決着をつけろ」
長い静寂を費やして志野の口から生み出された言葉に、休む間もなく九峪が返す。
志野に他の思考をする隙を与えない。
九峪は志野に前を見つめて欲しいと考えていた。
そして同時に復讐を終えた以上は戦場から退いて欲しいとも。
だから彼女を言葉で打ち据える。
「それでも……」
「俺があんたの仇を奪った事は認める。だからこそ言い続けよう、復讐を終わらせろ」
「それでもっ!」
九峪の言葉など耳に入っていないかの様に志野が叫ぶ。
その姿を見て九峪は再び天井を見上げ、
「……あんたと同じで、俺もまた復讐に囚われている――」
淡々とした調子を崩さずに自らについて話を始めた。
自身のことを追及されると考えていた志野は、俯かせていた顔を上げて九峪の顔を見る。
そこにあるのは何ら感情を見せない九峪の顔だけだった。
「――――大切な人達が殺された。俺は守られているだけで、ただの一度もそいつらを守る事が出来なかった。そしてそのまま一人になった」
そこで九峪の顔に自嘲的な笑みが浮かぶ。
が、同時に唇がわなわなと震え始める。
「だから俺は復讐を決意した。あいつらを殺した敵を全て殺すと」
九峪の声から感情が段々と薄れていく。
そして部屋の中に寒気に似た何かが満ち始める。
「……それなら、私の気持ちも解るはずです」
九峪の言葉は真実であると志野は即座に理解した。
復讐者にしか持てないモノを九峪が持っている事を同族であるが故に彼女は見抜いたから。
「だが、俺が決意したのそれだけじゃない。そいつらが望んだ世界を、一人生き残った俺が代わって作ろうと思っているからこそ、この場所にもいるんだ」
「何が言いたいのです?」
「大切な者達だったからこそ、あいつらの願いを叶えたいと思うんだ、俺は」
「……回りくどい言葉は止めて下さい」
滑らかに紡がれていく言葉。
大きい声であるわけではないのに、それでもその言葉は志野の耳に通る。
そして良く通るが故に、志野の心に真正面から刻まれる。
「そして、こうも思っている。死者は語らない。故に死者自身は価値を持たないが、それでも死者に価値を持たせる事はできる、と。それは死者が生前関わった者が価値を持つ事だ。死者の願いを引き継ぎ具現する事で、彼らの人生は無駄ではなかったと証明できる」
九峪は自身が大切な仲間を守れずに失った事実は決して消える事が無いと理解している。
例えこの時代で、彼らを救おうとも九峪のために散っていった命がある事を断じて忘れない。
それもまた九峪が九洲で戦う理由の一つ。
「俺は復讐が終わろうとも、あいつらを背負い、引継ぎ続ける。だが、仇を失って進もうとしない、あんたの復讐の根幹となった大切な人間は何処にいったんだ?」
「なっ――――」
一切口調を変える事無く、だが内容を深まらせて九峪が言葉を紡ぐ。
切り出された言葉に志野は一瞬、言葉を失った。
「少なくとも、俺はあんたの行動を見ている限りでは、あんたの大切な人が出来た人間だったとは思えないな。あんたは大切な人から憎悪に囚われて自滅しろとでも教わったのか?」
淡々と九峪は志野に視線を固定したまま言い切った。
彼女にとって大切な記憶を口実に、彼女の思考を変えようとしている自身を嫌悪しながらも。
志都呂と呼ばれた人間がどの様な人間だったのか九峪は知っている。
だからこそ、志野を戦場から退かせるにはその言葉を使うしかないと思っていたから。
「そんな訳がっ! 座長は私達の命の恩人です!」
残酷な抉る様な言葉を聞き、立ち上がり九峪を睨みつけながら志野。
涙を流してはいるが、帯剣していれば今にも斬りかかりそうな形相でもある。
心の中で何種類もの感情が渦巻いているのだろう。
「それなら、それを実行しろ。大切な人から教わった事を打ち捨てて、何時までも手の届かない領域に囚われる事こそ冒涜だ。だから最期にもう一度言うぞ。復讐という存在を殺せ」
座ったままの九峪は、それでも志野の視線を真正面から押し返して言う。
毅然と立っていた志野は、やがて力を失いそのままペタンと床に腰を落とした。
その姿を見た九峪は自身の業の深さを更に自覚する。
「……随分と言ってくれますね」
「俺があんたの心の整理をつけるのに邪魔をしたのは認める。だけど、俺にも譲れないモノはあったから謝罪はしない。だから、あんたが後ろを見つめれない様に、俺はする」
だが、それでも九峪は志野に優しい言葉をかけようとは思わなかった。
彼女の心の近い部分に決して自分が寄り付いてはいけないと思っていたからだ。
志野を守れなかった自身にはその資格がないと信じて。
「……身勝手、ですね」
「それも認める。だけど、それでも謝罪はしない」
「貴方は人の心が解らないと言われませんか?」
「そんな事には慣れた」
志野の言葉に表情を変える事無く、ただ答えだけを返していく九峪。
二度目の言葉に九峪が答えた後に、暫くの間、部屋の中を沈黙が支配していたが、
「ふふっ、解りました」
真正面から言葉を返し続ける九峪に向かって、志野は苦笑しながらも口を開いた。
まだ罵倒されるだろうと考えていた九峪はその意を掴めずに無言になる。
「一つ聞きます。貴方は復讐を果たそうとしているのですね?」
沈んだ表情は僅かに晴れた状態で志野が九峪に問う。
「ああ」
彼女が何を考えているのか全く読めなかったが、簡潔ながらも九峪はその問いに澱みなく答える。
「そして、貴方は復讐を終えた後にも背負い続けるというのですね?」
「当たり前だ。区切りとはなっても忘れる事など不可能だからな」
「そうですか――――」
志野は九峪の確固たる返答に頷き、
「――――ならば、私に貴方が答えを出す瞬間を見せて下さい」
そのまま九峪の瞳を見つめて言った。
睨むわけでもなく、ただ九峪を見据えて。
「……どういう事だ?」
「聞きたくもない耳に痛い説教をそれこそ何度も聞いたので、復讐に対しての区切りはつけれそうです。ですが、まだ、私には何をすれば良いのかが明確には思いつきません。だから、答えを出せると言う貴方が復讐を終えて何をするのかを見て、私もまた答えを出そうと思います」
「……俺は戦場で戦い続けるぞ。復讐を終えたあんたがそれに付いていくというのか? 無意味だ。戦う理由を持たない人間が命を懸ける事は無い」
「座長を殺した大本である狗根国とは、最初から戦うつもりでした。ただ踏み込む理由が無かっただけで、どちらにしても復讐を終えたなら再興軍に参加するつもりでしたし」
いっそ、清々しい表情を浮かべて志野。
愚痴を吐くだけ吐いたら、幾らかは気分が楽になったのだろうかと九峪は思った。
だが、それでも心の傷の全てが癒えた訳ではないと思い直す。
「あんたの傍についている人間もまた戦いに巻き込まれるぞ?」
志野を戦場から遠ざけるために、自らが持つ知識を使って志野の心を九峪は揺るがそうとする。
だが、これは彼らしくない平凡な間違いだった。
「珠洲の事を知っているのですか?」
面識の無いはずの珠洲を匂わせる言葉に志野が問い返してくる。
志野を戦場から遠ざけるという目的にのみ集中したがために、九峪は手段にまで考慮が回っていなかったのだ。
藤那、星華、香蘭の三人は元より戦うためにこの地にいる以上は、戦いから遠ざける事は不可能。
伊万里への説得は試みたが、結局はその強固な意志を変えられなかった。
只深に至っては狗根国と一戦やり合っているために放り出す事など出来ない。
だから九峪は、せめて志野達だけでも戦いの無い平穏な場所へと思っての言葉であったが、内心では焦りに駆られ逆に不審を招く結果となってしまった。
「――まあ、な。戦いの時に目に入った」
自らの失態を痛感しながらも当たり障りの無い返事を九峪は返す。
「そうですか。ですが、それなら大丈夫です。私は志都呂さんに癒されました。だからあの人がしてくれたのと同じように、珠洲の心が私以外の外へと向く様に、他ならない私が癒していきますから。貴方の言葉を借りれば、大切な人の想いを私が引き継ぎます」
目を逸らした九峪に気付く事無く志野は言葉を続ける。
一度踏ん切りをつけてしまえば、後は自然と心が後押ししているのだろう。
九峪はこれ以上の説得が不可能だと悟った。
「……勝手にしろ」
「ええ、勝手にさせてもらいます」
会話の始まりとは違って、何処と無く投げやりな調子の九峪に志野が即座に言葉を返す。
「それで、話はこれで終わり――――って、これから評定が始まるじゃないか。俺は行くからな」
逃げる様に九峪は立ち上がって志野に背を向けるが、
「私も出席しますから一緒に行きましょうか」
九峪に続いて、志野もまた立ち上がり続く。
「……あんた、最初と性格が違わないか?」
顔だけ後方の志野に向けて、絞るように九峪が声を上げる。
だが、
「あそこまで遠慮無しに痛めつけられれば、誰でも少しは変わるものです」
志野は恨みがましさの感じられない、吹っ切れた様な言葉を投げ返す。
九峪はこの時、自らが考えていた以上に志野は強かったのだと理解した。