当麻の街への最初の侵攻の結果は散々なものだった。
主力となる当麻の街の南西に配置された部隊は部隊員の半数である五十を死傷者とし、もはや部隊として戦闘可能な状態ではない。
更に北西に配置された部隊に至っては、再興軍の突然の反撃の最中に部隊長を失う事態にまで発展しており、こちらもまた一様に士気が下がっている。

全ては驕りが招いた敗因。
九洲の人間を見下し続けていたがために、彼らは足元をすくわれてしまったのだ。

警戒すべき相手であると真に理解できたときには、既に百名を超える死傷者が出ていたわけだ。


「――――それで、おめおめと逃げ帰ってきたわけだな」


当麻の街の西側に構えられた狗根国の陣。
その中央に悠然と座る大柄な体の男、多李敷は目の前に這いつくばる男に向かって言い放った。

所々、負傷した様子が見えるその男は先ほどの突撃部隊の部隊長を務めていたために、報告も兼ねて、多李敷の前に呼び出されているのだ。


「はっ、はい、その通りです」


酷く怯えた様子で部隊長だった男は頷く。
無理も無い、誰がどのように見たとしても今回の責任は彼にあるのは明らかだったからだ。

多李敷の傍にいる副官は、彼が恐らくは処刑されてしまうだろうと思いながらその光景を眺めていた。


「敵の予想される数は幾らだ?」

「……は?」


ふと、部隊長であった男が間の抜けた声を上げる。
叱責、或いは最悪の場合殺されると考えていたにも関わらず、実際に多李敷の口から聞こえてきたのはどちらでもなく、再興軍の兵士の数はどの程度のものであるのか、という問いだったから。

だが、彼の返答に苛立った調子で多李敷は、


「敵の数はどの程度だったのか聞いている」


まるで、侵攻の失敗など気にしていないようにも思える。

その行動を理解できなかったが、これ幸いとばかりに男は口を開いた。


「お、恐らくは敵の数は八十から百。その内、四十名程が弓を持っておりました」

「八十から百……北西の城壁と同程度ということか」


多李敷は報告を受けると、ぶつぶつと呟きながら何かを考え始めた。

傍らに仕えていた副官は多李敷の言動を理解する事ができない。
普通ならば任務に失敗した部隊長への仕置きが行われるはずだと考えていたからであるし、事実、軍隊と言うものは複雑であるがために誰かが失敗した場合にその責任を明確にしておかなければ十分に機能しない厄介さを持っている。

判断の良し悪しに関係なく、部隊長への対処をすべき場面であるはずなのだ、現在は。


「おい、次は様子見を徹底させて再び二百、当麻の街へと向かわせろ」


一人何かを思考していた多李敷であったが、不意に顔を上げて副官を見て言った。


「二百を再びですか?」

「そうだ。今度は暴走する事が無いように言い含めておけ」


真意を測りかねた副官だったが、多李敷は頷いて返す。

如何したものかと暫し悩んだ副官であったが、上官の命令には従うものだと考え、


「了解しました」


一礼した後、命令を伝えるためにその場所を離れた。

伝令兵の下まで赴く副官を見つめながら多李敷は、


「解せんな――――何を考えている? 或いは敵の指揮官が無能なだけか?」


再び思考の渦の中へと沈む。
その首を僅かに傾げ、納得がいかないかのように何事かを呟く。

一人、その場所に置いていかれてしまう形となった部隊長であった男は、


「わ……私はどうすれば?」


行動を決めかねて多李敷への疑問を口にする。


「む? ああ貴様か――――」


その言葉を聞いた多李敷は、まるで始めて男の存在に気付いたかのように、顔を上げて立ち上がり男に近づいていき、


「――――生かしてはおけんな」


その首をはねた。
ゴトリッという音を立てて、赤い血で地面を染め上げながら、かつて男の頭部であったモノが地面を転がる。

一瞬の出来事。
だが、多李敷は別段感情の篭っていない声で、


「誰か、そこの死体を片付けろ」


再び、どっかりと大柄な体を床机に座り直らせた。




















「星華様、再び敵の攻撃が」

「そう、今度は最初と同じ様にはいきそうにないわね」


当麻の街の南西側の城壁にて待機していた星華の下に亜衣が近づいて来て、至極冷静な声で告げる。

星華もまたその声に落ち着いた様子で答える。


「恐らくは、敵も同じ徹を踏むほど甘くは無いかと」

「そうでしょうね。まあ、そうでなければ逆に困るのだけれど」


敵の襲撃を予想していたのだろう、二人の言動に動揺は見受けられない。
むしろ、待ち望んでいたようでもある。


「どうしますか?」

「勿論、予定通り全戦力で応戦します」

「解りました」


頷くと同時に、二人は敵の進軍が確認できる城壁の前方まで移動した。


「百よりやや少ないくらいかしら?」


星華は目測できるぎりぎりの距離に狗根国兵がたむろしているのを見て取り、傍らに控える亜衣に尋ねた。


「百と少し――――最初の攻撃と同程度の兵数です」

「そう……ねえ亜衣、この戦いは上手くいくのかしら?」


不意に、脈絡無く星華は疑問を口にした。
それは恐怖から、或いは不安から由来した疑問などではない。
その場所にいる二人にとって、ただの時間つぶしのための会話にすぎない。

何故ならば、


「無論です。この戦いを終えて初めて耶麻台国の再興を始める事ができるのです、星華様」


勝つか負けるかではなく、勝たなければいけない。
彼女達の中に負けるという選択肢は存在していなかった――否、存在してはならないのだ。




















「藤那! 敵が来たよ!」


北西の城壁を守護する再興軍の兵士の中で、未だ変声期を過ぎていないであろう幼い声が響いた。
仙人の血を引く少年、閑谷の声だ。


「言われなくても解っているから騒ぐな――――弓隊、構えろ!」


何処か落ち着きの無い閑谷の言葉を一蹴し、堂の入った声で藤那が再興軍の兵士に対して命令する。
人の上に立つ者である事を理解させる藤那の威厳ある声に答えて、周囲の兵士が即座に構えを取る。

狗根国軍の最初の襲撃はいきなりの突撃であったため周囲に緊張が溢れる。
が、


「……突撃してくる気配は無いな」


背を伸ばした姿勢を維持したままで藤那が呟く。

そう、狗根国兵は先ほどとは対照的にじりじりと距離を近づけながら進軍していた。
まるで城壁から攻撃可能な範囲を探っているようだ。

恐らくは、再興軍側の力量を測り直しているのだと藤那は当たりをつけた。
無計画な突撃で大損害をこうむった敵司令部が慎重になるのは当然。


だが――――


「ふ、再興軍にとっては好都合だがな」


藤那は笑った。
不敵に、罠にかかる獲物を嘲笑うかのように。


「弓兵! 攻撃開始!」


号令に従って、全弓兵が一斉に矢を放つ。
しかし、距離を慎重に測っていた狗根国部隊は即座に後方へと撤退して、再び距離を取る。
一糸乱れぬ後方への撤退は、誇張などではなく実際に狗根国兵が精兵であることを十分に証明していた。

そのため、敵は攻撃による被害を全く受けた様子が無い。
せいぜい、かすり傷が精一杯だろう。


「まあ、この調子だな」


だが、そんな事は百も承知であるはずの藤那の笑みは深くなる。
敵の数を減らさず、味方は消耗品である矢を消費しているというのに彼女の表情は崩れない。

それは虚勢か、或いは――――全てが予定通りであるためか。




















「敵の勢力は南西、北西ともに百弱。一度目と変わらない勢力です。二度目の戦闘における敵・味方の負傷は、様子見との命令であったために数名にも満ちません」

「そうか――――」


多李敷は二度目の当麻の街への攻撃の報告を伝令兵より受けていた。
彼は、思うところあって二度目の攻撃は様子見を徹底させていた。
故に敵兵を削る事が出来なくても気にはしていない。

今回の作戦の目標はその程度のものではないのだから。


「この戦い――――勝ったな」


多李敷は何処と無く安堵した雰囲気で言葉を紡いだ。


「は? それはどの様な意味でしょうか」


脈絡の無い言葉に驚いたのだろうか、副官が疑問の声を上げる。
それも当然か、前後関係が全く不明瞭な発言だったから。


「奴らは機転が利くようだが、根本的な部分で戦いが解っていないという事だ」


唇の端を緩めて多李敷。
しかし、副官は全く真意を読みきる事ができない。

そんな疑問が顔に出ていたのか多李敷は、


「――まだ解らんのか?」


顔を上げて、やや蔑んだ様子で尋ねる。


「……はい」


副官としては理解出来ないのだから、心象が悪くなると解っていても頷くしかない。


「まったく……先ほどの男といい、貴様といい、つくづく部下に恵まれんな」


はあっ、とため息を吐きながら多李敷。
隠そうともせずに、額に手を当てながらも落胆した様子を見せる。
そして、その状態のまま口を開き、


「当麻の街を制圧した反乱軍の勢力はどの程度だったか答えてみろ」

「確か――――二百程度との報告を受けました」


突然の質問だったが、記憶にあった内容なので数瞬と必要とせずに即答する副官。


「それで、敵が防御に割いている兵数はいくらだ?」

「南西と北西に百弱ずつ――――」


と、そこで副官は気付いた。
敵が致命的なまでの失策をしている事に。


「ふん、やっと気付いたようだな」


副官の表情の変化を見て取り、やっと多李敷の顔から不機嫌さが消えた。

そう、再興軍の間違いは、


「――――兵員の配置」

「そうだ」


兵士とは当たり前であるが人間である。
つまりは、丸一日戦闘を続行する事など出来るはずもない。

よって、総力戦などと違って篭城戦の場合には兵力を二、三の部隊に分け、それぞれ交代させて守備に当たらせるのが常道である。
勿論、全兵力でなければ応対できないような襲撃時には全ての兵が駆り出されるが、先ほどのように明らかに様子見の相手に対しては通常の戦力で応対する。
そうしなければ、部隊としての戦力が即座に消耗されてしまうからだ。

にも関わらず、再興軍は一度目の襲撃も、二度目の襲撃も全兵力で防衛に当たった。
これはつまり、再興軍が明確な守備機構を確立していない事を示している。


「常に全力で当たるなど子供の喧嘩に過ぎん。最初の奇襲による被害は大きかったが、相手の実力が解ってしまえば問題は無い」


尊大な態度で多李敷。
副官もまたその言葉に大きく頷いた。


「それに、限られているはずの矢を牽制のために使用するなど実に稚拙だ。恐怖に怯えているのか、指揮官が錯乱しているのか、或いは本格的に知識が足りないのかだが、こちらの勝利は確定したも同然だ」


考え始めれば続々と多李敷の頭の中には、再興軍の戦闘における粗が浮かび上がってくる。
多李敷の頭の中には、自らが火魅子を捕らえて狗根国本国へと凱旋する光景が浮かび上がっていた。


だが、


「報告します! 当麻の街の南東の森にて火魅子らしき女が現れたそうです!」


慌しく駆けながら、多李敷の下までたどり着き一人の兵士が一息にまくし立てる。


「何だと!? 詳しく話してみろ!」


当然、これに多李敷が言葉を強めて反応する。


「街の周囲で包囲網を形成した部隊の一つが消息を絶ったため捜索してみた所、何者かの手によって一人を残して部隊全員が壊滅させられていました。生き残った兵士の話では襲撃者は恐ろしく腕の立つ二人の若い男女で、一人は耶麻台国の紋章たる巴日輪の外套を羽織っていたそうです」


巴日輪という言葉に多李敷の表情が歪んだ。


「生き残った者をここに呼べ」

「その兵士は脚を深く切り裂かれているために歩く事すらままなりません。時間を頂けるのでしたらすぐさま運んできますが、如何しますか?」

「それならば良い。報告に間違いは無いのだな?」

「一字一句、間違いありません」


念を押して確認する多李敷の言葉に兵士は頷く。
その様子から確信を強めた多李敷は、


「くっ――――当麻の街の兵士、その全てが火魅子を逃がすための囮かっ!」


歯軋りしながらも叫んだ。

彼の中には、最初の襲撃を手際よく退けた再興軍が稚拙な用兵をしている事に対する疑念があった。
故に二度目は様子見をさせて、敵の司令部の能力を探った。
そして解ったのは、敵が部隊の消耗を考える事が出来ない程に拙い兵員の配置をしている事だった。

だが、それが間違いだったのだと多李敷は思いなおした。
再興軍が初めから部隊が消耗する事を考慮に入れて応戦していたのならば全てが繋がってくる。

目的が狗根国部隊の撃破などではなく火魅子の逃亡にあるとすれば、多李敷の目をひきつけるために大量の矢を消費するという選択肢もあり得る。
そして、勝つ必要など存在しないのだから全兵力で応戦する事も可能となるのだ。

多李敷は確信した――――再興軍の目的は火魅子の逃走の手助けであると。
火魅子という存在が九洲にあり続ける限りは何処でも反乱を起こす事ができるのだから。


「新規に部隊を編成する! これより報告された火魅子の捜索に重点を置く!」


街の中に立て篭もる兵士などは何時だって相手を出来る。
だからこそ多李敷は報告された火魅子の捜索を優先させた。


この判断が、今後全ての命運を決める事となる。