時は少し遡り、当麻の街が再興軍に制圧された日の出来事。
街の解放を祝う人々に、その一日を強く印象付けるために再興軍の幹部主導での祭りが行われている最中、その喧騒とは無縁な場所で一つの復讐が終わろうとしていた。


「さて、何か言い残す事はありますか?」

「たっ、助けてくれ!頼むッ!」


両手両足を拘束されて地面に転がされた男が、志野の前でわめきたてる。
騒ぎ立てるのは、先日まで当麻の街で留守の役職に就いていた男――――志野並びに珠洲の恩人である志都呂の仇でもある相馬だ。

意地汚く泣き叫ぶ目の前の男は醜い。
志野はそう感じた。


「さて……何も無いようでしたら――」


だから彼女は全てを終わらせようとした。

志都呂を殺した男が、この程度のどうしようもなく情けない俗物だった事。
相馬を九洲に派遣してきた、彼女の復讐の原因とも言える狗根国が未だにこの地で圧制を強いている事。
復讐を終えて行き着く場所も、胸に抱くべき信念さえ無い自身と珠洲。

その全てが純粋に不快だった。
だから、彼女はその腕に持つ凶器でわめく留守の息の根を――――


「殺したのは儂ではないっ!あいつだ、あいつがやったのだ!」

「……今、何と?」


意外な言葉に志野の動きが止まる。
志野は相馬が、口汚く命乞いの言葉を並び立てるであろう事は予想していた。
だから、どれ程の言葉を耳にしようとも動揺する事無く相馬の命を刈り取ろうとしていたのだ。

だが、相馬は彼女の想定していなかった言葉を吐いた――『殺したのは儂ではない』そう言ったのだ。
その言葉に志野は、目の前の男は仇では無かったという事なのかと自問した。


「詳しく説明してもらえますか?」


ゆえに今一度、振るうはずだった双龍剣を手元へと戻し殺気を消す。

無論、殺気は消しただけで彼女の心の臓の奥底で牙を研ぎ続けている。
振るうべき時を求めて。


「そ、そうだ、儂は何も知らなかったのだ。ただ金を持って来いと言ったら、あいつが血に濡れた金目の物を勝手に――――やったのは当時の儂の部下だっ!」


しかし相馬が志野の内面を推し量れる訳など無く、消えた殺気に安堵したのか一息に全てを喋りきる。
唾は飛び散り、瞳を潤ませながら相馬は知る事全てを話すことで生き延びようとしていた。


「その者の名前は?」


涙を流し、未練たらしく騒ぎ立てる留守の口をふさぐために、いっそ全てを無視して剣を振るいたいという衝動が志野の中に生まれたが、彼女は耐えた。

養父を失ってからの彼女を支えてきたのは、常に共にあった珠洲と――――復讐者たる思いだけ。
その今失われようとしている彼女の目標が――殲滅すべき敵が未だに生きているという事を見逃すわけにはいかなかった。


「た、多李敷だ!貴様らの養父を殺したのはその男だ!」


多李敷。

志野は心の中で三度、その名前を反芻した。
彼女の胸にその忌まわしき名前を刻み付けるために。


「……そう、実行したのはその男なのですね」

「あぁ――そうだ、だか、コヒュッ……」


ドサッ、という音がした後に留守が前のめりに顔面から地面に転がった。
血が――――流れる。

既に志野の白刃は閃いていたのだ。


「今の話が本当だとしたら――」


志野は振り返り後方を見つめる。
そこには無言で立ち尽くす珠洲がいた。


「……志野、そいつも殺そう」


興味無さそうに留守であったモノを見つめながら珠洲が呟く。

志野は無感情に『殺す』という言葉を使う珠洲が悲しかった。
だが、直ぐに首を軽く振って自らの考えを打ち消した。

珠洲を復讐の道へと引き込んだのは間違いなく志野であったからだ。
業は共に背負えばいい。


だから、


「そうね、次の狙いは多李敷。まだ、詳しい情報は解らないけれど、その男を……」


憂いを秘めた彼女の瞳の更なる奥底には、ちろちろとした炎が未だ鎮まる事無く、くすぶっている。


「――殺しましょう」


狂気――人はそれをそう呼ぶ。




















「まずはこの状況をどうにかしないといけないわね」


志野は城壁の上から眼下に広がる草原を見渡しながら呟いた。

当麻の街で深川に捕らえられた志野と珠洲は再興軍に命を救われた。
そして、一時の間だけ藤那の部下となる事を引き換えに、怨敵である留守を討たせてもらった。
だが、そこで新たな事実が発覚した。

彼女の敵はもう一人いたのだ。


「……包囲されていたんじゃ、そいつを探せない」


傍らに立つ珠洲もまた呟く。

そう、彼女達が仇を探すためには、狗根国の部隊を一度追い払う必要があるのだ。
彼女達の見つめる方向に陣を構える狗根国軍を。


「……私達は死ぬわけにはいかないのだから」


下から吹き上げてくる風が、彼女の柔らかな髪を荒々しく凪ぐ。


「志野様、藤那様がお呼びです」


ただ、城外を見渡していた志野だったが、そこに一人の再興軍の兵士が近づいて来て告げる。


「……そう、解りました」


志野はその場所を離れた。
背後に無言で付き添う珠洲とともに。




















「準備は整いました、多李敷様。いつでも出陣できます」


当麻の街から東側の草原。
わらわらと草原を黒く埋め尽くす集団の中央にて多李敷は遂に侵攻を開始しようとしていた。


「そうか、まずは様子見として二百を攻めさせろ」

「……二百ですか?」

「二百だ。如何に寄せ集めの反乱者の集団とはいえ、何か隠し玉が存在するかもしれん。まずは相手の動向を探り、おって最終的な作戦を決める。良いな?」


多李敷は大柄な外見にそぐわず慎重な男だった。
親の七光りを武器に地位を獲得している他の貧弱な武将達とは違い、彼は自らの力で現在の地位まで登りつめた――どのような方法を用いたにせよ、だが。

今回は火魅子を捕らえるために多少のリスクを冒してまで行軍の速度を上げたが、それでも彼は当麻の街を制圧するのには十分な余力が残っていると計算しての命令を出した。
一度、当麻の街の周辺部を包囲してしまえば火魅子はもう外に逃げることはできない。
退路をふさいでしまった後に、それから作戦は考えれば良いと考えているのだ。

事実、その考え方は間違ってはいないだろう。
火魅子を捕らえるという点に関して。


「奴らはどう対抗するか……見ものではあるな」


当麻の街の城壁を見つめながら多李敷は呟いた。
彼がその瞳で見つめるのは当麻の街――――だが、思うのは未来。




















「お呼びですか、藤那様?」

「ああ、もう直ぐ始まるだろうからな。早めにあちら側の指揮をとってもらおうと思ってな」


巴日輪の耶麻台国の幟がはためく当麻の街の城壁。
その場所で、志野と藤那は真剣みを含ませた表情で会話をする。

藤那は普段と同じ、耶麻台国の王族としての衣装を着込んでいるが、風になびく外套の下になめし革の簡単な皮鎧を装着しており、僅かでも防御を底上げしている。
対照的に志野は普段の露出の多い服の上に申し訳程度の弓避け用の挂甲を装備しているだけであり、上半身以外に大きな服装の違いは見られない。

ちなみにではあるが、挂甲とは金属や硬木などを平たい一枚の小札とし、それを革紐や組糸でつなぎあわせて、肩からかける形の鎧としたものであり、なめし革とは動物の皮を特殊な溶液にひたすことで腐敗を防ぎ、なおかつ柔軟性や弾性を上げたものである。
それぞれ、挂甲は弓矢等の攻撃から装着者の命を守るために前線の兵士に好まれ、皮鎧は白金以外の金属を身につけることが出来ない方術士に好まれる防具である。


「解りました。南東側の敵は任せてください」


藤那の言葉に頷く志野。


「どれだけの犠牲を払っても、奴らを中にいれるわけにはいかないぞ」

「大丈夫です。私はこの場所で死ぬわけにはいきませんから」

「ならば良いんだが」


当麻の街の北東側は足場が悪く、行軍――ひいては街の制圧には不向きである。
そのために狗根国軍は当麻の街の南よりの西側に足場を構えている。
よって、その反対の場所である北東の城壁には再興軍のは僅かな兵士しか配置しておらず、その他の場所の防御に人員を割いている。

狗根国の部隊と向き合う形となる南西の城壁には、組織力的に一番大きなものがある星華の部隊が詰めており、次に敵の攻撃が大きいと考えられる北西の城壁には藤那の部隊が詰めている。
そして、残った南東の城壁を守るのが志野と先日の再興軍の会議で決定されたのだ。


「時間がないようですから、私は持ち場に戻らせてもらいます」


狗根国の侵攻まで時間が無いので、志野は自らの防衛場所に戻ろうとする。


「ああ、それじゃあ戦闘が終わった後でまた会おう」

「はい。それでは」


振り返って持ち場へと歩いていく志野を見送っていた藤那だったが、


「ああ、言い忘れていた――」

「……何か?」

「――矢の消耗も、兵士の消耗も気にはするな。少なくとも表向きは、な」


口元に笑みを浮かべて藤那は告げる。


「解っています。それが作戦の肝ですから」


藤那の言葉に含むものを感じたのか、同じく志野も微笑む。


「言い忘れていたのはそれだけだ」

「ならば特に問題なしということで――――それではまた」