情けを捨てろ
――――俺の偽善があいつらを死に追いやった
敵は全て殺せ
――――戦場における不確定因子は排除しなければならない
弱さは見せるな
――――あいつらに心配される訳にはいかない
常に完璧であれ
――――誰一人死なせないために
そして――――
孤独に耐えろ
――――俺をこの場所に送り、今は力尽きて眠る友に準じて
当麻の街の西側にある平原。
既に街まで一時あれば十分に進軍できる距離に狗根国兵五百強が陣を構えていた。
「陣の完成はまだか?」
せわしなく動き回る部下達を尻目に、轟然と座り込む大柄な男、多李敷が部下に状況を尋ねる。
「はっ、今夜中には包囲網の形成は終了する予定です」
多李敷の前で片膝をつき報告する黒装束に重武装の男。
「遅いな……」
「しかし、皆、連日の行軍で疲弊しておりますが――――」
「五月蝿い。お前はいつから部隊の指揮官になった。こちらが疲弊している事は百も承知しているが、そのぶんだけ敵も抵抗する準備が出来なくなっている事が解らんのか」
言い募ろうとする部下に対して多李敷は、目を開いて一喝する。
部下は多李敷の言葉に頭を下げて、沈黙した。
その様子を確認した多李敷は、
「……いいな、あと三刻だ。夕暮れまでに全ての作業を終わらせろ」
「はっ、命令を伝えてきます」
立ち上がり、すぐさま駆け始める兵士。
「待ちきれんな。本国への栄転が――――」
多李敷は声を抑える事無く笑った。
当麻の街の南西に広がる湿地帯。
狗根国兵の目の届かぬその場所に、隠れ里の人間、九洲各地から耶麻台国復興のために集まってきた人間、更には伊万里の出身である山人の里の人間、合計三百名弱が、只深達から仕入れた武装に身を固めて出番を待っていた。
本来は、この作戦に参加するのは二百名と少しの人員であったはずなのだが、伊万里の育ての親であり、上乃の実の親である県居が、かつては耶麻台国の武将であった事を告白し、山人の里の人間を率いて、伊雅の下に集ったのだ。
県居は伊万里と上乃が戦う事に否定的であった事を伊万里と上乃は知っていただけに、その事実を知った二人はかなり驚いていたが、県居は決して、今更になって復興軍――数日前の会議で決まった伊雅達の組織の名称――に名乗り出た理由を語ろうとはしなかった。
ただ、戦う理由があるからと語るのみで。
無論、駆けつけた戦力――それも過去、耶麻台国の武将であった――を手放す伊雅ではない。
すぐさま県居は復興軍に迎えられた。
現在は最終確認がいつもの面子に県居が加えられて行われている。
「それじゃあ、後は頼みますね」
蒼い衣服に隻腕の男、九峪が飄々とした態度で一同に向けて告げる。
戦いの前であるのに、その顔には全く不安はない。
伊万里、音羽、上乃は見れば直ぐに解る緊張した面持ちであり、清瑞もまた少しだけぴりぴりした雰囲気を纏わせているし、香蘭は若干興奮しているようにも見える。
その場で九峪を除き、落ち着いているのは伊雅と紅玉の二人くらいか。
県居は上乃と伊万里を心配しているようだ。
無論、それぞれが一般の兵士達と比べたら遥かに落ち着き払っているのだが。
「うむ、そちらも頼んだぞ」
伊雅は年長者として、そして再興軍の総司令官として――本当は伊雅は前線で戦いたかったのだが、火魅子候補が複数いるために彼女達を旗印に掲げる事ができず、九峪の『確立された指揮官が存在しなければ、戦の敗北に繋がる』という言葉に渋々ながら復興軍の最高指導者である総司令官となる事を承認した――他の者を動揺させる事がないように鷹揚とした態度で頷いた。
「任せてください。それじゃあ、行くか香蘭」
「わかたよ」
九峪の言葉に、紅玉の横に居た香蘭が頷く。
「お願いしますね、雅比古さん」
「解りました。というよりも、そちらの方が敵の戦力は大きいんですけど」
「あら、そちらはたった二人での作戦ですよ?」
「まあ――お互い少しばかり骨が折れるということですか」
「そうですね」
朗らかに笑いあう二人。
だがその言動は自らの自信に裏打ちされている。
二人の会話を聞いていた面子の半数は『少し骨が折れる』等と言う、余りに焦燥感の存在しない言葉に驚きを隠せなかったが、同時に、戦闘は深く悩みすぎるものでもないと腹をくくった。
「香蘭、雅比古さんに迷惑をかけるのではありませんよ」
殺伐とした場所で、九峪とひとしきり笑った紅玉は、真面目な顔で香蘭に向けて言った。
「香蘭に任せるがいいよ」
香蘭はどんっとその大きな胸の中央を叩いて答える。
「まあ、香蘭なら大丈夫ですよ。な?香蘭」
「勿論のこと」
またどんっ、と胸を叩く香蘭。
彼女もまたやる気に満ち溢れているようだ。
やや、力が入りすぎているようにも思えるが。
「いい返事だ―――それじゃあ、本当に時間が無いから俺達は行きますね」
「いてくるよ」
九峪が言い終えると、二人は反転して集団を離れ、東へと駆けていった。
その二人を見送っていた一同であったが、
「我々も失敗するわけにはいかんな」
伊雅の一声で気合を入れなおした。
「さて、準備はよろしいかな、星華殿?」
耶麻台国の王族としての礼服に身を包んだ、藤那は彼女の横に立つ、露出の多い巫女装束をを着込んだ星華に対して尋ねた。
「ええ、勿論です。幟も兵士達の配置も既に終わっています」
星華は当然と言わんばかりに胸を張って返答する。
「ならば後は、伊雅様側の動きが成功を決める、と」
「そうですね」
藤那の呟きに星華もまた頷く。
普段は思考を口に出さない藤那が自然と言葉を呟くあたり、彼女もまた緊張しているのだろう。
「星華様、敵側に動きが見えます。至急、持ち場にお戻りください」
二人の下に、亜衣が駆け寄ってきて告げる。
戦闘の開始が近い。
「解りました、それでは行きましょう、亜衣。藤那さん、それではこの戦いが終わった後で、また」
「ああ、戦が終わったら酒でも飲みましょう」
あくまで優雅にその場所を離れる星華に、藤那はこちらも風格を感じさせる動作であるが、いくらか砕けた態度で、彼女に答える。
「そうですね――――たまには良いかもしれません」
藤那の言葉に少しだけ躊躇った星華だったが、かすかに笑いながら答え、その場所を去っていった。
「さあ、私の戦いが始まったぞ。父上、見てくれているか?」
一人残った藤那は、鮮やかな外套の裾を握り締めて呟いた。
彼女の口元は笑みを形作っていた。
だが、白く美しい彼女の指先は僅かに震えていた。
「香蘭、そっちの準備は大丈夫か?」
当麻の街の東側に存在する小さな森の中で気配を完全に絶ちながら行動する二つの影。
一人は蒼い服に隻腕の青年、九峪で、その背中には小さな布袋を背負っている。
また、もう一人は脚の線が見え易い魏服を着込んだ、まだあどけなさが残る少女、香蘭で、九峪と同じく背には、行動の妨げにならない最大限度の荷物を背負っている。
「だいじょぶ、よ」
草木の生い茂る、舗装などされていない道を二人は息を切らせる事無く、走り続ける。
それも、なるべく足跡をつけないように細心の注意を払いながら。
強く地面をけり過ぎれば森の土壌には靴跡が残り、走りながら木切れを踏めば折れた小枝が生まれる。
これらの情報を見つければ、戦闘に慣れた者ならば即座に敵の存在を察知することができる。
ゆえに彼らは硬い土壌、草や木切れの落ちていない場所を選んで走り続けている。
簡単な会話を交わしつつ二人は軽やかに進むが、このような事は並大抵の人間では――いや、一流と呼ばれる乱波でも実行できるのは一握りの存在であろう。
着地における衝撃を太ももの大腿筋で可能な限り吸収し、地面との反動を極限まで抑える。
走りながら揺れる視界の中で最良な道を選択できる動体視力。
まさしく常人離れした能力に支えられた技術である。
「よっと」
走り続けていた九峪が不意に飛び上がった。
そのまま木の幹に着地して、するすると木の頂上付近まで野生の猿の如く登っていく。
片腕と二本の足を器用に使い、彼は瞬く間に頂上に辿り着いた。
「どしたのか?」
同じく香蘭も、九峪と同じ木を駆け上がる。
九峪に勝るとも劣らない身のこなしだ。
「あれを見てみろ」
二人分の体重を支えきれる比較的大きな木の頂上で、九峪は香蘭にある場所を目で指し示した。
「あれ、は?」
「あれが耶麻台国の敵、狗根国の兵士だ。黒色の武装に身を包んでいるのが特徴だ。解り易いだろ?」
「この前の、やつらの仲間、か」
「その通り」
二人の視線の先には、当麻の街を見つめる、十数人の武装集団の姿が存在していた。
彼らは背後にいる九峪達には気付いても居ない。
まあ、むしろそれも当然で狗根国兵を視認できる二人のほうが遥かに異常ではあるのだが。
「さて、なら俺たちはここで一先ず行動終了だ」
「母上たちの、動きがあてからか?」
香蘭は確認するように九峪に問う。
「ああ、それまでは二人で仲良く息を潜めていなければならないわけだ」
「そか。仲良い、良い事よ」
軽く笑う九峪と、九峪の他人に不快感を与えるような口調を聞いても何ら目立った反応を示さない香蘭。
性格については疑念が残るが、腕前だけなら間違いなく復興軍で最上位に属する二人が、西に本陣を構える狗根国の部隊と丁度、当麻の街を挟んで反対側の小さな森にいる。
九峪は声を殺して楽しげに笑い、香蘭はその様子を不思議そうに眺めている。
しかし彼らのすぐ近くでは狗根国兵が世話しなく当麻の街を取り囲む防衛網の形成を急いでおり、戦場の熱気を感じることができる。
そう、
戦いが始まる。