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九洲の南東部のとある場所。
その場所で夜空を見つめる一人の壮年の男性がいた。
顔には深いしわが刻まれており、人よりも多くの経験を積んでいると推測するに難くない容貌をしている。

しかし、彼はただ物憂げに空を眺める――――否、正確には見つめてはいないが。
何かに深く悩んでいるようであることしか雰囲気からは理解できない。


「どうも、初めまして」


そんな壮年の男性の後方から若い男の声がする。
月の出ていない夜中であるために、顔かたちは解らないが、長身の男だ。


「お前は誰だ?こんな時間に、こんな場所で何をしている?」


思考を中断した壮年の男は、若い男に振り返って尋ねる。
強い警戒の色が顔には浮かんでいる。


「それは俺も聞きたいですね。元耶麻台国の武将であるあなたがここで何をしているのかを」


しかし、若い男は壮年の男を気にする事無く話し続ける。
薄暗くはあるが、僅かにその口元に不敵な笑みが浮かんでいる事だけは見ることができる。


「何故それを……」


若い男の言葉に壮年の男は驚きの声を上げる。
愕然とした表情。


「さあ?俺はただの素性不明な旅人ですから」


若い男は茶化すように肩をすくめる。

そこで壮年の男は理解した、目の前の若い男は隻腕であると。
左腕の袖がただ風になびいて揺れていたから。

そして、ふと何かに気付いたように、


「そうか……お前が二人が言っていた――」

「そういうことです。正解ついでに俺が何をしに来たのか教えてあげます。一つ忠告をしにきたんですよ」

「忠告、だと?」

「ええ。少なくとも彼女達は自らの意思で既に動き始めた。どんな力でもそれを止める事はできません。逆に鳥かごの中で守ろうとすれば、彼女達の羽を奪う事になる」


若い男は滑らかな口調で話し続ける。

しかし、その言葉の全てが壮年の男に驚きを招く。


「……なっ!」

「図星だったみたいですね。親の価値観を押し付けていい年齢は過ぎています。だから解るでしょう?」


どこを見つめているのか、何を考えているのか――その一切を悟らせずに若い男は続ける。
彼の動作は見る者に、彼がある種の境地に到達しているような錯覚を強く覚えさせる。


「……私は再び剣を取れるだろうか?多くの同胞が死んでいった中で、無様にも生き残った私が……」


暫し、壮年の男は悩んでいた様子だったが小さい声ながらも口を開いた。
その言葉には後悔の色が見える。


「あなたの過去の全てを知っているわけじゃあないから、詳しくは言えませんが、立ち止まる事こそが故人にとっての最大の侮辱であると思いますが?」

「……君は――」


若い男はそこで始めて真摯な口調で壮年の男に告げた。
それまでの軽薄な口調とは違う、真直ぐな声で。


「大丈夫、あなたは立派です。友の遺志を継ぎ、任務を果たして生き延びたのだから――」


若い男はまるで歌うように告げる。
純粋な思いが感じられる声で。

だからこそ、壮年の男は自分が本当に恥ずべき事をしていない自信が湧いて来るような気がした。


「それに――――本当に無様なのは俺のような奴の事を言うんですよ」


若い男はそれまでと全く口調で言い切った。
ただ純粋に、そして真摯に彼は自らを軽蔑していた。

壮年の男は若い男の持つ『それ』の名前を知っていた。


「だから、あなたはこちら側に来ないでくださいよ」


――絶望だ。


笑う若い男の姿が、壮年の男はただ悲しかった。


「私は――――」


故に壮年の男は答えた。


「――――あの子達を守ろう」


壮年の男の言葉に、若い男は始めてわざとらしくない笑みを浮かべた。





それは、





当事者以外、





誰も知らない話。




















「よう、只深」


耶麻台国の隠れ里の中央に位置する屋敷。
その庭に一人佇んでいた只深は自分を呼ぶ声に振り向いた。

彼女に声をかけた人物は――


「なんや、雅比古さんか」


蒼い服に身を包んだ、只深にとって捉えどころのない隻腕の青年、九峪だった。


「どうだ、武器の採算はとれそうか?」

「あんたがそれをウチに言うんか?」

「ははっ、違いないな」


只深はジト目で九峪を睨みつけるが、九峪は軽薄に笑い答えるだけ。
その本心の読めない九峪の態度に只深は『……ウチの親父にそっくりやな』と内心でため息をはいた。


「どうした、疲れてるのか?」

「そんなことあらへん」


九峪の言葉に只深は更に内心で舌打ちをした。
商人としての場数を踏んでいる彼女は、常に会話で本心を表に出す事はないようにしている。
思考を悟られれば、会話の主導権を掴みにくくなり、ひいては商談の結果の良し悪しに直結してくる。
よって彼女が感情を表したとしても、それは偽りの感情であり、表層の心理ですらない。

それにも関わらず、九峪は只深の心の変化に気付いた。
まるで長年の知り合いであるかのように。


「何か用でっか?」


会話の流れを持っていかれるのを避けるために只深は、九峪に本題を切り出させた。
知り合って僅かな時間しか経過していないが、九峪が何の用もなく他人に話しかけるような人物ではないと、彼女は知っていたから。

只深は、九峪が他人との関わりを避けていることを理解していた。
何故そのような行動をするのかまでは理解は出来なかったが、九峪が軽薄な笑みを使い他者との間に壁を作ろうとしていることは、一日余りの耶麻台国の隠れ里での生活でも十分に理解できたから。


「まあ、少し話をしたいと思ったわけだ」

「何の話や?」

「只深は昨日のことをどう思う?」

「……昨日って、あの香蘭様のことか?」

「ああ」


少し考えこんでの只深の返答に九峪はのらりくらりと頷く。

相変わらず九峪の行動の真意は読めない、と只深は思った。


「香蘭様が火魅子となる素質を持っていたことがどないしたんや?」


が、だからこそ九峪の言動に何らかの情報が含まれていないか細心の注意を払って聞き取る。


「ああ、只深はもしも自分が火魅子になれると言われたらどうする?」

「はあ?」


只深は、やはり九峪の行動を読むことはできなかった。
いきなり商人の小娘に『火魅子になれたらどうする?』なんて聞くことではないし、九洲の人間は軽々しく火魅子という言葉を会話で使わない。

よって、その会話から読み取れるのは、九峪が九洲の人間ではないだろうという推測ひとつだけ。
まあ、そんなことは格好から十分に推測できるので、最終的には何の情報も得られていない。


「火魅子に――九洲の支配者になれるとしたら何を望む?金とか、名誉とか、何か欲しいものはあるか?」


只深の内心の思考を気にする事無く九峪は喋り続ける。


「火魅子になれたら、か――――――――強いて言えば金やろか?」


全てが手に入るとしたら何を望む?という九峪の質問に、しばし熟考してみた只深だったが明確なビジョンは浮かんでこなかった。
故にありきたりな回答である『金』という言葉を使う。


しかし、


「それは本心じゃないだろ?」


九峪はまるで只深の心の奥底を見透かしているような軽薄な笑みを浮かべたまま只深に語る。
自らの真意を読ませることなく、それでも相手の本心は全て理解したような、ある種の透徹した態度で。

何故か只深は――――寒気がした。


「何が言いたいんや?」


只深は本心を読み取られているような本能的な恐怖感に従い、強めの口調で九峪に問い返す。


「金の先に何がある?使い切れない程の大金を手に入れて何かやり遂げたいことはあるのか?」

「なっ!?」


余りのことに言葉を失う只深。

九峪の言葉は不自然な程に只深の本心を正確に捉えていたから。
最近はただの商売や金というモノに対して興味が付きかけていた只深の本心を、だ。


「金を集めたら何をすればいいのか迷ったりはしないか?」


くつくつと笑いながら九峪は話し続ける。

そしてその言葉は只深を更なる混乱へと導く。


「そんなこと、あんたには関係ないことや!」


只深は無性に目の前の男に腹が立った。

軽薄な表情。
挑発するような口調。
全てを知っているような言動。
そして、他者の心を気にする事ない態度。

全てが只深の感情を大なり小なり揺さぶる。


「おっと、それはそうだな。悪かった。聞きたいことはそれだけなんだ。じゃあな」


挑発するだけ挑発してから九峪は右腕をひらひらと振りながらその場所を離れていった。

只深の心の中に焦燥感のみを残して。


「……一体、何しにきたんや?」


一人庭に佇む只深は、漠然とした将来への不安を自覚しながらも呟いた。
九峪の姿はすでに彼女のいる場所からは確認できなくなっていた。

只深はこの時から自らの将来について深く悩むようになる。
それは彼女にとって吉となるのか、凶となるのか解らないが――――間違いなく変化を呼び込む。




















ただ一人、誰と並ぶ事もなく屋敷を歩きながら九峪は、


「……俺は意外とエゴイストだったみたいだな」


面白そうに、だが自嘲的に笑った。
唇を強引に歪ませただけの、彼のいびつな笑みは悲しかった。

しかし、その表情はすぐに消えて、彼の顔に普段の軽薄な笑みが浮かび上がる。


「何か用か?」


そして誰もいないはずの前方の空間に向けて尋ねる。


「……伊雅様がお呼びだ」


無音の着地で清瑞が九峪の目の前に現れる。
九峪には動揺は見られず、彼女の存在を察知していたようだ。


「解った、今から行く」

「……ただでさえ時間が足りない事を貴様は解っているのか?」


返答した九峪に対して棘のある口調で清瑞。


「ん?何を言っている?」

「この大事な時に休憩を態々とって、やる事が商人の娘との会話とは状況が解っていない証拠だろう」

「何だ、見てたのか。休憩時間をどう使おうと俺の勝手だろ。可愛い少女との会話は、少なくとも清瑞との嫌味の応酬よりも遥かに俺の心を癒してくれるからな」


遠まわしな皮肉を言ってきた清瑞に、九峪はオブラートに包んですらない直球の皮肉を返す。

まさに嫌味と嫌味の応酬だ。


「……ふん、ならば勝手にしろ。だが伊雅様には迷惑をかけるな」

「ああ、その程度なら心得ているさ」


九峪はただ軽薄に笑った。




















「それで、情報の操作は終わっているんですか?」

「うむ、付近の街には『当麻の街に火魅子がいる』という噂を流させている」


隠れ里の最も広い部屋で、九峪、伊雅、紅玉、伊万里、香蘭、音羽、上乃の六人が卓を囲み、会議を開いている。
接近する狗根国軍を撃破するための作戦会議であり、清瑞は情報操作のためにこの場所にはいない。


「さて、これで間違いなく相手側は餌に喰らいついてきます――音羽さん、何か書くものはありますか?」

「え、何かに使うんですか?」

「これからの作戦を決めるのに重要なんですよ」


問い返す音羽に頷く九峪。
何か重要な事であると理解した音羽はすぐさま隠れ里の者に木札と墨を用意させた。
隠れ里では、比較的貴重な紙は手に入らず、そのため木の札が代用品として使用されるのだ。


「さて――――ここがこうで…………」


九峪は木札を渡されると直ぐにすらすらと何かを描き始める。

その様子を不審に思った紅玉は、


「雅比古さん、何をしているのですか?」

「当麻の街の周辺の地形図を描いているんですよ」


顔を木札に向け、何かを描き続けながらの九峪の返答。


「何を、だと?」

「だから、周辺の地形図です」


途中、横から口を挟んできた伊雅に対しても、九峪は顔を向ける事無く言葉を返す。


「よし、こんなものだな」


そう言った後、部屋の中の皆に見えるように九峪は木札を部屋の中央に置いた。


「これは?」


木札に描かれているものが理解できずに伊万里が控えめながら尋ねる。

無理もない、この時代に地図と言う概念は一般に広まっていないのだから。


「これは周辺の地形を図的に描いてみた地図ってやつだ。ほら――この中心の四角いのが当麻の街で、右下にあるのが、当麻の街から見て南西部の小さな森だ。解るか?」

「……これは、確かに森の位置も、街の位置も正しい」


驚いた表情で、しかし納得しながら頷く伊万里。


「あのさあ、どうして雅比古はこんなものを描けるの?この辺りに住んでいる私達でもここまで正確には解らないし、そもそもこんなの空の上からでも見ないと絶対に解らないよ?」


九峪の描いた地図を黙ってみていた上乃が声を上げる。


「そうですね。雅比古さん、これ程の地形図はただの旅人が描けるものではないと思いますが?」


上乃の言葉に紅玉が続く。

この時代、大陸では地図に関する事柄は国の最重要機密とされており、僅かな情報の漏洩でも人の首が比喩的な表現ではなく、実際に飛ぶ。
地形に関する情報は戦闘で何よりも重要であり、仮にその情報が知れれば敵国から攻められやすくなる。
よってどの国でも地形に関する情報を漏らすことは有り得ない。

だが、自称旅人である九峪はその情報を握っていた。
地図の存在の重さを知る紅玉であるからこそ、九峪に対する強い疑問が生まれる。


しかし、


「まあ、それは男の秘密ってやつですね」


九峪は笑って取り合わない。


「しかしだな、雅比古――――」


耶麻台国の王族の妻である紅玉の問いに答えない九峪の態度に、伊雅が横から諌めようとするが、


「一つだけ言い忘れていたことがありました――」


声を遮り九峪が口を開く。
普段の軽薄な態度ではなく、鋭い瞳、感情を感じさせない声色で。


「――俺は耶麻台国に加勢しますが、それと同時に誰の支配も受けません。身分や地位など気にしませんし、命令であろうとも理に適っていなければ背きます。だが、それ以外でなら耶麻台国のために働きます。それでどうですか?」

「なっ!?」


余りの言葉に音羽や上乃は言葉を失う。

口には出さないが、伊雅や紅玉も内心では驚いている。
まあ、身分など気にしないという発言はこの時代の人間から考えれば傍若無人極まりないから当たり前か。


だが、


「……ふむ、それでいいだろう」


九峪の提案を受け入れる伊雅。

伊雅は九峪の能力を高く評価していた。
当麻の街での戦闘計画を立案したのは九峪であるし、個人としての戦闘力も里の者の追随を許さない。
そして、何よりも今回の地形図に関する知識。

そのどれもが、伊雅にとっても、耶麻台国にとっても必要不可欠となる能力だ。
つまりは台詞に見合った能力を併せ持つ九峪であるからこそ許される暴言ではある。

仮に、一介の兵士がこのような言動をすれば、即座に切り捨てられているだろう。


「いや、物分りが良くて助かります」


表情をまた薄ら笑いに切り替えて九峪は答える。
伊雅は相変わらず食えない男だと思った。

付け加えておくが、伊雅が九峪の要求を受け入れたのにはまだ理由がある。
九峪が隠し通す情報は耶麻台国の復活に関して重要な情報ではなく、九峪自身の過去に関係しているようなものばかりであると伊雅は推測していたからだ。
必要な情報を提供してくれるのならば、あとは別にどうであろうとも構わないと伊雅は考えていたのだ。

上乃と音羽は、最悪の事態が起きる事を考慮して、伊雅と九峪の会話をはらはらしながら見つめていたが、丸く収まったと解ると二人同時に安堵の息を吐いた。

伊万里は九峪の発言に対して特別な反応を示さなかった。
彼女は九峪が突拍子もないことを言い出す事を、誰よりも身にしみて解っていたからだ。

また、香蘭は紅玉に余り口を開くなと言われていたので、現在まで何も発言していない。
香蘭自身、身分に関してはどうでも良いと考えていた部分も大きいが。

紅玉は二人の会話から即座に伊雅の意を汲み取り、沈黙を保っていた。


「それじゃあ、本格的な説明に入ります。まずは伊万里の部隊が――――」


提案を認められた九峪は改めて周囲の面々に作戦の細部を語り始めた。

狗根国軍が到着するまでにあと二日。
すでに戦闘の準備は着々と進められていた。