例えどれだけの身体的な能力差があったとしても、数の暴力に個人では対応できない。
ゆえに最も優れた戦闘機関としての軍が考案された。
一人の突出した能力よりも集団としての連携を重視し、個人の感情を打ち消す事により集団は有機的な一個の強大な力として活動する事が可能となる。

軍とは古来より考案されてきた戦闘方法の中で最も最良の方法であった。
だからこそ全ての国は軍を抱え、維持している。

そう、人の歴史が証明してきているのだ。


『数こそは力である』と。


しかし――――





「……これは洒落にならんで」

「あの二人……ほんまに人間か?」


只深達は呆然と目の前で繰り広げられる光景を見つめていた。

紅玉の一撃で軽々と宙を舞う重武装の兵士。
九峪の方術によって体を爆砕される兵士。
驚異的な速度で狗根国兵は息絶えていく。

にも関わらず、九峪と紅玉の二人は舞うように敵の攻撃を避け、そのまま反撃に移り敵の命を刈り取る。

それはさながら、修羅と羅刹の殺人二重奏。
最早それは戦闘ではなかった。

既に、狗根国兵も十数人しか残っていない。


「……貴様ら、何者だ」


驚愕に染まった、化け物でも見るかのような表情で深川。


「聞こえなかったのか?俺は耶麻台国側の人間だ」


命を刈り取る手を休めずに九峪は答える。


ドゴンッ!


また跳ね飛ぶ兵士。

地面をごろごろと転がり、やがて慣性を失い止まった兵士の口からは赤い血の泡が流れる。
誰の目から見ても明らかに絶命している。

その一撃を放ったのは紅玉だ。


「さて、残りはあと少しですね」


力強さを失わない、それでいてしなやかな動作で紅玉は狗根国兵達に近づいていく。
残りの狗根国兵の人数はすでに一桁を下回っている。


「くっ、撤退するぞ!」


たまらず撤退を指示する深川。

彼女にとってそれは悪夢だった。
精兵として知られる完全武装の狗根国兵五十が、ただ二人の軽装の男女に対して、一撃の傷も与える事無く敗北したのだから。

故に彼女が選んだ選択は間違いではない。
戦闘能力に大きな隔たりがありすぎるのだから。


しかし、


「悪いが、あんたにはここで死んでもらう」


退く深川に対して、追う九峪。
淡々とした声で深川に死を宣告する。

死神たる九峪は深川に向かって加速し、その距離を徐々に詰めていく。

素手で狗根国兵の武装を破壊するような相手に近距離戦闘では生き残る可能性がないと感じた深川は、


「――ちっ、喰らえっ!」


   >>左道・禍し餓鬼


咄嗟に右手を突き出して左道を放つ。
しかし、


「甘い――」


深川の左道は九峪の右側を通り抜けていく。

ただそれだけならば、問題はなかったのだが――


「――ちっ、狙いは後ろか!」


九峪は左道の進行方向に商隊の面々がいることに気付く。
術は術でしか打ち消す事ができない。
だから――――


   >>方術・風牙迅雷


振り返って、左道を相殺するために方術を放つ九峪。

パァンッという音と共に後方から衝突した九峪の方術が、左道を打ち消す。


が、


「……逃げられた、か」


いかに九峪であっても方術を放てばタイムラグが生じる。

その時間的な猶予を使って深川達は森の中に消えていた。


「……追うか?」


深川達の消えた方向を見つめて清瑞。


「いや、止めておこう。時間が惜しい」


自分の肩を揉みながら答える九峪。


「あんたら一体何者なんや?」


二人に向けての声。
伊部の後ろに立つ只深だ。


「俺達は耶麻台国側の人間だ」

「それって反乱起こした奴らいうことか?」

「厳密に言えば違うが、まあ同じようなものだな。それで話があるんだが――」


九峪は距離をとったまま答える。


「話って何や?」

「荷物を見たところ、あんた達は商人だろう?」


商隊の荷物を見つめながら九峪。


「そうやけど」

「なら俺達にそれを売ってくれ。金は出世払いで頼む」


先ほどまでの感情を消した表情ではなく、軽く笑いながら九峪。


「今は金を払わんちゅうことか?」


九峪の突然の提案に言葉を返す只深。


「いや、払わないというよりも払えないわけだ。何といっても反乱軍だからな」

「それは虫が良すぎる話やないか?」


今までの驚愕の表情を打ち消して、只深。
ことが商売に及んだ以上、彼女は気を抜かない。
頭の中では、九峪からの情報を引き出すべく様々な考えをめぐらせ始める。


「そうか?」

「当たり前や。将来どうなるかも解らん反乱軍に、後払いでウチらの大事な商品渡せると思うとるんか?」


疑わしげに問いかける九峪に対して即答する只深。


しかし、


「そちらにも利点は十分にあるだろう?」


表情を変える事無く、いや、今までよりも更に軽い笑みを浮かべて語る九峪。


「何のことや?」


そ知らぬ顔で答える只深。


が、


「とぼける時に表情を消しすぎるのは逆に怪しいからやめた方がいい。本当は解っているんだろう?」


九峪のその言葉に只深は内心で舌打ちした。
そう、彼女達にとっても反乱軍との取引に利点はある。
というよりも、それ以外の手は無い。


「なにせ、天下の狗根国を敵に回したわけだからな」


彼女達は成り行きとはいえ狗根国の兵士達と戦闘した。
つまり、近いうちに狗根国側から彼女達は手配されてしまう。

よって、商売相手は反乱軍しかいない。
わざわざ九洲の南東部までやってきて、仮の契約でも取り付けておかなければ彼女達は大損だ。

九峪がその事実に気付いていると解った只深は、その頭の回転に対して戦慄した。
そして同時に、これ以上の交渉を続ける事を諦めた。


「……しゃあないな。解った、売ったるわ」

「ご協力に感謝する」


不敵に笑う九峪。


「横から失礼しますが、貴方達は耶麻台国の勢力に属しているのですか?」


交渉を終了させた九峪に向かって紅玉。


「ええ」

「それならば私達も同行させてもらえませんか?」

「それはどうして?」


紅玉の言葉に九峪は問い返す。


「私達も耶麻台国に加勢しようと思っているのです」

「ん?私達ですか?」


わざとらしい笑みを浮かべながら九峪。


「ええ、そこの私の娘、香蘭と」


ある程度離れた場所に立つ香蘭を見つめて紅玉。


「親子だったんですか?俺は今まで姉妹だと思っていましたよ」

「それはありがとうございます」


狸と狐が化かしあう会話。
二人共が自然に笑いながらあからさまな腹の探り合いをしている。

その光景を見た只深は『騙しあいはこれくらいあざとくやってみた方がええかもしれんな』等と考えていた。


「では大陸の人が何故、耶麻台国側につくのですか?」

「それは、あなた方を率いる人物にお話します」


微笑みながら紅玉。


「どうする、清瑞?」


九峪は無言で佇む清瑞に向けて問う。


「……問題ないだろう」

「了解。というわけで歓迎しますよ、紅玉さん、それに皆さん」


清瑞の返答を聞いた後、九峪は商隊以下の面々に向き直り、仰々しく一礼しながら言った。




















「忌瀬はまだか?」


征西都督府の一室、その場所で木簡を処理しながら日輪将軍である天目は目の前にいる女性に問う。

彼女も、その目の前の女性も全裸に限りなく近い半裸の服装である。
いや、服という表現よりも布切れ一枚といったほうが適切だろうか。


「先ほど到着したとの報告がありました。そろそろここに来るかと」


女性は答える。
彼女の名前は案埜津。
天目親衛隊の副隊長をしている才女であり、特に情報処理能力に優れる。


「ならば私は先にこの作業を片付けておくか」


再び手元の木簡に顔を向けて天目。

右から左へあっという間に何かしらの署名を書き連ね、木簡が次々に処理されていく。


そのままある程度の時間が経過する。


すると、


「お久しぶりですね〜」


軽い口調で部屋の中に入ってくる女性。
遠眼鏡と呼ばれる仙宝を見につけた長髪の女性だ。


「やっと来たか、忌瀬。首尾は?」

「ばっちりですよ。もう、自分でも驚くくらいに」

「そうか、それは助かる。それで、お前には次の指令を頼みたいのだが、行けるか?」


木簡に文字を書き連ねる手を止めて、女性――忌瀬を見つめて天目。


「ええっ、もう次の仕事なんですか?」


女性は嫌そうな声を上げる。


「ああ、面白い事が起きてな」

「面白いことですか?」


面白い、という単語に反応する忌瀬。


「実は当麻の街が、耶麻台国の残党に制圧されてな」

「それで私に、その反乱の指導者を暗殺しろとでも?」

「いや、違う」


天目の言葉に直ぐに言葉を返す忌瀬。

しかし天目は首を横に振る。


「お前には反乱軍に潜入してもらいたいのだ」

「潜入、ですか。何か随分と含むところがありそうですね〜?」

「まあな。それでやってくれるか?」


座ったままの体勢で天目は問う。


「そうですね〜」


忌瀬は人差し指を唇に添えて、思案した表情をしていたが、


「天目様の命令ならばやりましょう」


にかっと笑いながら答えた。




















当麻の街から北に歩いて数日の距離の草原を行軍する集団があった。
彼らは狗根国の最高権力者である紫香楽の命を受けて再興軍を自称する集団の討伐に向かっていた。

その集団の中心を一際大柄な男が歩いている。
その装飾が施された鎧や外套から、彼がその部隊を率いているのだと推測できる。


「多李敷様、報告します」


大柄な男――多李敷に向かって駆け寄る小柄な兵士。


「なんだ?」

「付近の住民から密偵が仕入れた情報によりますと、反乱軍の指導者は火魅子を名乗っているとのことです」

「……その話に間違いはないのか?」


兵士の言葉に僅かに目を見開いて多李敷。


「はっ、各地で九洲の民がこの反乱を率いているのは火魅子だと、口を揃えて騒ぎ立てています」


兵士は跪いた姿勢のまま報告を続ける。

多李敷はその兵士を見つめていたが、


「くくっ、あっはっは」


突如、顔を手で覆って笑い始めた。


「いかがなされました?」


多李敷の突然の行動に驚く兵士。


「ふ、あっはっは。やっと私にもツキが回ってきたというわけだ。よし、多少の無理をしても構わん。全速でこれより我々は当麻の街へ進軍する」

「……しかし、未だ兵糧の補充が完全ではありませんが」

「構わんと言った。たかだか二百にも満たぬ雑兵の集団相手ならば、現在の備蓄で十分事足りる。そんな事よりも、火魅子を逃がしたとあっては、私を将に命じた天目様に何と言い訳ができるか」

「……了解しました。至急、各部隊に命令を伝えます」

「うむ」


その場から駆け足で離れる兵士の姿を見つめながら、多李敷は満足そうに頷く。








いつの間にか空は曇りとなっていた。