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 衛宮士郎。
 性別は男で年齢は色々とあって秘密。特技としてガラクタいじりと固有結界を少々嗜む。私立穂群原学園の三年生であり、ごく平均的な成績を維持している生徒だが、学年を超えた便利屋としても親しまれている。
 そんな彼は学園を卒業した後、恋人であり魔術の師でもある遠坂凛と共に、英国にある時計塔と呼ばれる世間一般の常識から考えればやや特殊な学術機関に入学すると影ながら決意していた。
 
 目標を実行するために衛宮士郎は様々な努力を重ねた。
 
 まずは騎士王の顔色を伺いながら機嫌を損ねないように丁寧に頼み込み、頑張って首を縦に振ってもらった。衛宮家の食費がその月から三割ほど増加してしまったが仕方が無い事だろう。
 続いて長年、食卓を共にしてきた妹分に半泣きで睨まれながらもどうにか宥めて納得してもらった。直接的な行動は何一つ起こそうとはしなかった妹分に安堵していた衛宮士郎だったが、甘かった。彼の朝食には次の日から虫に似た何かが混ざるようになってしまった。
 そして最後に破天荒な姉貴分から全泣きでチョークを極められ、絞め落とされながらも語学留学と言い聞かせ、どうにか頑張って承諾を得た。彼の姉貴分が渋々ながらも肯定の意を示した時、彼は既にキャメルクラッチによって腰に笑い事で済まないレベルでのダメージを受けていた。
 唯一の救いは彼の恋人だけは味方でいてくれた事だろうか。

 断言しよう。衛宮士郎は誰が見ても解るぐらいに色々と頑張ったのだ。それはもう頬がやつれるぐらいに。
 そんなこんなでやっと渡英が認められた衛宮青年は早速にも駅前留学を始め、来るべき日に向けて語学を習得しようと勉強を始めた。



 だが、事件は起こってしまった。



 始まりの言葉は常に残酷。



 二度と舞い戻る事などできないが故に時間は尊い。



 何気ない朝の食卓での遠坂嬢から発せられた衛宮士郎の運命を変えた言葉。



 それは、







――――ねえ、士郎。梅干ある?







 酸っぱいものが食べたいという、ヘビイかつプレグナンシイな発言だった。



 十代、二十代の味方であるこんどうたけし(近藤武←読みを変えてみるべし)さんの力を借りる事が出来なかった若い二人に訪れた現実。



 それは確かに初めてだったから失敗もするだろうが、幾らなんでもピンポイントすぎはしませんか神様? と衛宮士郎は考えたとか。無論、結果は変わらないが。色々と先走った奴が悪い。


 
 まあ、この時点で展開が八割程度はばれているだろうが結論を記そう。



 彼の恋人である遠坂嬢は



 あれだ、オメデタだったわけだ。












衛宮士郎。働く主夫。
      ――正義の味方は休業しました――













 もう、妊娠発覚からが大問題。虎は吼え、桜が狂い咲き、騎士王が言うわけだ『やりなさい、黒桜バーサーカー』(←?)とな。士郎君は当然『熾天覆う七つの円環』ロー・アイアスやら何やらで事態を収拾しようとしたらしいが、そこはやっぱり無駄無駄無駄。
 きっちりきっかり色々と関係を白状させられて正座させられ説教されて泣きつかれてどつかれて意識を失って、最後に痙攣したところでやっと認めてもらったとか。合掌。

 で、家族っぽいメンバーに認めてもらった士郎君には次の問題があったわけだ。つまりは学校はどうするよ? という絶望的な問題。普通は子供は十月十日で生まれるので、二月から計算していけばクリスマスあたりにでも第一子誕生みたいなムードが全開。お腹が目立つのはどんなに頑張っても五、六ヶ月目くらいまでしか隠し通せない。遠坂嬢は体の各パーツがスレンダーなので、もって五ヶ月くらいだろう。
 勿論、素敵な私立の学園(学校にあらず)だってそこらへんは厳しい。男女交際の禁止などとは言わないが、それでも妊娠となればレベルが違いすぎる。葛木教師がいたならば『うむ、問題ない』とか一言で頷いてくれそうだが一般的、模範的な教師相手ではそうはいかない。虎が一人では流石に勝てないのだ。

 結局、士郎君は遠坂嬢と二人で悩んだ挙句――――仲良く一緒に中途退学を決定した。もともと二人は魔術師なのだから、学業なんて修めていなくても関係ないという結論に至ったわけだ。
 これがいわゆる後の世に語られる、全校生徒の半分とほにゃっとした特殊な趣味の女子に大打撃を与えた『穂群原ファーストインパクト』である。現在のところ『穂群原セカンドインパクト』が発生するかどうかは不明であるが、寺の跡取り青年と武芸百般に秀でた女主将が怪しいと囁かれているらしく、連日、女主将の手によって制裁を受ける人間が続出しているという話。しかも常に噂を流すのはワカメ頭の奴らしい。

 まあ、そんな感じで色々と周囲に大打撃を与えながらも前進してきた二人は見敵必殺サーチアンドデストロイで浮かび上がってくる問題を薙ぎ払ってきたわけだが、最後に一つの壁が残った。

 その最後の問題を遠坂嬢の口から聞いてみるとすれば



――――わたし、聖杯戦争でお金使い切っちゃったのよね。



 とどのつまりは金が足りんという事だ。





















「こらぁ、新入り! サボってないでさっさと働きやがれ!」

「すいません! 今すぐ運びます!」


 新都の郊外に近い場所にある深夜の工事現場。その場所で士郎は汗水たらして労働に勤しんでいた。三年生になってからニョキニョキと竹の子の如く背が伸び始めた彼の身長は既に百八十の大台を突破し、着々とアーチャーの面影を強めていっている。まあ、斜に構えている面が無いために与えられる印象はガラリと違うが。言葉で表すとすれば優しそうなノッポ、こんな感じだろう。
 そして、どうして彼が働いているかといえば、もうバレバレだが育児費用を貯める為だ。遠坂嬢は身重で動けないというか、いつもはへこへこと会話の主導権を握られまくっている士郎が今回ばかりは『キケンな事は全部ダメだ!』と、半強制的に安静にさせているためである。意外にも亭主関白への道を邁進しているのかもしれないが、どの道、士郎が親馬鹿になるのは確定のようだ。


「てめぇ、舐てんのか!? ボケッとしてないで走れ! 素早く動け! 金の分だけ働け!!」

「解りましたっ!」


 現場監督と思しき人物に怒鳴られた士郎は、現在では恵まれた体格を活かしてずっしりと重たい木材を両脇に抱えて奔走していた。金が足りず、学歴も足りない場合は肉体労働が一番収入が良い。というよりも、それくらいでしか職にありつけない。
 藤ねえは士郎に組の職を紹介すると言ったのだが、変なところで頑固な士郎は丁重に申し出を断り、自分でアルバイトを増やして金を貯めているわけだ。
 何せ、学生を辞めてしまったので一日中空いており何時間でも働ける。色々と思考が暴走している士郎は働いて働いて働きぬいているのだ。愚直な頭の中では夢はでっかく衛宮家のリフォームとか考えており、正義の味方とかいうあれは消え去ってしまっている。
 きっと心の中で家族というモノが占める割合が極端に大きいのだ、この男は。


「よっしゃあっ、衛宮! それ全部運んだら上がっていいぞっ!!」

「ういっす!!」


 最早、彼の思考は体育会系。イイ感じに職場にも馴染んできている。
 実は彼は金が欲しいので五人分働くから給料も五人分くれと現場監督にかけあっており、常人ならば一日で廃人にでもなってしまいそうな量の仕事をこなしているのだが、それでも誰よりも仕事を終えるのが早い。腐っても魔術使いであり強化の魔術を使用しているためだが、一般人にはそんな事は解らない。常人から見れば異常な筋力であるためにボプサップと一戦やらかしてみろと周囲から囃し立てられている毎日である。
 余談ではあるが、士郎の化け物じみた膂力を怖がって彼のバイト先には不良やごろつきが一切現れないという事で、雇用先で士郎はかなり親しまれている。用心棒というか、ある意味『守護者』である。商店街の抑止力みたいなの。


「監督! 終わりました!」

「うっし、衛宮ぁ! 帰っていいぞ! 嫁さん大切にな!!」

「勿論です! それでは衛宮士郎、一足先に上がらせてもらいます!」


 たたー、とその場から一目散に駆けながらも士郎。顔だけ振り返って現場の人間に挨拶しながらも家へと向かって全速力だ。性格というかキャラクターの変貌はもはや異常と言ってもいい。
 無口で無愛想が、熱血系の熱い野郎に変身してしまうので結婚とは、げに恐ろしきものである。




















「凛、無事かっ!?」


 ガラガラと盛大に音を立てて玄関を開いての一言目がこれ。士郎は間違いなく色々と馬鹿だ。全速力で帰ってきたのか息も荒い。ぜーぜーと荒い息を繰り返している。
 ちなみにであるが、彼は遠坂嬢の事を凛と呼ぶようになっている。まあ、名字が同じである以上は当然な流れであろうか。


「――おかえり。って、それよりも騒ぎすぎよ、士郎。近所に迷惑じゃない」


 はあっとため息をつきながらも出迎えに来る遠坂嬢。今までの様に肌の露出の多い服装にニーソックスという視覚的に反則な服装ではなく、体のラインを目立たせないゆったりとした妊婦用の服を着込んでいる。だが、それでも解るくらいにお腹は膨らんでいる。膨らみ具合から考えて、六、七ヶ月目といった感じだ。
 また、遠坂嬢は家にいるためか、髪も束ねておらずロングのストレートで僅かに桜と姿がだぶる。つまりはツインテールではないという事であり、大人っぽい印象を受けるので素敵だ。


「……はあ――はっ――いや、この前みたいに貧血で、眩暈をおこしていたら、危ないと思ったんだ」


 玄関で座り込み靴を脱ぎながらも馬鹿が語る。息を切らせながらも迷う事無く言い切る姿はあっぱれだ。余りに破天荒かつ一部やりすぎな心配の仕方に遠坂嬢は『やっぱり、義父を失ってから士郎は藤村先生に育てられたのね……』なんて心の中で思っていた。
 血は繋がっていなくても、藤ねえと士郎は紛れもなく姉弟という事だ、身近な人間が関係すると危険なぐらいに暴走するところとかが。
 何でも遠坂嬢は士郎と藤ねえの二人に二十四時間体勢で見守られてるらしい。見守られている本人は囚人みたいで嫌だと思っているのだが、やってる二人には欠片も悪意が無いので、断るのが難しいのだ。


「はいはい、嬉しいから静かに今度は帰ってきてね。びっくりしちゃうじゃない」

「む――――それは危ないな。料理の最中で指を切ったら大変だ。よし、今日から俺が食事は作ろう」


 馬鹿の限界突き抜けて士郎がほざく。息切れしていた事はどこへと言ったのか、遠坂嬢の近くに詰め寄って心配そうに様子を見つめる。


「ふざけてるの、士郎? 家から出るな。過激な運動はするな。それで最後に料理もするなですって? あんまり舐めた事ばっかり言ってるとガンド喰らわせるわよ?」


 だがしかし、遠坂嬢も手馴れたものでエレガントスマイルを浮かべながら馬鹿を迎撃する。ちょっとこめかみに青筋が浮かんでいるのが怖い。色々と過保護にされすぎてキレかけているらしい。
 左腕の魔術刻印が薄仄かに輝き始めている事から脅しではなくて本気なのだろう。士郎ことウルトラ馬鹿にどこまで通用するかは疑問だが。


「――――む、む、仕方が無いか。今日は退こう」


 焦っている藤ねえを連想させる動作で、額に汗を浮かべ、あごに手を当てて悩みながらも士郎が悔しそうに言う。だが、その納得がいかない様な言葉を聞いた遠坂嬢は、


「今日といわずに明日からこの話題は永久に禁止ね。もし口にしたら士郎がいない間に飲酒するから」


 透き通る笑顔で最後通告を告げる遠坂嬢。
 最近は士郎の馬鹿っぷりがエスカレートしていくので遠坂嬢もたじたじとなっていたのだが、それでも『赤いあくま』と色んな人に言わしめたポテンシャルの高さは伊達ではない。妊婦さんの飲酒は危険だという事を知っているが故の恐るべき脅迫である。相手が馬鹿になればなる程に与えるダメージは跳ね上がっていくので、士郎クラスのストレート馬鹿になればその一言で悶絶させる事は容易い。
 ついでに言えば、遠坂嬢の攻撃方法の亜種として『病院に行ってレントゲンを撮る』とか『喫煙する』というモノがあるが、どちらもリスクが高すぎるので止めたほうが良い。というよりもダメ、絶対なのだ。


「なっ!? 正気か!? お前と子供にどれだけの健康的被害がでるガァッ――――!」

「黙らないとぶっコロス」


 更には、予想通りに血相を変えて詰め寄ってくるアルティメット馬鹿に遠慮の無い寸勁を放つ遠坂嬢。真芯を捉えれば英霊であるキャスターさんも仕留めれる素敵な攻撃に士郎はガクリと膝を突いて倒れた。遠坂嬢も強化の魔術くらいならばお手の物なので威力はAKEBONOこと曙太郎を凌駕する。語るまでも無いが『KOしてやりますよ』とか言ってた分際で、しょぼい戦いしか出来なかった武蔵なんて目じゃない。


「良いわね。今日から禁止よ」


 そして締めの綺麗な笑顔を忘れずに、がくがく膝が震えている士郎に念を押してから居間へと引っ込んでいく。腹を両手で押さえて玄関で痙攣する士郎と、すっきりしたのか鼻歌を歌いながらきびすを返した遠坂嬢。
 この二人に限ってはやはり、亭主関白は無理なようだった。何ともほんわかバイオレンスに士郎は尻に敷かれている。
 




















「先輩、お帰りなさい」(はうっ、汗の苦いが香ばしいと思うなんて、私……

「士郎、お帰りー」

「シロウ、ご苦労様です」

「ん、ああ、ただいま桜、藤ねえ、セイバー」


 内臓破壊の寸勁を受けた衝撃から完全に立ち直っていないのか、若干顔を青ざめながらも居間に入ってきた士郎に向かって、先に食卓に座っていた桜と藤ねえとセイバーの三人が声をかける。
 藤ねえはテーブルにぐでっと倒れこみながらテレビを見ており、セイバーは求人雑誌を片手で読みながら左手は忙しなくチーズを爪楊枝で刺して口に運んでおり、桜はニコニコと綺麗過ぎて『裏があるんじゃないですか?』と問い詰めたくなる笑顔と熱い視線を士郎へと向けている。
 まったくもって、何の変哲も無い衛宮家の風景である。


「今日の晩飯は何だ?」


 士郎は上着を脱いで、自分の定位置に座しながらも問う。


「姉さんは酢豚だって言っていました」(私と違って中華しか作れませんからね、あの人は。


 そんな士郎に対して、妙に気合の入った露出の多い服装をしている桜が嬉々として答える。未だ学園の生徒である桜が、どうして薄桃色の口紅をうっすらと塗っていたり、バーバリー・ブリットっぽい極端に甘い香りの香水をつけているのかは全くの謎である。趣味なのだろう、きっと。清楚そうな桜が略奪愛なんて狙っているわけがない。
 誰が何と言おうとも現在、会話しながらも士郎にじわじわと擦り寄っていこうとしている桜の姿は全てが目の錯覚だ。口元怪しく見えるのは、観察している人間の心が黒いからで本当はきっと桜は良い子なはずなのだ。そう信じたい。


「そうか、楽しみだな――――む、ちょっと悪い」

「えっ、きゃっ!?」(ええっ、公衆の面前で作戦成功ですかっ!? 子供(セイバーさんと先生)だっているんですよ先輩っ!?


 桜の言葉を聞きながらも周囲をきょろきょろと見渡していたソニック馬鹿は、あろう事かいきなり正座している桜の膝の上あたりに腕を伸ばし始めた。
 白く美しい桜の太股の近くに手を伸ばすという予想外な士郎の行動に、桜は軽い悲鳴を上げる。頬を染めて首を振りながらイヤンイヤンしているのは恥ずかしいからに決まっている。ピュアなのだ、桜は。
 だが、しかし、


「――――やはり一家の長は新聞を読まないといけないな」


 士郎の腕は桜の膝上を通過し、そのまま近くに畳んで置いてあった新聞を掴み元の位置へと戻っていった。そしてそのまま新聞を開いて一面を見始める士郎。天声人語から目を通すあたり、渋い趣味の男である。
 だが、その行動に桜はフリーズ。きっと、女性の体の近くを不躾に手を伸ばすという士郎の態度に大和撫子な桜は困惑しているのだろう。礼儀は大事だ。ちと、先ほどの遠坂嬢の如くこめかみに青筋立てているのが不思議だが。


「……そうですよね、フフフ」(……落ち着け、落ち着くのよ私。フフフ


 しかも何か辛い事があったのか顔を俯かせて何事かを呟き始める。可憐な桜の事は心配ではあるが、まあ、恐らくはあれだ。桜は良い子だから慎みとかが(以下略)


「士郎、今日もお仕事がんばってきた?」

「ああ、当然だ」

「無理とかしてない? 職場の人にいじめられていない?」

「皆、良い人ばかりだ。絞られているが、結局のところは優しいし」

「そっか、お姉ちゃんは嬉しいよぅ」

「あっはっは、藤ねえには心配かけてるな」


 桜が顔の左半分に複雑な紋様をマジックでペインティングする中で藤ねえと士郎は朗らかに会話を続ける。豪快に笑いあう姿は正しく姉弟。特に桜の奇行をスルーしている辺りが似通っている。


「シロウ、私としては凛の傍にいたいと思うので家の中で出来る仕事が望ましいのですが、この本の中に該当するものはありますか?」


 豪快な住人その三であるセイバーが、テーブルにしなだれて指で『の』の字を書き始めた桜の横を通り過ぎて、藤ねえと士郎の近くへと歩み寄り尋ねる。
 彼女が手に持っているのは『ししばーゆ』という名の求人情報誌。一人、無駄飯ぐらいになる事を良しとしなかった騎士王は自らコンビニまで赴き、与えられた小遣いでホカホカの肉まん一つと共に求人情報誌を購入したのだ。まったくもって健気である。
 ちなみに、その事実を知った士郎が卒倒しそうになったのは秘密だ。まあ、セイバーは賢王と名高いアーサーだと考えれば当然の行動では有るのだが、士郎はいつの間にかそのあたりの事を失念していたようだ。不必要な傷跡を作る事となったらしいが自業自得。


「家の中で出来る仕事か――――俺はちょっと思いつかないな。藤ねえは何か知ってるか?」

「んー、セイバーちゃんは外国語ペラペラなんだからさー、翻訳とかできるんじゃないの? ハリー・ポッ○ーみたいなの翻訳して、上手く当たれば一攫千金かも」

「ああ、それは良い。書類を相手にするのは慣れている。シロウ、それで構わないでしょうか?」

「む――――出来るならそれで良いだろうけど、そんな仕事が求人情報誌に載ってるのか? 翻訳なんて仕事が簡単に見つかるわけが無いだろ――――」


 定価が数百円の雑誌で翻訳の仕事なんて見つけれるはずがない。常識で考えて士郎はそう考えていたのだが、


「ここにあったわよ、セイバーちゃん」

「ああ、ありがとうタイガ。明日にでも電話をかけてみようと思う」


 だが、数秒で発見される。


「……マジか?」


 意表をつく展開にやや呆然と呟く士郎。だが、これが世界の修正力ご都合主義だ。


「ご飯できたから取りに来てー」


 と、まあ、色々と三人が話をしていたら鍋をガンガンと叩く音と共に遠坂嬢の言葉が聞こえてきた。言葉が聞こえるのと同時に士郎の横からピューと桜が速攻で定位置に戻ったりするがご愛嬌だろう。


「む、解った」


 遠坂嬢の声を聞いて即座に表情をだらしなくした士郎は、ニコニコを通り越してにやにやした笑みを浮かべながらも台所へと急ぐ。結論として、衛宮家はおおむね平和という事か。










 


 







「今日も変化に乏しい一日だったわ」


 遠坂嬢が畳に敷かれた布団に腰を下ろしながらも呟く。今日も平坦な彼女の一日は終わりへと近づき、後は眠るだけだ。
 今までは衛宮家の一番豪華な客室を使用していた遠坂嬢ではあるのだが、本格的にこの家に住むにあたって、近接した二つの空き部屋のしきりをぶち抜いてバーサーカーでも寝転がれそうな大部屋を寝室として作り上げていた。


「まあ、それが一番良いんじゃないか?」


 遠坂嬢の隣で、こちらは仰向けに寝転がって天井を見つめながらも士郎。滅多に笑顔を見せる事の無かった彼の口元は終始緩み、幸せそうな印象を受ける。やや、というか、かなりだらしない印象も受けるが――――決して悪くは無い。


「そう? 士郎は変わらない事が好き?」


 横向きの『シムスの体位』――敷き布団の上に少しだけうつぶせ気味の横向きとなり、両足を軽く曲げて上の足を前に出す、妊婦さんが眠るときに最も楽な体位――となり布団に横たわる遠坂嬢。
 妊婦さんはお腹が邪魔でうつぶせになれないために仰向けに眠ると考えられそうだが、実際はそんな事をしたら腹部が圧迫されて血行が悪くなるために眠れない。だから、大多数の妊婦さんは遠坂嬢のように、体の左側を下にして横向けの『シムスの体位』で眠るのだ。これならば比較的、圧迫感が少ないので負担もかからず安心である。


「ああ、俺は変わらない今が好きだ」


 こてんと横になった遠坂嬢に、上半身だけを起き上がらせた士郎が笑いながらも掛け布団を被せる。常に浮かべるようになった自然な笑みから考えて、彼の欠落した自我も癒え始めてきているのか。或いは新しく一から育ち始めてきたのか。


「まあ、それなら私も諦めてあげるわ」


 横たわったまま、尊大そうな台詞だが柔らかい表情で遠坂嬢。浮かべた笑顔は純粋に温かい。


「諦める? 何かあったのか?」


 遠坂嬢の言葉に疑問を浮かべたのか首をかしげて不思議そうに問う士郎。言葉の内容と、遠坂嬢の纏った雰囲気のギャップから状況を量りかねているのだろう。


「帰ってきた時の事なら、確かに大袈裟だったかもしれないけど本当に心配だったからで、本当に煩わしかったなら直ぐにでも――――」


 士郎は取り敢えず弁解を始めようとするが、その前に


「違う、その事じゃないわよ。私が諦めるって言ったのは、魔術師として私が歩み続ける事よ。解る? 士郎――――私だけのけだもの」


 遠坂嬢は右腕を士郎の顔へと伸ばして、人差し指で士郎の唇の動きを止める。右手を動かした時に、ハラリと彼女の長い黒髪が波となって揺れた。


「む――――」

「ふふっ、その顔じゃ解ってたみたいね。聖杯の無い状態でセイバーを現界させている私に余力なんて無い。ここにいるのはただの小娘で、魔術師の目標である『   』には絶対に到達出来ない。どれだけ足掻こうとも無駄なのよ」


 言葉を詰まらせた士郎に微笑みかけながらも、遠坂嬢は細い指先を士郎の唇から頬へと動かす。


「……だけどな、それでもお前は――――」


 暫くの間、言葉を発さなかった士郎が意を決したかの様に口を開きかけるが、


「そこから先は言わなくても大丈夫。諦めがついたって言ったでしょう? この半年で色々とありすぎて混乱したけど、それでも悪くは無かったと思ってるわ――――」

「そうか」


 指先だけを士郎の頬に触れさせていた遠坂嬢は、一旦、言葉を区切ってから掌で士郎の頬を撫でた。しかし止まらずに彼女の手は動き続け、最後には後頭部へと移動し、士郎のうなじの髪をいじくり始めた。


「――――だけどね、だからこそ士郎にも言いたい事があるのよ」

「……何だ?」


 短く切り揃えられた士郎の髪を指に絡ませていた遠坂嬢は、その動きを止めて、


「私は夢を諦めたんだから、士郎も夢は諦めて私の傍にいてね」


 士郎の顔を自身へと引き寄せる。

 彼女の口から発せられたのは、衛宮士郎という存在の根幹であった『正義の味方』を求めるなという言葉。
 だが、


「了解だ。俺のいる場所は、あの時から決まってる」


 問題など、士郎に有るはずも無かった。今の彼の根幹は別にあるのだから。


「素直で良い答えよ」

「ああ、だって俺は――――」


 故に、蛍光灯に照らされた室内で近まる二つの唇が触れ合う寸前に一つの言葉が発せられた。


「――――お前を愛しているから」


 空の陽は沈もうとも衛宮家の陽は沈まず、変わらぬ一日が終わろうとも衛宮家の一日は終わらない。