耶麻台国の隠れ里の入り口付近。
その場所で修練をしていた音羽と上乃は隠れ里に接近する数十人の集団を警戒しながら見張っていた。


「まさか、狗根国の奴らじゃないですよねー」

「この場所が簡単にばれるとは思えませんが……」


音羽は、上乃からの問いに思案気な表情で答えていたが、


「あ、蒼い服――って、ことは雅比古?」


集団の中で一際異彩を放つ蒼い服を着込んだ男を見つけた上乃が声を上げる。


「……間違いありませんね。けれどあの集団は何でしょう?」

「聞いてみれば早いんじゃないですか?おーい!雅比古ー!」


集団に向かって上乃がぶんぶんと手を振る。


すると、


集団の中から一人の男が駆けて来る。
上下を蒼い服に身を包んだ、隻腕の青年、九峪だ。


「どうも、音羽さんに上乃」


二人の下に近づいてきた九峪は軽く右腕を上げる。


「雅比古さん、あちらの方々は?」

「彼女達は援軍ですよ――心強い、ね」


音羽の言葉に軽く笑いながら九峪は答える。


「ねえ、それってどういう事なの?」


九峪が状況を明確に説明しないために、上乃が尋ねる。


「ん?それなら後で答えるから、伊雅さんを呼んで来てくれないか?」

「伊雅様を?」

「ああ」


上乃はしばし九峪を見つめていたが、


「――わかった」


頷き、伊雅の下へ駆けていった。




















「それで、この方々は?」


場所は変わって隠れ里の中央。

その場所で商隊の面々に紅玉、香蘭と耶麻台国側の面々、伊雅、伊万里、音羽、上乃が向き合っていた。


「彼女達は商談相手ですよ。こちら側に武器や防具を売ってくれるそうです」


向き合う形の集団の中央に立つ九峪が伊雅の言葉に答える。


「商談相手だと?こちら側には現在、対価となるような物など存在せんぞ」

「いや、それが彼女達は良心的な人達で金も後払いで良いと言ってくれてるんですよ。うん、良い人達だ」


中央で一人、自分の言葉に頷く九峪。


「それは本当ですかな?」


九峪の言葉に疑わしげな様子で、商隊に向けて問う伊雅。


「ホンマですわ。うちらが運んできた武器、防具、その他一切を耶麻台国側に売らせてもらいます。勿論、最後に貰うものは貰いますで」


『なにが良心的やっちゅうねん』などと九峪に向かって小さく呟きつつも只深が前に立ち、答える。


「失礼、あなたは?」


しかし、面識が無い小柄の少女の出現に伊雅は状況を理解できない。


「ああ、すんません。うちはこの商隊を率いている只深っちゅうモンですわ」

「どうして我々に?」


尚も只深に向かって問い続ける伊雅。

その反応も当然ではある。
商売について少しでも知識があるのならこの状況は明らかにおかしいのだから。
含むところがあるとまではいかないが、それでも疑問に思うのは常識人ならば当然だ。


「色々とこっちも立て込んでましてな、狗根国側とは商売ができへんのですわ。それで、どないします?」

「む――いや、是非ともこちらからお願いしたい」


僅かな思考の後、即座に頷く伊雅。
耶麻台国側は兵士の武装の面で狗根国側に大きく差をつけられている。
そのディスアドバンテージを解消する手段としての武装の強化ができるのだから断るわけが無い。


「あ、それと伊雅さんに会いたいって人もいますよ」


取り敢えず商談がまとまったのを確認した九峪が加えて言う。


「私に、だと?」

「ええ――こちらの紅玉さんと香蘭ちゃんの二人です」


右手を紅玉、香蘭の方向に向けて二人を紹介する九峪。


「初めまして、私は紅玉、こちらは私の娘で香蘭と申します」


伊雅に対して優雅に一礼する紅玉。
香蘭もまたそれに習い、頭を下げる。
一見何の変哲も無い動作ではある。
しかし、その二人を観察していた伊雅は少々驚愕していた。
彼女達に対して得体の知れない何かを感じていたからだ。
まるで牙を隠した虎とでも出会ったかのような違和感を。


「私に会いたいとはどういうことですかな?」


だが、交渉というものを理解しているために伊雅は外面を変化させる事はない。


「私達も耶麻台国側に加勢させて頂こうと思いまして」


薄く笑いながら紅玉。

彼女は耶麻台国側の人間の資質に内心では満足していた。
目の前に立つ伊雅は、会話の中で本心を見せない事から戦場で必要な狡猾さを持っていることが推測できるし、その取り巻きである女性達――男女の比率がやや偏っている気もしたが――も紅玉の動きに注意を払っている。
そして何より、彼女でさえ正確な力の上限が見えない九峪の存在。
紅玉は娘である香蘭と同じ程度の年に見える青年が、自らに限りなく近い力を持っていると思っていた。


「それはどうして?」


紅玉の内心での思考を探るかのように伊雅が問う。


「私の夫――今はもう亡いですが――は耶麻台国の王家の末席に連なっておりましたので。香蘭、あれを」


伊雅の問いに落ち着き払った動作で答えた紅玉は振り返って香蘭に目で合図を送る。


「はい、母上」


腰にぶら下げていた道具入れから何かを取り出して紅玉に渡す香蘭。


「これが、あの人の花押入りの書面です」


紅玉の手元には、倭国では珍しい紙の書類の端に赤い図案化された署名が書かれているものがあった。
つまりは王族としての身分証明書類である。


「……む、これは確かに」


伊雅は紅玉から書類を渡されて唸る。


「伊雅さん本物だったんですか?」


横から九峪が、思考を読ませない軽い笑みを浮かべながら問う。


「紛れもない本物だ」

「そうですか、なら香蘭ちゃんは王家の子女という事になりますね。天魔鏡で火魅子の資質が有るかどうか確認したほうがいいんじゃないですか?」

「何だと……」


火魅子の資質を持つものはそう簡単には現れない。
だからこそ耶麻台国は九洲の民の求心力を失い、ひいては狗根国に敗れる事になった。

その事実を知っている伊雅であったからこそ、既に火魅子の資質を持つ子女が一人確認されている現状で更にもう一人の火魅子の資質を持つものが現れるとは思えなかった。

だがしかし、

九峪は普段のように軽薄に笑いながら伊雅を見つめていた。
それで伊雅は思い出した『伊万里を見つけ出したのは目の前の男だ』と。

ゆえに、


「……確かにな。少しばかり付いてきてもらえますかな?」


香蘭が火魅子としての資質を持つか否かを確認することを決めた。




















現在、当麻の街では篭城のための準備が急速に進められている。

城壁から狗根国軍を攻撃するための大量の矢。
或いは歩兵の侵入を防ぐための逆木。

現段階で考えられる全ての調達可能な資材を使って、再興軍の皆が忙しく働いている。


そんな兵士達の動きを見渡す事ができる城の部屋の中に藤那はいた。


「……これからどうなるだろうな」


やや遠くを見つめながら藤那はどこへ向けてでもなく呟いた。


「どうなるだろう――って、勝てないの、藤那?」


藤那の近くで所在無く佇んでいた閑谷はその言葉に不安げに問う。
まあ、如何に方術の使い手とはいえ、閑谷はまだ少年と呼んで一向に差し支えのない年齢であるために、その反応も仕方がない面もある。


「さてな。戦いに絶対など存在しないからな。絶対に勝てると思った戦でも、思いもしなかった理由で負けてしまうこともあるだろう」

「僕はそんなことが聞きたいんじゃなくて、藤那は次の戦いを藤那がどう思っているのかが聞きたいんだよ」

「私の意見か――」


そこで藤那は言葉を区切り、右手に持っていた徳利の酒を飲む。

戦が始まるというのに、酒を飲む藤那のその動作を見て閑谷はたまらず、


「藤那、少しは僕の話を――」

「話ならするから、少し静かにしていろ。戦いは――そうだな、確立なら五分よりやや悪いといったところか」


忙しく動き回る人々のずっと上の空に流れる雲を眺めながら藤那。


「そんなに悪いの?」

「悪い?何を言ってるんだ、閑谷。精兵として知られる狗根国兵六百に対して、寄せ集めの兵士がこちらは二百、伊雅様側も同程度と言っていたから二百、合わせて四百で戦いを挑んで勝率が五分五分だぞ。これは奇跡と言ってもいい。作戦の着眼点としてなら文句無く最高に近い」


狗根国軍と反乱軍の戦力差は兵の武装、練度、士気、その他の点まで考慮すれば更に十倍近いものにまで跳ね上がるのだから、それを確率的に五分まで近づける作戦というものは殆ど存在しないだろう。


「それって?」

「撤退するよりは未来が開けている。だが、この作戦を考え付いた奴は変わった奴だろうと思うがな」

「どういうこと?」

「――この作戦では再興軍が囮として使われているんだ。普通、共闘を申し込む相手に囮をさせるか?」

「え――そういえばそうだね。けどそれは僕達が表に出てしまっているんだからしょうがないんじゃないの?」


藤那の言葉に閑谷は少しの間、考えているような素振りを見せていたが、何かに気付いたかのように言った。


「ああ、そうだ。だがな、それは私達がこの作戦を知っているからこそ、そう思えるんだ」


閑谷の答えを予想していたのか、藤那は閑谷が口を閉じると直ぐに説明を始めた。


「色々なしがらみに縛られている人間は、まず最初から同胞を見捨てるという選択が頭の中に浮かぶことがない。つまり、この作戦を考えた人間はある程度の戦術的な知識と、それを活かせるだけの冷徹さを持ち合わせているんだろう」

「それのどこが変わっているの?頭が良い人だっていうのは解ったけど」

「まあ、聞け――次の疑問が、作戦をたてた奴は我々の素性をまったく気にしていないということだ」


面白そうにくつくつと笑いながら藤那。

閑谷はその笑いの意味を理解できず、きょとんとしている。


「解らないのか?あの雅比古、清瑞と名乗った使者の二人は私達に何か一つでも質問したか?」

「それは――あれ?そういえば僕達は名乗ってもいないね……」


記憶の糸を手繰り寄せ必死に思い出そうとする閑谷だが、最終的に首をひねってしまう。


「そういうことだ。伊雅様側にとっては私たちが何者でも関係なかったと考えるのが普通だろうな。つまりは、山賊崩れの荒くれ者でも、耶麻台国の王族でも作戦を実行できるならばそれで構わなかったということだ」

「えっと、尋ね忘れたとかじゃないのかな?」

「まあ、それは有り得ないだろうな。ここまで緻密な計算の作戦を立案した人間が、部下に相手の素性を調べさせ忘れるという初歩的な間違いをおかすとは考えにくい」

「……そうなのかな?」

「まあ――そうだろうな」


言い終えた後に、再び藤那は酒を口に含む。

その様子を何かが引っかかるような表情で閑谷は見つめていたが、


「……それもおかしいんじゃない?」

「うん?どういうことだ?」


口を開いた閑谷に顔だけ向けて藤那。


「だって、作戦の中で再興軍の役割は重要な位置を占めているのに、どうしてその指導者について聞かないのさ?求心力や兵士の士気の高さとかにも色々と影響を与えるはずだよ」

「ん……確かにそれは一理あるな」


藤那は右掌に頬をのせながら閑谷の疑問について考えていたが、




「解っている。あんた達は九洲のために命を賭けて戦うのだろう――」




不意に九峪の言葉が頭をよぎった。


「まさか……」

「どうしたの、藤那?」


急に険しい表情で何かを考え始めた藤那を心配して閑谷が声をかける。


「……雅比古と名乗った男が、私達が九洲のために戦う事は理解していると言ったのを覚えているか?」

「うん、覚えてるよ」

「普通は得体も知れない山賊崩れかもしれない集団にそんな言葉は使わないだろう」

「……あれ?本当だ」


そう、九峪の言動には不審な箇所が多すぎる。
彼らの素性も名前も尋ねる事無く、尚且つ彼らが九洲のために戦っていると断言していた。
それは正しいがために会話の中で違和感として現れなかったが、振り返って考えてみれば矛盾が生まれる。


「まあ、単純に考えた可能性もあるな。わざわざ復興軍を名乗って当麻の街を制圧したのだから、九洲のために私達は戦っているのだと……」

「ああ、そういうことだったんだ」


納得した表情を浮かべて閑谷。


「だが、もう一つの可能性もある」

「他に何かあるの?」

「あちら側が私達の素性を最初から知っていたと考えれば、何も矛盾は生まれない」

「えっ?」

「そう、あちらが最初から我々の情報を……いや有り得ないか。もしも、それならば我々と連携をとって動いていたはずだ。だが、彼らは最近まで姿を現さなかった……ならばどうして……ごく最近になって情報を手に入れたのか……いや、一番大事なこの時期だからこそ情報の漏洩はないか……」


驚きの声を上げる閑谷をよそに藤那はぶつぶつと呟きながら頭の中で情報を整理していく。

仮に伊雅側の人間が狗根国や再興軍についての情報を得ていたのなら、最初から藤那達と連携をとって動いていたはずである。
しかし、伊雅側が表に出てきたのはつい最近。
この事実から推測できる可能性は二つ。

再興軍が蜂起した頃にぎりぎりで伊雅側は情報を手に入れた。
或いは最初から全ての情報を知っていたが、敢えて事態を静観していた。

現実的に考えればその二つしか考えられない。

しかし、藤那は正確な情報が少なすぎるために結論を出す事ができず、


「まあいいか。この戦いに勝利してから尋ねてみればいい」


再び景気付けに酒を飲みなおした。




















耶麻台国の隠れ里の伊雅の部屋。
その場所で伊雅はただただ驚愕していた。
彼がその手に持つ天魔鏡が薄く燐光を放ちながら、一人の少女の姿を映し出していたから。

大陸よりやって来た少女は――


「……二人目の火魅子の資質を持つ子女」


伊雅はそれだけの言葉を紡ぐので精一杯だった。
ここ数十年の間、決して現れることが無かった存在が彼の近くにいるのだ、二人も。

天魔鏡の反応を見守っていた幹部達も何も言うことができない。
この事態は皆の予想を遥かに振り切っていたから。

否、皆というのは正確ではない。何故なら――――


「耶麻台国の先行きは明るいようですね」


九峪だけはその部屋で軽薄に笑っていたから。