当麻の街から見て南西の方角に総勢百弱の狗根国兵が攻撃開始の命令を待っていた。
戦闘前であるにも関わらず、部隊長を含めた兵士全体に緊張の色は見えない。

それもそのはず、彼らが事前に受け取った情報によれば敵の数は寄せ集めの農民や山人が合計二百足らずと、狗根国兵士百の相手をするには圧倒的なまでに役不足だったからだ。
狗根国兵士は一般人相手ならば一人で十名程度と切り結べる程の実力を兼ね備えているのだから、その反応もまた当然であるとは言える。
彼らにとってこの戦いは『反乱軍の鎮圧』等といった命の危険が高い任務ではなく、『野盗の仕置き』程度の楽な任務でしかない。


「多李敷様より、攻撃開始の命令です」

「そうか」


集団を率いる部隊長の前に伝令兵が駆け寄って命令を告げる。
答える部隊長もまた気楽なものだ。


「よしっ、これより当麻の街の制圧に移る」


部隊長の言葉に一斉に勝ち鬨の声を上げて、部隊が行動を開始した。
皆が皆、我先にと当麻の街の城壁まで駆けていく。

殆どの狗根国兵士にとって九洲での生活は何の面白みも存在しない。
長期間におよぶ戦闘によって荒廃した大地は貧相な食物しか生み出さず、娯楽もまた少ない。
更に言えば、彼らは街の支配者であるが、常に九洲の民からは冷たい蔑んだ白い目で見られてもいるのだから良い気になれるわけがない。
九洲と狗根国本国とは、彼らにとって雲泥の差があるのだ。

ゆえに彼らは、この楽な戦いで武勲を上げれば気が滅入る生活から離れる事が出来るのだから、こぞって城の中へと進入しようとする。


「弓兵も剣を持って突撃!」


そして更なる部隊長の命令が出る。

城壁の上には反乱軍の弓兵の姿がまるで見えなかったため、部隊長は『敵は民間人の寄せ集めである』という認識を更に強め、手始めに弓による攻撃で敵の出方を見るという定石を捨て去り、一気に城を攻め落とそうとしているのだ。
そこに存在するのは敵への注意よりも、他の部隊に先を越されてはならないという出世欲のみ。

致命的なまでの失策だ。

だが、誰一人その事実には気が付かない。
平坦な遮蔽物の無い大地を駆け抜け、やがて先頭の兵士が城壁の真下へと到着し、梯子を立てかける。
数人がかりで持ち運ばれた梯子は、城壁へと掛けられて当麻の街の外側と内側をつなぐ通路となる。

その梯子を一斉に後続の兵士達が上り始めるが、それでも反乱軍側に動きがない。
街の内側に侵入されてしまえば、もはや反乱軍に抵抗する手段は無いと言うのに、目だった抵抗を見せない事から、反乱軍は戦闘経験の無い人間の集まりであるという考えが更に狗根国兵士に広まっていく。

兵士の中に僅かばかりながら存在していた警戒心さえも薄れていく。


が、


「―――こひゅ」


一番初めに梯子を上り始めた兵士が城壁の頂上へと到達し、まさに手をかけようとした瞬間、口から空気の漏れる音を出して、そのまま力を失い地面へと落下した。
そして、同じ光景が複数個あった全ての梯子で再現される。

皆が皆、喉を、胸を矢で貫かれており一目で致命傷だと判断できる。

上手く身を潜めていたのだろう、狗根国兵士の前に現れたのは――――


「て、敵だ!」


数にして四、五名の死傷者が出て初めて部隊長は敵兵の出現を理解した。
声を上げて命令を出そうとするが――遅い。

狗根国兵が混乱から抜け出すよりも速く、城壁の上に一斉に再興軍の兵士達が姿を現し粘性の高い液体を城壁の周辺にばら撒き、


「なっ、これは油――――ぎゃあああっ!」


続いて燃える松明たいまつを投下した。

油をその身に浴びた全ての狗根国兵士が炎に包まれる。


だが、それだけでは終わらなかった。


「撃ち方、始めっ!」


凛とした若い女性のかけ声に従い、城壁から新たに数十名の弓兵が現れ、突然の反撃から未だ混乱し続ける狗根国兵に雨あられと弓を射始めた。

慢心し、敵をしょせんは民間兵と侮っていた狗根国兵が応戦できるはずも無い。
仮に、彼らが落ち着きを取り戻したとしても対抗する手段は存在しない――――弓兵を突撃部隊へと配置してしまったのだから。

狗根国兵は次から次へと討ち取られていった。


「た、退却、退却っ!」


部隊長が撤退を叫んだ時には、既に驕り高ぶる心が生んだ判断の遅れが、致命的なまでの対価を狗根国部隊に支払わせていた。

この時点で、突撃部隊百のおよそ半数に当たる五十を狗根国部隊は失ってしまった。




















当麻の街で最初の戦闘が終了してから少し経った頃、当麻の街の東側に存在する森の近くを十数名の狗根国兵士達が巡回していた。

彼らは多李敷の命により、火魅子が逃げる事がないように当麻の街の周囲を覆う包囲網を形成している。
実に全部隊の半数にあたる三百から構成されている包囲網は生半可な事では抜け出せない。

多李敷がどれだけ、火魅子捕獲を重要視しているかが伺える一面である。


「こんな所で突っ立ってるだけなんて……こりゃあ、手柄なんか立てられそうにもないな」

「まったくだ。どうせ今日か明日で終わるんだろうが、こっちにお鉢が回ってくる事は無さそうだな」


多李敷の意に反して兵士の士気はそこまで高くは無い。
包囲網を形成するだけで武勲につながるわけもなく、従ってどのみち九洲から離れられないためだろう。
彼らの大多数は故郷である狗根国本国への帰還を望んでいるのだから。


「あーあ、何か火魅子でもそこらへんに隠れてないもんかな」

「そんなことがあるわけないだろうが……ん?」


隣を歩く兵士の軽い冗談に呆れた様子で答えようとしたもう一人の兵士が、不意に首をかしげた。

その様子を不審に思った他の兵士は、


「どうしたんだ?」

「いや、何かが動いた気がしたんだが…………気のせいだったみたいだな」

「はっ、担ごうとしたんじゃないだろうな?」


目を押さえて首を振る兵士に隣を歩いていた兵士が笑って尋ねる。

その言葉を聞いて疑われた兵士は、


「いや、本当に何かがいた気がしたんだ。疲れてるのかもしれ――――え?」


大きく背伸びをしながら釈明をしようとしていたのだが、間の抜けた声を上げて倒れた。
ゆっくりと背中から地面へとコマ送りを見ているかのように倒れていく。

それは異様な光景だった。


「おい、どうし――何者だっ、貴様!」


倒れた兵士に向かって歩み寄っていた兵士の一人が急に叫んだ。
瞳を見開き、動揺した表情の兵士の視線の先にいたのは蒼い服を着込んだ隻腕の男。
九峪だ。


「さあ、誰だろうな」


先ほどまでは誰もいなかった場所に突如現れた九峪は、ふざけた調子で兵士の詰問を物ともしない。

ぎらついた、しかし澱んだ九峪の瞳を見た兵士は目の前の男が危険な存在であることを悟った。
何故ならば彼の背中を恐怖すら通り越した、絶望的なまでの冷気が突き抜けたから。


「ちっ!」


生き残るために、死なないために兵士は即座に行動を開始する。

腰に下げた剣を取り抜刀。
そして、流れるような動作で九峪に向けて剣を突き立てる。
狗根国軍での地獄のような修練で積み重ねられた剣閃は、常人に瞬きするだけの暇すら与える事無く即座に絶命させる――――はずだった。


「な、どこ――がぁっ!」


しかし剣は虚空を斬り、手に肉の感触が伝わってくる事は無かった。
逆に、九峪の姿を見失い、周囲を見渡そうとしてわけも解らず吹き飛ばされた。


「皆、気をつけろ!凄まじい手練だ!」


立ち上がりながら、行動を共にしていた十数名の仲間に向けて兵士は叫んだ。
が、


「馬鹿なぁ!」


彼の仲間がいた場所には、折り重なり倒れ付す狗根国兵の屍があった。

その傍に一人の若い女が立ち尽くしていた。
赤色の髪を後方で二つに結い分けた、少女と呼称しても差し支えないような年齢。
そして、巴日輪の白い外套を着込んでいる――――耶麻台国の象徴たる外套を着込んだ女がいたのだ。


「……巴の日輪だと?」


兵士は呆然と呟いた。
彼が知る限り、巴の日輪を着込める若い女など一人しかいなかったからだ。


「火魅子様、速くお逃げください!」


兵士が口を開く前に、九峪が先ほどとは打って変わって丁寧な言葉遣いで巴日輪の外套を着込んだ若い女――香蘭に告げた。
香蘭は、ただ黙って頷きその場を去る。

九峪もまた香蘭が移動すると同時に、その後を追った――――当麻の街の東の森へと向けて。
だが、去り際に兵士の体に向けてクナイを投げつけていく。


「ぐぁっ」


とっさに兵士は体をよじって、九峪の攻撃を避けようとしたが完全には避けれず、太ももに深々とクナイが突き刺さった。

兵士は歩く事はできそうにはなかったが、致命傷には至っていない。


「火魅子……だとぉ」


じくじくと伝わってくる痛みに顔をしかめながらも兵士は東の森を見つめながら呟いた。
混乱した彼の頭の中で火魅子という単語だけが強く響いていた。