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 電気の消えた暗い部屋に響き渡る電話のコール。何度も何度も執拗に鳴り響く電話に対して物凄く敵意を覚えるけれど、物に当たっても仕方が無いので我慢して起き上がる。
 起きたばかりで制御の利かない、いまだ半分眠った体をどうにかこうにか動かして受話器を手に取る。

「はい、遠坂で――」

 ウトウトと良い気持ちで寝ていたところを起こされた腹いせも兼ねて、やや不機嫌さを暗に篭めた声で返答しようと思ったのだけど、

『Rin! Komm bitte auf dem schnellsten Weg! Siro verschwand von dieses Haus!』

 どうやら、そうはいかない切羽詰った事態のようだ。電話をかけてきた相手は間違いなくイリヤ。早口でまくし立てているので完全には聞き取れないけれど『士郎が消えたから、早く来て』と言っている。

「イリヤ、落ち着きなさい! 何があったのか詳しく話して!」
『Als ich das Haus ging , Siro war verschwunden schon!』
「貴方が家に行った時には、もう士郎がいなかったの? ああ、もう――――解りにくいから日本語で話しなさい!」

 何か重大な事が起きたとは解るけれど、生憎わたしもネイティブのドイツ語を聞き取れるほどに語学に聡い訳ではない。まずはイリヤを落ち着かせる意味も兼ねて日本語での会話を促す。

『Also――――だから、士郎がいなくなっちゃった! もう全然何も解らないのっ!』

 数瞬後、イリヤがこちらの意を汲んで日本語で会話を再開する。士郎の馬鹿が何かをしでかしたようだけど、言われてから直ぐに言語を切り替えることが出来るのだから、イリヤもある程度は落ち着いているという事だろうか。或いは、それ以外を考えられないほどに焦っているという事か。
 ともかく、どちらにしても、

「貴方がいるのは士郎の家ね? 今から直ぐにそっちに行くから待ってなさい!」

 私がやるべき事は、出来うる限り早く電話を切ってこの家を出る事のようだ。




  *   *   *   *




「それで、結局何があったの? 士郎がいなくなったらしいけど、その事を詳しく話して」

 衛宮家の正門。そこに一人で立ち尽くしていたイリヤを見つけて話の詳細を尋ねる。
 この家に向かいながら、恐らくは最悪な出来事が起きたのだろうと予想は出来たけど、それでもイリヤの口から事実を聞いてみるまでは断定出来ない。杞憂であるとは全く思えはしないけれど。

「……タイガがいつまでたっても藤村の家に帰ってこないから、私がタイガを呼びに言ったの。けど、この家に着いた時には士郎がいなくなってた。いたのはタイガ一人で、何か聞いても全部上の空で何も答えてくれないわ。本当に何も解らないの。ただ…………シロウがこの街を出て行っちゃったって呟くだけで」

 狼狽して電話をかけてきた時とは違い、今のイリヤの声は萎れてしまっている。普段の活発な声色が、今では悲壮感を滲ませているだけ。こうしていると、イリヤの色素の薄すぎる白い肌や銀色の髪が、今にも砂粒となって崩れ落ちてしまうような儚い印象を受ける。

「――藤村先生? 今、先生は何処にいるの」
「道場よ。けどダメ……今は何も言っても無駄だわ」

 何か他に情報を得られるかと思って藤村先生の事を尋ねたけれど、イリヤは微かに首を振るだけだった。ゆっくりと力無く左右に揺れた顔と共に、イリヤの長い白髪もまた揺れた。

「どういう事?」
「呼びかけても、今のタイガはまともに反応しないの。何かシロウに言われたみたいだけど……それ以外は何も解らないのよ」

 小柄なイリヤが疲れたように大きなため息をつく。それだけで今の状況は間違っていると思う。同時にこの状況を作り出した士郎に対する怒りが沸々と湧いてくる。あの馬鹿は何をやったのか、と。

「そう、それでも一応は話を聞いておきましょう。何か解るかもしれないわ」
「きっとタイガは何も知らないわよ」
「それでも聞いてみるだけ聞いてみるわ。今はそれ以外に情報になりそうなモノなんてないから」

 イリヤの脇を通り過ぎ正門を潜り、一直線に道場へと向かう。何か言いたそうにしていたイリヤも、私が歩き始めると不承不承ながら付いて来た事が後ろから聞こえてきた足音で解る。
 玄関に入る事無く、庭を通り抜けてそのまま足を進めれば直ぐに道場へと辿り着いた。そして即座に、薄ぼんやりとした明かりのつけられた道場の中央で座り込む藤村先生の姿を視界に捉える。よく見れば、先生の周囲に折れた竹刀のようなモノが散らばっていたのを見つけ、それが恐らくは士郎の失踪に関係しているのだろうと推測する。

「すみません、藤村先生、少し話を――――」

 靴を脱ぎ道場へと入り、先生に質問をしようとして近づいてみたが、そこで言葉が途切れた。
 目の前にいる人は、こんなにも悲しい表情をする人だっただろうか――――そう私に疑問を覚えさせるには充分な程に、普段の先生とはかけ離れた辛そうな打ちひしがれた表情だった。何をもってすれば彼女をここまで打ちのめす事が出来るのだろうか、あまり考えたくは無い疑問。だけど大まかにでも考えなければいけないというのが性質が悪い。
 と、そこで自分が状況に圧倒されそうになっていた事に気がついた。だから、途切れた言葉をもう一度最初から言い直し、

「藤村先生、少し聞いてもいいですか?」

 相手の状態を確認する。藤村先生は呼びかけに反応してこちらへと顔を向けた。どうやら言葉に反応を示すことは出来るだけの精神状態ではあるようだ。まあ、目の前に私が近づいてきても何の反応も示さなかったこと自体が異常ではあるのだけれど。

「……何、遠坂さん?」
「士郎は何処に行ったか解りますか?」

 明らかに覇気の無い声。意気消沈していると解っている相手に問いかけるのは気が引けるけど、事態はそんな事を許してくれそうにも無いので平静を装い問う。

「ごめんね……私じゃ止めれなかったみたい」
「私は何が起きたのかを知りません。だからその事に関しては何も言う事はありません。だから私が聞く事は一つだけです。先生、貴方は士郎が何処に行ったのかを知っていますか?」

 自嘲的な、本当に似合わない笑みを浮かべた藤村先生の言葉を敢えて無視して、もう一度同じ内容の質問をする。今はここにいる彼女を構っている時間は無いのだから。

「ごめんね、ごめんなさい。本当に解らないの……」

 答えながらも藤村先生の頬から、すうっと静的な涙が流れ始めた。泣きじゃくるわけでもなく微動だにしていない。ただ彼女はこちらを見つめて泣いている。いや、視線はこちらに向けられてはいるけれど、こちらを見ているわけではない。虚空に彼女が思い描くのは別のモノ。彷徨う視点が、見ているこちらに寂寥感を呼び込む。その姿を見るだけで、直接の原因ではないはずの私でさえも罪悪感を覚える。同時に耐え難い怒りもだけれど。
 何故、士郎は家族を捨てられるのか。何故、士郎は自らが甘受してきた環境の大切さに気付いていないのか。あの馬鹿は家族が離れ離れになる辛さを知っているというのか。近くにいても声をかけられない辛さを何だと思って――――

「リン、タイガはこれ以上……」
「ああ、ごめんなさい。先生に話を聞く事は無理みたいね――――すみませんでした、藤村先生」

 激情に駆られかけた思考を、横からのイリヤの声が制止してくれた。冷静である事が求められる現状で、一人熱くなるわけにはいかなかったので助かった。
 だけど、イリヤの最初の言葉どおり藤村先生は何も知らなかった。得られた情報は全くのゼロ。士郎が何処に行ったのかを、全くの手探りの状態で考えなければいけない。

「イリヤ、貴方が私の家に電話をかけてから、どれくらいの時間が経った?」
「多分、一時間くらい。少し……混乱していて、その後に思いついたのが電話だったから、結構な時間が経っていると思う」
「そう――」

 イリヤの言葉を聞いて更に考える。士郎が家を出たのは私と別れてから、今から一時間前までの間の時間帯。大体、二、三時間の間に何かがあって、士郎はこの家を出ることを決意したという事だろう。いや、もう家を出ることは最初から決意していたのかもしれない。まあ、どちらにしても、その事は現在考える必要性があるわけではないので無視した方がいい。
 今、考えるべき事は士郎が何処に行ったのかという事。二、三時間あれば、最近の交通機関であれば相当な距離を移動することが出来る。そんな中で、どうにかして士郎が移動した場所を探し出す方法が有るのかと言えば、難しいというのが正直なところだ。
 本当に手の打ちようが無くなったら、警察の力を借りるという選択も考慮に入れておいた方が良いだろう。イリヤの存在など、叩かれれば埃の出る身なので余り公的機関の力は借りたくないけれど、この国で最も突出した捜索網を構築しているのは警察という機構に他ならない事もまた事実。背に腹は変えられないから仕方が無い。
 だけど、今は他の方法を模索するのが先決だろう。
 何か、何か方法は無いだろうか――――そう思い、道場の中央を見つめて、

「これは……」

 普段ならば決してこの家にあるはずも無いモノを見つけた。いや、見つけたというよりは感じた。こんな場所にはあるはずもないモノを。
 それは空間を漂う違和感という名の、魔力の残滓ざんし。この家で魔術を使う人間といえば一人しかいない。という事は、これは士郎の魔力の残滓なのだろう。間違いない、士郎はここで何らかの魔術を使ったのだ。

「……どうしたの、リン?」
 
 私の後方で佇んでいたイリヤが、蒼ざめかけた表情を変える事無く問いかけてきた。答えるのは簡単だけど、ここには一般人の藤村先生もいるので場所を変えたほうが良い。

「ちょっと、ね。イリヤ、少し離れた場所で話をしましょう」
「……何を話すの?」
「貴方、この場所で何か気がつかない? 私は魔力の残滓を付近一帯に感じるんだけど」

 道場の隅へと移動しながらも小声でイリヤに呼びかける。

「え? ……本当ね。これはどういう事?」

 暫く真意を掴めないでいるようだったイリヤは、目を細めて周囲を見渡した後、私の言葉の意味を悟ったのか小さく頷いた。彼女もまた魔力の流動と変換を主とする魔術を扱う。だから、集中しなければ気付かないほどに小さくても、この道場を漂う魔力の残滓を感じ取れたのだろう。

「多分、士郎がここで強化か投影か――どちらかは解らないけど魔術を使ったんでしょうね。前までの士郎は未熟すぎて、魔術を使ってもその事を気付けなかったけど、今は中途半端に成長してくれたおかげで魔力の残滓くらいなら感じる事が出来るみたい」

 昔の一般人と殆ど差異の無い魔術師の卵だった士郎の魔術ならば、例え行使されたとしても私は気付けなかったろう。けれど僥倖な事に――士郎にとっては皮肉なことに――魔術使いとして成長してしまったために士郎は魔術の行使を悟られるほどの魔力を得ていたらしい。そしてやはり未熟でもあるので、魔術を使用した後に魔力が垂れ流しとなっている。辺り一帯に広く薄く感じられる違和感が、それが事実だと証明している。
 これはつまりは、ある程度までならば士郎の移動した場所を特定できるかもしれない事を意味している。余りにも微弱な魔力であるので何処までやれるかは解らないけれど、少なくとも何も情報が無いよりは随分とましだ。

「イリヤ、私はこの残滓を追ってあの馬鹿を探しにいってみるわ。そうね――――明日の朝七時までに士郎が帰ってこなかったのなら、藤村先生の実家の人たちに、士郎の捜索願いを出させなさい。いいわね?」

 何が出来るのかは解らないけれど、動けるのなら動いた方が良い。早速にも道場を後にする事を決める。そのまま靴を履き、魔力の残滓を探りながらも衛宮家を出ようとして、

「待って、リン。私も行くわ……私も士郎を探す」

 後方から聞こえてきた声に体を止める。震えそうな声を聞き振り返れば、ぎゅっと両手を強く握り締めたイリヤの姿があった。
 士郎を探したいと言うイリヤの言葉は解る。だけどイリヤが動き回って何かが出来るとは思えない。藤村先生の状態を見た限り、士郎を仮に見つけ出した場合、戦闘を伴う衝突が起こる事も考えられる。いや、私の推測ではその可能性のほうが高い。
 そんな時に、もう壊れかけたイリヤ・・・・・・・・・・が士郎を止められるとは思えない。よくて今の仮初の状態を壊すだけだろう。魔術を使えば即座に体が壊れ、息をするだけでも体を崩壊させていくイリヤに、そんな事はさせられない。

「イリヤ、貴方はここで藤村先生をお願い。士郎は私が探しに行くわ」
「……何でよ、私だって士郎を探したいのに!」

 だけどイリヤはこちらの意図に気付いて首を縦に振ってくれそうではない。いや、気付いているのかもしれないけど、どちらにしても士郎を探したいのだろう。それが家族というモノだという事は良く解る。士郎がイリヤにとって大切なモノであるという事も。
 だけど――――だからこそ認められない。

「聞きなさい、イリヤ。仮に貴方が士郎に会えたとしても、士郎が何かをしでかしたら貴方では止められないわ。自分の体の事を考えなさい。私が士郎を探すから、貴方はここにいて」

 なるべく刺激しないように、イリヤに待機を促す。けど、イリヤは私の言葉を聞いても即座に口を開いて、

「イヤよ! 私も絶対に士郎を探す!」
「だから、それは認められないわ。長時間走り続ける事も難しい貴方じゃ、今は何も出来ないの。解って、イリヤ」

 語気の荒くなったイリヤを落ち着かせようと、ゆっくり一言一言、言葉を選んで事実を告げていく。その言葉の意味を自覚していたのだろう、イリヤは次第に表情を翳らせていった。
 だけど、

「けど――――やっぱりイヤ! リンが認めてくれなくても私が勝手に探すわ!」

 私の横を駆け抜けて行き、外へと出ようとする。余りに差し迫った様子だったので私は止めることが出来なかった。一人でも士郎を探そうとしているのだろう。

「イリヤ……」

 言葉をかける事が出来ない。あんなにも必至なイリヤは見たことが無いから。やはり戦力にはならないと解っていても、それがイリヤの体に悪影響を与えるとしても、同行を認めたほうが良いのだろうか。
 そう思いかけた時、

「あ、れ――――Warum unbeweglich?」

 走り出したイリヤの体が揺れて、そして道場の床へと倒れた。ゆっくりと、本当にゆっくりとイリヤの体は床へと傾いていった。
 理解出来ないでいる私の目の前で、イリヤの体は床にぶつかり、軽くもう一度だけバウンドして動かなくなった。と、そこでやっとイリヤの様子を確認しなければならない事に気がついた。

「イリヤ!」

 駆け寄り顔色を観察する。イリヤは今までは僅かにもそんな兆候を見せていなかったにも関わらず、小さな額にびっしりと脂汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返していた。呼吸により胸が上下するたびに苦悶の表情がイリヤを支配する。

「やっぱり……」

 手首を取り、脈を計ってみて即座に異常を察する事が出来た。急激に早くなったり、逆に遅くなったりと不安定なリズムをイリヤの心臓は奏でている。どう考えてみても、これは心臓不整脈。体が正常に機能していないのだろう。
 聖杯として作られたイリヤの体は極端に脆く、寿命も短い。元からそんな、いつ調子を崩しても不思議ではない状態であったのに士郎の事で一気に負荷が加わって耐えられなくなったのだろう。
 私はイリヤの体の事を知っていても、イリヤの浮かべた活発な笑顔を見て、まだ彼女は生き続けられるのではないかと心のどこかで思っていた。だけど、そんなものは単なる根拠の無い幻想だったらしい。
 この子の終わりは近い――――そういう事なのか。
 倒れた時に側頭部を打っている可能性があったので、イリヤを横にして安静にさせながらも思った。出来うる限り、この体は丁寧に扱わなければならない。だけど、

「藤村先生、イリヤをお願いします」

 私には行くべき所がある。この場所で私が時間を緩やかに、そして致命的に経過させる事はイリヤも望まないだろう。だから、手の空いている藤村先生にイリヤは任せる。

「……けど、私は――」

 こちらを見ていながらも何も口にしようとはしなかった――いや、混乱が連続して重なっていたために何も出来なかったのだろう――藤村先生に声をかけると、先生は何らかの言葉を返そうとした。しかし、拒否的な感情の含まれるその言葉を最後まで聞き続けるつもりは無い。

「イリヤが倒れているんです! 貴方はイリヤの家族なんでしょう!」

 例え、士郎の事で傷ついていようとも今はそんな状態ではないから。彼女は家族という言葉に強く反応する傾向がある。理由なんて知らないけれど、それが事実であると確信していたので家族という言葉を楔として彼女を動かす。
 予想通りに藤村先生は私の言葉に体を震わせた。まるで泣く子供だが、私は手は緩めない。緩められない。

「それとも、このまま貴方はイリヤを見捨てるつもりですか!?」
「そんな事――」

 更に心を抉るだろう言葉を放つ。すると、予想通りに藤村先生は即座に反論しようとしてきた。だけど今回も彼女の話を最後まで聞くつもりは無い。後は畳み掛けるだけで良いのだから。
 そんな事を一瞬で考える自分を嫌悪しながらも最後の言葉をぶつけた。

「それなら早くイリヤを介抱しなさい!」

 人は混乱している場合、大きな声で怒鳴りつけられて命令されれば大抵の事は承諾する。例に漏れず、藤村先生は恐る恐るイリヤの元へと近づいてきた。
 その姿を見て更に自身を嫌悪する。彼女もまた傷ついている事などは姿を見るだけで解るのに、何故私は更に彼女を鞭打つというのか!

「簡単な応急処置は解りますね?」

 だけど、そんな内心の動揺は外に漏らしてはいけない。それをすれば全てが無駄になるから。淡々と、問いかけるべき事だけを問いかけなければならない。
 藤村先生はイリヤの傍に座り込んだ姿勢で、私の問いかけに小さく頷き肯定の意を示した。不安は僅かに残るけれど、これでイリヤは一時的には安心だろう。なら、私がやるべき事を始めなければならない。

「それじゃあ、イリヤの事は任せました」

 立ち上がり道場を出る。士郎を、今回の元凶を探し出してこの二人の前に引きずってでも連れて帰る。

「……遠坂さん、何処に行くの?」

 背中から藤村先生の声が聞こえてきた。怯えの混じった声。だから私は悠然と答えなければならない。

「士郎を――――探しに行ってきます」




  *   *   *   *




 足を進めればその度に地面に敷き詰められた砂利によって、無人の夜の公園に単調な足音が響く。
 この公園は十年前の災害が起きた場所であるために、その事実を知る地元の人間からは気味悪がられ避けられている。そのために夜ともなれば殆どの人はこの場所に近づこうともしない。その気持ちは良く解る、オレもこの場所に来れば怨嗟の声が聞こえてくるような気がするから。
 だが今、オレはこの公園にいる。それは最後に強く誓いを刻み込むため。セイバーとの別離を経験したあの丘へは既に行ってきた。それによりセイバー、彼女との誓いは再びオレの胸に刻まれ、二度と忘れられる事は無くなった。だから残ったのは切嗣との誓い。

「この場所に来ることも最後になるんだろうな」

 言葉に出してみて現実味が湧いた。夜の闇の中でもこの場所に立てば、衛宮士郎の始まりとなった光景が瞼の裏に浮かんでくる。

 鼻につく焼け焦げた肉の匂い。
 最早、機能しない肺に酸素を求めて繰り返される荒い呼吸。
 ただ地獄から逃れたい一心で空へと伸ばされ、そして動かなくなった炭化した腕。
 地面から放射される熱により歪み、赤く錆びたように澱んだ大気。

 その光景から目を逸らそうとも、耳から怨嗟と絶望の声が染み入り俺の精神を破壊しようとした。その声から逃れようと耳を塞ごうとしても、瓦礫に埋もれた両腕の感覚は既に無く抗う手段は無かった。視覚から明確な死が這いより、聴覚から確たる崩壊が忍び寄って来ていた。俺は身動きすることすら出来なかった。
 そんな俺の前に現れた切嗣。俺が生きている事を見つけて、心底安堵したような表情を見せたオレの信じる正義の味方。

「――感傷に浸る事に意味は無いって解っているはずなのにな」

 思い出したい事はたくさんある。思い出せる記憶は多い。だけど、これ等もまた切り捨てる必要があるのだろう。胸に残すのは二つの誓い、それだけでいい。




  *   *   *   *




 魔力の残滓は士郎の家から南西の方角、柳洞寺のある後方まで感じる事は出来たけど、やがて薄れて消えてしまっていた。
 その場所の近くで士郎が立ち寄りそうな場所は片っ端から探しつくした。だけど、何処にも士郎の姿は見えなかった。この付近は人の通行量も少なくて、士郎を見かけたという人は誰もいなかった。
 結局は全くの手詰まり。もしかしたらと家を出てみたけれど、結果は何も見つけることが出来なかった。イリヤの事も藤村先生の事も、そして今この状況を知らない桜の事もある。だから、士郎は何があってもあの家に連れて帰らないといけないのに、私は何も出来ていない。
 どうすればいい――――そう自分に問いかけてみても、勿論、答えが帰ってくるはずもない。考えなければいけないのは私なのだから。

「士郎が行きそうな場所は……」

 もう既に士郎がこの街を出てしまっている可能性もある。いや、その可能性のほうが高い。だけど、そうだとしたならば、急いでも結果は得られない。仮に街を離れているのだとしたら、長い時間をかけて捜索を行う必要があるから。
 だから今考える必要があるのは士郎が未だにこの付近に残っていた場合の事。この付近に士郎がいるのなら、まだ遅くは無い。話さえ出来れば、向かい合うことさえ出来れば何かを動かすことが出来るはず。思い通りにはいかないだろうけど、何か変化を与えることは出来る。
 そのために考えよう。あいつは、士郎はどこでおかしくなったのかを。
 二人で帰宅する途中は笑みを浮かべる余裕もあって、あの時点では何も不審な点は見当たらなかった。それなら今朝、士郎と顔をあわせた時はどうだっただろうか――――いや、寝坊した私を見てむすっとはしていたけれどそれだけだ。大して気分を害した様子も無かった。
 それなら、昼間だろうか。そう考えたけど、それも違う。昼の会話でもいつものように無愛想に士郎は私の会話を聞いていた。なら、

「……あれ?」

 考えてみて、すごく大きな事を自分が見逃しているような気がした。型の違うパズルのピースを強引にでも繋げ合わせているような感覚。おかしい、私は何かを読み間違えている。
 話しかけても終始無愛想だった士郎――これは問題ない。
 寝坊した事を告げると少しだけ眉をひそめた士郎――これも普段通り。
 笑みを浮かべる余裕のある士郎――――何だソレは・・・・・
 士郎は殆ど笑わない。その士郎が帰宅しながら笑っていた? 内心で反芻してみて更に違和感が強くなる。間違いない。この時点で士郎に何らかの変化は現れていた。それは恐らく家を出る決心。あの時点で士郎は既に歪んでいた。

「弱音の一つでも吐いてくれないと解るわけが無いじゃない!」

 士郎が変に笑い始めた場所はいつからか。それは一度別れてから、公園で落ち合った後からだろう。あの場所で、私の知らない時間帯に士郎の意識を変える何かがあったのではないだろうか。
 そうだとしたら、あの場所にある『何か』を求めて、士郎は公園にいるかもしれない。
 可能性は低い。だけど他に考えられる場所は無い。だから、そうと決めたら後は移動するだけだ。面倒な真似はせずにそのまま東に、新都にある公園へと向かってひた走る。
 公園に向かうのならば、バスなどの乗り物を使うよりも魔術で脚力を強化して走った方が早い。人目に付かない場所を選んで全速力で走る。途中で誰かに姿を見られたような気もしたけれど、そんな小さな事は気にしていられない。
 走り続けて十数分、夕方に来た公園へと辿りついた。
 夕方との違いは太陽が出ているか、月が出ているかの差異だけ。後は本当に何も変わらない。
 一抹の可能性を胸に抱いて、公園の入り口からしらみつぶしに動き回り士郎の姿を探す。まずは、夕方に士郎が佇んでいた場所へと行き、

「見つけた――――」

 同じように宙を見据えて背筋を伸ばした体勢で佇む士郎の姿を見つけた。
 声は絶対にかけない。まずは不意打ちで抵抗するだけの気力を奪ってから話をすれば良い。声を出さずに息を殺して左手の照準を士郎の腹部に合わせてガンドを撃つ。
合計三発のガンドは真直ぐに直進して、士郎の体を打ち据えた。